第31話 後悔

「ダンジョンへのマジックアイテム持ち込みを確認、か……」


 ヘルカンの街の冒険者ギルドの長であるガトーは、ギルドの三階にある自分の執務室でそう呟き肩を落とした。


 できることは全てやった。それでも相手の思惑を防げなかったことに悔しさが滲み出る。


「元々分の悪い勝負でした。そう自分を責めることはないでしょう」


 そう言うのはガトーに一通の手紙を届けに来た副ギルド長のゲーリィだ。二人分の紅茶の準備をしながらガトーに労わりの言葉をかけていた。


「それに、今回で一部のギルド職員や冒険者の裏切りが判明し、膿は出し終わりました。少なくとも今後、同じようなことは起こらないと考えれば気が楽になるのでは?」


「……そうか。そうだな。こちらの知らぬ間に、ヘクター様によって全て処理されていたのが少し気に入らんが、そう思うことにするか……」


 ゲーリィが入れてくれた紅茶をひと口飲むと、ガトーは自分が感じていた違和感を口に出した。


「なあゲーリィ。ヘクター様は、代替わりした若造とやらに知恵比べで負けたんだろうか。俺には、あの人がそう簡単に、ましてや経験の浅い若造なんかに、思い通りにやられるイメージが湧かないんだが。本当に今回の件を防ぐ手段は無かったのか……?」


 ガトーの言葉に目をパチクリさせるゲーリィ。予想外の反応をされて、何か変なことを言ったかと疑問符が浮かぶ。


「どうした? おかしなことでも言ったか?」


「フフ、いえ。鋭いんだか鋭くないんだか、貴方らしいと思っただけですよ」


「なんだそりゃ。俺に頭の働きを期待されても困るぞ。で、どうなんだよ」


「そうですね。では、私の所感ですが、今回の件を防ぐ手段はあったと思います」


「なんだと! そんな方法があるのか!? どうして言わなかった!」


 ゲーリィの思わぬ回答につい過剰に反応してしまうガトー。自分はともかく、知恵者として真っ先に思い浮かぶヘクターですらその手段を用意することはできなかったのだ。


 今回の件は本当に危ないところだった。一歩間違えればスタンピードになっていたかもしれないのだ。それを防ぐ手段があったなどと言われては、ついカッとなってしまうのも仕方ない。


「まあまあ、落ち着いてくださいガトー。別に大したことではありませんよ。あのダンジョンへの入場を全面的に禁止する。ただそれだけのことです」


「何? ……いや、確かに一理あるな。だが、それでは民たちの反感を買ってしまうからできないとヘクター様は言っていた。結局のところ、防ぐ手段などなかったということか……」


「……本当にそう思いますか? ガトー」


 ゲーリィの声がいつもの穏やかなものから諭すようなものに変わる。その変化をガトーは敏感に感じ取った。ゲーリィがこの声を出す時は決まって自分が至らない時だったからだ。何度もこの声に助けられてきたガトーとしては、その言葉の意味を深く考えないわけにはいかない。


「……どういうことだ。街の発展を常に考えねばならないヘクター様の立場からすれば、できるだけ民たちの反感を買いたくないというのは納得……できるだけ……? できないわけでは、なかった?」


「気が付きましたね。そうです。やろうと思えばいくらでもできたのですよ。そもそも、ヘクター様のこの街での地位は絶対です。今更一つのダンジョンへの入場を禁じたところで、民たちがヘクター様へ抱く反感など軽微なのですよ。領地経営に然したる問題は起きないし、ダンジョン封鎖も一時的なもの。時間が経てば信頼回復など容易にできたというわけです」


「……」


 ゲーリィの見識にガトーは言葉が出ない。言われてみればその通りだ。簡単なことだったのだ。


「何故……」


「貴方が気が付かなかったのも無理はありません。相手はあの年になるまで海千山千を渡り歩いてきた一種のモンスターです。含みのある言葉を挟んだり表情を変化させてみたり、貴方の感情を突き動かしたりして、常に会話の主導権を握っていたはず。そうやって貴方の着眼点を操作して、面倒なところを突っ込まれないようにしたのでしょう」


 ゲーリィの指摘はまるでその場にいたかのように正確だった。ガトーはあの時の自分を思い出し、ヘクターにいいように転がされていたことを自覚した。


「だが、それでは……!」


 そう。それではまるで、ヘクターがダンジョンへのマジックアイテム持ち込みを防ぐ気がなかったかのようではないか。ガトーの言葉にしなかった内容を的確に察するゲーリィはそれを肯定する。


