二章 初めてのおつかい

第40話 冒険者登録

 近隣に二つのダンジョンができたことによって人の出入りが大幅に増えたヘルカンの街。その入場門の前には今日も検問を待つ長い行列ができていた。


 ここのところ毎日続く同じような大量の作業に、長年門番をやっている男は辟易してきていた。若干おざなりになりながら次々と来訪者を捌いていく。


 そんな門番を突然大きな影が覆う。いきなり曇ったのかと顔を上げた門番は、いつの間にか目の前にいた偉丈夫を目にして驚いた。


 その身の丈は日夜モンスターたちと死闘を繰り広げている冒険者の中でもあまり見かけないほど大きく、その肉体は全身ローブで覆い隠されているが身長に合った逞しさなのがシルエットからありありとわかる。


 頭に被ったフードから僅かに見える顔は白皙で美しく、ブルーサファイアの瞳を引き立てている。その相手を見通すかのような瞳に呆然と魅了されていると、偉丈夫から落ち着いた声が発せられた。


「……どうした。検問せんのか?」


「あ、ああ。済まんな。少しボーっとしちまってた。と、見ない顔だな。貴族……様じゃねえだろうし、冒険者か? 身分証はあるか? この街に来た目的は?」


 動揺からいつもより口数が多くなってしまった。勢いで立て続けに質問してしまった自分に羞恥心が湧く。


「最近ダンジョンで活気づいている街があると噂を耳にしてな。興味が湧いて来た。身分証はこれから冒険者ギルドで作るところだ」


「何だお前さん、身分証無いのか? どっから来た?」


「ここから遥か南の国だ。自己研鑽と見聞を広めるために旅をしている」


「へぇそりゃまた……」


 門番は適当な返事をしながら考える。偉丈夫が言ったように南から来たのであれば、確かにこの国で目ぼしいダンジョンが最初にあるのはこの街になるだろう。だが他国のダンジョンの位置となると門番にはわからない。ここに来る途中にダンジョンは無かったのか。そもそも自分の国で冒険者ギルドに登録していなかったのは何故なのか。様々な疑問が湧いてくる。


 どの国の冒険者ギルドで登録しようが、自分の階級を表すプレートは身分証の代わりにはなる。国によってその扱いには多少の差はあれど、冒険者ならば持っていて当然だった。


 門番はその辺りを少し問い詰めるつもりで質問するも、偉丈夫に簡単に言い返されてしまう。


「我が王の国ではダンジョンに自由に出入りできる身分だったのでな。登録の必要がなかったし、今更つまらんダンジョンに潜る気にもならんというわけだ」


 偉丈夫が我が王、身分、と言った辺りで門番の男は冷や汗を掻き始める。偉丈夫の容姿や立ち居振る舞い、喋り方から、もしかしたら特権階級の人間ではないかと薄々思っていたこともあり、その言葉を疑う気にはならなかった。


 恐る恐る確認を取ろうとする門番の男だったが、偉丈夫は強くそれを遮る。


「お、いえ、貴方さ……」


「強さに! 身分は関係ない。……私の記念すべき冒険者としての始まりを、ここから始めさせてくれないか?」


「……は、ハハハッ! わかった、通行を許可する! 預り料として銀貨一枚をもらうぞ」


「うむ」


 偉丈夫はローブの内側から銀貨を取り出すとそれを門番に渡した。


「確かに。冒険者ギルドで登録が終わったら取りに来てくれ。頑張れよ!」


「ああ。私の活躍を楽しみにしておくがよい」


 偉丈夫は自信満々にそう言い残すと颯爽と入門していった。門番の男は一際存在感を放つその後ろ姿を見届ける。


「くっくっく。まさかあんなお貴族様がいるとはな。こりゃ、とんでもねえ新人冒険者が来たんじゃねえか?」


 いつか有名な冒険者になって、今日の出来事を同僚たちや家族に自慢する日がくるんじゃないかと。門番の男はそんな予感を覚えるのだった。





 コアが最初の関門だと考えていた検問を難なくクリアしたアテンは無事にヘルカンの街へ潜入を果たした。この時のために入念に話し合いを行い、対策を練っていたのだ。


 人間や街に関する知識は、冒険者の女の知識を取り込んだダンジョンワームから。アテンの出自や経緯に関しては明晰なる頭脳を持つ御方から助言をもらい、万全の準備を整えた。しかしながら持ち物という点では少ない。アテンがダンジョンから持ち出したのは、ダンジョンに侵入した冒険者から獲得した金銭とそれを入れるための小さな布袋――ダンジョンワームが僅かばかり容量を多くした、その小さな布袋とローブの三つだけだ。


