第23話

「おはよぉ……お兄ちゃ……えっ」


 日曜日の朝。

 普段よりやや遅い時間に起きてきた瑠璃は、僕を見るなり眠そうにしていた目を見開いた。


「おはよう、瑠璃」

「お、お兄ちゃんが……休みの日におしゃれしてる……!」


 信じられないものでもみたというようにわなわなと震えてみせる瑠璃。朝の挨拶すらすっ飛ばしてるあたり、その驚愕具合が見てとれる。


「今日はその、ちょっと外に出る用事があってさ。ちゃんとしたつもりなんだけど、おかしくないかな?」

「う、うん、それは大丈夫だけど……。そうやってちゃんと身支度整えてるってことは、もしかして今日は誰かと出かけたり……?」 

「まあ、うん、そうだね」

「それってまさか女の子だったり……?」

「……そうだね」

「きゃー!すごいすごい!それってデートってことだよねっ!?」

「それはどうだろうね……」


 僕が異性と出かけることが判明した途端にテンションが爆上がりした瑠璃。年頃の女の子らしく、瑠璃もこういう話が好きらしい。


「休日も勉強ばかりしてたあのお兄ちゃんが……!外に出るときは大半が近場のコンビニかスーパーだったお兄ちゃんが……!おしゃれをしてお出かけ、それも女の子とだなんて……!私はまだ夢でも見てるのかな……!?」

「前々から思ってたけど瑠璃はちょっと大げさすぎるんじゃないかな。あと僕の生活に対して思うところありすぎ」

 

 ちゃんとした格好で出かけるだけでこれだけ騒がれるのは流石の僕も思うところがあるよ。


「それだけお兄ちゃんの今までの生活がひどかったってことだからね、反省して!」

「勉強してただけなのに……」


 なぜか僕の方が怒られた。解せない……。


「限度ってものがあるんだよお兄ちゃん。……でもまあこうして外に遊びに行くようにまでなったんだからいっか。あ、もしや最近学校からの帰りが遅いのも関係してたりする?」

「してないとは言えないかなあ……」

「ふーん、そっかそっか。最近お兄ちゃんがずっと楽しそうだったから何かあるとは思ってたけど、まさか女の子だったとはねえ」

「……僕、そんなに楽しそうだった?」

「え?自覚なかったの?いつも死んだ魚の目をしてたのが、このごろは死にかけの魚の目って感じだったよ」

「それは何か違いがあるの……?」


 というか死にかけの魚の目をみて楽しそうって普通思う?


「死んでるか生きてるかの違いは大きいよお兄ちゃん!もうちょっとしたら活きのいい魚の目になれるかも!」

「まずは魚類から脱却したいなあ……」


 最近の自分が以前と比べたら活き活きしているのは多少自覚している。

 でもそれが瑠璃に気取られるほどで、気取られてなお瀕死の魚の目と形容されるとは思いもしなかった。


「まあ、魚の目は冗談だけどさ。お兄ちゃんが最近楽しそうなのはほんとだし、今日は楽しんできてね」

「うん。ありがとね、瑠璃」


 なんだかんだ言いつつ、瑠璃は僕の変化を喜んでくれているらしい。若干の照れくささを感じるものの、当然悪い気はしなかった。……ちなみに、この後起きてきた両親にも瑠璃と似たような反応をされた。どうやら周りから見てわかりやすいくらい僕は変わってきているらしい。


 

「こんにちは、白石さん。待たせちゃったかな」

 

 待ち合わせ時間の十五分前、集合場所である駅に着くとそこにはもう白石さんの姿があった。

 待ち合わせ時間よりずいぶん前に着いているところも今となっては白石さんらしいと思える。


「こんにちは、せんぱ……え?」


 僕の声に反応してこちらを見たのち、なぜか固まってしまった白石さん。一体どうしたのだろう。

 

