第39話 幕間

 ヘクター・ヘルカンの領主館。そこの応接室では現在、重苦しい空気の中、話し合いが行われていた。


 部屋の中にいるのは領主であるヘクター、ヘクター家の執事、冒険者ギルドのギルド長ガトー。そして今回は副ギルド長であるゲーリィも参加していた。誰もが明るい顔をしていない。それもそのはず、彼らは前代未聞の事態に遭遇し、その対応策に苦慮しているのだから。


 事の発端は数日前、ゴブリンダンジョンでワームの幼体が発見されたことから始まる。いつも通り、新人冒険者たちを連れて行った引率の中堅冒険者がそのモンスターを見つけると、その事実の重大さをすぐさま認識し訓練を中断。取って返すように街まで戻り冒険者ギルドに報告した。


 ゴブリン特化型だったダンジョンに突如として別のモンスターが出現した。それは、普段であれば笑い飛ばされ相手にされないような報告だった。それ程までに有り得ないことなのだ。ダンジョンのモンスターは一階層につき二系統まで、特化型なら一系統しか存在しない。これは最早ダンジョンに携わる者なら常識なのだから。


 もともと一系統しかいない特化型ダンジョンならば、何かの拍子で二系統に増えることもあるのでは、と考える者もいるかもしれない。しかし研究員たちはそれを否定する。彼らはこう言うのだ。「通常時に現れるモンスターで一系統、宵の間に現れるモンスターで一系統なのだ」と。つまり、特化型ダンジョンは一種類のモンスターしかいなくても、それはれっきとした二系統であり、決してモンスターの種類が増えることはないのだと断言する。事実、過去を振り返ってもそのような記述がある書物は存在せず、今ではそれが大陸の共通認識だった。


 スタンピードが起きた後ではモンスターの種類が変わることがあるのは確認されているが、それでも一階層に二系統の原則が破られたことはない。階層移動の関係で一時的に数種類のモンスターが混在していても、調べてみれば新たに出現するモンスターは二系統であることが明らかになっている。


 そのような状況下での今回の問題だ。冒険者ギルドはこの事を非常に重く受け止めた。中堅冒険者の報告を真面目に聞き入れたのはギルド長のガトーが当のダンジョンを警戒していたからであり、異常が起きる原因に心当たりがあったからに他ならない。


 ギルドはすぐに調査隊を派遣した。信頼のおけるシルバー級冒険者四人パーティーにギルド職員をつけて、ダンジョンの中間地点を越えて調査をする許可を出した。しかし、その調査には大きな代償を払うことになった。


 ダンジョンの中間地点を越えてしばらく進んだところで取り巻きを連れたホブゴブリンと遭遇、戦闘に移行した。冒険者たちはこのホブゴブリン戦に思わぬ苦戦を強いられる。


 ダンジョンの半分を過ぎてからモンスターの数が増えてきていたことに加えて、ホブゴブリンが冒険者たちの予想を大きく上回る強さを見せた。更にはゴブリンが無力なギルド職員を狙ってきたり、飛びついてくるプチワームの毒に注意したりと対策に追われ、戦いに集中できない状態が続いた。


 長引く戦闘は増援を呼ぶ。決定的だったのはもう一体のホブゴブリンが現れたこと。これによって均衡が崩れた。


 結果、冒険者一名が重傷、三名が軽傷。そして、ギルド職員一名が死亡した。冒険者たちはホブゴブリンを倒せないまま撤退を余儀なくされ、今に至る。


「ギルド職員のことは残念だった。冥福を祈ろう。だが決してその犠牲は無駄ではない。そうだなガトー?」


 儀礼的に哀悼の意を述べてガトーに話を振るヘクター。ガトーの顔には無念さが滲んでいた。


「はい。今回の調査で間違いなくプチワームが新たに出現していることが判明しました。これで、一階層に三系統のモンスターがいることになります」


「ふむ。私はあまりモンスターについて詳しくはないんだが、確かワームというモンスターは地面などに身を隠しているものではなかったか? 宵の間のモンスターで数も少なく、地面の中にいたから今まで発見できなかっただけ、ということは考えられんのか?」


