第49話 英雄

 その冒険者はスターの言った通り、悠々と歩いてきた。全身をローブで覆ってはいたが、見事な体躯をしていることは隠し切れておらず、わずかに覗く顔は同じ人間とは思えないほど整っていた。


 レインは息を呑む。その冒険者が一目でただ者ではないと分かったからだ。誰かは知らないが、助かる希望が見えたことにレインは喜んだ。


 だが、その冒険者は無警戒にも、戦闘に巻き込まれそうな位置までやってくると腕を組んで立ち止まり、つまらなそうな顔でレインたちの戦いを眺めだした。まるで助ける気が見えないその姿に、一転、レインは焦る。


「何してる!? 助けに来たんじゃないのか!?」


「違う」


「なッ……は……?」


 その冒険者の短く、明確な否定の言葉に、レインは言葉を失う。


「私はそっちのトロールに用があって来ただけだ。いつまでも消極的な戦いをしていないで、逃げるか死ぬか、さっさとしろ」


 あまりの物言いにレインは絶句する。しかし、その言葉が頭に染み込んでくるにつれ、沸々と怒りが湧いてきた。


「ふざけるなッ!! お前にはこの現状が見えないのか!? ここまできたら助けるのが普通だろう!?」


 実力が無い冒険者なら自分の命を優先して戦いを避けるのも仕方ないと思うが、自分の力に自信がある者ならば助けに入るべきだ。


 自分で言っていて情けないとは思うが、レインは自分やパーティーが助かりたい一心だった。


「貴様の普通を私に押し付けるな。ふん、この現状、か。私には欲に目がくらんだ愚か者たちが、勝手に窮地に陥っているようにしか見えんのだが? 自業自得だな」


「~~ッ!!」


 事実を突きつけられてレインは顔が怒りと羞恥で真っ赤になる。振り下ろされたトロールタフのグレートソードを、感情のままに強引に弾き返す。


 ――この時、冒険者が小さく「ほう」と呟いたのだが、それはレインには聞こえなかった。


 レインは本能のままに叫ぶ。


「ああ、そうさ! 俺は欲に目がくらんだ愚か者だ! だけど誰だって失敗はするだろう!? 助けてくれよ! こいつをなんとかする力があるなら! 俺は、皆を助けたいんだ!!」


「別に構わんが、トロールの装備品は私が全てもらうぞ」


「ッ!」


 冒険者の言葉にレインは一瞬歯嚙みするも、すぐに了承する。見つけたのは自分たちだが、確かに分け前が貰えるほどダメージを与えられてはいないと思ったからだ。


「わかったっ! それでいいから早くしてくれ!!」


 悔しい気持ちを押し殺しレインは即断した。しかし、その冒険者は一向に動かない。


「何してる!?」


 レインはイライラが限界を突破しようとしていた。もうトロールタフを抑えるにも限界が近かった。


「今のは互いの取り分を決めただけだ。助けて欲しければ報酬を示せ。当然だろう」


(今言うことかよ!?)


 その冒険者の言葉は正しいのかもしれない。中には見返りを求めずにただ助けに入る冒険者もいるが、こういった決め事は事前にしっかり決めてしまった方が問題を回避できるのは確かだ。しかし、今のレインに悠長に話している余裕はない。あまりにもマイペースな正体不明の冒険者に、怒りを隠そうともせずに何が望みなのかを直接聞く。


「何が望みだ!?」


「私はマジックバッグを欲している。持っているな?」


 その冒険者が望んだのは、あまりにも高価なものだった。この冒険者が言うように、『約束の旗』はマジックバッグを持っている。それは『約束の旗』の荷物の少なさを見れば推測できるだろう。だからと言って、この状況で引き合いに出すには悪辣すぎるものだった。


(こっちが断れない状況だからって足元を見たか!? だけど、突っぱねれば本当に助けに入らないような気がする……!)


