第32話 限界を超えろ

(何なのよ、この女ッ!!)


 水を操り、槍のように鋭い渦を生み出しては憎たらしい相手を攻撃する。しかしその攻撃は相手の大口に吸い込まれたかと思うと、次の瞬間には自分の真下から襲い掛かってくる攻撃へと早変わりしていた。


 それを素早い身のこなしで回避するも、水底から水の抵抗を無視するかのようなスピードで飛び上がってきた追撃に反応しきれず、自慢の体に傷を付けられてしまう。


『チィッ!』


 傷自体は種族特有の高い自然治癒能力によってすぐに回復するが、体に注入された毒までは無効化できない。すぐに水の槍を新たに生み出し、毒に侵された自分の体を抉り取る。


 水の中に大量の血が漂うが気にしていられない。


(何やる気になってんのよ! この前までの雰囲気とは全く違う! こんな凄い気迫なんて見せたことなかった癖にッ……クソ、これじゃワタクシの華麗なる計画が……!)


『アタシを前にして他の事考えるなんて良い度胸。今日も身の程をたっぷりわからせる』


 聞こえてきた言葉に意識を向けた時には、相手は自分の体を急激に膨らませていた。それと同時に大口から吐き出された凄まじい激流が押し寄せ、体が壁際に押さえつけられてしまう。


『グゥッ……!』


 体を動かせない隙を見逃さず一気に相手が近づいてくる。このままでは噛みつきから多量の毒を流されて為す術なく負けてしまう。


『舐めるんじゃ、ないわよッ!!』


 四本ある触手が青白く変化していくとバチッっという音と共に閃光が走った。周囲に雷のフィールドを形成すると相手は堪らず距離を取る。


『ちっ。面倒な力』


『アンタほどじゃないわよっ!』


 形勢を元に戻すと雷のフィールドを解除する。この技は負担が大きいため長時間使うことができなかった。しかし最近は敬愛する御方の素晴らしき愛の力、委任によって、その時間は少しずつ伸びてきている。


(全体的に能力も上がってきてる。これなら近いうちにコイツに勝つこともできたはずなのにッ……!)


 まずはワームの頂点にいる気になっているこの目障りな女を黙らせた後は、御方の委任によって更にパワーアップした力を使い、超目障りなあのゴブリンをギタンギタンのメッタンメッタンにしてやるつもりだった。そうすれば御方は頼りにならないこの女やあのゴブリンに見切りをつけて、自分だけを見てくれるはずだったのだ。


(そうなれば御方とワタクシの距離は自然と近くなっていくの。やがて御方はワタクシだけに愛を注ぐようになり、その地位は不動のものとして、いつまでも御方を独り占めできるようになるのよ!)


 いつもの妄想に耽り、無意識に身をくねらせるウォーターワームを見て、ダンジョンワームはもう何度目になるかわからない溜息をついた。


 隙あらば自分の世界に入っていくウォーターワームのせいで度々訓練が中断されていた。今まではそれに対して呆れるだけで、特にどうにかしようと思ったことはなかったのだが、状況が変わった。変わらざるを得なくなった。


 この世界の上位種としての道が開けたことで、自分の将来は安泰だと思っていた。かつてゴブリンに体を押し潰され大ダメージを負い、その上で常に他のプチワームの毒が体内に残っており回復できないという、地獄のような日々でもがき苦しんできた成果が報われたのだと。


 だがそれはダンジョンワームの思い違いだった。世界の上位種程度では何もかもが足りなかった。それをゴブリンに教えられた。


(上位だの下位だの。それは所詮、『外の世界』が定めた理に過ぎない。アタシたちが生きるのは、その世界を凌駕する至高なる御方が創造せし『新世界』。変化を望み、それに相応しいだけの努力をすれば、どこまでも力を与えてくれる果てなき地。生きとし生ける者に平等に可能性を与えてくださる、御方の慈悲に溢れた優しい理想郷)


 それはダンジョンワームにとって不利なことなのかもしれない。種族による強さの上限がないというのなら、折角の種族による優位性がなくなるということなのだから。


(だからこそ、アタシはもっと死に物狂いで頑張らなければならなかった。最初の時点では確かに有利だったのは事実。その差を守れなかったからこそ、アタシはアテンに……負けたんだっ!)


