第30話

「……私、花音かのん先輩――黒崎先輩のファンなんです。いえ、ファンなんて言葉じゃ足りないですね。信者とか崇拝者とか言った方が近いかもしれません」


「美人で、頭がよくて、運動もできて、思いやりもある。花音先輩より素敵な人なんて存在しないって本気で思ってます。花音先輩は私にとって、憧れで、尊敬の対象で、理想そのもので。私の世界では絶対的な存在だったんです」


「だから冴島先輩と初めて会った日、冴島先輩たち高校生が私たちのクラスに勉強を教えてくれに来た時ですね。あの時の休み時間の会話は本当に衝撃的でした。あの花音先輩が、私はもう学年一位じゃないですよなんて、嬉しそうに言うんですから」


「耳を疑いましたよ。あらゆることにおいて他の追随を許さなかったあの花音先輩が、一番得意であろう勉強という分野で誰かに負けるなんて思いもしなかったですから。花音先輩に勝つなんて一体誰がって思ったら、まさか私たちの班を見てくれてた冴島先輩がって話じゃないですか」


「それを知ったとき、"許せない"って真っ先に思いました。こんなよく知りもしない先輩が、あの花音先輩に勝つなんてありえない、おかしいって。理不尽極まりないですけど、とにかくまあ、そう思っちゃったわけです」


「そんな気持ちが暴走した末に私が思いついたのは、冴島先輩に絡んで勉強する時間を奪っちゃえば花音先輩がまた一位になれるんじゃないかっていう、しょうもないたくらみでした。今思えば、そんなくだらないことのおかげで花音先輩が冴島先輩に勝ったとして納得いくのかって感じですし、当時からそういう考えがなくはなかったんですけど……。まあ感情が優先されたというか行動に移してしまいまして」


「ダメ元でアタックかけてみたら、多少の紆余曲折があったとはいえなぜか成功してしまって。これはもう後に引けないぞってなったわけですよ」


「でも、冴島先輩と一緒に過ごしてると気づいちゃうんですよね。ああ、この人いい人だって」


「勉強教えてもらってるとき、私がなかなか理解できなくても怒ったり呆れたりせずにわかるまで丁寧に説明してくれますし。どれだけ時間と手間をかけたんですかっていうくらい綺麗でわかりやすいノートとか作ってきてくれたり、色んな参考書から私のためになりそうな問題を探してきてくれたり。くだらないメッセージ送っても律儀に返信くれますし、意味わかんない理由で休日呼び出してもちゃんと付き合ってくれて」


「私のワガママで振り回していいような人じゃないってことは馬鹿な私でもわかりました。でも、途中で止まる勇気が私にはなくて。心の中であれこれ言い訳しながら一か月間、先輩の時間を奪い続けたわけです」


「信じてもらえないかもですけど……、一か月間の勉強会が終わったら先輩に全部お話してちゃんと謝ろうって思ってたんです。たとえ許してもらえなくても、できる限りの償いはしようって。結局、それすら私はできませんでしたけど」


「先輩の中学校時代のお話を聞いて限界が来ちゃいました。先輩ほど大変だったわけじゃないですが、実は私も似たような経験があるんです」


「今から一年くらい前、クラスの女の子たちと仲違いしちゃったことがあって。無視まではいかなくてもかなり露骨に避けられるようになりました。それだけでも私的には結構辛くて、あーもう学校行きたくないなーなんて思っちゃって。それがつい口から零れてしまった時、たまたま聞いてた花音先輩に助けてもらったんです。お察しの通り、その時から私は花音先輩に憧れるようになったんですけど」


「先輩にとって学年首席っていう肩書はただのステータスじゃなくて、自分を守るためのものだったんだって。私よりずっと辛い目に遭ってきただろう先輩の心の支えを、人に嫌われることの怖さを知っているはずの私が奪ってしまったんだって。そう思うと、もう罪悪感に耐えられなくなっちゃって……」


 再び瞳に涙をためていく白石さん。

 そういえば以前勉強を教えに中学生の教室にお邪魔した時、黒崎さんのついている班を羨ましそうに見ていたのは彼女だったな、なんて思い出しながら僕は非常に困っていた。

 白石さん、深刻に考えすぎだ。


 彼女の口から聞いた真相は、概ね灰田さんから事前に聞いていた"推測"通りだった。

 といっても、白石さんが昔いじめに近い仕打ちを受けていたなんてのは初めて知ったが。

 

