第48話 安定のオーク

 紅蓮の洞第五階層。そこは平原と森のフィールドだった。後ろを振り返れば高く聳え立つ岩山と、第四階層へと戻る岩の裂け目があるが、前を向けばそれはもう『外』だった。


 どこまでも広がる青空と白い雲。陽の光が眩しい。適度な風が時折吹き、植物たちを揺らしていた。丘陵のある地面と森の木々で遠くまで見渡すことはできないが、これまでずっと洞窟内の探索だったのでとても開放感があった。


「ふむ。心地良さ、か。想定外の感覚だが、これもまた経験の一つか」


 自分と言う存在について、少しずつ理解を深めながらアテンは進み出した。道標が何もないので一先ずモンスターの気配を探りながら探索した。平原の草を踏みしめながら、そろそろ森に差し掛かろうと言う時、その森から三体のモンスターが現れた。


「ほう、オークか」


 第五階層一種類目のモンスターはオークだった。身長はアテンと同じ一メートル八十センチからそれより少し高い程度。肥大した筋肉と脂肪で大きな体をしている豚鼻の人型モンスターだ。手にはそれぞれ剣や棍棒を持ち、アテンに狙いを定めていた。


「食いでがありそうだ。一体で十分だぞ?」


 アテンは自然な足取りでオークに近付いていった。オークたちが雄叫びをあげてアテンに突進する。


「食いやすいように切り分けるか」


 アテンは腰に差していた剣を抜く。オークの巨躯から振り落ろされる攻撃を軽やかに回避しながら剣を二振り。剣の構造を理解し、その性能を効率よく発揮するための使い方を感じ取り、必要最小限の動きで繰り出された剣閃は、瞬く間にオーク二体の首をはね飛ばした。


 それを見た残り一体のオークは後退る。しかし逃げる事は無い。


「ふっ、こんなダンジョンのために死ぬことを強要されるのはいっそ哀れだな。忠誠を誓える主を得られなかった己の不運を恨め」


 剣に付いた血を振り落とす。


「さあ、料理の時間だ」


 その後、十秒とかからずに体を雑に解体されたオークの肉は、アテンの舌を唸らせた。


「むぅ! オークめ、大ぶりな癖にこの口に広がる油と肉の甘みと旨味。ウサギ肉に迫る美味さではないか! オーク、侮り難しッ!」


 「今度は火で炙ってみるか」とか「やはりマジックバッグが」などと呟きながら食事を進めるアテン。やがて満足して立ち上がった時、そのお腹はいつもより出っ張っていた。


 腹を擦りながら探索を再開する。もう一種類のモンスターを確認したら、一度御方のおわすダンジョンに戻ろうと決め、<気配察知>を発動するとそれらしき反応があった。しかしどうやら戦闘中らしく、周りにはオークや冒険者たちの反応も感じられた。


「まあ構わんか。他の個体となると少々遠いからな。人間共の手前、味見できないのは不満だが、それはまた今度にしよう」


 アテンはそう言うと、戦いが行われている平原へと歩き出した。






「レイン、もうダメだ! 信号弾を上げるぞ!!」


「クッ……!」


 パーティーリーダーであるレインの確認を待たずに、レンジャーの男、スターが救助要請用の信号弾を上げた。その様子からは一刻の猶予も無いことが見て取れた。


 ゴールド級冒険者パーティー『約束の旗』は、一体のモンスターによって崩壊の危機に瀕していた。パーティー後方では戦士であるマッシュが腹部から大量の血を流し倒れていて、それをヒーラーのルリアが懸命に治療している。ここに至るまでに散々パーティー全体に防御魔法や回復魔法を行使したルリアの顔は、魔力欠乏の影響で青白くなっていた。


(失敗した! 挑むべきじゃなかった。敵う相手じゃなかったんだ……!)


 レインは後悔していた。第一階層から第四階層までの慣れた道のりを、いつも通り四日かけて踏破し、この第五階層にやってきた。シルバー級冒険者パーティーの限界と言われる第五階層を狩場にしている冒険者はヘルカンの街でも少なく、そこで取れる素材は高く売れる。オークの肉や、中級、上級回復ポーションの原料となる薬草を採取し、余裕があれば第六階層まで足を延ばそうと考えながら入った森の中で、『約束の旗』はそのモンスターを発見した。


 その身体は高さ二メートルを優に超え、横にも大きい。だがそれは太っているのではなく、中身に筋肉が詰まった結果だ。顔は醜悪で邪悪。いつも薄気味悪い笑みを浮かべており、その顔が表す通り性格は極めて残虐。ダンジョンモンスターでありながら、好んで人間を食うことで恐れられるそのモンスターの名はトロール。紅蓮の洞第五階層の宵の間モンスターだ。


 宵の間モンスターである以上はオークより数は少ないものの、別に珍しいモンスターではない。『約束の旗』であれば討伐は可能だし、実際これまで何度も倒してきていた。しかし、そこにいたトロールは普通ではなかった。


 まず、進化していた。トロールタフと言うその進化個体は、トロールよりも更に大きく、肌の色も白よりの灰色から青白い色へと変わっている。見た目にはわからないがその戦闘能力は大きく跳ね上がっており、『約束の旗』でも全力を尽くさねば危険な相手だ。だが今回はそれだけに留まらなかった。


「ヴァリアント種……」


 レインはパーティーの誰かが呟くのを呆然と聞いていた。レインの目は、トロールタフが身に纏う、見事な装備品に惹きつけられていた。


 一目で、ゴールド級冒険者である自分のものよりも上等だとわかる。ヴァリアント種、それもトロールタフ程のモンスターが装備しているものともなれば、その性能は折り紙付きだ。店に売っているどの武具よりも優れているのは間違いない。


 人間が装備するには大き過ぎるが、それは鍛冶師に依頼すれば調整が可能だ。無理に弄くればただのゴミになってしまう恐れがあるが、熟練の鍛冶師の手に掛かれば、その性能を維持したまま作り変えることが可能だった。


 強力な装備品を身に付けた自分を想像し、レインの身体がカッと熱くなる。その身が欲望に染まっていく。


(あれを手に入れることができればミスリル級だって夢じゃない。いや、オリハルコン級すら見えてくるかもしれない……!)


