第56話 序章 三
「人間のようなゴブリン……?」
レインが困惑した声を出す。その声を聞いた時、ゲーリィの頭の中から全ての感情が吹き飛び、真っ白になる。自分の目が徐々に、限界まで拡がっていくのを感じた。
「人間の、ような、ゴブリン……」
どうしてすぐに思い当たらなかったのか。脅威足り得るゴブリンの存在を、自分は知っていたはずなのに。
重大な見落としに愕然とするゲーリィの変化を、アテンは当然見逃さない。
「……知っているのか、ゲーリィ」
自分以外の者がその存在を知っていたのが意外だったのか、少し間があった。それだけ珍しい個体なのだろう。
「はい、聞いたことがあります。かつてガトーが、ここのギルド長が、冒険者としてまだ新人だった頃に辺境の森にできたゴブリンの里で戦ったことがあると。そのゴブリン一体のせいで、甚大な被害を受けたと言っておりました」
「ほう。『甚大な被害』程度で済んだのか。そのゴブリンは、人間の子供ほどの大きさだったか?」
「そう聞いています」
「そうか、それは運が良かったな。まだ未熟な個体だ。して、そのゴブリンはどうなった?」
「……討伐されたそうです。ちなみにですが、討伐者の名前はメルグリット。彼もまた当時は新人でしたが、今は現役のオリハルコン級冒険者です」
「ほう、オリハルコン。成る程な。さすがにそのレベルになると、なかなかのやり手もいると言うことか」
強い者には関心があるのか、いつもより反応が良い気がする。
「少し話が逸れてしまったな。だが、知っているのならば話は早い。私が注意しろと言っているのは、正にそのような特殊な個体のことだ。それがどれだけ危険かは、そいつがもう一段階進化していたら、『オーラ纏い』を使い出すと言えば、貴様らにもわかりやすいか」
一瞬の間の後、部屋の中が騒然とした声で埋め尽くされる。
「はあ!? それって、オリハルコン級ってことじゃ……!!」
「ゴブリンが、『オーラ纏い』を……?」
「嘘だろ……敵が、アレを使ってくるのかよ……」
その凄まじさを目の当たりにしている『約束の旗』の顔色が青い。その脳裏には、為す術もなく爆発四散したトロールタフの映像が流れていることだろう。
いよいよ深刻さを増してきた今後のダンジョンの展望に、ゲーリィは自分の認識が甘かったと痛感せずにはいられなかった。
「今のうちにダンジョンを潰してしまうという手はありなのでしょうか?」
かつてはガトーが言っていた事を、今度はゲーリィが口にする。頭ではできないとわかっていても、言わずにはいられないのだ。最適解を選択できないのがもどかしい。
「それができるのならばとっくにやっているのではないのか? 何かそれができない理由があるからこその、この現状なのだろう。まぁ、大方の予想はつくがな」
予想通りのアテンの答えに、ゲーリィは歯がゆさを滲ませる。
「確かにその通りです。くっ、そんなゴブリンが出てきたら、現状この街に対応できる冒険者はおりません!」
モンスターが出現したら街が終わるかもしれない。ダンジョンの気分次第で命運が決まってしまうという理不尽が、ゲーリィを苦しめていた。
「わからん奴だな。だから強くなれと言っているのだ。ところで、ミスリル級冒険者パーティーと言うのはどこにいるのだ? この街に来てから見た覚えがないのだが」
この街の最大戦力だ。今後の対応を考える上で知っておきたいのだろう。
「彼らは他の領地に属しているダンジョンの間引きを行っているので、現在この街にはいません。ミスリル級以上の冒険者には、定期的に近隣ダンジョンの深層の間引きをする義務があるのです」
「そうか。それでか……」
「……何か?」
その含みを持たせたような呟きが妙に気になったゲーリィがアテンに尋ねるも、取り合ってくれなかった。だが、そんな違和感も次のアテンの発言で気にしていられなくなる。
「いや、何でもない。それよりも、そろそろ本題に入ろう。強くなる方法、具体的には『オーラ纏い』の習得方法だ」
「教えて頂けるのですか!?」
ゲーリィは立ち上がりながら叫んだ。その勢いの良さに椅子が大きな音を立てる。『約束の旗』の面々も拳を握り込みわかりやすく喜んでいた。
「当たり前だ。相手が使ってくるのに、こちらが使えなくては話にならんだろう」
「そ、それはそうですが……ですが、大切な情報では……?」
戦士のマッシュが余計なことを言うなという顔をしているのが目に入る。彼には後で、大人の気遣いと言うものを教えてあげるべきかもしれない。そんな思惑が飛び交うが、アテンの意思は変わらない。今や、この場の全ての決定権はアテンが握っていた。
「案ずるな。どうせ教えてやったところで、使えるようになるかどうかは別問題だ」
アテンは挑発的な笑みを浮かべる。それを見て、場の雰囲気が一気に引き締まった。
