第36話【ヒロイン視点】
いよいよテスト本番まであと数日だ。
今日も勉強をがんばるぞ!と思ったところで、先輩が困ったような声を上げた。どうやら教室に忘れ物をしてしまったらしい。
今までそんなことは一度もなかったので少し心配だ。もしかしたら疲れているのかもしれない。
テストが近いからか、私が以前よりいっそう勉強にやる気を見せているせいか、最近の先輩の指導は今まで以上に力が入っている。私としてはありがたいものの、先輩からしたら負担が増していることだろう。
私が先輩にしてあげられることは何かないだろうか。そんなことを考えていると、忘れ物を取りに行った先輩が戻ってきた。……どういうわけか、さっきよりはるかにやつれた顔をして。
やっぱり先輩めちゃくちゃ疲れてたんだ……!そう思って焦る私に、先輩は震える声でこんなことを尋ねてきた。
「白石さんから見て、僕ってどんな人間……?」
弱弱しいのに、妙な必死さを感じる問いだった。
なんでそんなことをと思いながらも、私は正直に答えることにする。
私にとって先輩は、よく知りもしない後輩の勉強を真剣に見てくれるくらいお人好しで、面倒見がよくて、あとはまあちょっと普通と感覚がずれてたり、簡単なことで照れたりするような人だ。
そう伝えると、なぜか先輩は感激したようで若干涙目になっていた。いやほんとなんで?
話を聞いてみたところ、どうやら先輩はクラスメイトの自分に対する評価を偶然聞いてしまったらしい。
それでそれがあまりに自分を持ち上げるようなものだったから、羞恥心が限界を迎えてしまったみたいだ。
先輩がクールで陰があってミステリアスな雰囲気?
見た目は確かにそんな印象を受けるかもしれないけど、実際に接してみると先輩は普通に喋るし、表情も結構ころころ変わる。
約一か月間先輩とほぼ毎日過ごしてきた私としては、先輩のクラスメイト達がいう先輩像はいまいちしっくりこなかった。
とはいえ、それは私が先輩と接する機会が多かったからであって、先輩のことをよく知らない人がそう思ってしまうというのはわからないでもない。
でもそれは先輩がクラスメイトにさえ、自分のことをよく知られていないということであって……。
私はつい聞いてしまった。どうして先輩はそんなに自分の素を隠すのかと。
先輩が自分を大きく見せることを前向きに捉えているならそれはそれでいいと思う。
誰だって人に好かれたいと思うのは当然のことだろうし、理想とする自分に近づこうと努力するのは悪いことじゃないはずだ。
でも、先輩の場合は多分違う。乗り気じゃないのに無理して背伸びをしている感じ。センシティブなことだろうから今まで踏み込んでこなかったけど、一体なんでなんだろうってずっと気になっていた。
私の問いに対して先輩は少し考えるようなそぶりを見せた後、肩をすくめてぽつりとつぶやいた。
「僕さ、めちゃくちゃ人の目が怖いんだよね」
特に驚きはしなかった。先輩が周りから自分がどう見えているかを常に気にしているのは何となくわかっていたから。
でも、私が聞きたいのはそういうことじゃなくて。どうして先輩は人の目をそんなに気にするかっていう根っこの部分が聞きたいのだ。
それが態度から伝わったのか、先輩は話し始めた。
先輩がどうして人の目が怖くなったのか、どうして無理をしてまで自分を偽るのかを。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!
