第14話 崇拝
――自我の存在に気付いたのはいつからだったろうか。たくさんいる同族たちを見ながらふと思う。
ただ強くならなければならないと思っていた。何故かはわからない。ただそれだけが頭にあった。
何度も生死の境を彷徨った。彷徨いながら、強くならねばと思った。
強くなるには、まず生きねばと思った。生きるためにどうするか、どうすればよいか、そこで生まれて初めて『考えた』。
そこまでいかないと『考える』という考えに至らない自分たちの知能の低さに思わず苦笑してしまう。これでは人間に馬鹿にされるのも仕方ないというもの。
(だが、御方だけは違ったな)
戦って生き残る度に、少しずつ鮮明になっていく自分という存在を自覚した時、初めて御方を認識できるようになった。御方を見た瞬間、わかった。自分が強くなる理由。その想いの源泉。
御方は喜んでいた。下等な存在である我々が生き残った時。御方は泣いていた。そんな価値など無い我々が死んだ時。
我々のために、本気で、心の底から、応援し、慈しみ、労い、追悼してくださった。
自分はもう、自分の同族にそんな価値など無いことを理解している。しかし、御方は決して我々を蔑んだり見放したりはしなかった。
世を照らす暖かな光のように、我々を包んでくださった。その在り様は、不敬を承知で言うならば、優しき母であり、導きの父。そして我らの創造主。
神。
自分はあの方にお仕えするために生まれてきた。なんと幸運なことだろうか。これだけの幸せを感じられるのであれば、あの厳しい戦いの日々などなんでもない。
(これからも御方の傍に在り続ける。それが私の喜びであり、誇りだ)
ゴブ座衛門は決意を新たにする。
今日は初めて『外』の者との戦闘があった。その際、なんと御方から直々のご命令があったのだ。天にも昇る気持ちだった。命に代えても遂行すると、気合を入れて任務に当たった。
正直なところ肩透かしだったが、手は抜かない。一人も逃がしはしない。
適当に人間の相手をしながら時間を潰す。実力に差がありすぎると逃げる可能性が高いと考え、態とダメージを負った。ついでに少し苦戦しているような演技もしてみた。まんまと騙される人間が滑稽だった。同時に興味も失った。弱すぎる。
(なんだ、その愚鈍な動きは。戦う気があるのか疑うレベルではないか。不釣り合いな剣を振り回して、私がそんなものに当たるとでも思っているのか? 笑わせる)
ホブの方を伺う。負けることは万に一つもないから、見るべきはホブの戦い方だ。
相変わらず力押しが目立つが、最近の訓練では漸くフェイントを使い出した。相手の剣を有効に使わせないために、少しは考えて戦っているようだ。
(なかなか新しいことを覚えないから教えるのが大変だが、全ては御方のため。私はやるべきことを全力でやるだけだ)
時間も経ち、ホブの方も決着が付きそうだというタイミングになった。後ろに気配を感じるもう一人の侵入者のことを考えてもそろそろ頃合いだ。
こちらもケリをつけるかと考えたゴブ座衛門だが、ある思考が頭をよぎった。
(ッこんな雑魚のエネルギーで、成長したくない……!?)
それはゴブ座衛門の飽くなき強さを求める本能からきたものか。この雑魚の血で手を染めるのは、自分の可能性を、将来を閉ざしてしまうような予感を覚えたのだ。
何やら剣にしょぼい光を纏わせてやる気になっている愚か者を一瞥した後、ホブに視線を移す。
(先程の予感、いや、直感というべきか。あれは何だったのか。ただの勘にしては、私の中に妙に確信めいたものがある。私はこれを殺すべきではない。ではホブはどうだ? これを殺して何か悪影響があるか? ……いや、ただの糧になるだけだろう。よし、予定変更だ。全てホブにやらせる。ホブが強くなれば、更には進化すれば、私の訓練にも磨きがかかるというものだ)
雑魚が繰り出した少し速い連続攻撃を回避した後、殺さぬように少し強めに殴ってやる。それだけで地面に倒れ込んでしまった。ゴブ座衛門はその無様な様子を見て首を振りながら溜息をつく。
(ハァ。単に弱いだけではなく判断も悪い。今のはおそらく切り札の類であろう? 同族がとっくにピンチだったというのに、コレは今まで何を考えて戦っていたのだ? 理解に苦しむ)
