挑戦の限界-5《14》
緊張感いうのは肌で感じる。皮膚がヒリツき、内部にまで浸透する。この感覚に不快感はない。高揚感、こっちの言葉の方がしっくりとくる。俺は今、興奮しているのだろう。客観的な視点から自分を眺めている様な気がした。自分の調子を外から見て確かめる。自分がどれだけできるのか、それが分かるのはこれからだ。
誰もいなくなったこの場所が、俺にとっての死地になるのかそれとも変わる為のチャンスとなるのか。不確定な数分先の未来は、今の段階では何も見えない。
「ふぅ」
深い呼吸。肺を冷たい空気が満たす。満たさなければならなかった。でないと、自分が動けなくなる事を俺は知っていたから。
無理やり詰め込んだ肺は重たい。それでも心は軽く感じた。
魔蝕の青い血は流れを止め塊となっている。動き出すその瞬間、青い光は輝きを残し俺の正面に立っていた。
反応、反射。
戦いの中合図なんてものは存在しない。そこには個人のタイミングやリズムがあるだけだ。俺はそれに合わせる。後手必殺。自分からではなく相手の出方を待つ。それが俺のリズムなのだ。
「しッ」
短く溜め込んだ空気を吐き出す。
魔蝕の拳から放たれる重たい衝撃。前に構えた盾に走るそれは全身に流れる。腕から流れるそれを体を通して地面に流す。沈み込んだ体に追い打ちをかける様に、魔蝕はもう片方の腕を振り上げていた。
二撃目は不味い……
体を捻る。離れるのではなく近づく。懐に潜り込んで斧を振るった。
固い音が響く。斧が入らない。通常よりやはり魔蝕の肉体は硬度だ。
そして止まったその一瞬、俺は飛んだ。
「ぐッ‼」
蹴り飛ばされたと理解したのはすぐ後だ。地面に足をつけて体勢を整える。痺れた腕で斧を握り直し、痛み、熱を灯す脇腹をかばうように盾を構えた。
(攻撃が通る気がしない……)
全力ではあった。体勢が整っていなかったのもあり力が全て伝わっていたとは言い切れないが、それでも先程の感触は不味い。あの防御力を突破するだけのスキルを、俺は持っていない。
(いや、一つだけあるか)
あの時の、あのスキル。あれから何度か練習をしたが、あの一度しか成功はしていない。タイミングやその時のコンディションによって成功するかどうかは変わってくる。
できるのか、できないのか。そんな事を考えているうちに、魔蝕はまた肉体を変える。腕が変形していた。鋭く、まるで剣の様な形に変わる。
「まじ、か」
何度から振るう。まるで素振りだ。もしかすれば剣士の少年を喰った事で、剣を扱うという発想に至ったのか。だとすれば、それが学習だ。喰らった冒険者から知識を学習している。ただでさえ肉体のスペックが人間よりも高いというのに、そこに技術が加わればもう手が付けられない。
魔蝕は握った剣をもう一度軽く振るうと……次の瞬間には目の前にいた。
「──ッ」
盾に衝撃が走る。衝撃音が教会内に響き渡り、俺は飛んだ。
「ごはぁっ‼」
壁に激突。腕から来た衝撃と同じ威力のものが背中からやって来る。思考が点滅し自分が今どうなっているのかが分からない。
(ふざ、けんなッ。なんだこの馬鹿げた威力ッ)
重装備の盾を持った俺を吹っ飛ばす力。斬るというよりも、これは叩き潰すに近い。
次の攻撃がくるかもしれない。そう思って顔をすぐに上げるが、そこにいたのはまだ剣を振って顔を傾げている魔蝕だった。
(剣の振り方を、まだあいつは分かってない。俺の事を的だと思ってんだ。油断してろカス。ぶっ殺してやる)
胸の内から湧き上がる殺意と怒りに恐怖が少し塗りつぶされる。痛みに体が震え、呼吸も上手くできなくなっていたが、それでも次は流すという意志が膨れ上がった。
「──こい」
素振りの練習をしていた魔蝕の視線がぶつかる。今では頭部は兜に覆われる様な姿へと変わっていたが、その兜の下で魔蝕は相変わらず笑みを浮かべている気がした。
また、消える。
視界から消えた瞬間には、すぐ目の前。さっきと全く同じ状況だが、さっきより状況は悪いだろうか。俺の体には既にダメージがかなり入っていて上手く動く事ができない。だけれど、さっきより恐怖はない。硬さが取れた俺は自分の感覚を信じて盾を動かす。
