第21話

「げっ、雨……」


 いつものように白石さんとの勉強会を終えた放課後。

 靴を履き替えていざ帰ろうと玄関を出たところでザァーッっという音が聞こえてきた。

 外を見てみると今日一日天気が良かったのが嘘だったように激しい雨が降ってきており、思わず顔をしかめてしまう。


「いきなり降ってきたねえ……。しかも本降りって感じだし。時期的ににわか雨は仕方ないけどこれはちょっと困るなあ……」


 この雨じゃあ傘をさしても多少濡れるのは覚悟しなくてはならないだろう。靴がぐしょぐしょになるのを想像するとテンションがかなり下がってくる。

 それは僕だけではなかったらしく、白石さんも嫌そうな顔をしていた。


「今日予報じゃ降らないって言ってたのに……私、傘持ってきてないんですけど!」


 そう言って頭を抱える白石さん。

 今日の予報では一日晴れとのことだったので傘を持ってきていないのは仕方がないことだ。

 僕も折り畳み傘がなければ同じように頭を抱えることになっていたと思う。


「親御さんに迎えに来てもらうとかは……?」

「うちの親、この時間帯だと帰ってきてるか怪しいんですよねえ……。一応連絡は入れてみますけど……」


 親御さんを頼るという方法は望み薄らしい。貸し傘なんて気の利いたシステムはうちの学校にないし、となると――


「帰りが同じ方向の友達の傘に入れてもらうとか」

「無理ですかねー。私、友達ほとんどいませんし」

「えっ」

 

 聞き流すには少々衝撃的なカミングアウトに思わず声が漏れた。

 え、いま白石さん友達がいないって言った……?僕の聞き間違えとかじゃなくて……?僕みたいな表面だけ取り繕った根暗ならわかるけどあの白石さんが……?

 明るくて話しやすく、おまけに可愛い彼女に友達がいないというのは意外どころの話じゃなかった。


「ま、私見ての通りめちゃくちゃ可愛いですからね。ここまでずば抜けて可愛いと色々面倒もあってなかなかお友達付き合いも難しいんですよ」

「そ、そうなんだ……」


 こちらが動揺したことに気づいたからか、冗談めかしたことを言う白石さん。

 その表情や声のトーンからは感情をうかがうことはできず、僕はしょうもない相槌を打つことしかできない。

 興味がないというと嘘になるけど、デリケートな話かもしれないし好奇心に任せて追及しようとは思えなかった。


「帰り道が同じお友達ってなると沙枝ちゃんなんですけど……先輩も知っての通りもう帰っちゃいましたし」

「あー……」


 そうだった。そもそも僕と白石さんがこうして一緒に玄関にいるのは灰田さんがいないからだ。

 普段であれば、部室の鍵を返しにいく灰田さんに白石さんがついていく形で僕と白石さんは部室前で別れることになる。

 しかし今日は灰田さんがなにやら用事があったらしく、部室の鍵だけ僕らに託し、返却はよろしくと言って早々に帰ってしまった。

 そのため白石さんと二人で鍵を返しに行き、流れで一緒に玄関まで来たというのが今の状況。

 部員以外が鍵を返しに来たら不審に思われるのではないかとびくびくしていたもののそんなことはなく、すんなりと鍵の返却が終わりあとは帰るだけとなったところで大雨に見舞われてしまった。