「白石さん?」

「あ、いえ。先輩がばっちりキメて来たのが予想外で……。てっきりお休みの日は、以前ショッピングモールでお会いした時みたいな感じなのかと」

「ああ、そういうこと」


 白石さんが驚いていた原因は僕の格好だったらしい。どうやらぼさぼさダサメガネスタイル(瑠璃命名)でくると思われていたみたいだ。


「先輩的にはあっちの格好ほうが楽なのかなーと思ってたんですけど」

「まあそれはそうなんだけどね。白石さんに恥をかかせるわけにもいかないし、一緒に遊ぶのならそれなりに見た目には気を遣うって」

「別に私は素のモードの先輩でも全然問題ないと思いますけどね」


 以前と同様に、さらっとそう言ってもらえるのが嬉しい。


「そう言ってくれるのは嬉しいけど周りからの視線を考えるとやっぱりね。それに今日の目的からしても、こっちの方がいいんじゃない?」

「あー、それは……。いやでも先輩の顔を写すつもりはないですよ?」

「その配慮はありがたいんだけど、それならそもそも実行に移すことを止めてほしかったかなあ……」

「それは無理な相談ですね。私はやつに負けるわけにはいかないんです」


 傍から聞いたらわけがわからないだろう僕と白石さんの会話。これらの発言は全て『白石さんが僕を誘いたかった理由』についてのものだ。

 メラメラと瞳に闘志を燃やす白石さんを横目に、僕は遠い目をして昨日のことを思い出していた。



「実はですね……最近、お姉ちゃんに彼氏ができたそうなんです」 

「は、はあ……」


 白石さんに『白石さんが僕を誘いたかった理由』を尋ねて開口一番言われた言葉がそれだった。

 全く予想していなかった理由に、気の抜けた相槌を打つことしかできなかった僕を誰が責められるだろう。


「あ、先輩、いきなりこいつ何言ってるんだって思ってますね?」

「正直思ってる」


 白石さんにお姉さんがいるのは以前の会話で知っていたが、お姉さんに彼氏ができたことと、白石さんが僕を誘う理由とどう関係があるというのか。


「まあ聞いてください。私だってですね、姉に彼氏ができたっていうのは喜ばしいことだと思いますし祝福したいんですよ。でもですね?」

「う、うん」


 話を聞く限り白石さんとお姉さんの姉妹仲は良好みたいだったし、ぜひおめでとうと祝ってあげればいいんじゃないだろうか。そう言ってしまいたいものの、やたらと圧を感じる逆説の言葉がそれを許さなかった。


「毎日毎日、今日は彼氏のこういうところがかっこよかったとか、彼氏のこんなところが優しいとか、そんなメッセージが延々と送られてくるんです……!いい加減にしろと電話をかけたら、彼氏の好きなところ十選を聞かされる羽目になったときはわけがわかりませんでした……」

「お、おお……。それはお気の毒に」


 血のつながった実の姉ののろけを聞かされ続けるというのは確かにしんどいものがあるだろう。


「それだけじゃないんですよ!?お姉ちゃん、『彼氏はいいよ~、紅葉もせっかく可愛んだし恋愛の一つや二つしておきなよ~』とかいってマウントとってくるんですよ!自分も中高と彼氏作ったことなかったくせに!」


 知り合ってから一番エキサイトしている気がする白石さん。なにこれ、ものすっごくコメントに困る……。


「なんというか、お疲れ様です。……で、これがどう僕を誘う理由につながってくるんでしょう?」


 疑問形にしておいてなんだけど、正直先の展開が読めてる自分がいた。どうか予想よ外れていてくれ……!


「よくぞ聞いてくれました先輩!これはですね、私が男子、つまりは先輩と楽しく遊んでいる写真やら思い出話やらを送りつけて、姉にマウントを取り返してやろうという作戦なのです!」


 あーあー、当たっちゃったよ予想。


「な、なんて不毛な作戦なんだ……」


 そんなことをしても得られるのは虚無感だけじゃなかろうか。


「不毛じゃないですよ先輩!女の子には、絶対に負けられない戦いというのがあるんです……!」

「それがあったとしても絶対今じゃないって……」


 そもそも戦闘力に差がありすぎではないだろうか。放課後勉強を見てるだけの先輩じゃ、ホンモノの彼氏には勝ちようがないと思うんだけど……。


「今なんです!『恋愛の一つや二つが何だって?私は中高と灰色の青春を送ったお姉ちゃんと違って、中学生の時点でこんなに青春してますけど?笑』ってマウントがとれるのは今だけなんです!」


 おお……白石さんのお姉さんが書き換えようのない中学校時代に狙いをつけてマウントを取ろうとしている……。


「…………白石さんのお姉さんに僕の写真が送られるのはだいぶ恥ずかしいんだけど」

「そこはちゃんと気をつけますから!マックスでも体の一部しか写らない匂わせ写真ぐらいにしときますから!」

「それは大丈夫って言えるのかなあ……」

「お願いしますよぉ、せんぱぁい。可愛い可愛い後輩のお願いを叶えると思って……!」

「願い事の内容も可愛らしいものだったらよかったんだけどなあ……。……まあ、いいよ。さっき行くって言っちゃってるし、僕に直接的な被害はなさそうだしね」


 理由は思ったよりアレだったけど、別に前言を撤回するほどのものでもないか。

 顔は写さないということだし、SNSなんかにあげるわけでもないようだから実害が出る可能性も低いだろうし。 

 むしろ作戦遂行後に白石さんが圧倒的な虚しさに教われないかが不安だ。

 

「やったぁ!先輩、ありがとうございます!この作戦は私たちが楽しむことが前提にあるので明日は思いっきり楽しみましょうね!」

「この作戦とやらがなければもっと楽しめそうなんだけどなあ」

「それはそれです。それじゃあ先輩、また明日!」

「うん、また明日」


 

 というのが昨日の回想。今思い返してみても全くもって意味不明。だけど僕はこうして白石さんと一緒に遊園地へ向かっている。

 すでに賽は投げられた、なんて言うと大げさだけど、こうなったら白石さんが言うようにとことん楽しんでやろうと思った。

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