雑魚を雑に引き摺りながらホブと合流する。ホブは所々傷を負っているが何も問題はなさそうだ。
『ホブ、これ、やれ』
『ナニ?』
『お前、弱い。これ、やれ』
「ゴオオオオッ!!」
ゴブ座衛門の率直な言葉にホブが怒るが、事実だ。このダンジョンに、御方の配下に、弱き者は相応しくない。
『そっち、残せ。こっち、やれ。いいな』
「グウゥゥ」
言葉を残してゴブ座衛門は去っていく。そろそろもう一人が来るタイミングだ。
自分の都合で残す者をローブ姿の貧弱な者に変えたが、それで正解だったかもしれない。自分が相手していたのは明らかに馬鹿だった。あれでは大した知識も持っていないだろう。
そもそも、別に御方は「生かして捕らえろ」とはおっしゃっていない。この判断はゴブ座衛門が勝手にしていることだ。しかしゴブ座衛門としては、言われなくても御方のために行動できるというアピールがしたかった。今回の件で言えば、それは情報源の確保だ。
当然、ゴブ座衛門としても御方が情報を欲してなど
御方は時折悩んでいるようなポーズを取ることがあるが、それはフェイクだ。ゴブリンの時よりは賢くなった今のゴブ座衛門ならばその行動の意味がわかる。
御方は、あえて悩んでいる姿を我々に見せることで、我々に考えることを促しているのだ。御方は今、何に悩んでいるのか、何をお考えになっているのか。それらを通して、考えることの重要性を説き、我々の成長に繋げようとしていらっしゃるのだ。
これは考えることで進化まで辿り着いたゴブ座衛門だからこそ気付けたことだろう。残念ながら低能揃いの同族たちには、御方の深謀遠慮は理解できずほとんど効果はないだろうが、それでも呆れることなく見守り続けてくださるその慈悲深さに、ゴブ座衛門は魂から感謝を捧げる。
そんなゴブ座衛門の今回の行動。コアをして完璧だと言わしめたほどのものだったが、当のゴブ座衛門は満足しておらずギリッと歯嚙みする。
何故ならばそもそもの話、御方から「一人も逃がすな」と言われた時に、「生かして捕らえますか」と質問できていればそれで済んだことだったからだ。
貧弱雑魚ローブを残したのは間違いだったかもしれない。もしかしたら全員生かして捕らえろと言われたかもしれない。そう考えるとゴブ座衛門の表情が曇っていく。
(私がもっと綺麗に、御方がお使いになっている言語をしゃべることができればこのような心配をせずに済んだのだ。今の私の汚い言葉を御方にお聞かせするわけにはいかない。そんなことは許されない)
御方ならばどのような言葉でも理解してくださるのはわかっている。光栄なことに、実際に自分との会話を望まれたこともある。しかし、その言葉に甘えるのはゴブ座衛門の配下としての理想像、こだわりが許さなかった。
今となっては御方に『意味のある言葉』として伝わらないようにしゃべるほどの徹底ぶりだ。
(もっと強く、早く強くならなければならない。そして更なる進化を! 自分のために。御方のために!)
効率良く、質の高い訓練を積むために、これからの訓練方法に思いを馳せる。
(そういえば、あれは良かった)
演技のために態とダメージを負った時のことを思い返す。
(痛覚や流れ落ちる血で、わずかにだが動きに乱れが生じた。集中力もおそらく落ちていただろう。今回は相手が訓練にもならぬ愚図だったから問題なかったが、相手がホブだったらどうだ? ホブの剛腕を回避するのではなく上手く防御しダメージを蓄積させる。いつも通り動けない状態になったところで戦い始める。これで疑似的な極限状態にもっていけないだろうか。……ふむ。いいな)
妙案が浮かび、つい口角が上がる。これなら耐久力なども上げられるかもしれないし、精神的な修行にもなる。ゴブ座衛門も本気で訓練に取り組める。
(ついでにプチワームにも協力を願うか。この程度のこと、嫌とは言うまいよ)
具体的な訓練法が決まってやる気に満ちているゴブ座衛門に御方から名指しで呼び出しがかかる。
(おっと。これは最優先だ。今度はどんなご命令を頂けるのか。このゴブ座衛門、全身全霊でお応えいたします!)