 ガトーはゲーリィに目配せし説明を求める。


「ヘルカン様。プチワームの時点ではまだ地面に潜る習性はないと言われております。小さな体を活かし、物の陰に隠れながら生きていくようです。そして、ダンジョンのモンスターというのは侵入者に対して好戦的です。侵入者がいるのに隠れたまま見過ごすということは考えづらいのです」


「成る程。故にゴブリンダンジョンが特化型であったことに間違いはない、か」


 シガーをゆったりと吸い込みゆっくり煙を吐いた後、言葉をこぼしたようにヘクターが呟いた。


「どうやら陛下に訂正の報告をする必要はないようだ」


「……もう報告なさっておられたのですか? 随分とその、お早いように感じますが」


 ヘクターの言葉に違和感を覚えたガトーが思わずといった感じで質問する。タイミングを考えれば、まだ何も確証がない時点で報告を出していたことになる。一国の王に対してそんな曖昧な情報を渡すものだろうか、という疑問。そして、先の件――他貴族との争いのことを考えれば、ヘルカン家にマイナスの影響が出るのではないか、と思っての発言だった。


 この老獪な爺がそんなミスをするとは思えないが、事の影響は冒険者ギルドにも及ぶ。ガトーの心配も当然のものであった。


「言いたいことはわかる。私も普段であればもっと確実性を高めてから報告している。しかし、これまでのダンジョンを巡ってのいざこざでは、少なからず私にも疑惑の目が向けられているのだ。既に趨勢は大分こちら側に傾いているが、情報を出し渋って何を企んでいるのか、などと周囲に思われるのは得策ではない。それに何より、些細な事でも報告せよとの陛下からのご命令がきている。報告を出さないわけにはいかん」


 ガトーは「それは大丈夫なのか?」と聞きたかったが、自分が貴族にそこまで聞くのは無礼だとわかっていたので聞けなかった。しかし顔に出ていたのだろう。ヘクターが続けて言う。


「報告は上げるが何も馬鹿正直に言う必要はない。こちらが不利になるようなことはないから安心せよ」


「……そうですか。それで、陛下は何と?」


「面白い、だそうだ」


「は……?」


「今回の事態に強く関心を寄せられているようだ。何しろ大陸中を見渡しても初めてのケース。上手く利用すれば他国より抜きん出ることもできるかもしれない。最低でも外交のカードにはなる。引き続き調査を実施し、密に報告しろとの仰せだ」


(暢気すぎるだろ……!!)


 自国の王の考えを知って拳に力が入る。


(初めてのケースってことは何が起きるかわかんねえってことだぞ!? そんなんでいいのかよ! このままじゃ取り返しのつかないことになるんじゃねえのか!?)


 ガトーの内心が手に取るようにわかるゲーリィが彼に代わって言葉を繋ぐ。


「ヘルカン様。誠に恐れながら、陛下には事態の脅威度が正しく伝わっていないように思えます」


「その点は私も同感だ。管理しなければならない側としては堪ったものではない」


「なまじ、出現モンスターがゴブリンとプチワームだということが、危機に対する認識を下げてしまうのでしょう。ゴブリンは言わずもがな、プチワームも毒に気を付ければ踏みつけて終わるモンスターです。しかし、私たちが考えなければならないのはモンスターではなく、変質したダンジョンについてです。本質を見誤れば取り返しのつかないことになるかもしれません」


「むぅ……」


 ヘクターは唸る。実のところ、彼は本当に悩んでいた。今回の件はマジックアイテムの持ち込みが引き金になったのは想像に難くないが、既に想定外のところまできていた。マジックアイテムの持ち込みを積極的に防がなかったのはヘクター自身だが、それも彼なりの考えあってのこと。相手の思惑、持ち込まれるマジックアイテムの量、ダンジョンの過去の文献などから問題ないと判断し、メリットの方が上回ると思ったから好きにさせた。