「にわか雨みたいですしすぐ止めばいいんですけど……」

「どうだろうねえ。雨脚はどんどん強くなっているように感じるけど……」


 雨は少しずつ勢いを増しているように見える。それに加えすでに結構遅い時間だ。

 最近は日が長くなってきているとはいえ、白石さんは女の子なんだし帰りが遅くなりすぎるのはよくないかもしれない。


「あっ」

「どうしたんですか?先輩?」


 不意に声を上げた僕を小首をかしげて見上げてくる白石さん。

 瑠璃といい、こういうあざとい仕草をどこで習得してくるのだろう。


「いや、ちょっと前に朝方雨降ってたけど夕方にはすっかり止んでた日があったよね」

「……?確かにありましたけど……」

「その日僕傘持ってきてたんだけど、帰りが晴れてたもんだから傘を忘れて帰っちゃったのを思い出してさ。だから教室に戻れば傘あるじゃんって気づいたんだよ」

「……え?は、はあ……?」 

「というわけではい、この折り畳み傘使って?ちょっと小さいかもだけどびしょびしょになることは防げるはずだから」


 困惑気味な白石さんに、自分が持っていた折り畳み傘を少し強引に押し付ける。


「え、ちょ、先輩!?」

「僕は自分の傘取りにちょっと教室戻るからさ!これ以上雨がひどくなっても困るし、さっさと帰ったほうがいいと思うよ」


 焦った様子の白石さんに僕は早口でそう言うと、後ろを振り返ることなく校舎の中に駆け込んだ。



「ぼちぼちいいかなー?」


 白石さんに傘を押し付けてから十五分ほどたった後、僕は再び玄関に戻ってきていた。

 そこにはすでに白石さんの姿はない。

 そのことにホッとしつつも空を見上げてどうしたものかと考える。

 僕の手には以前置き忘れていた傘が握られている――なんてことはなく手ぶらのままだ。

 とはいえ、傘がないと嘆く後輩を尻目に自分だけ意気揚々と折り畳み傘で帰るなんてわけにもいかないので、あの場はああするしかなかった気がする。


「雨、強くなってるし。白石さん、濡れてなきゃいいけど」

「私がどうしたんですかー?」

「ふあああああっ!?」


 不意に後ろから声をかけられて肩が跳ねる。なんならちょっと腰を抜かしそうだ。

 振り返ってみるとそこには笑いをこらえている白石さんがいた。


「ぷっ、くくっ、ふふふっ。先輩、ふわあああって、すごい情けない声っ、ふふっ、あはははははっ」


 訂正、全く笑いをこらえられていない白石さんがいた。

 どうやら僕のリアクションがたいそうお気に召したらしい。

 けらけらと笑う白石さんに抗議してやりたい気持ちもあったが、それよりも気になることがある。


「白石さん、なんで……」

「下駄箱の裏に隠れて先輩のこと待ってたからですけど」

「いや、なんでまだ帰ってないのって意味だったんだけど……」


 僕がそう言うと、白石さんは笑顔のままこちらの目をじっと見てきた。


「むしろなんでって聞きたいのは私の方なんですけどねー。先輩、忘れてたっていう傘はどこにあるんですかー?」

「あー、それは、えー、ははは……」


 先ほどまでの楽しそうな笑顔とは違い、迫力のある笑みをたたえている白石さんに僕は引き攣った笑いを返すしかできない。

 これは、うん、あれだね。ばれてるね。


「先輩、私に何か言うことは?」

「嘘ついてすみませんでした……」

「よろしい。……私に気を遣ってくれたのはわかってますし、その気持ちはうれしいですけど。つくならもうちょっとわかりにくい嘘をついてください……」

「そんなにわかりやすかったかな……?」

「演技自体はめちゃくちゃ不自然ってわけじゃなかったですけど、内容が……。先輩が言う傘を置いたまま帰ったっていう日、私は先輩に会ってるんですから傘を持ち帰ってたことがわからないわけないでしょう」 


 呆れた様子の白石さん。

 何日も前、他人が傘を持っていたか持っていたかどうかなんて覚えてないだろうと僕は踏んでいた。しかし、記憶力のいい白石さんはしっかり覚えていたらしい。

 というか、僕の嘘に気づいてもなお白石さんは僕の嘘に乗ってくれるかなと思ってたんだけど、そんなことはなかったみたいだ。

 僕の想像以上に義理堅いというか律儀な白石さんはやっぱりいい子だよなあ……さて、それはそれとしてこれからどうしよう。


「一応聞くけど白石さん。その傘使って帰ってくれたりは……」

「それするならとっくに帰ってると思いません?」

「だよねぇ。先輩が必死に強がったんだからそれを汲んでくれてもいいと思うんだけど」

「逆に聞きますけど、先輩が私と同じ立場だったとしてそれできます?」


 それを言われると弱い。


「できないかなあ……。でも実際問題どうしようって感じなんだけど」

「んー、相合傘とか?」

「あいっ……!?無理無理無理無理!この傘そんな大きくないから二人で入ったら濡れちゃうし、白石さんと僕じゃ家の方向も違うだろうし、は、恥ずかしいし」


 しれっと白石さんがしてきた提案に、思い切り動揺してしまう。


「あははははっ、先輩顔真っ赤な上にすごい早口!そんなに慌てなくても冗談ですよ。先輩の言う通りこの傘のサイズじゃ厳しいって私もわかってますし」

「あ、そう、だよね……冗談だよね……あはは」


 よく考えてみればわかることなのにてんぱってしまった自分が恥ずかしくなる。

 大体、白石さんの立場になってみれば僕と相合傘って地獄じゃんね……。


「あ、お母さんが迎えに来てくれるって連絡が」


 穴があったら入りたい……なんて思っていると、白石さんがスマホを見ながらそう言った。……どうやら二人とも無事に帰路に就くことができそうだ。

 迎えはもうすぐに来るらしい。「先輩のお家まで乗せていきましょうか?」という提案を感謝しつつ辞退して、僕は白石さんと別れることにする。

 別れ際、いたずらっぽい表情で白石さんは僕にこう呟いた。


「なーんか勘違いしてたみたいなので一応言っておきますけど、先輩との相合傘が嫌ってことはないですから。もし、次に同じようなことがあればお願いしますね?」


 フリーズしてしまった僕を置いて、迎えに来た車に乗り込む白石さん。

 僕は白石さんが乗った車が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。

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