第31話【ヒロイン視点】

 私が初めてその人を見た時の印象は、"何だか冷たそうな人"というものだった。

 

 高校生が中学生に勉強を教えに来てくれるという、中高一貫校である我が校独特のイベント。

 私たちの教室に入ってきたその高校生を見て、隣に座っていた女子なんかは「かっこいい……!」なんてテンションが上がっていたけど、私としては何がいいのかわからない。あの鋭い目で見られたら委縮しちゃいそうで怖いなとしか思わなかった。

 それよりも私が気になって仕方がなかったのは、その人の隣に立っていた花音先輩だ。

 相変わらず美しいその容姿に、気品を感じさせる所作。中学校を卒業してしまってからはなかなかお会いすることができていなかったけど、花音先輩はやっぱり私の憧れだった。

 できることなら花音先輩に勉強を教えてほしい、私はそう願ったのだけど非常に残念なことに花音先輩が教えることになったのは隣の班で。

 私たちの班についたのは、私が冷たそうで怖いと思った先輩だった。


 "冴島蒼真"という名前らしいその先輩は、私が抱いていた印象とは違い、柔らかい声で柔らかいしゃべり方をする人だった。しかも、教え方がめちゃくちゃうまい。なんなら教師よりもわかりやすいのではと思うほどだ。

 ちらりと覗いた冴島先輩のプリントにはたくさんの書き込みや付箋が貼ってあって、私たちのために相当準備をしてきたことがわかる。

 私は、勝手な印象で冴島先輩のことを怖がっていたことを申し訳なく思った。

 

 しかし、数十分後にそんな殊勝な気持ちは一瞬で崩れ去ることになる。

 高校生と中学生が同じ教室で過ごす休み時間、私の耳に信じがたい発言が入ってきたからだ。


「でも私はもう学年一位じゃありませんよ。高校に入ってからはずっと二位です。ねえ、冴島君?」


 嬉しそうにそう言って、冴島先輩の方を見る花音先輩。

 その視線の意味は明らかで、私も思わず冴島先輩の方を見てしまう。周りのクラスメイト達も同じような反応をしていた。

 花音先輩が二位?あの三年間一位を一度として譲らなかった花音先輩が?何かの冗談じゃないかと思ったけど、冴島先輩がその事実を控えめに肯定したことでそれが嘘じゃないと分かってしまった。


 その時、私の胸に浮かんだのは"許せない"という強い感情だった。

 ちょっと前に抱いた感心も、偏見を持ってしまったことに対する反省もどこかへ消えてしまって、とにかく許せないと思った。


 なんでこんな奴が、あの黒崎先輩に勝てるんだ。あの黒崎先輩が負けるなんてあっていいはずがない。


 お気に入りのヒーローが負けて癇癪を起す子供のような思考。

 それがひどく理不尽で間違った感情だということは自覚していたものの、自覚したところでその感情を抑えられるわけではなかった。


 私は自分の感情の間違いを認識しつつも、制御できない感情に任せ行動を起こした。

 まず最初にやったのは情報収集。冴島先輩の存在を知ったその日の放課後、高校の校舎へ行き高一の先輩方に冴島先輩について尋ねてみれば、いろいろな話を聞くことができた。

 曰く、外部生でありながら、高校入学以来ずっと首席を取り続けている天才。

 曰く、唯一黒崎さんに匹敵する人物。

 曰く、クールでミステリアスな孤高の存在。

 

 聞く話聞く話全てが冴島先輩をほめたたえるような内容ばかり。しかも黒崎先輩に匹敵するなんて言われてるものだから、私の冴島先輩に対する負の感情はますますヒートアップした。

 その結果、私はとんでもなく頭の悪いことを思いつく。

 

 冴島先輩から勉強する時間を奪ってしまえば、花音先輩が再び一位に返り咲けるのでは?


 幼馴染さえちゃんから「紅葉のいいところは思い切りがいいところ。悪いところは思い切りがいいところ」なんて言われている私は、冴島先輩にコンタクトをとるため先輩の下駄箱を特定し、明日の放課後指定の場所に来てほしいという旨の手紙を投函して帰宅した。


 次の日、一晩経ることによって多少の冷静さを取り戻した私は昨日の行いを少し後悔していた。

 冴島先輩が花音先輩に勝ったという事実を許せないという子供じみた気持ちはまだ残っている。しかし、勢いに任せて手紙で呼びつけたのは早計だったかもしれない、と。

 

 しかしそんなことを今更考えたところで後の祭りだ。

 手紙には差出人の名前を書いていないから、いたずらだと思ってスルーされる可能性も十分にある。もしそうなったら、これ以上は冴島先輩に何か仕掛けるような真似はやめよう。

 そんなことを考えながら屋上前の踊り場で待機していると、冴島先輩がやってきてしまった。

 

「あ、来ちゃいましたか」


 思わずそんな言葉が口をついたのは、自分の暴走が止まるきっかけを失ってしまったことを惜しむ気持ちがあったからかもしれない。


 なんてことを考えた数分後、私の暴走は冴島先輩によって結局止められることになる。


 というのもこの先輩、客観的にも主観的にも美少女なこの私の!「勉強教えてください(はあと」というお願いを!迷う素振りすらなく一刀両断しやがったのだ!

 いやね?私が無茶言っているのはわかるよ?だけどもね?昨日会ったばっかりとはいえ、可愛らしい後輩が可愛らしくおねだりしてるのに、照れるどころか胡散臭いモノを見るような目を向けてくるのはどうかと思うのだ。

 ほんと、これ以上なく正解な対応なんだけどね?でも女の子が「あなたがいいんです」なんて言って頼ってきたらちょっとは考えるのがマナーってもんでしょうが(横暴)。


 私が心の中で不満を垂れていると、先輩が私が冴島先輩にこだわる理由について尋ねてきた。まあそりゃね。不自然だもんね。

 とはいえ「あなたの勉強の邪魔をして一位の座から引きずり下ろしたいからです」と言うわけにもいかない。

 苦しさを感じつつも「昨日の教え方がすごくわかりやすかったので」でゴリ押そうかと思った時、天啓が降りてきた。

 先輩を納得させつつ了承も得られて、なおかつ私の憂さ晴らしもできるんじゃないかという名案が。

 今思えば名案じゃなくて迷案だったのだけど、手紙を出した時と同様、私は思いついたことを勢いで実行してしまった。


「えー、その……ですね、昨日冴島先輩に勉強を教えてもらって……すごくかっこいい人だなと、思いまして……。それでどうにかお近づきになれないかなあと考えたから、です……」


 どうよ!美少女からの実はあなたが気になっているんですアピール!これは効くでしょ!?

 ここまですればさすがに効果があったみたいで、冴島先輩のすまし面がどんどん赤く染まっていく様はなかなかに痛快だった。私も同じように赤面しているけどそれはご愛敬。

 どちらも顔を真っ赤にしているこの状況だけど、主導権は間違いなくこちらにある。決めるなら今だ!と、さらに畳みかけてみたのだけど――


「やっぱり僕にはできません、ごめんなさい!」


 冴島先輩の返事はさっきとなんら変わらないものだった。照れたような表情から一転、苦しそうな、何かに怯えるような顔をした先輩はそのまま走り去っていってしまう。

 急な展開についていけず、その場にぽつんと取り残された私。あまり回っていない思考でも、自分が失敗をしてしまったことだけははっきりとわかった。

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