第37話【ヒロイン視点】
先輩の過去を聞いた後、私はその場から逃げ出してしまった。理由の説明すらなく、"ごめんなさい"の一言だけを残して。
先輩がいじめられていたなんて知らなかった。
先輩が勉強を頑張る理由が自分を守るためだなんて知らなかった。
でも、知らなかったことはなんの言い訳にもなりやしない。
どんな理由があろうとなかろうと、私が先輩に嘘をついてその時間を奪っていたことに変わりはないのだから。
私がしなくちゃいけないことはわかっている。先輩に事情を説明して、ちゃんと謝る。それは前から決めていたことだ。でも、今は少しだけ気持ちを落ち着ける時間が欲しい。
そう思った私が逃げ込んだのは、屋上前の物置スペースだった。どうやら私は、辛いことがあるとここに来る習性があるらしい。
一人膝を抱えながらこれからのことを考える。
先輩に一から事情を説明して、誠心誠意謝って、それからどうなるだろう。
先輩は私を軽蔑するだろうか、許せないと罵るだろうか。それは辛いことだけど、私が蒔いた種だから仕方がない。
それよりも気になるのは先輩の成績だ。先輩が本来なら勉強に充てられるはずだった時間を私はたくさん奪ってしまった。それによって先輩の成績が下がるのは間違いない。
首席から次席に落ちるくらいならまだいい。でもそれよりも落ちてしまったら?
私が冴島先輩について話を聞いてまわった時に、冴島先輩が花音先輩のライバルという
もし花音先輩以外の人にも成績で負けるようなことになったら、先輩は少なからず幻滅されてしまうのではないだろうか。
そうなったらきっと先輩は傷つく。無理して自分を偽るほどに、人の期待を裏切ることを怖がっている人なのだ。気に病まないはずがない。
再びこみあげてくる涙をどうにかこらえようとしていると、階段を上る足音が聞こえてきた。
こんなところに用があるなんて、いったい誰だろう。先生?それともいつかのように生徒会長だろうか?
いずれにせよ、こんなところで泣いているところをみられたら驚かれてしまうだろう。それは申し訳ないなと思いつつも、どうにも動く気力がなくて俯いた私の耳に聞こえてきたのは――
「はぁはぁ……やっと見つけた……!」
ここ最近ですっかり聞き慣れた、お人好しな先輩の声だった。
謝らなくちゃ――そう思ったものの、いざ先輩を前にすると言葉が出てこない。私の隣に腰を下ろした先輩も言葉を探しているようだった。
「その、先輩。ごめんなさい……」
結局、先に口を開いたのは私で、出てきた言葉は部室を飛び出した時と同じだった。言うべきことは他にもっとあるのに、謝るしかできない自分が嫌になる。
「白石さんは、いったい何を謝ってるのかな」
いきなり謝られても、先輩からすればわけがわからないだろう。こんな風に聞かれるのは当然のことで、私の罪を告白するチャンスでもあった。
だからほら、ちゃんと言わなきゃ……!
「僕のちょっと暗めな過去を尋ねたこと?」
違う。
「勉強会を途中でほっぽりだしたこと?」
違う。
どっちも申し訳ないと思っているけど、私が今謝りたいのはそうじゃなくて。
「それとも、勉強を教えてほしいって口実で僕に時間を割かせ続けたこと?」
ちが……え?