 ダンジョンワームはあの日のことを忘れない。まだゴブ座衛門と呼ばれていた時のアテンと初めて試合をして力で負けたこと。外に出ると聞かされて心でも負けていると認めさせられたこと。その屈辱、後悔、憤怒、焦燥。


 ゴブリンの身でありながらあそこまでの強さを手に入れられるこの場所では、いつ何時、誰に抜かされるかわからない。このままではアテンに負けているという状態では済まなくなってくるかもしれない。最近ではサハギンという新たな系統のモンスターも誕生し、これからもその種類は増えていくだろう。いつまでも踏みとどまってはいられない。


 そのためには訓練相手が必要不可欠だ。今回アテンが外に出る理由の一つにもあるように、突出して強くなってしまうとそこで成長が止まってしまう。それを防ぐためにも、ダンジョンの防衛力を高め、御方のお役に立つという意味でも、共に高め合う相手がいることが望ましい。


 ダンジョンワームは未だに妄想の世界から帰ってこない残念な同族を見やる。


(コレはたぶん、泉争奪戦の時に毒を受けすぎて馬鹿になった。こんなのが訓練相手の最有力なんて)


 ダンジョンワームは溜息を禁じ得ないが、これ以上を望むのも贅沢だとわかっている。


(こんなのでも自分と同族、ワームという種を超えて進化したことに変わりはない。後は……やる気にさせるだけ)


 訓練を事あるごとに中断してる現状ではとてもではないが強くなることなんてできやしない。ダンジョンワームは限界を超えて強くなると決めた。そのためにウォーターワームには付き合ってもらう。


『おい馬鹿、間違えた……ウォーターワーム』


『ハッ!? な、何よ。ん? 今、馬鹿って』


『御方が第二階層をお造りになってるのは知ってると思う』


『は? 当然よ。だってゆくゆくはこのワタクシが第二階層の』


『アタシはその第二階層で、御方から委任を付与されることが決まった』


 ウォーターワームの言葉を尽くぶった切るダンジョンワームから突然爆弾発言が飛び出す。


『……は、え? ……嘘よね? 嘘でしょ? ほ、ほほほ、アンタも偶には冗談を』


『事実。決定事項。御方から直接言い渡された。……御方から一番寵愛を頂くのは、アタシ』


『嘘よッッ!!』


 ダンジョンワームの言葉に過敏に反応し、ウォーターワームの触手が勢い良く逆立つ。無意識に雷が発生し、周囲に目も眩むような閃光が走り抜ける。


『ワタクシにその手の嘘をつくなんて良い度胸してるわねッ! 御方から一番の寵愛を受けているのはこのワタクシなの! だってワタクシは、御方からこの素晴らしい泉を送られた! ワタクシだけのために! わざわざこの泉をお造りになられたのよ!? その上委任まで付与された! このダンジョンで! 唯一! 委任を付与されているの! これは愛の証!! 間違いないの! 適当ほざくんじゃねーぞこのクソアマァアアア!!』


『憐れ。勘違いも甚だしい。御方がこの泉をお造りになられたのはお前のためだけじゃない。お前の事なんかついで。委任もそう。ただ委任を付与するのに都合が良かったのがお前だっただけ。それは愛じゃなくてただの実験』


『……黙れ』


『そもそも少し考えればわかること。お前みたいな気持ち悪い奴、御方が可愛がるわけがない。いつもひょろ長い体をくねくねさせて、鼻息荒くて、本当に気持ち悪い』


『だ、ま、れええええええええ!!!! このずんぐりむっくりがッ!! ワタクシのこのスマートなボディは世界の上位種たる竜として相応しい、誇りあるもの!! これ以上貶すなら、本気でぶち殺すぞッ!!』


 世界の上位種。まだそんなことを言っているウォーターワームが少し前の自分の姿と重なる。それが無性に可笑しくて、ダンジョンワームは鼻で笑う。


『そうなの? 魚だと思った。サハギンそっくり』


『……コロス』


 怒りで理性が崩壊したウォーターワームから水中を埋め尽くす電撃が放たれる。周囲にはいくつもの竜巻のような渦が巻き起こり、それが電撃を纏ってダンジョンワームに襲い掛かろうとしていた。


(これでいい。これならアタシも……死ぬ気になれる)


 ダンジョンワームとウォーターワームの戦いは、アテンゴブ座衛門とホブの戦いと同じではない。


 アテンとホブの間には明らかな力の差があった。故に戦いのコントロールが可能だった。極限状態の中であっても、死ぬようなことはほぼなかった。


 しかしダンジョンワームとウォーターワームにそこまでの力の差はない。委任によって底上げされている能力に加えて、怒りで理性が崩壊しているウォーターワームとの戦いは最早試合ではなく殺し合いになる。


 一歩間違えれば本当に死ぬ。アテンが己に課した極限状態すらも超える領域に身を投じようとしているダンジョンワームは、それでも不敵に笑ってみせた。


(アテン。絶対超える。お前に勝って、アタシが一番の配下だと思い知らせる!)