「ぐッッ‼」
受け流せるかもわからない状況で自分の感覚に全てを委ねると言うのは勇気がいる。失敗すれば死ぬかもしれないんだ。ならよく見て判断して行動に移すのが正解かもしれない。だけどそれじゃあ間に合わない。全てが遅すぎる。だから俺の今までの冒険者生活の中で何度も受け流してきた、この盾の技量に全てを賭けた。
そしてその結果に、俺は笑みが漏れる。
力強い衝撃が、まるで水に流される様に消えていく。受け流す事ができた結果に俺の心は一瞬踊ったが、油断なんてできやしない。圧倒的なまでの力の圧は今目の前に存在しているんだ。一回の斬撃を受け流す事に失敗すれば俺の首は飛んでいく。
(──上等)
集中しろ。
意識を潜らせる。相手の剣技を全て捉える、それだけに俺の持ちうる全てのスキルを集約させる。
上段からの斬り下ろし。体を半身にして盾を頭上にかざし、剣が当たったタイミングで全身の力を抜き回転する。
さっき後ろに吹き飛ばされた威力を、今度はそのまま相手を攻撃する為のエネルギーに変換し、俺は右手の斧を横に薙いだ。
「はあああああああッッ‼」
加速した俺の斧は魔物の胴を捉えた。どんな魔物であろうと、その形を作っている核は胴の中心にある。それさえ壊してしまえば、たとえ格下である俺であろうとこいつに勝つ事ができる。
俺が用いる事のできる最大威力の斬撃。
まだ未完成で、完全に俺の物にしたわけではないスキルだ。しかし、格上であるこいつを相手に失敗を恐れて自分の持つ能力を使わずに戦おうなんて考えは甘すぎる。
失敗よりも挑戦を。
選択するのであれば、前の自分よりも一歩でも前に進んだ自分に成る為の選択を取る。
斧が騎士の胴を捉える。剣を振り下ろし長身の体が屈んでいる今のタイミングが、俺に取ってこいつに勝利する為の最高のチャンスだった。
(チャンスが来たら物にしろ! 誰かがなんて期待はしない! 俺は俺だけを、俺の力を、俺が費やした時間を信じる‼)
懐に潜り込んだ俺の渾身の一撃は、教会内に響き渡る。腕はからは血が飛び出し、脳が沸騰していると錯覚するほどに熱い。限界を今まさに俺は超えているのだという感覚が自分の体の奥から次々と押し寄せ、湧き出るそれを外に出す様に声を上げた。
あと一歩、もう少しの踏み込みでこいつの胴を分断できる。確信があり俺は悲鳴を上げる腕を全身で押し込む。今までの戦いでも既に限界近く酷使してきたこの腕は、これまでとは比べ物にならない程の強度を誇る騎士の鎧に逆に粉砕されそうだった。
固すぎる。それでも斬る。勝つために。
「あああああああああッ‼」
勝利があと少しで手に入る。その時、俺の体に一撃が入り、身に付けていた鎧が砕け散った。空中を再び飛びながら蹴り飛ばされたのだと遅れて理解する。
「ぐぅうがッ」
地面に転がり何とか武器は手放さずに握っていた。
相手を切り殺す事しか頭になかったから、攻撃を見切れなかった。油断というよりも勝利を目前にして前のめりになりすぎたのだろう。一度近づいた距離が離れ、千載一遇のチャンスを手放したことを知る。
「くっそ」
あと少しだったのに。魔物を見てみるとその鎧には罅が入っている。あと少しの踏ん張りで確かにあれは斬れていた。自分の攻撃に対する能力の低さがここに来て足を引っ張っている。またさっきと同じ状況に持ち込むのは厳しいだろう。
魔蝕の目が変わっていた。試し斬りという考えが、今さっきの攻防で抜けたのだ。油断している隙に止めを刺したかったが、どうにも上手くいかない物だ。
体が悲鳴を上げている。奴の蹴りで骨が何本が逝ったのか、呼吸がままならない。ここに来るまでの戦いで右腕はかなり消耗している。筋肉が痙攣し俺がこの斧を持てているのも不思議だ。気合と根性、後は勝利への執念が武器を何とか握り締めさせている。
不用意に近づいてこなくなったおかげで、時間が稼げている。意識をなんとか保ちながら立ち上がり、朦朧とする視界の中それでも前を向く。
(下を……見るな)
千載一遇のチャンスを逃した。だからなんだ。逃したのならもう一度作ればいい。この程度の事が、俺が俺の命を諦める理由になる筈がない。