先輩の話を聞いた後、真っ白になりそうな頭の中でそんな言葉が回り続けていた。
知らなかった。
先輩が中学生の頃いじめられていたこと、それが嫌で高校デビューをしたこと、自分の素を晒してしまうとまたいじめられるんじゃないかと不安に思っていたこと。
そして、先輩の学校での恰好や振舞、成績が先輩自身を守るための手段だったことも。
先輩は情けない理由なんて苦笑しながら言うけれど、私はそうは思わない。学校という閉鎖的なコミュニティにおいて、孤立するかもしれないというのは十分恐怖に値する要素だと思う。
私だって、似たような経験をしたことがあるからわかるのだ。
私が中学二年生だった頃、私は教室で孤立していた。理由は恋愛絡み。
先輩がいじめられることになった原因にしてもそうだけど、恋というのはどうして人をここまでおかしくさせるのか。……私が言えたことじゃないけどね。
クラスの中心的な女の子の想い人である男子が私のことを好きだという噂が流れたことで、私は同じクラスの女子たちから露骨に避けられるようになった。
つい最近まで普通に話していた子に、腫物を扱うような態度をとられるというのはなかなかにしんどい。
表立って攻撃されたりはしなかったものの、人から拒絶されるのは辛かった。
別に私が件の男子に想いを寄せているなんてことはないし、せいぜい隣の席だったからちょくちょく話していたくらいだ。
自分は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな理不尽な仕打ちを受けなくてはいけないのか。
そんな風に嘆く日々が何日も続いたある日のことだ。
教室にいづらかった私は、毎日屋上手前の半ば物置と化したスペースで昼食をとっていた。
別クラスの沙枝ちゃんのところに行こうかとも思ったけど、私のせいで沙枝ちゃんまで嫌な目に遭ったりしたら耐えられない。
だから私は1人で耐えることを選んだんだけど、やっぱり辛いものは辛くて。ついつい弱音が口から零れてしまった。
「学校、来たくないなあ……」
「あら、それは困りますね」
「!?」
独り言のつもりで呟いた言葉に返事があったものだからすごく驚いた。
声のした方を見てみると、そこにはびっくりするくらい整った顔をした長い黒髪の先輩が。
なぜ一目で先輩だと分かったかというと、彼女があまりにも有名だったから。
穏やかな雰囲気なのにどこか迫力を感じさせるその人の名前は
突然の生徒会長の登場に言葉を失ってしまった私に対して、黒崎先輩は穏やかな調子で話しかけてくる。
「生徒会で使う備品の確認に来てみたら、なんだか気になることを呟く後輩の姿がいたものですからつい声をかけてしまいました。怪しいものではないですよ?私、黒崎花音と言います。生徒会長をしています」
知っている。うちの学校に通っている人間で、あなたを知らない人なんているはずがない。
心の中でそんなこと思う私に、黒崎先輩はさらに言葉を続けてきた。
「突然ですけど、うちの生徒会の基本理念って知っています?"すべての生徒が充実した日々を送れる学校づくりを"なんですよ。つまり、貴女が今学校に来たくないと思っているのでしたら、私は生徒会の一員としてそれを何とかする義務があるということですね。ですから、もしよろしければなぜ貴女が学校に来たくないのか、その理由をお話してくれませんか?解決できると断言はできませんが、解決に向けて私が尽力することだけはお約束しますから」
なんとも急で強引な展開。それでも不思議と説得力を感じてしまうのは、黒崎先輩の言葉だからに違いない。
黒崎先輩の目は真剣そのもので、心が弱っていた私にはとても頼もしく見えた。
自分の気持ちを吐き出したかったのもあったと思う。結局、私は何もかもを黒崎先輩に話してしまった。
「なるほど……それは難しい問題ですね」
黒崎先輩は困ったように顔をしかめていた。いつも微笑を浮かべている印象がある生徒会長のこういう表情はレアかもしれない。
「一つ確認なのですが、白石さんはクラスメイトの方たちから悪口を言われたり、無視されたりしているわけではないんですよね?」
「そうですね……。直接なにかをされるわけではないんです。ただ、みんなの態度が急によそよそしくなったり、話しかけたらすぐに話を切り上げようとしているのが伝わってきたりするだけで……」
そうなのだ。私は別にいじめられているというわけではない。
少なくとも"本人がいじめだと思ったらいじめ"みたいな定義に当てはめるなら、私が置かれている状況はいじめではないと思っている。
なんていうか、わかるのだ。私が晴れ者扱いされている原因の女の子――私を好きだという噂が流れている男子に想いを寄せている子は、別に私に悪意は持っていないと。