「ギッ!」
ダンジョン最奥の部屋でキリッとした返事が返される。そこにはゴブ座衛門が崇拝して止まない御方が、いつものようにフワフワと宙に浮いていた。
新しいダンジョンの発見で活気が増してきているヘルカンの街の中央奥。大通りの突き当たりにある、一際大きな敷地を有するその建物は、歴史の重みを感じさせるくすんだ色をしながらも丁寧な手入れが行き届いており、見る者に決して不潔な印象を与えない。石造り三階建ての荘厳なこの建物こそ、ヘルカンの街領主、ヘクター・ヘルカン子爵の屋敷だった。
その屋敷の応接室。そこには立派な装飾がなされたテーブルを挟んで、ヘクターと筋骨隆々な男が話し合いをしていた。
男は静かにヘクターに頭を下げる。その姿は謝罪の意を確かに感じさせながらも卑屈さは感じさせず、堂に入った見事なものだ。
ヘクターはオールバックにした白髪と白いカイゼル髭が目立つ高年の男だが、その男はもう少し若く中年ほど。
年齢的には肉体が衰え始めていても何もおかしくなかったが、そんな様子は微塵も見当たらない。
今でも装備品を身に纏えば現役の冒険者としてやっていけそうな、全身から活力を漲らせているこの男の名はガトー。元ミスリル級冒険者にして、現ヘルカンの街冒険者ギルドギルド長を務める男だ。
「ヘルカン様、この度は冒険者ギルドの不手際、大変申し訳なく」
「よい。私も許可を出したことだ。それに、今のところ何も問題は起きていないと聞いている」
「はい。出現するモンスターの数、種類共に変わりなく、活発化している様子もないようです」
「それは重畳。寛容なダンジョンに感謝といったところか」
「未だダンジョンは謎が多いですからね。もしかしたら、この程度では何も変化しないのが普通なのかもしれません」
新しいダンジョンができてからこの二人は会う機会が多くなっていた。最近では大体の方針も決め終わり、しばらくは会う予定もなかったのだが、先日とある新人冒険者たちが大きな失態を犯してしまった。ガトーはその経過報告をしに来ていたのだ。
「それでも慎重に期さねばならん。最早あのダンジョンのことは陛下の耳にも入っている。わかっているな?」
「勿論です。同じミスは繰り返しません。それで確認なのですが、今後も新人冒険者たちにあのダンジョンを開放する、という方針自体に変更はなしということでよろしいのでしょうか?」
「ああ。私も少々悩んだのだが、そのままいくことにした。ここまできて大きな方針転換は民たちの反感を買う。人の流入も、正直私が思っていたよりも効果があったしな。それに……今、この街に対して良くない印象が広まるのはよろしくないのだよ」
ヘクターの顔が少々歪む。常に落ち着いた雰囲気のヘクターにしては珍しいことだ。ガトーは面倒事の気配を感じながらも質問しないわけにはいかない。経験上、こういうことは早めに対処するのが一番だと知っている。
「どうかいたしましたか?」
「うむ。君にも関係することだから言っておくが、実は最近、とある伯爵家が代替わりしてな。そこの若造が何かと絡んでくるのだよ」
「はあ」
要領を得ないガトーのために詳しく状況を説明し始めるヘクター。
「自領よりも階級に劣るこのヘルカンが栄えているのが気に食わんのだろうな。紅蓮の洞の出現で大きく発展したところに、更に新しくダンジョンができたことで我慢ならなくなったのだろう。あの領にダンジョンは無いしな。目の敵にされているのだよ」
やれやれと肩をすくめるヘクター。その様子からは心底呆れているのが見て取れる。
「最早私が言えた義理ではないが、領を発展させる方法は他にもあるというに。ダンジョンの利権という、わかりやすいものにしか目が向かんのだろうな。領を治める貴族として嘆かわしいことだ。先代は堅実に仕事をこなす人物だったんだがな」
「あ、あの、ヘルカン様。私も勉強はしているのですが、その、あまり難しい話は……」
「ああ、すまなかった。つまりだ……」
ヘクターの表情に真剣さが帯びる。
「アレは直情的に過ぎる。直接的にしろ間接的にしろ、あのダンジョンにちょっかいを出してくる可能性が非常に高い」
「!! 成る程……」
言葉の意味を理解したガトーの目に剣呑さが混じる。
「相手の目的は何なのでしょうか」
「根本的なことを言ってしまうとただの八つ当たりだろうが、問題を起こして私を失墜させ、後釜に同じ派閥の貴族をねじ込んで利益を得たいといったところか」
ヘクターの予想に内心舌打ちするガトー。
(クソッ、メンドクセーな貴族! 確かにこりゃあ無関係じゃいられねえっ)
今や陛下すら注目しているダンジョンで問題が起きれば当然責任の所在が問われる。ヘクターは勿論だが、冒険者ギルドをまとめるガトーだってその責からは逃れられない。
ことこの問題においては、ヘクターとガトーは運命共同体と言えた。
(それに、領主が変わるってのも旨くねえ。話を聞く限りじゃ金に汚ねえ貴族になりそうだし、これから先やりづらくなっちまう)
ヘクターの統治の素晴らしいところは、紅蓮の洞ができた当時、その管理・運営のほとんどを冒険者ギルドに任せたことだ。多くの貴族はその利権を得ようと出しゃばり、冒険者たちを引っ掻き回すものだが、ヘクターは最低限の税を納めるように要求しただけで深く介入してくることはなかった。
これによって冒険者ギルドは冒険者のことを考えた制度を整えることができたし、たくさんの税が取られることもないから冒険者たちは十分な収入を得ることができた。
実のところ、新しいダンジョンができて、ここまでヘルカンの街が活気づいているのはヘクターの手腕によるところが大きいのだ。誰もが、この新しくできたダンジョンにも、紅蓮の洞と同じような制度が設けられると思っている。
貴族が出しゃばらない風通しのよさが、今のヘルカンの街を形作っているのだ。そんなヘクターの代わりに糞貴族が来ると言われて歓迎する者はヘルカンの街には一人もいない。
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