「やはり、習得は難しいのでしょうか」
「難しいだろうな。ただしそれは、個人の才能がどうこう、と言うことではない。耐えられるか否か、と言う話だ」
「耐える?」
「我々戦士たちと貴様ら冒険者では何が違うと思う? それは、乗り越えてきた死線の数だ。極限状態の時にこそ、魔力の質は大きく上がる。王のために己の命を顧みず、修練に明け暮れる我々戦士たちと、できるだけ危険を避けることに比重をかける貴様ら冒険者では、その実力に大きな差が出ると言うわけだ」
「才能ではなく、極限状態……」
成る程、と思う。それならば先程のアテンの言葉も、これまで『オーラ纏い』の明確な習得方法が見つからなかったのも納得できる。
冒険者ができるだけ安全にモンスターと戦うのは当たり前だからだ。彼らには生活がある。怪我をすればそれを治すためにお金がかかるし、身体が欠損でもしてしまえば今後の一生に差し障る。誰かが無理をすればパーティーが危機に陥るかもしれないし、それが元で依頼が失敗に終わってしまうかもしれない。そもそも、冒険者とは極限状態になるような戦いに挑んではいけないのだ。
「アテンさん、あの、極限状態と言うのは、どの程度のことを言うのでしょうか。その、俺たちも日々、精一杯やっているつもりなんですけど……」
(レイン君は、意外と精神的に強いですね……。その心の強さは見習うべきかもしれません)
先ほど叱責を受けたばかりなのに、同じような物言いを繰り返すレインを、ゲーリィはある意味で尊敬していた。
「私は、数百人の同胞の死の上に立っている」
その言葉は静かで、そして重かった。
「え……」
「精一杯、できる限り、死ぬ気で、そんな言葉に意味は無い。『死』に自分を晒せるか。それを幾度も繰り返せるか。それが私の言う極限状態だ」
(やはり……!)
甘くないな、と思う。現状で、『オーラ纏い』を使える冒険者の数を考えれば、それが生半可なことでない事は予想がついていた。
(これはつまり、強さのために自分の命を賭けに出せるかと言うこと。何度も、文字通り死ぬほどの苦痛を味わい、その度に財産を失くし、心が挫けそうになりながらも、それでも、強くなれると信じて突き進めるかどうか。……難しいでしょうね)
人の心は、そんなに強いものではない。誰だって、得られるかどうかわからない強さよりも、自分の命が惜しいだろう。
(おそらくアテン殿の言葉に嘘は無い。『オーラ纏い』を習得する過程で実際に死ぬ者も出るでしょう。数百人の同胞の死。彼は、その環境で生き残ったからこそ、この強さを得たのですね)
アテンの強さの秘密。それは、狂気にまみれたものだった。しかし、それは同時に、人を惹きつけるような美しさを放っていた。ただ、美しすぎるが故に、手を伸ばせる者は限られていた。
厳しい、あまりにも厳しい習得条件に、場を沈黙が満たす。『オーラ纏い』を絶対にものにすると息巻いていた『約束の旗』の面々も気後れしていた。
「どうせ誰かがやらねばならん事だ」
そんな中、沈黙を破ったのはアテンだった。
「このままでは死を座して待つだけだぞ。このギルドでは、ガトーとやらが多少『オーラ纏い』を使える程度だろう?」
「……ご存知でしたか。仰る通り、ガトーは少しだけ『オーラ纏い』を使えます」
(本当に、どこで情報を集めているんですかね。それとも彼ほどの人間にもなると、世界が違って見えるんでしょうか)
アテンの底知れなさに恐れを抱いてしまう。彼が敵でなくて、本当によかった。
「一人が使えたところで話にならん。どうせなら、強くなるついでに街も救ってやろうとは思わんのか? そこの戦士」
「はッ、はい!?」
突然呼ばれたマッシュは驚き慄く。
「今、貴様の体内では魔力が活発に動いている。私は、貴様のトロールタフとの戦いは見ていないが、限界に近い戦闘をしていたのがわかる。今、自分を追い込めば大きな成長が見込めるぞ」
「ほ、本当ですか!?」
「それと、レインといったか。貴様もトロールタフの攻撃を一人で凌いでいた過程で、魔力の質が成長の兆しを見せている。この機会を逃すのはもったいないと思うがな」
「お、俺も!? そうか……確かに限界が近かったけど、あれぐらいでも成長できるなら……」
(さすがは貴族といったところですか。人をやる気にさせるのが上手いですね)
ゲーリィはその手腕に惚れ惚れする。誰もが踏ん切りがつかない中、自分に傾倒しているレインとマッシュに狙いをつけて流れを変えた。その正確に人を見る目も素晴らしければ、実際に成長していると教えてやる褒め方も効果的だ。言い方は悪いが、人を操ることに実に慣れていると言える。
改めて恐ろしいですね、などと、少し他人事のように考えていたゲーリィだったが、アテンの獲物の中に自分も入っているとは思っていなかった。
「それと、当然だがこの中で『オーラ纏い』の習得に一番近いのはゲーリィ、貴様だ」