 死闘という言葉でも生温い。そんな戦いの日々が幕を開けた――。







「立て。ホブ」


「グ、ウゥ……」


 ダンジョンワームとウォーターワームが泉の色を変色させるほどの戦いをしている一方、別の広場ではアテンとホブの、戦いとはとても呼べないものが行われていた。


 アテンは自分がこのダンジョンを出る前に少しでもダンジョンの防衛力を高めておきたかった。自惚れではなく、現在このダンジョンの最高戦力たる自分がいなくなるのはやはり不安の種だった。そのために他のゴブリンたちに特訓をつけているのだが、結果は芳しくない。


 特に、今自分の目の前で無様に倒れているホブに関しては苛立ちを隠せない。このダンジョンで一番最初に進化を果たしておきながら、それ以降大きな成長が見られないからだ。


 自分の特訓の甲斐あって小手先だけの戦闘技術ならば多少は上達している。しかしそんなものでは全然足りない。このダンジョンに存在する資格がない。


 ホブよりも遅れて進化したアテンが二回目の進化を遂げたのだから、このホブもとっくに進化していてよいはずなのだ。それなのに進化できない理由。アテンはそれを見抜いていた。


「立てと言っている! この愚図がっ! 貴様の強くなりたいという気持ちはその程度か!」


(中途半端なのだ。強さに懸ける想いが定まっていない。そしてそれを、ホブも心のどこかで理解している。本当はいつでも進化できる。しかし躊躇しているのだ。その進化が正しいのか、それを超える何かがある気がして。そんな本能のささやきがホブを悩ませている)


 かつての自分がそうであったように、きっとホブも予感めいたものを感じているはずだとアテンは考える。そしてその限られた好機は絶対に逃してはならない。


 アテンの見立てでは、自分のように通常の進化から逸脱して大きく飛躍できる可能性を秘めている者は極僅か。そしてホブはその中の一体だった。


(いけるはずだ。初期の武闘会を生き残る難しさは、今のものとは比べ物にならん。それを乗り越え進化したホブならば、種を超えるだけの潜在能力が必ずある。自分に打ち勝ち、望む強さを手に入れてみせろ!)


 時間をかけてよろよろと立ち上がったホブ。だが立つのが精一杯で拳を構えることもできない。今にも倒れそうだった。


「どうした。構えろ。何のために立った。お前から戦うことを取ったら何が残る? 早くかかってこい」


「グ、グ、ゴォ」


 歯を食いしばって前に出ようとするが足が動かないホブに容赦ない言葉を浴びせかける。


「惨めだな、ホブよ。かつて私と貴様の間には、ここまでの差はなかった。それが今や大人と赤子が戦っているようではないか。貴様は今まで何をしていたんだ? 強くなりたいのではなかったのか?」


「……オ、オデ、ツヨク、ナリタイ……オマエ、ヨリ……ッ」


「馬鹿が、その程度だから貴様は……。私より強くなったら満足か。それが貴様の望みなのか。それが貴様の求める強さなのか? 違うだろうがッ!! 思い出せ! どうして強さを求めていたのかを! 強くなって何がしたかったのかをッ! 貴様はその手で、守り通したい何かがあったんじゃないのか!?」


 強くなって何がしたかったか。アテンの言葉に揺り動かされるものを感じ、ホブゴブリンが心がざわめき立てる。


「オデ、ツヨクナル、リユウ……? オデ、ツヨクナル、ダンジョンデ、イチバン……! ツヨクナッテ、オデガ、オデガッ…………!!」


「お前が、どうした!?」


「オデ、ガアッッ!!」


 ――自分が、あの方の………。


 ホブゴブリンの脳裏に影が浮かび上がる。それを認識した瞬間。


 自分と言う殻が、破られた。


「――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 瀕死の体から発せられているとは到底考えられない咆哮がダンジョン内を走り抜ける。突然轟雷に襲われたかのように、他のモンスターたちは動きを止めることを余儀なくされた。


 ホブゴブリンは内から溢れ出る激情を止められない。止める気もない。今まで自分を縛り付けていたものを引きちぎり、自分と言う存在が壊れ、中からもう一人の自分が産声を上げた。


 ホブゴブリンの体を濃密な黒い霧が包み込んでいく。今までの鬱憤を晴らすかのようにあっと言う間に拡がる黒霧は瞬く間にホブゴブリンの姿を見えなくした。


「っきたか!!」


 ようやく訪れた瞬間をアテンは固唾を呑んで見守る。


 やがて霧が晴れた時、そこにいたのは――。

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