 どうやらその経験から僕と自身を重ねてしまったらしい。白石さんは相当僕に感情移入しているというか、僕の立場に立ちすぎている節がある。なんなら僕本人より僕のことを慮っている。


 一体どうしたものだろう。いまだにどうすればいいのか正解は見つかっていなかったけど、このまま白石さんを泣かせておくのが嫌だった僕は見切り発車気味に口を開いた。


「あの、白石さん……?白石さんにそういう事情があったとは知らなかったし驚きもしたんだけど、僕は全然気にしてないよ?だからそんなに気に病まなくていいんだよ」


 これは慰めのための方便とかではなく、僕の心からの本音だ。ぶっちゃけ、今回の件に関して僕は思うところは一つもないのだ。

 僕が白石さんの勉強をみようと思ったのは白石さんが素の僕を受け入れてくれたから。僕が僕の都合で白石さんに尽くしたい理由を見出しただけであって、白石さん側がどんな意図をもって僕に接触を図ってきたかはあまり関係がない。

 もし素の僕に対して言ってくれた「こっちの方がいいですね」という言葉が嘘だったなら結構傷ついていたのかもしれないけど、そうじゃないだろうことはこの一か月の付き合いでわかっているつもりだ。

 だから本当に気にしなくていいのだけど、白石さんの表情は暗いままだった。 


「気にしてないって、そんなはずないです……」


 涙声でそんなことを言う白石さん。

 そんなはずあるんだよなあ……。

 でもまあ泣くほど気にしていることを気にしなくていいよとだけ言われても、じゃあ気にしません!とはならないか。

 白石さんが納得できるようちゃんと気にしなくていい理由を並べることにする。


「以前少し話したと思うんだけどさ。僕って他にやることもないからって理由で勉強してただけなんだ。将来のためとか、勉強が好きとかそういう前向きな理由で勉強してたわけじゃないんだよ。だから僕にとって勉強の時間ってそんな大切なものでもなかったんだよね」


 僕は勉強の時間を奪われて怒れるほど真面目な人間じゃない。むしろその逆だ。


「さっき話した通り、僕の学校生活って全然充実してなくてさ。中学校時代は言うまでもないし、高校に入ってからは自分の評価にビビって緊張しっぱなしの日々だし……。そんな中で白石さんと過ごす時間だけはちゃんと楽しかったんだよ。変に肩肘張らずに雑談したり、メッセージのやり取りしたり、一緒に遊びに行ったり。勉強ばかりでつまらない日々を送ってた僕からしたらむしろ感謝してるって」


 臆病な僕が憧れながらも手を伸ばせなかった青春らしい時間を、白石さんのおかげで過ごすことができた。感謝こそすれ怒ったり悲しんだりすることなんて全くない。


「あとはほら、白石さん、勉強すごく頑張ってたよね?」


 放課後の時間以外に、家でも予習や復習をしっかりしてきていた白石さん。

 学校からの課題もある中でそれらをきちんとこなすのは簡単なことではなかったはずだ。

 その一生懸命さはもしかすると僕に対する罪悪感からだったのかもしれないけど、動機がなんであれ白石さんが真面目かつ真剣に勉強に取り組んでいたのは間違いない。


「白石さん的には目的じゃなくて手段だったのかもしれないけどさ。勉強を教えるために時間を割いてた僕としては、それだけで十分満足できるっていうか……」


 意図がどうであれ自分の頑張りに対して真剣に応えてもらえたのだ。それだけで僕が白石さんのために時間を使った甲斐はあったといえるだろう。


「まあそんなわけだからさ。考えた上で僕も気にしなくていいやって思ってるんだし、そんなに自分を責める必要はないって。ほら、いつだったか言ってたみたいにさ。『私みたいな可愛い子に勉強を教えられて役得ですよね』くらいのスタンスでいいんだよ」


 少しくらい笑ってくれないかと思って再び軽口に挑戦してみたものの、やっぱり僕にはセンスがないらしい。白石さんの表情はいまだに晴れなかった。


「……先輩がそう言ってくれるのはありがたいです。今言った言葉が嘘じゃないっていうのもわかります。でも先輩、学年首席って肩書を失うことについては、どう思ってるんですか……?」