「わ、私ですか!?」
自分に話が振られるとは考えていなかったので意表を突かれる。てっきり若い冒険者を中心に育てるのだと思っていた。
「そうだ。長年の冒険者としての経験が、貴様の魔力を実に柔軟なものにしている。柔軟とは、それだけ魔力が活発になりやすいと言うことだ。もう少し現役を続けていたら、今頃は使えていたかもしれんな」
「……そうですか。あと少しだったのですね」
ゲーリィも、『オーラ纏い』を習得するために躍起になっていた時期があった。その時の努力が無駄ではなかったと言われ、報われた気がした。
惜しむらくは、もう少し早くアテンと会いたかったと言うことか。
「しかし、私はもう若くありませんし……」
その口からは自然と諦めの言葉が出る。活力に漲る若い冒険者たちを見ていると、再び前線に戻るのは躊躇してしまう。しかし、ゲーリィはまだ、誰と話しているのかがわかっていなかった。
獲物と定められた以上、アテンからは逃げられない。
「肉体の衰えと魔力の質は関係ない。それに、魔力の質を高め、『オーラ纏い』さえ習得してしまえば、多少の肉体の衰えなど関係なくなる。それとも何か、このギルドには街の命運を任せられるような、貴様が負けを認める魔法使いでもいるのか?」
「ッ……!」
冒険者としてのプライドがチクリと刺激される。
一線を退いたものの、ゲーリィには元ミスリル級冒険者としての自負がある。経験、実績、魔力量。どれをとっても現役の冒険者に劣るものではない。負けを認めるとは、これまで積み上げてきた過去の自分を否定するということだ。仲間と共に歩んできた命がけの日々を、例え嘘でも、否定できるはずがなかった。
「いえ、このギルドで、私以上の魔法使いはおりません」
言わされてしまった。だが、悪い気はしなかった。言葉に出すことで、初めて自分の本音に気づけた気がする。
(ああ、私もまだ、冒険者なんですね……)
『約束の旗』の魔法使いリズが悔しそうな顔をしていた。ゲーリィとリズでは、その実力差ははっきりしている。しかし、負けん気の強い彼女からしてみれば、目の前で『劣っている』と言われるのは許せないことだろう。その瞳には闘志が宿っていた。
「ふっ、それでよい。時間は作ってやったんだ。訓練する時間ぐらいは確保できるであろう? 誰か、ではなく、貴様が、この街を救ってみせろ」
ものの数分で、この部屋にいる全員の、地獄の特訓行きが決まってしまった。ゲーリィに発破をかけたことで、結果的にリズが賛成側に回った。これによって『約束の旗』の半数以上が訓練に前向きになり、残りの二人も成り行きで参加するしかなくなった。
(ここまで計算通りですか? 全く。本当に、恐ろしいお方だ)
それと同時に非常に頼もしい。この街始まって以来の未曾有の事態も、何とかなるのではないかと思えてくる。
覚悟さえ決めてしまえば後は早いのが冒険者だ。早速とばかりにレインが意気込む。
「それで、アテンさん! 俺たちは何をすればいいですか!? いつでも行けますよ!」
「落ち着け」
その勢いに、さすがのアテンも苦笑いを浮かべる。
「特訓の前に、ゲーリィ。ガトーとやらに話をつけておけ。強制参加だ。それとミスリル級の冒険者共もなるべく早く戻らせろ。あまり時間は無いぞ」
「承知いたしました」
「それとだが……」
アテンは椅子の背もたれに身体を預け、不自然に間を作る。ゲーリィは、直感的にその変化を良くないものだと悟った。
「これは確認なんだがな? ゲーリィよ。貴様、紅蓮の洞の第四階層については、どの程度理解している?」
「は……、第四階層、ですか?」
いきなり話が飛んで困惑する。『約束の旗』のメンバーも顔を見合わせていた。
(第四階層? 植物でできた蟻の巣みたいな階層でしたね。特に何も問題は無かったはずですが……)
ゲーリィが思いつく限りでは、アテンがわざわざ気にするような階層ではなかったはずだ。無駄に上に広い階層故に、モンスターの数で心配な点はあるが、それも定期的に冒険者に依頼をして間引きを行っている。それで今まで問題が起きた事は無い。
どの程度理解していると言われても、ゲーリィには何とも言えなかった。
「その様子では把握しておらんな? 例のダンジョンにばかり気を取られているようだが、もう一つのダンジョンにもしっかり気を配っておけ」
この人物がそこまで言うのだ。何か、自分が気づいていない問題があるのだろう。
この時のゲーリィの予想は正しかった。ただし、その問題は、想定よりも二つも三つも上のものだったが。
「クックック。喜べ、貴様らの最初の特訓内容が決まったぞ」
そしてアテンは楽しげに告げた。
「スタンピードだ」
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