いや、敵意は持っているのかもしれないけど、それは恋心からくるものできっと抑制できるものじゃないのだろう。それを私に直接ぶつけることがないようこらえているのは私にも伝わっている。……まあ私に伝わっているということは敵意を抑えきれていないってことだし、結果気を遣った周りが私を避けるようになったわけだけど。
誰が悪いとか、そういうことは思わない。ただ誰も悪くなくても私は毎日が辛いし、しんどかった。
だからこそ、たまたま通りかかった黒崎先輩にすがるような真似をしてしまったのだけど……
「感情というのは、自分ではどうしようもないこともありますからね……。しかもそれが恋愛感情となると、外部から介入するのはなかなか難しそうです」
「あはは……ですよね」
苦々しい顔をする黒崎先輩に弱弱しく笑みを返す。
まあそれはそうだろう。仲良くしなさいといって仲良くできるならこの世で争いなんて起こらない。
むしろ争わないために私は今避けられているのだ。それを辛いと感じてしまう私の心が弱いだけ。
「威勢がいいことを言っておいてこの体たらく……。申し訳ないです」
「そ、そんな顔しないでください黒崎先輩。私自身どうにもならない問題だとは思っていましたし、こうして話を聞いてもらえるだけでもだいぶ楽になりましたから」
特に接点もなかった後輩の、面白くもない話に耳を傾けてくれた時点で私としては十分感謝している。
だからあまり気に病まないでほしいと慌てていると、黒崎先輩が「そうだ」と小さく呟いた。
「白石さん」
「は、はいっ」
「もしよければなんですけど、生徒会に入りませんか?」
「はいっ!?」
突拍子もない発言に驚いてしまう。一体どうして黒崎先輩はそんなことを言い出したのだろう。
「私が白石さんの抱えている問題をすぐに解決することは難しそうです。でも、白石さんに落ち着ける場所を提供することならできるかと思いまして」
「それが生徒会ってことですか……?」
「そうですね。生徒会に入ってしまえば生徒会室に自由に出入りができます。今みたいな昼休みにだって。ここはお昼ご飯を食べるには少々埃っぽいですから」
「いや、でも私生徒会役員選挙とか出てませんし……」
生徒会に入るのは基本的に役員選挙を経た人たちだけだ。
「あれは生徒会に入るために必須というわけではないので大丈夫ですよ。……ああ、でもそうですね。正式な役員ということにしてしまうと白石さんを生徒会に縛り付けることになりかねませんし……。臨時の手伝いといった扱いにしましょうか」
「そんなことが……?」
「ふふ、それができる程度の信頼は得てきたつもりですよ」
茶目っ気のある笑みを浮かべる黒崎先輩。人気が出るのも納得の可愛さだった。
「生徒会の方々にご迷惑なんじゃ……」
「うちの生徒会にそんな狭量な人はいませんよ。先ほど臨時の手伝いとして、なんて言いましたけど、別に仕事をする必要はありません。それだけに任せるつもりもありませんが、時間が経てば解決する問題もあると思います。それまでの間、少し生徒会で休んでいきませんか?」
そう言って手を差し出してくる黒崎先輩。あまりに突飛な展開に頭は追いついていなかったけど、私は差し出されたその手を取っていた。
「その、仕事は手伝わせていただきますので……。少しの間、お世話になってもいいですか」
「はい、もちろんです」
取った手をぎゅっと握り返される。これが、私が花音先輩に心酔するきっかけだった。
その後、私は数か月ほど生徒会室に通う生活をつづけた。
生徒会メンバーのキャラが濃すぎて戸惑ったり、花音先輩の仕事っぷりにますます敬意が高まったりしたものの、生徒会で過ごす時間は教室と比べてはるかに居心地がよかった。
そうこうしているうちに、教室での問題もいつの間にか解決していた。なんでも、私が孤立する原因になった男子と女子は実は両想いだったらしい。男子の方が私を可愛いと褒めていたことが事の発端だったそうだ。
そうなると私は完全にハブられ損だったわけだけど、それに関してはもうどうこういうつもりはない。謝罪もしてもらったし。
クラスメイトの子たちとは以前よりはるかにぎこちなくなっちゃったけど、それは仕方がないことだと割り切っている。
そういうわけで、私は花音先輩に救われた。
苦しい時に逃げ場を用意してくれただけじゃない。
私の置かれている状況を気遣ってかたびたび教室まで迎えに来てくれたり、いつだって話を親身になって聴いてくれたり、他にもいろいろ。私が気づけていない分も含めると、いったいどれだけの恩を受けたかわからない。
たかが一生徒のためにここまでしてくれるなんて、と最初の方こそ思っていたものの、花音先輩にとってはそれは当たり前のことなんだと生徒会での時間を通して理解した。
一生懸命で、責任感が強くて、生徒のことを誰よりも考えている。そんな花音先輩に私が心酔してしまうのは至極当然のことだったと思う。
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