第20話
週が明けて月曜日の放課後。
週末に作ったノートやメモ、見繕ってきた教材なんかを持って僕は放送準備室を訪れていた。
この週末は白石さんの成績を伸ばすための方法を考えたり、白石さんが本当に送ってきた動画を楽しんだりと、僕主観ではかなり充実した時間を過ごせた。
少なくとも、ひたすら勉強をして休みの日を終えることでいつも感じていた虚無感には苛まれなかった。
休日が充実していると気力も湧いてくるのか、学校に行くという行為にも多少前向きになれている。
まあ、それでも学校が胃が痛い場所ってことに変わりはないんだけど……。
「こんにちはー先輩」
「どうも」
「二人ともこんにちは」
放送準備室のドアを開けて、先に来ていたらしい白石さんと灰田さんと挨拶を交わす。
いまだに灰田さんとは顔を合わせた時と帰り際に短く挨拶と会釈をするだけな関係だけど、たぶんこれがお互いに最適な距離感だ。
灰田さんからしたら僕は友人が連れてきたよくわからない先輩だろうし、そうじゃなくても人とつるむのが好きそうなタイプではない。
僕としても灰田さんみたいに独特な雰囲気を持つ相手とはコミュニケーションの取り方がわからないので、相互不干渉な今の関係がちょうどいい。
灰田さんが言うところの対価であるドラマの撮影が始まったらそうはいかなくなるのかもしれないけど、現時点ではこの距離感で問題ないだろう。
「先輩、私が送った動画見てくれました?」
白石さんと一緒に、勉強で使わせてもらっている録音用の部屋に入ったところで開口一番そう尋ねられた。
そういえばメッセージアプリで動画を送ってもらった後、感想をまだ伝えていなかったことを思い出す。
「見た見た。面白かったよ」
「ですよねっ!」
感想を伝え損ねていたことで白石さんが気を悪くしたんじゃないかと不安になったが、そんなことはないようでホッとする。
「隠し味ですって言ってどばどばソース入れるのめっちゃ好き」
「あれ絶対隠れてないですよねー」
動画自体はちゃんと見ているし内容も面白かったので感想はすらすらと出てきた。白石さんも自分が好きな動画を面白いと言われて嬉しかったのか、今までで一番会話が弾んでいる気がする。
とはいえずっと雑談を続けるわけにもいかないのでキリがいいところで会話を打ち切り、勉強会を開始した。
「先輩って、ほんと教えるのうまいですよね……」
勉強を教え始めてしばらく時間が経った後、ぽつりと白石さんが言った。
「そ、そうかな。別にうまいって程じゃないと思うけど……」
急に褒められたので思わずどもってしまう。
こういう時さらっとありがとうと言えるのが理想なんだけど、実践するのはなかなか難しい。
白石さんの前だとあまり気を張る必要もないのでなおさらだ。
「いやいや、そこは謙遜しないでくださいよ。間違いなく先輩は教えるのがうまいです。なんなら学校の先生よりもわかりやすいかも……」
「え、ええ……?」
やたらと持ち上げてくれる白石さん。
褒められること自体はうれしいんだけど、今後その期待を裏切りやしないだろうかと少々胃が痛くなってくる。
「わからないところがあったら基本の基本まで立ち返って教えてくれますし、内容が掴みづらい部分をイメージしやすくなるような例とかポンポン出してくれますし、何かコツとかあるんですか?」
そう尋ねられて考えてみる。
コツ、コツかぁ。コツというほどでもないけれど、もしも本当に僕の教え方がわかりやすいというのなら思い当たる理由はいくつかあった。
そのうち一つは僕自身の地頭がそんなによくないので、わからないに対する理解があるってことなんだけど……。
白石さんと僕の関係を考えると言わない方がいい気がする。教わる側的には教える側は頼もしく見える方が安心感があるだろう。……僕に頼もしさなんてパラメータが存在しているかについては考えてはいけない。
そんなわけで、それ以外の理由を伝えることにした。
「コツとは少し違うかもしれないんだけどさ。僕が中学生の時に勉強を教えてくれたいわゆる恩師的な人がいて、その人の教え方を真似てるんだよね」
「へえ、恩師ですか……。先輩の中学校の先生とかですか?」
普通に考えたらそう思うよね、でも残念、ハズレだ。
「ううん、違うよ。僕にとって一番の先生は兄なんだ」
「え、お兄さん、ですか……?」
「そうそう、僕にとっては兄さんが恩師なんだよ」
僕の言葉が予想外だったのかぽかんとしている白石さん。
まあ確かに自分の兄弟を恩師と形容するやつは珍しいかもしれない。
「先輩、兄弟がいたんですね……」
どうやら白石さんはそこにも驚いていたらしい。