 ダンジョンの物は御方の物であるが故、必要最低限にしてもらった。その辺はこれから臨機応変に対応していく予定だ。


(御方への貢物を持ち帰るためにもマジックバッグが急務か。ダンジョンワームが細工したものでは些か小さいからな)


 当面の第一目標を定め冒険者ギルドを目指して歩いていく。アテンが目にする光景は生まれて初めてのものばかりだったが、その顔に感動の表情は浮かんでいなかった。


(取るに足らん雑魚しかおらんな……人間を成長の糧にするのは難しいか。しかし成る程、数だけは多い。そこだけは注意すべきかもしれんな)


 人間に対して落胆していると大通り沿いに剣と杖が交差する看板が見えてきた。事前に聞いていた冒険者ギルドの看板だ。アテンは何の躊躇いもなく中に入っていった。


 木製のスイングドアがギィと味のある音を出しながら開閉する。ギルド内にいた人間は少なかったが、そのいずれからも視線を感じる。どうやら全身をローブで隠しているアテンを訝しんだり値踏みしているようだ。


 アテンはそれらを無視して受付に向かう。アテンに気付いた小動物のような女が立ち上がった。


「冒険者ギルドへようこそ! 本日はどのような御用……」


 受付嬢の言葉は続かない。その顔はアテンに見惚れているのが明らかだった。アテンもダンジョンワームから、自分の顔が人間換算で美形に類することは聞いていたので、職務を放棄している受付嬢に構わず話を進める。


「冒険者登録をしたい」


 アテンが短く告げると我に返った受付嬢がわたわたとし出す。これが素のようだ。


「で、ではこちらの用紙に必要事項を記入してください!」


「遠い異国の出身故、こちらの字を知らぬ。代筆を頼めるか?」


「わ、わかりました。え、えと、手数料で銅貨三枚頂きますが……?」


「構わん」


 アテンが銅貨を手渡すと質疑応答がなされ用紙が埋まっていく。アテンはその間、自分の言葉とそれによって記入される文字を見ていた。


 やがて用紙への記入が全て終わると、受付嬢は「少々お待ちください」と言って席を立った。戻って来るとその手には鎖が付いたメタリックブラウンの金属プレートが握られていた。


「お待たせしました! これで冒険者登録は完了です。このプレートはアテンさんの冒険者としての身分と階級を示す大切な物になりますから無くさないようにしてください」


「ふむ。わかった、世話になったな」


 そう言うなり背を向けてギルドから出て行こうとするアテンを受付嬢は慌てて引き止める。


「え、あ、あの! 冒険者として活動する上での説明がまだなんですが……」


「必要ない。ダンジョンに潜るのに登録しただけだ。冒険者としての地位や名誉に興味はない」


 門番の男にはああ言ったが、当然アテンとしては冒険者として活動するつもりは微塵もない。飽くまでも任務達成が目的であり、冒険者という肩書は隠れ蓑に過ぎなかった。


 アテンの言葉に受付嬢の真剣味が増す。


「ダンジョン……そ、それはまさか紅蓮の洞のことですか? い、いけません! ノービスであるアテンさんには第一階層ですら危険なダンジョンです! それに、アテンさんはお仲間はいるんですか……? もしお一人でダンジョンに潜るつもりなら考え直してください!」


 冒険者ギルドの受付嬢として無謀な冒険者を止める義務があるのか、はたまた個人的的な感情によるものか。いずれにしてもアテンからしてみれば鬱陶しいだけだ。ただ、このまま無視して行こうとすれば余計に騒ぎ出すのが目に見えているので、一言説明だけはしてやろうと口を開く。


「娘よ。足を引っ張るだけの者を仲間とは言わん。それに、このプレートは冒険者の階級を表しているだけで、強さを示しているわけではない」


「え……それって……」


 言うべきことは言ったと、今度こそ出口に向かうアテン。しかし――。


「おうおう、随分とイキのいいノービス! じゃねえか。ええ? 雑魚のノービス! は、大人しく忠告を聞いとくもんだぜぇ?」


 酒場から出てきた男がアテンの行く手を阻む。シルバーのプレートを首から吊り下げている、細身で若くもないし老いてもいない男だ。身長はアテンの胸程までしかなく、覗き込むように見上げながら酒臭い息を吐いていた。