 あー、気にしてるのそこかあ……。


「……一位じゃなくなったなら、それはそれでいいのかなって。僕をやたら過大評価する風潮もなくなるかもしれないしね」

「でも、先輩にとって学年一位って肩書を失うのは怖いことなんですよね?周りから落胆される可能性があって、そうなるのが先輩は嫌なんですよね?だからこそしんどいって思いながらも、今まで勉強を頑張ってきたんですよね?」

「それはまあ、そうなんだけど……」


 そんな話を白石さんにしてしまった以上、違うと言うのは憚られた。


「じゃあ、やっぱりだめですよ。私のくだらないワガママのせいで先輩にそんな思いをさせるなんて……」

 

 どうやら白石さんは相当僕に入れ込んでしまっているらしい。なんとしても自分を責めるという強い意志を感じる。

 あーもう!こうなったら仕方がない。


「ねえ、白石さん。僕が白石さんと過ごす時間を楽しいと思ってることや、勉強を教えた甲斐があったって思ってることは信じてもらえるんだよね?」

「はい……。先輩が本心からそう思ってくれてるってことはわかってるんです……」

「それでもまだ辛そうにしてるのは、僕の成績を下げてしまうことに対する罪悪感のせい?」 

「そう、です……。先輩がどんな思いで学年一位を取っていたかも知らないで、何の覚悟もなしにそれを奪ってしまった自分を許せなくて……」


 ワードチョイスがいちいち重いって。ちょっと深刻に考えすぎなんだよなあ……。


「よし、それじゃあさ。白石さんに二つ、お願いがあるんだけどいいかな?」

「お願い、ですか……?」


 潤んだ瞳でキョトンとしている白石さんはとても可愛いのだけど、今はそういうターンじゃねえんだ。

 

「そうお願い。一つ目は勉強会を、最初の約束通りテスト本番までは続けてほしいってこと」

「え、でもそれは……」

「ここで中途半端に終了ってなる方がもやもやして気持ち悪いから、どうせならやりきりたいんだよね。用意してた問題とか計画がもったいないし」

「先輩がそう言うなら私はかまいませんけど……」

「ありがと。白石さん的には気まずいかもだけど、もうちょっとだけ頑張ってくれると嬉しいな」

「はい、わかりました……」


 居心地悪そうにする白石さんには申し訳ないけど、僕としてはどうしても自分にできることは全てやったと言い切れるようにしておきたかった。そっちの方が後悔がないだろうしね。


「それで二つ目は、次のテストに全力で取り組んでほしいんだ。白石さんがよく頑張ってきたのは知ってるんだけど、やっぱり教えた側としては過程だけじゃなく結果でも頑張った証を見せてほしいなと思うんだよね」

「そんなの、当たり前です。先輩がここまでしてくれたのに、それを無駄にするような真似はしません。これ以上先輩に失礼な真似ができるわけないじゃないですか」


 はっきりと言い切る白石さんに安心する。今の状態のメンタルをずっと引き摺ってしまうとテストもひどいことになるんじゃないかと不安だったけど、その心配はなさそうだ。それじゃあ後は――


(僕が頑張るだけだよね)

 



 白石さんを泣かせてしまった翌日の昼休み。普段は自分の席から動かずに黙々と過ごすことが多い僕だけど、今日は話したい人がいる。


「黒崎さん、今ちょっとだけいいかな?」


 窓際から二列目、その最高尾に座っている彼女に声をかけると、すぐにこちらを向いてくれた。


「あら、冴島くん。冴島くんの方から話しかけてくれるなんて、珍しいですね」

「ちょっと用があってさ」

「用ですか……。一体どんなご用で?」

「まあ大したことじゃないんだけどね。いつも黒崎さんにしてもらうばかりだからたまには僕からもと思ったっていうか……」

「……?」


 一体何のことだという様子の黒崎さん。そんな様子に少しホッとする。これで全部お見通しだったら気合を入れて着込んできた虚勢が吹き飛ぶところだった。


「黒崎さんには悪いんだけど、次のテストも僕が勝つね」


 いきなり挑発めいたことを言われたのが予想外だったのか、はじめはぽかんとしていた黒崎さん。

 しかし徐々にその口角は上がっていき、最後にはとても、とても嬉しそうな笑みを浮かべていた。

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