 幸いにも『約束の旗』はマジックバッグを二つ所有している。大きな痛手にはなるが、仲間の命には変えられない。


「く……ッ、わかった、条件を飲む! だから早く……!」


「ダンジョン産の方だぞ」


(クソが! 少しは遠慮しろよ!! ていうかなんで知ってる!?)


 レインが渡そうとしていたのは、当然ながら後で替えの利く、店売りの人工マジックバッグの方だ。『約束の旗』は人工マジックバッグを購入後、ダンジョン産のマジックバッグも入手するという幸運に恵まれていた。しかし、目敏いクソ野郎によって、情け容赦なくダンジョン産のマジックバッグの方を要求されてしまった。


 ダンジョン産のマジックバッグともなると話が変わる。その希少性もさることながら、ダンジョンで手に入れた素材を新鮮なまま街に持ち帰れることは、『約束の旗』の収入に大きく関わっている。今後の生活を考えれば、おいそれと頷けるものではなかった。


「ダンジョン産の方は駄目だ! どれだけ貴重なものかはお前だってわかるだろう!? 店売りの方で勘弁してくれっ!」


 レインは冒険者にそう訴えかけるも冒険者は何も答えない。それは明らかな拒絶を示していた。


 レインはきつく渋面を作る。マッシュを見捨てれば冒険者の要求を飲まないで済む。人の命とダンジョン産のマジックバッグでは、どちらの方に価値があるかと問われれば、大半の人間はマジックバッグだと答えるだろう。それだけ大切なものなのだ。しかし、レインにとってマッシュはただの人間ではない。大切な友人であり仲間であり、共に同じ高みを目指すかけがえのない存在だ。見捨てることなどできるはずがない。


「……わかった」


「レイン!?」


 会話に口を挟んでいなかったレンジャーのスターが驚きの声を上げるが、レインは構わず続けた。


「お前の要求通り、ダンジョン産のマジックバッグを渡す。だから、俺たちを助けてくれ」


 レインの懇願に、冒険者はようやく動き出した。


「約束は違えるなよ」


 冒険者は短く告げると前に進みながらローブを脱ぎ、小さく丁寧に折りたたむと、腰に吊るしていた小さな袋に収納した。


(マジックバッグ持ってんのかよ!?)


 レインは内心で突っ込みながらも、露わになったその肉体を見て目を見開いた。


 無駄なところが一切ないその磨き上げられた身体は美しくすらある。芸術品のような肉体を飾っているのはこの辺では見かけない衣装だが、見事な装飾がなされているそれらは、美術品などに縁が無いレインでも高級品だとすぐにわかる。凛とした佇まいから放たれる誇り高き雰囲気は、伝承に語られる闘神を思わせた。


 高貴なる武神の顕現。今まで散々イライラさせられたことなど無かったかのように、レインは呼吸を忘れてその冒険者を見つめた。


 動きが止まったことを隙と見たのか、トロールタフのグレートソードがレインに振り下ろされる。しかしその攻撃が届く前に、冒険者がレインの前に割り込んだ。


 冒険者は一回転しながらトロールタフの顎を蹴り上げると、そのまま綺麗に着地する。冒険者の蹴りをまともに受けバランスを崩したトロールタフは、呻き声を上げながらそのまま背中から倒れ込んだ。


「下がっていろ」


「は、はい……」


 その鮮やかな先制の一撃に、レインは大人しく頷いてしまう。


 ヴァリアント種のトロールタフは一人で戦って勝てるような相手ではない。それは実際に戦ったレインが身をもって感じたことだ。この冒険者がどこまでの実力なのかは知らないが、本当であればレインも共に戦うつもりだったのだ。だが、その冒険者の姿と言葉の力強さに、レインは圧倒されてしまった。トロールタフが倒れ込んでいるうちに素早く後方に下がる。