「ええ。防ぐ気がなかった、いえ、どちらでも構わなかったのでしょう。どうやってかはわかりませんが、おそらくヘクター様にはマジックアイテムがダンジョンに吸収されても問題ないとの確証があった。そして、冒険者ギルドがそれを阻止できるならこれまで通り統治していけばいいだけですから」


「あ、の、爺いぃぃぃッ! 本気になって対策に動いてた俺たちが馬鹿みてえじゃねーか!!」


 事の裏側が判明するとガトーを強い怒りが襲った。その勢いのままにテーブルを強く叩くと揺れるコップから紅茶が零れ落ちる。事前にこうなることを予想していたゲーリィは、さり気なく紅茶を避難させながら、穏やかな声で額に太い血管が浮かべているガトーに言葉をかけた。


「貴族に爺は不味いですよ、ガトー。それに、これは飽くまでも私の推測に過ぎないことを忘れないでくださいね。まあ、これだけの失態を犯しておきながら処罰らしい処罰もなく、戒告通知という名の手紙一通で済ませている時点で間違いないと思いますけど」


 肩をすくめて事もなげに言うゲーリィを見ていると、ガトーは自分との頭の出来の違いをわからせられる。そしてつい、いつもと同じこと口にしようとする。


「ゲーリィ、やはり」


「お断りします。もう何度言ったらわかるのですか? ギルド長に相応しいのは貴方以外にいません。ギルド長には実務能力以上に必要なものがあるのです。足りないところは私たち周囲の者が補う。貴方は前だけ向いて進む。それが、このギルドの理想の形なのだと毎回言っているではありませんか」


 ゲーリィは呆れた顔を隠さずに言う。このガトーという男は、真っ直ぐだからこそ、他者についていきたいと思わせる魅力を持っているが、真っ直ぐだから故に、どうにも頑固なところがある。どうにかならないものかと溜息が出る。


「だが、少なくともだ。お前があの爺と話し合いをしていれば、マジックアイテムの持ち込みを防ぐことはできたんだ!」


「それはどうでしょうね。私がこうして冷静に指摘できるのは現場にいなかったからです。流石に、ヘクター様と直接対峙していつもと同じように頭が働くと思うほど、うぬぼれてはいませんよ」


 ゲーリィが言っていることは本心だ。きっと自分でも結果は変わらなかっただろうと思う。しかしそれを聞いてもガトーの顔は苦渋に歪む。ガトーにはどうしても気掛かりなことがあった。


「……ゴブリンダンジョンに刺激を与えるような真似は避けたかった。今回の件が、『奴』の発生に繋がるんじゃないかと思うと、どうしても、な」


「『奴』……ああ、いつか貴方が言っていた、変わったゴブリンのことですか……」


「そうだ。誰に話しても相手にしてくれないから詳しく言ったことはなかったが、あれはまだ俺が新人だった頃、もう三十年以上も前の話だ。辺境の街の森の中にゴブリンの集落が発見された。当然討伐隊が組まれたんだが、ゴブリンっつーことで、とにかく打ち漏らしがないように俺たち新人にも招集がかかった。進化個体はベテランが処理して、雑魚は新人たちが相手する。何も問題なく終わるはずだったんだ。だが……そうはならなかったっ!」


 当時を思い出し何を思うか。ガトーの歯軋りする音がはっきり聞こえる。


「たった一体のゴブリンによって、一部のグループの冒険者たちは甚大な被害になった。あいつを見た時は目を疑った。あまりにも周りのゴブリンたちと違ったからな。ゴブリン集落の中に人間がいたのかと思っちまったぐらいだ。誰もが剣を振るのを躊躇した。それが命取りだった……!」


 ガトーの固く握り締められた両の拳が力み過ぎて震え出す。ガトーが抱く後悔の念がどれだけ大きいか、察するにあまりあった。


「奴は狡猾だった。自分が攻撃されないことをすぐに把握すると、俺たちを警戒させないように丸腰のまま、自然な足取りで近づいてきた。だが、自分の間合いに入った途端、近くにいた新人に襲い掛かり剣を奪い! その剣で首を貫かれて、そいつは死んじまった。俺の、パーティーメンバーで、親友だった」


「……」


 ゲーリィは言葉が出ない。言葉をかけられない。冒険者ならば人の死には自然と慣れていくものだ。だが、多くの場合、それは自分とは関係のない冒険者の死。まだ新人で、しかも親友と言うほどの仲間の死は。辛いという言葉では軽すぎる。