 『約束の旗』は若くしてゴールド級にまで上りつめた将来有望なパーティーだ。装備品に頼らずとも、いずれミスリル級への道は開かれていただろう。だが、その若さ故に功を焦る。


 <気配察知>で見失わないようにしながら後退してパーティーと話し合う。流れは当然のように討伐の方向だ。倒したところでその装備品が自分の役には立たないとわかっている魔法使いのリズやヒーラーのルリアは冷静に反対したが、レインや戦士のマッシュの熱の入れようが凄まじく、押され気味だった。


 一応、ヴァリアント種の発見を冒険者ギルドに知らせればそれなりの報酬を受け取ることができる。これは、無謀な戦いに挑み、死んでいく冒険者を減らすための救済措置の一環なのだが、レインはそれらの意見を捻じ伏せて力説した。


 ミスリル級への憧れ、その名誉、地位。千載一遇のチャンスであること。過去に一度トロールタフを倒していること。危なくなったら逃げればいいこと。結局、レインの熱に絆されるように、レンジャーのスターが賛成に回ったことで討伐が決定した。


(甘かった……ッ!)


 森の中にいたトロールタフとオーク三体を、戦いやすいように平原まで誘い出し、高火力で一気にオークを片付けるところまでは順調だった。


 だが、肝心のトロールタフが強かった。


 トロールタフは完全に装備品を使いこなしていた。トロール種が有する高い自己再生能力を封じるために、炎属性の<フレイムエッジ>や<ファイアボール>、酸属性の<アシッドランス>で攻撃するも、防具に阻まれて効果を発揮しきれない。それを補うために手数を増やして攻撃を仕掛けようとも、トロールタフは防具の性能と再生能力に飽かして捨て身の反撃を繰り出してくる。それを警戒して攻めあぐねているとすぐに回復される。突破口が見えなかった。


 長期戦の様相を呈してきた戦闘は、トロールタフに有利に働いていた。


(あそこで引くべきだったんだ……!)


 パーティー全体に疲労が見え始めていたことを感じ取っていたマッシュは、現状を打開するために果敢に責め立てるも、無理な攻撃がたたってトロールタフの巨大なグレートソードで腹を斬られてしまった。


 攻め手に欠いた『約束の旗』にもう勝ち目は残されていない。しかし撤退するにしても重傷者を抱えた状態では難しい。マッシュを見捨てればそれも可能だが、レインはその選択肢は取りたくなかった。


 そして、ジリジリと過ぎていく時間にしびれを切らし、レンジャーのスターが信号弾を上げる。だがその効果も期待薄だった。


 運悪く、この第五階層に来てから他のパーティーを見ていない。それに他のパーティーがいたとしても、救助に入るかどうかはそのパーティー次第だ。このトロールタフは強い。ゴールド級冒険者パーティーでも有力視されている自分たちが苦境に立たされている姿を見れば、及び腰になってしまうだろう。


 確かにヴァリアント種を倒した結果、得られる報酬は非常に魅力的だが、死んでしまっては元も子もない。冷静に判断できる者がいれば、助太刀に入ろうとは思わないはずだ。更に最悪になれば、助けを呼ぶはずの信号弾がモンスターを呼び寄せる悪手になりかねなかった。


 信号弾を上げてから、どっちに転ぶかわからない緊迫の時間が続く。防御に徹するレインがトロールタフの攻撃を捌きながら叫んだ。


「スター! 救援は来ないのか!?」


「まだ……ッ! いや、一人来てる!」


「一人!?」


 レインはそのありえない情報に思わず集中力を切らしてしまいそうになる。


 ヘルカンの街に、第五階層まで来れるソロ冒険者はいない。そんな冒険者がいたとしたらそれは間違いなくミスリル級以上だろうが、ヘルカンの街に所属しているミスリル級冒険者はパーティーで活動している。それにわざわざここまで一人で来る理由がない。


「モンスターじゃないのか!?」


 冒険者が考えられないならそちらを警戒しなければならない。しかしレインの考えは否定される。


「オークやトロールの反応じゃない! なら、冒険者しか考えられないだろ!?」


 どうやらスターもレインと同じ考えのようで、その言葉には信じられないと言う気持ちが表れていた。


(もうこの際なんだっていい! 誰でもいいから早く来てくれ……!)


 レインはその冒険者が来るまで懸命に時間を稼ぐが、なかなか姿を現さない。


「スター! まだなのか!?」


「もう少しだ! ……どうやら歩いてるみたいだ!」


「歩いてる!? 救助の信号弾は見てるだろう!? どういうことだよッ!」


「俺が知るかよッ!」


 二人が困惑と混乱のままに言い争っていると、その冒険者はようやく現れた。

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