 そんなレインに、冒険者は声をかける。


「折角だ。自己再生能力の高い相手に対して有効な手段を教えてやる」


 冒険者がそう言う間にトロールタフが起き上がる。その目は、自分の楽しみを邪魔した冒険者を完全に敵視していた。


 そんなトロールタフだったが、不意に鼻を執拗にかぎ出すと、訝しげな表情をし出した。


「グゥゥ……? オマエ、ニンゲ……」


「まず一つ目」


 トロールタフが何かを言いかけていたが、冒険者はそれに構うことなく肉薄した。間隙をついて接近した冒険者に反応できないトロールタフに対し、冒険者は右手に揺らめく何かを纏わせながら、その拳をトロールタフの脇腹に突き刺す。文字通り、鎧を突き破って深々と刺さったその攻撃に、トロールタフは絶叫を上げた。


 その鎧の性能を知っている『約束の旗』は驚愕に目を見開いた。だが驚くのはまだ早かった。


 血まみれになった右腕を引き抜き、冒険者が『約束の旗』の方に向かって歩いてくる。戦闘中に晒していいような隙ではなかったが、その無防備な姿に追撃はなかった。


 トロールタフは左の脇腹を抑えながらひたすらによろめいていた。冒険者はまるで講義でもしているかのように言う。


「自己再生能力の高い相手にはその能力を封じてしまうのが効果的だ。炎や酸による攻撃も有効的ではあるが、方法は何もそれだけではない。そもそも炎や酸に耐性を持つ相手もいる。手段は多く持っていた方がよい。あのようにな」


 その言葉に『約束の旗』がトロールタフを見ると、トロールタフは未だに苦しんでいる最中だった。その脇腹からは血が流れ、傷が再生する気配は感じられない。


(何をやったんだ!?)


 冒険者にスキルなどを発動した様子は見られなかった。レインにわかったのは、冒険者の拳にもやもやとした何かがあったことだけだ。


「再生能力を失ったトロールなど、もはやオークと何も変わらん。自身の再生能力を過信している分、オークよりも攻めやすく、弱いとすら言えるかもしれんな」


 冒険者の挑発の言葉が聞こえたのか、トロールタフが冒険者に向かって血走った目を向ける。半狂乱状態で突進してくるトロールタフを冒険者が迎え撃つ。


「そして二つ目」


 冒険者が言うのと同時にその右手が眩しいほどに光り輝く。その光は徐々に小さくなっていくと、やがて人差し指の先に全てが凝縮された。


 神秘的さと、見ていると背筋がぞくりとするような、恐ろしいまでのエネルギーを内包した白い輝き。冒険者はトロールタフの強烈な袈裟斬りをヒラリと躱すと、未だに血が流れ続けている脇腹の穴の中に、その白い輝きを解き放った。


「<極点陽>」


 穴の中で白い光が爆発的にその輝きを増す。荒れ狂う力の奔流が行き場を求めて激しく暴れ出し、トロールタフの身体を内側から強く圧迫する。


 その勢いはとどまるところを知らず、ついには鎧の隙間から肉がはみ出し、千切れて、血が噴き出し始めた。トロールタフの表情が激痛と恐怖で絶望に変わる。


 そして、小さな太陽は臨界点を迎えた。


 水の中で爆発でも起きたような音が平原に轟いた。一際眩しい輝きを放ちながら、次の瞬間には周囲に赤い天気雨が降り注ぐ。


 赤黒く染めあげられた一帯の中心に残っていたのは、主を失った装備品だけだった。


「<クリーン>」


 冒険者は自分とトロールタフの装備品を洗浄しながら、何ともなしに言う。


「再生能力を上回る攻撃で圧倒すること。こういう時のために一撃に比重を置いた攻撃手段を持っておく事も悪くない。切り札となり得るような技を覚えておくとよいだろう」


 冒険者はレインに近づくと淡々と言う。


「約束だ。マジックバッグはもらっていくぞ」


「……はい……」


 目の前の光景に唖然とすることしかできないレインは、もはや冒険者の言うことに逆らおうとは考えなかった。マジックバッグの中身を取り出し、店売りのマジックバッグの中に入れなおすと、『約束の旗』は素直にダンジョン産のマジックバッグを冒険者に差し出した。