「呆然とする俺たちを余所に、奴は嗤いながら奥に引っ込んで行った。馬鹿だよな、誘導されてるって少し考えればわかるのによ。頭が真っ白になっちまった俺は、陣形を乱して突っ込んじまった。俺がこうして今も生きてるのは運が良かっただけだ。奴を殺すことしか考えられなかった。だから、奴の動きに気付くことができなかった」


「動き……?」


「ああ。奴は最初の一人を殺して以降、決して真正面から戦おうとはしなかった。乱戦の中に紛れ込んでは他のゴブリンや冒険者を盾にしながら被害を拡大させていった。奴は常に周りの状況を正確に把握していたんだ。自分たちが、俺たち冒険者に勝てないことがわかっていたんだろうな。混乱を大きくして逃げようとしていたのさ。俺もそんな奴を追っているうちにヘマをしてな。結局、一矢報いることすらできなかった」


「なんと……」


 にわかには信じがたい話だ。それほどの知能があるゴブリンなど、長年冒険者をやってきたゲーリィをして聞いたことがない。そしてその知能を活かすだけの技術も凄まじい。乱戦の中で生き残るのは並大抵のことではないのだ。


「では、そのゴブリンは今も……?」


 それほどのゴブリンが今現在もどこかで生きてるなら大問題だ。何か対策ができるようなことではないが、一個人として気になって仕様がない。


「いや、討伐された。同じグループに偶々メルグリットがいてな。同じ新人とは思えない強さだった」


 討伐済みと聞いてホッとしたのも束の間、出てきた名前に目を見開く。


「メルグリット……! オリハルコン級冒険者、『赤道』のメルグリットですか!」


「そうだ。あいつがいなかったら更に被害は広がり、挙句の果てには見す見す逃がしていただろうな。卓越した剣術で一対一の状況に追い込んで何とか倒し切ったのさ」


「それでも何とか、ですか……」


「メルグリットからは逃げられないと覚悟を決めた『奴』も相当強かった。剣捌きや体格、リーチ。パワーで少しずつ勝っていたメルグリットに軍配が上がった、という感じだったな」


「恐ろしい話ですね。そんなゴブリンが存在したとは……。そして、その話が広まっていないことがまた恐ろしい。貴方やオリハルコン級冒険者を以てしても、ゴブリンに対する侮った先入観を覆すことはできないというわけですか」


「残念ながらな。このタイミングだから言うが、俺は、ゴブリンにもヴァリアント種が存在するんじゃないかと思ってる」


「それは……いえ、先程の話を知れば十分考えられることですか。未だ判明していないゴブリンの種類があるならば、それがヴァリアント種になってもおかしくはありません」


 ヴァリアント種――モンスターの中でも特殊な進化を果たした個体。その特徴は、モンスターらしからぬ装備品に身を包んでいることだ。その装備品はモンスターに誂えたように噛み合わさっていることから専用装備とも呼ばれ、モンスターの成長と共に性能を上げていくことが知られている。ヴァリアント種は、その装備品の性能を余すことなく発揮するために通常の個体より遥かに知能が発達しており、放置しておくのは危険なため速やかな討伐が求められている。


「ヴァリアント種はダンジョンでしか発生しないなどと言ってる奴らもいるが、そもそも既に外にモンスターがいないんだから確かめようがない。その発生条件も、進化のタイミングと宝箱の生成タイミングが同じ場所で重なった時に起こるとか、馬鹿かと言いたくなっちまう」


「そんな説を唱える研究者もいましたね。……いずれにせよ、貴方がゴブリンダンジョンに対して、初めから警戒していた理由がわかりました。マジックアイテム持ち込みの件に敏感に反応していた理由も。そんなゴブリンが再び現れ、ヴァリアント種になろうものなら脅威以外の何物でもありませんからね」


「そういうことだ。まあ、考え過ぎだってことは自分でもわかってる。あれ以来、発見報告が無いぐらいだからな。ただ、どうしてもな……」


「みなまで言わなくても大丈夫ですよ。ただ、万が一に備えて、そうですね……。ゴブリンの『魔人』が出てきても大丈夫なように対策でも立てておきますか!」


「ク、ハッハッハ! 流石の俺でもそこまでは考えてなかったぞ! だが、そうだな。そうしておくか!」


 自分のために気の利いた冗談を言ってくれるゲーリィに感謝した。自分は仲間に恵まれた。仲間を守るため、かつての後悔を繰り返さないため、自分にできることをやっていこうと気を引き締め直すガトーであった。

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