挑戦の限界-4《13》

「え?」


 それは誰が漏らした声だったのか。


 静寂は一瞬。少年の絶叫が響く。


「あああああっ。僕のうッ‼」


 その言葉は最後までは続かない。隙を晒した獲物にとどめを刺さない奴がどこにいるだろうか。特に自分が追い詰められており、死が迫っていたのならなおさらだ。


 包帯の中から歪に歪んだ口を見せた歩兵は、腕を呑み込みそのまま少年の頭部を勢いよく嚙り付く。


 頭部の半分が失われ、少年は言葉を発さなくなった。


 この魔物に隙があったとすれば今この瞬間だ。だが、結束という力で戦っていた彼等は、その力の一部が突如として失われた事に理解が追い付いていないのか、誰も少年を喰う歩兵を止められなかった。


 理解が追い付く頃には全てが遅い。少年の頭部を喰った歩兵は、変化を魅せる。


 肉体が変わっていく。包帯が破け、その内側から何かが溢れ出す。それは液体だ。青い、青い、彼等にとってそれは血液。


 黒い世界に青が落ちる。


 産声を上げたのは、冒険者を喰らった魔物

《魔蝕》。


 それは人の形を成していた。黑と青、その二色に彩られた体は、不気味とも綺麗だとも感じ取る事ができる。


 俺はそれを初めて見た。知識としては知っていたが、実際に目にした事はなかったのだ。

 時々、歩兵の中には進化をする個体がいる。それは同じ魔物を喰らって場合や、そして冒険者を喰らった場合、その二通り。どの様な進化をするのかは個体によるが、冒険者はその個体に《魔蝕》という名を付けた。


 この世界で最弱として産まれた彼等に与えられたその力は、いづれ最凶に手が届く力でもある。


 世界は進む。時間は止まらない。進化をした歩兵が目を付けたのは、盾を持った男だった。目が合ったのか、その時になってようやく男の体が動き始める。


「お、お前ッ」


 現れた感情はおそらく怒り。それは強い力にもなるが、同時に判断の誤りを引き起こす事にもなる。


 男は歩兵に向かって持っていた武器を振るうが、外からそれを眺めていた俺には悪手であると分かってしまった。


 まだ、後方の彼等が追い付けていない。


 顔を硬直させ固まり、持っている武器を使って援護をする構えも見せない。こういう場でこそ支持を飛ばさなければならない指示者の口元からは言葉など産まれてはこなかった。


 冒険者は仲間と共に戦う。だが、その仲間がいなければどうなるのか、それが次の光景だった。


 魔蝕に武器を振るった男の腕が止まる。


 貫かれていた。男の頭部が。口の中に魔蝕の腕がめり込んでいる。赤と青が入り混じり、黒の表面に流れていく。魔蝕は腕を振り上げ頭と胴を分離させる。引きちぎられた体は床に倒れると、まったく動かなくなった。


 また柱が消える。彼等の心の柱が。


 二本失えば、立ってはいられない。両足がなくなったも同然のパーティの末路を俺はじっと見ていた。


 弓を持った少女が叫ぶ。魔蝕の意識が彼女に向いた。青い脈動が全身を膨れ上がらせる。より強固な肉体を手に入れた怪物に、恐怖で狙いの定まっていない矢など脅威にならない。


 前衛職は全滅した。残っている後衛の人間で、この状況をどう打開するのか。


 答えは至極単純だった。


「逃げましょうっ‼」 


 そう言ったのはタイマーの少女だ。比較的状況を理解するのが速かった彼女は、この状況で戦って勝てる確立は低いと踏んだのだろう。聞いていた俺もいい判断であると思った。仲間が犠牲になったしまった後であろうと、残っている仲間は救いたい。仲間想いの良いタイマーだ。


 だが、これから逃げるのには、相当苦労しそうだ。他に囮がいなければ、逃げ切る事は難しかっただろう。


 逃げる事を選択した彼等が見たのは、入口で今の光景を眺めていた、俺だった。


 驚いたその瞳と目が合う。そこにあるのは、どう言った感情だったのか。彼等はそれでも走っていた。俺の方、入口を目指して逃げていく。


 魔蝕はそれを見ていたが、後は追わなかった。残った肉体を貪る事に夢中で、逃げいていく彼等を眺めながら、次に俺を見る。


「まあ、俺だよな」


 逃げると言う選択肢は俺の中にもあったが、それでも俺は残る事に決めた。


 外は霧が濃くなっている頃だろう。スキルもない俺では次の場所まで辿りつける確立方が低い。まだ、ここでこいつと戦い、ゲートが開くのを待つ方が懸命だ。


 だが、そういった理由以上に……


「滾るね」


 この状況、面白い。


 前衛職二人分の経験を喰った怪物。今も尚その姿は変わり続けており、溢れる青が鎧の様な形を成し全身を覆っていく。身なりだけで言えば、冒険者の様に見える。青と黒のコントラストに身を包んだ怪物は、その鎧の中で笑みを浮かべている様に感じた。


 今まで戦った事のない怪物。知識でしか知りえなかったそれが、目の前にいる。こんなチャンス何度も訪れはしないだろう。だからこそ、逃したくないと思った。たとえ今の俺がどうなろうと、知り得たい。


「俺は馬鹿だからな」


 馬鹿だから、それでいいのだ。この行いを止める者も嗤う奴もいない。どうするかは、全部俺が決める。俺が責任を持つことだ。誰にも迷惑を掛けないのであれば、やりたい事を、好きなだけ。


「勝つ」


 数歩前に出て、盾を正面に。


 変化の止まった怪物はその咆哮で、教会を、空間を、揺らした。

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