そういえば、家族構成の話なんかは今までしたことがなかったな。
「うん、いるよ。うちは三人兄弟でさ、上に大学生の兄が一人と、下に白石さんと同い年の妹が一人。妹にもちょくちょく勉強を教えてるから、僕の教え方がわかりやすいって言うならそれも一つの理由かも」
「先輩は弟でお兄ちゃんだったんですね、意外なようなそうでもないような……。で、先輩はそのお兄さんに勉強をよく教えてもらっていたと」
「そうだよー。僕の兄はすごく優秀な人でね。僕が中三の時兄さんは受験生だったんだけど、自分も忙しいはずなのに嫌な顔一つせず僕の勉強を見てくれてさ」
僕が兄さんに遠慮して勉強を教えてもらうのを控えていたら、兄さんは自分の方から教えに来てくれた。
今は自分のことに集中してほしいと僕が告げると、『蒼真に勉強教えるくらい大した手間じゃないっつーの。お前の勉強見ながら大学受かるくらい余裕だ余裕』なんて不敵に笑って見せるのだ。
兄さんはいつだってかっこいいけれど、あの時の兄さんはより一層かっこよくみえた。
しかもそれが大言壮語ということもなく、僕の勉強をがっつり見ながらも志望校に合格してしまうのだからさすがとしか言いようがない。
僕にとっての理想であり憧れの人は間違いなく兄だ。
そんなことを白石さんに話すと、なぜか彼女は小さく笑っていた。
「ふふっ、先輩、お兄さんのこと本当に大好きなんですね。今まで見てきた先輩の中で一番活き活きしてました。なんか微笑ましいです」
言われてみれば、身内のことをべた褒めするというのはなかなかに恥ずかしい行為だった気がする。今になって顔がうっすら熱くなってきた。
「ま、まあとにかく。僕の教え方がわかりやすいっていうならそれは僕の兄さんの教え方がわかりやすかったってことだよってのが言いたかったんだ」
照れから思わず早口になってしまう。
うぅ、向けられる妙に生暖かいまなざしのせいで居心地が悪いことこのうえない……。
「先輩のお兄さんは確かにすごい人なんでしょうけど、先輩も十分すごいですよ。お兄さんを参考にしているのだとしても、それをちゃんと自分の中に落とし込んで実践できてるわけですから。付け焼刃で上辺だけ真似てるのならこんなにわかりやすくないと思います」
「あ、うん、ありがと……」
嬉しさと気恥ずかしさで顔を逸らしてしまった僕に一つ苦笑しながら、白石さんは話題を少し変えてきた。
「それにしてもお兄さんですかー。先輩が中三の時受験生だったってことは今大学一年生ですよね。私にも、先輩のお兄さんと同い年のお姉ちゃんが一人いますよ」
「えぇっ!?」
今度は僕が驚く番だった。白石さん、お姉さんがいたのか……。
自信満々なところとか割と突飛な行動から、何となく一人っ子のイメージがあった。
「なんでそんなに驚いてるんですか先輩」
「あはは、気にしないで……。白石さんにお姉さんがいたっていうのがかなり意外だっただけだから」
「そこはかとなく不本意なニュアンスを感じますけど……まあいいでしょう。そんなわけで私にも姉がいるんですけど、お姉ちゃんに勉強見てもらったこととかほぼないんですよねー」
「そ、そうなんだ……」
もしかして仲が悪いのだろうか。そんなことを想像して言葉に迷ってしまう。
するとそれに気づいたのか白石さんが慌てて補足をしてきた。
「べ、別に仲が悪いってわけではないんですよっ?ただなんていえばいいのか……うちのお姉ちゃんは頭はいいんですけど感覚派でして。昔教えてもらったこともあるんですけど、私にはちょっと難しくて……」
「あ、なるほど」
勉強ができるのと、勉強が教えられるのはまた別の話だ。白石さんのお姉さんは天才肌なタイプらしい。
「なので先輩のことがちょっとうらやましいかもです。先輩のお兄さんは今もお家にいるんですか?」
「いや、他所の大学に行ったからいまは家を出て一人暮らししてるよ」
「あ、うちもです。家にいれば鬱陶しく思う時もありますけど、いざいなくなっちゃうと寂しいですよねー」
「僕は兄さんを鬱陶しいと思ったことはないかなあ……いなくなってさみしいのは同意するけど」
「……さっきは微笑ましいと思いましたけど、先輩若干ブラコン入ってません?」
「いやいやそんなことないよ!?僕は兄さんを尊敬してるだけで……」
謂れのない中傷を慌てて否定する。
「自覚がないところがガチっぽい……」
「違うって!?」
この後、散々弁明をしたけど白石さんの中の僕がブラコンだという疑惑を完全に拭うことはできなかった。
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