 しかし現実はこうして彼を苦慮させている。ヘクターはダンジョンを甘く見ていたのだと思い知らされていた。


「……陛下のご意向を無視することはできん。そして、陛下のご意向を変えるにも必要な材料が足りておらん。一階層に三系統目のモンスターが現れた、何が起こるかわからない。それだけでは弱い」


「ホブゴブリンがシルバー級冒険者パーティーを退けたということは……」


「以前も言ったことだが駄目だ。いくら強かろうがホブゴブリンではたかが知れているのだろう? 今回はダンジョンボスではなくただの進化個体という違いはあるが、陛下をはじめ貴族たちの目はホブゴブリンの強さではなく敗北した冒険者たちの弱さにいく。ホブゴブリンなど大したことはないという認識を変えることは難しいのだ」


 有効的な手段が思い浮かばず歯噛みするしかないガトー。あとできることと言ったら消極的な方法しか出てこないが、それすらもゲーリィに否定される。


「ならばせめて、ダンジョンへの入場を規制して成長の鈍化を試みることは」


「いえ、ガトー。最初の頃とは状況が変わってしまいました。この街には、既に人が集まり過ぎています。ここに来てのダンジョン封鎖は大きな影響を及ぼしてしまうでしょう。それに、どの道モンスターの間引きはしていかなければなりません」


「スタンピードの警戒か……。クソ、結局のところ今までと同じようにやってくしかないってことか」


「一先ず進化個体の間引きだけでもやっておくべきでしょう。その後、新人冒険者たちに再び解放するかどうかは経過を見て、ということで如何でしょうか。ヘルカン様」


「ああ。それしかあるまい。訓練と並行して新たな脅威になりそうなものを見つけ、それを陛下を説得するための材料にしよう、と言いたいところだが……」


「……ヘルカン様?」


 ヘクターが言い淀んでいることで悪い予感しかしないゲーリィとガトーは耳を塞いでしまいたかった。だが無情にも二人にとって盲点だったことを告げられる。


「事はそう上手く運べんだろうな。ここまで特殊なダンジョンになってしまったのだ。もう彼奴らを抑えておくことはできん」


「彼奴ら? 抑える……はっ、研究員ですか!」


 今になってゲーリィは気付く。考えてみれば今まであのダンジョンに研究員が来ていないこと自体がおかしいのだ。


 ダンジョンの情報を国が欲しがっている以上、ダンジョンに関して研究する専門の研究員は必ず存在する。これはどの国でも同じことだ。貴重な出来立てダンジョンがあるというのに、その研究員たちが一度もそのダンジョンに訪れていないのは本来ならば有り得ない。


 ヘクターの言葉からその理由を察したゲーリィはすかさずヘクターに感謝を述べた。


「ダンジョンに余計な影響が出ないようにヘルカン様が抑えていてくださったのですね。そんなことにも気付かず、お礼を申し上げずにいたこと。どうかお許しください」


 ゲーリィの言葉にハッとしたガトーも慌てて頭を下げた。ヘクターはそんな二人に面倒くさそうに手を振る。


「よい。君たちにはどうしようもないことだ。彼奴らはあれでもそれなりに権力を有しているからな。私がやるしかなかった。だがそれももう終わりだ」


 ゲーリィとガトーは近い未来を予想し、微妙な表情にならざるを得なかった。


「私たちにとっての脅威は、彼奴らにとっての未知の喜びだ。彼奴らは自分たちの興奮のままに陛下に研究結果を伝えるだろう。それが陛下を焚きつけることになる」


 ダンジョン専門の研究員には変人が多い。ただの壁を見ては大きく頷いたり、モンスターを見ては自分から近づいて行ったりと、普通の感性からすると突拍子のないことを平然とする。


 そんな変人集団が予断を許さないダンジョンに来ると言われて、ガトーは頭を抱える他なかった。


(頼むから引っ掻き回さないでくれ……)


 しかしガトーのそんな想いも虚しく、儚く消えゆくことになる。


 目の前の紅茶から立つ微かな湯気が、そんな未来を暗示していた。

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