思わず肩が跳ねた。伏せていた顔を上げて、先輩の方をまじまじと見てしまう。
なんで、どうして、冴島先輩がそれを知って――そこまで考えてふと思い当たる。そういえば、私が飛び出してきた部室にはもう一人いたんだった。
鋭すぎる幼馴染の仕業かと尋ねてみると、先輩は「正解!」と笑ってみせた。
その笑顔はだいぶぎこちなくて、こちらに気を遣ってくれているのが伝わってくる。
いまだに先輩に気を遣わせていることが申し訳なくて、情けない。このままではいけないと、ようやく私は全てを話す覚悟を決めた。
「先輩、私のお話も聞いてもらえませんか?」
それから、私は包み隠さず先輩に事情を説明した。
私が花音先輩を慕っていること、花音先輩に勝った先輩の邪魔をしようと思っていたこと、クラスで孤立していた経験があること。
すべてを話し終わった後、私は怖くてたまらなかった。先輩は真剣な様子で話を聞いてくれていたけど、心の中では何を考えていただろう。
今から私にどんな言葉をかけるのだろう。思わずぎゅっと目を瞑ってしまった私に先輩は――
「あの、白石さん……?白石さんにそういう事情があったとは知らなかったし驚きもしたんだけど、僕は全然気にしてないよ?だからそんなに気に病まなくていいんだよ」
普段から柔らかい声音をいっそう柔らかくさせて、そんなことを言った。
気にしてない、気に病まなくていい。正直なところ、先輩ならそう言ってくれる気もしていた。この人がそういうお人好しだってことはこれまでの付き合いで十分わかっていたから。
でも、それを信じられない自分もいて、つい言ってしまった。
「気にしてないって、そんなはずないです……」
私はなんて面倒くさいのだろう。許されることを期待して謝ったのに、いざ許してもらえたらそれを信じられないなんて。
でも先輩はそんな私に辟易することなく、なおも言葉を尽くしてくれた。
曰く、自分は勉強が好きというわけではない。無理をして自分を偽っている学校生活の中で私と過ごす時間は楽しかった。私が勉強に熱心だったのも嬉しかった。
私にとってあまりに都合のいい言葉を、先輩は次々とかけてくれる。
嘘をついているわけじゃないと思う。勉強が好きじゃないというのも、私との時間を楽しかったと言ってくれているのも本当のことなのだろう。でも、でもだ。
「でも先輩、学年首席って肩書を失うことについては、どう思ってるんですか……?」
先輩が言っていることが全て本当だとして。
特に大したことをしていない私との日々をありがたがってしまうほど、好きでもない勉強を頑張り続けて守り抜いていた学年首席という座を。自分の立ち位置を確固たるものにしているその場所を。私のせいで失うかもしれないことについてはどう思っているのだろう。
それを尋ねると先輩は少しだけ気まずそうな顔をして、一位じゃなくなれば自分を過大評価する風潮もなくなるかもしれないと言った。
それは自分にとって悪いことじゃないから気にするなという私に対する気遣いなのだろけど……
「でも、先輩にとって学年一位って肩書を失うのは怖いことなんですよね?周りから落胆される可能性があって、そうなるのが先輩は嫌なんですよね?だからこそしんどいって思いながらも、今まで勉強を頑張ってきたんですよね?」
思わず責めるような口調でそう言葉をつづけると、先輩は申し訳なさそうに肯定した。
ああ、やっぱりだめだ。
人に拒絶されることの苦しみを知っている私が、人に拒絶されないために先輩が必死に築き上げてきた努力を踏みにじってしまった。それも、自分勝手なワガママのために、嘘という最低な手段を用いて。
先輩が気にしないと言ってくれても、私は自分自身を許せそうにない。
そんな私の様子を見て、先輩は小さく息を吐いた。
呆れられてしまっただろうか、そう考えてますます落ち込んでいると、先輩は私の目を見つめながらこんなことを言ってきた。
「よし、それじゃあさ。白石さんに二つお願いがあるんだけどいいかな?」
お願い……?いったいなんだろう。
それがなんであれ先輩への償いになるのであれば、私はできる限り応えるつもりだけど。
「一つ目は勉強会を、最初の約束通り今週までは続けてほしいってこと」
それは……先輩が望むのであれば構わない。申し訳なさと気まずさはあるものの、それで先輩の気が済むのなら私は最後までやり切ろう。
「それで二つ目は、次のテストに全力で取り組んでほしいんだ。白石さんがよく頑張ってきたのは知ってるんだけど、やっぱり教えた側としては過程だけじゃなく結果でも頑張った証を見せてほしいなと思うんだよね」
これは頼まれるまでもない。これで結果すら出せなかったら、先輩が時間を割いてくれた意味すら失ってしまう。それだけは絶対に避けなくてはいけない。
テストには全力を尽くすことを私が誓うと先輩は満足そうに一つ頷いて、いつも通り柔らかい、けれど力強い声で言った。
「ありがと。それじゃあ、僕も頑張るね」
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