「ではな」


 トロールタフの装備品をマジックバッグに収め終えた冒険者は『約束の旗』に背を向けて歩き出す。レインはそんな冒険者に慌てて声をかけた。


「あ、す、すいません! もし街に戻るのならご一緒させてくれませんか!? 俺たち、このままだと無事に帰れるかどうかわからなくて……」


 レインの言った通り、『約束の旗』は精も根も尽き果てた状態だった。もしこれ以上、想定外のことが起きた場合、それに対処するだけの力が残されていなかった。それに、さっきの戦闘に関して聞きたいことが山程あったのだ。


 しかしそれは冒険者にすげなく断られる。


「私は急いでいるのだ」


 冒険者は小さな袋の中から一本のポーションを取り出すと、それをヒーラーのルリアに投げ渡した。


「その娘の魔力が回復すれば後はどうにでもできよう。その後は自分たちでなんとかしろ。ゴールド級冒険者ならばな」


 冒険者はそう言うと、今度こそ去っていった。


「かっけぇ……」


 致命傷から回復していたマッシュが呟く。レインも全くもって同意見だった。


 とても鮮烈的だった。傍若無人な態度とは打って変わり、その戦闘技術の完成度は理解できない領域にあった。レインが幼い頃に夢見た、理想の英雄像。絶望的な状況を颯爽と救い出してくれる圧倒的強者。その姿が、あの冒険者と重なって見えた。


 憧憬の面持ちで冒険者の背中を見つめるレインとマッシュをよそに、スターとリズが会話を交わす。


「噓だろ……何だよ、あの強さは。同じ人間かよ……。リズ、あの人、見たことあるか?」


「あるわけないでしょ。あんな美形、いたら噂になってるわよ。ていうかあの人、新人ノーブロのプレートだったわよ? 最近ヘルカンに来たんじゃないの?」


「新人て……まぁ確かにこの辺の格好ではなかったな。それなら知らないのも納得か。とすると、あの戦い方もどこか遠くの国のものなのか……?」


 その言葉にマッシュが飛びつく。


「そう、あれな!! あれどうやったんだ!? 何かこう、手がブワーってなってよ! って、イッテテッ」


「バカ。あんたはまだ大人しくしてなさい。……そうね。あの戦闘技術をここで知れたのは大きいと思うわ。マジックバッグが無くなったのは痛いけど、あの技術と引き換えなら惜しくないと思える。この出会いを活かせるかどうかは、今後の私たち次第ね」


 レインはその言葉にハッとする。


「皆、済まない! 大事なマジックバッグを勝手に渡してしまって」


 頭を下げるレイン。大元の原因が自分にあるとわかっているマッシュも一緒に頭を下げた。


 頭を下げられたパーティーの三人は揃って肩を竦める。


「仕方ないでしょ、あの状況じゃ」


「そうですね。レインさんは間違ってなかったと思います」


「そうだな。それに、あの戦闘技術を教えてもらって、第六階層まで余裕で探索できるようになれば、マジックバッグなんてまたすぐに見つかるさ」


「皆……ありがとう。そして、改めて、ごめん」


 レインは、欲に目がくらんでパーティーを危険に晒したことを謝罪した。


「俺は、あの装備品さえ手に入ればミスリル級になれると思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。本当の強さってのは、そういうもんじゃないんだって、俺は今日、知った」


 上手く言葉にできない気持ちだったが、『約束の旗』の全員が頷く。


「俺、強くなるよ。いや、皆で強くなろう。今日の経験は絶対に無駄にしない。真の強さを手に入れて、ミスリル級、そして、その先に行こう!!」


「しゃあ! やってやるぜ!!」


「まずは協力を取り付けないとな」


「とっつきにくそうな人だったけど、チャンスはあると思うわ」


「頑張ります!」


 明確な目標と未知の興奮が『約束の旗』を明るい雰囲気で満たす。その盛り上がりは、かつてダンジョン産のマジックバッグを手に入れた時よりも大きなものだった。


 レインは前を見据える。冒険者としての時間が経つごとに、徐々に霞がかってきていた理想の英雄像が、その瞳にははっきりと映っていた。

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