 横目に酒場の方を見れば、男の仲間だと思われる二人がヘラヘラ笑いながらこちらを見ていた。酒の勢いや仲間がいることで気が大きくなって、自分より立場の低い生意気な冒険者に絡んでいるのが一目瞭然だった。


(シルバーのプレート……。確か上から四番目。真ん中より上にくる階級だったか。これが、か……)


 冷めた目で見下ろしているアテンに気付く様子もなく男はヒートアップしていく。


「どうした? おお? 無言になっちまってよお。さっきまでの威勢の良さはどこいっちまったんだあ!? この、紅蓮の洞、第五階層到達者! 歴戦のシルバー級冒険者、スィール様を前にしてぇビビっちまったようだなあ!」


(言葉を喋るゴブリンか。ふ、我ながら悪い冗談だ。さて、雑魚に構っている時間はないな。そろそろ終わらせるか)


 アテンは瞬時に周囲を確認し自分に最も利する展開を導き出す。なおも言い募ろうとする男の語り出しに被せるように言葉を発した。


「興醒めだな」


「……何?」


「興醒めと言ったのだ。そうであろう? 先程からの貴様の言いようだと、どうやら貴様のパーティーがこの冒険者ギルドのシルバー級ではトップクラスらしい。お前たちでさえ見るに堪えない雑魚の集まりなのに、他のシルバー級冒険者パーティーはそれ以下ということになる。ギルドの大事な戦力に数えられてくるシルバー級冒険者がこのような低レベルな有様だと知らされて、興醒めする以外にどうせよというのだ?」


「ハアァァァァ!? 黙って聞いてりゃノービス風情がッ」


「たった一つのダンジョンの第五階層到達程度で満足し更に上を目指すことを諦め、そこそこの収入で酒に溺れては格下を甚振って悦に浸る。小さき男よ。冒険者など己が積み上げた強さぐらいしか能がないというのに、成長を止めた貴様はただの能無しだ。恥を知れ」


「――ッ――ッ!!」


 アテンの言葉に男の思考が暴走する。シルバー級になるまでにどれだけの努力を重ねてきたか。紅蓮の洞の第五階層に到達することが如何に難しいか。そして、冒険者になったばかりのノービスに、わかったような口を利かれて自分の強さを否定されたことが。いとも簡単に男の理性を破壊した。


 冒険者同士の争いはご法度だ。しかし酒と怒りのせいでそのことが頭から抜け落ちた男は獣のようにアテンに襲い掛かる。周囲はアテンの死を幻視した。シルバー級冒険者として実績がある男とただのノービスでは覆せない力の差がある。アテンが言い過ぎだと感じた善良な冒険者が諍いを止めるために動き出していたが、もう間に合わない。


 だが、次の瞬間。重く鈍い音と、けたたましい騒音がギルド内に響き渡る。そこには、変わらぬ姿で立っているアテンと、机や椅子が散乱する酒場で倒れ込む、三人の男たちの姿があった。


「フン」


 想像とは真逆の結果に周りが啞然として動けない中、アテンは堂々と出口に進む。しかし、吹き飛んできたスィールに巻き込まれただけで負傷まではしていなかった男たちは怒りが収まらない。


「スィール!? おい!」


「待てやこら! ノービスッ!!」


「お止めさない」


 収拾がつかなくなりつつある事態に凛とした声で割って入る者がいた。騒ぐ男たちはその者を見て急にたじろいでしまう。


「冒険者同士の私闘は規則で禁止されているのはわかっているでしょう。これ以上は厳罰に処しますよ」


「ふ、副ギルド長」


「だ、だが、あのノービスが!」


「言い訳は不要です。頭を冷やしなさい」


 ピシャリと男たちを黙らせると、ゲーリィは去りゆくアテンをまじまじと見つめる。


(強い、ですね……)


 歴戦の冒険者としての感覚がアテンの底知れなさを鋭敏に察知する。魔術師であるゲーリィに、その体格からおそらく近接職だと思われるアテンの力を詳しく推測することはできないが、まるで強大なモンスターを前にした時のような、異様なプレッシャーを覚えるのだった。

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