俺は知っている。逆境は進化のチャンスだと。俺は知っている。心が折れた瞬間に、人は全てを見逃すのだと。だから前を向くんだ。いつ来るかもわからないチャンスを見逃さないために。自分の足で前に進み手を伸ばして掴むのだ。
「ここはまだ、俺の墓場なんかじゃない」
死に場所は、自分で決めていい物だ。
次の一撃が、俺にできる最後の一振りだと分かった。体は限界を迎えている。だからこそ、余計な力は今どこにも入っていなかった。ハイド・ゴーゴルという冒険者の全てが、今この瞬間に集約されている感覚は、確かにある。
「こ、い」
二度目の宣言。俺からは攻めには行けない。俺はいつも後手を取る。
『ゴウァッ』
魔物の口らか漏れる声。俺にはその意味が分からないが、来る、というその意志が今度は分かった。
極限の状態だからこそ発揮される集中力。直感でしか捉える事ができなかたった魔蝕の動きを俺の目は捉えていた。
体を沈め、一直線に俺に向かって突っ込んでくる。重量のある剣腕を背後に構え、力を溜め込んでいる。その力が俺に向かって放たれれば盾ごと今度は俺の胴体が両断される。
色んな考えが俺の頭を巡っては消えていく。その中に最適の答えはあったのか。分からないが、気が付けば俺は前に踏み出していた。
受け流すスキルの根本にあるのは、タイミング。全てのタイミングさえ見極める事できるのであれば、例えその力差がどれほどの物であろうとも、一切の負荷なく受け流す事ができる。その上のスキルである流し込みもそうだ。相手の攻撃力を自分の攻撃に乗せ火力を増す。これもタイミング。
今まで幾度となく見極めてきた。仲間の役に経つために。俺にはこれしかできなかったから。才能もなく、仲間内の中で一番役に立っていないと理解していた。攻撃面で優れている訳じゃない。囮として存在感がある訳でもない。あったのはただ、盾を握っているという事だけだ。
「──だから」
俺が強くなるための鍵は、この盾の技術だと分かっていた。
魔蝕が目の前にきている。加減のない一撃がくる。足を踏み込み、全身を捻っていた。剣を振るうという事を理解した、人間よりも遥かに身体能力に優れている生物が、人間の技術を使おうとしている。
だが、技術においてついさっき剣を握ったばかりのこいつに負けるわけにはいかなった。相手が進化を遂げるなら。俺も更に前に行くだけだ。
剣が振るわれる、そのタイミングで──俺は盾を振るった。
胸の中にいる自分が叫んでいる。今、このタイミングなのだと。剣を受け流すのではなく《弾く》。威力の乗った魔物の剣は後方に流れ、それに引きずられる様に魔蝕はバランスを崩す。
「胴体がら空き」
回避する事はもはや不可能。確実な一撃を決める為の領域を無理やり作り出した。
ほんの数秒の溜め。魔蝕と同じように背後に構えていた斧を、俺は胴体目掛けで振り切った。
これまでにない完璧を掴んだ感覚が全身を巡る。それは今まで俺はこれを追い求めていたのだと盾を握っていた理由が明確になったかのようで、斧と魔物の胴がぶつかり合った時には確信していた。
「俺の勝ちだ」
まるで水を割くように、一切の抵抗感が消える。後は流れに沿ってこの斧を振るうだけだ。
全身を捻り、一回転。俺の後ろで激しい音が鳴り響いた。それが魔蝕が崩れ落ちた音だという事はこの目で確認しなくても分かる。
しばらくの静寂の後、止まっていた汗が流れ出す。この戦いに審判はいない。観客もいない。誰にも見届けられる事なく、誰にも俺の名を告げられる事なく、俺の冒険は俺だけが知る冒険になった。
「それで、いい」
誰かの為に戦っている訳じゃない。俺はただ、俺自身の為に戦った。それを誰かに自慢したかった訳でも、称えられたかったわけでもない。仲間を得ずして得た勝利は、俺だけが大切にできる物なのだから。
魔蝕と同じように、俺の体は崩れ落ちた。体に力が入らない。無理をし過ぎたのか、自分の限界を超えたからなのか。それでもこの限界まで上り詰め得た勝利を、俺は笑って受け入れた。
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