第18話

「先輩、ここどうしても前後の文とつながらないというか意味が分からないんですけど――」

「あ、そこは省略されてる主語に注意しないといけないんだけどね――」


 白石さんの国語をみはじめてから約一時間。

 あまり前準備をせず人に勉強を教えるというのはやはりなかなか大変で、集中していたらあっという間に時間が過ぎた。

 そんな中で気になったことが一つ。


(これ、僕いるかな……?)


 というのも白石さん、普通に勉強ができるのだ。基礎はちょこちょこ抜けがあるものの大方できているし、応用問題は苦手らしいけど全くできないというわけでもない。

 正直、これだけできていたら十分な気がする。特に白石さんの場合、中高一貫校で高校受験が差し迫っているわけでもないのだし、放課後にわざわざこうして自主的な勉強をする必要はないのではないだろうか。


(なんで白石さんは僕にわざわざ勉強を教えさせているんだっけ……?もっと成績を上げるため?いやでも確か……)


 そんなことを考えていると、とある一つの記憶が脳裏をよぎった。


『えー、その……ですね、昨日冴島先輩に勉強を教えてもらって……すごくかっこいい人だなと、思いまして……。それでどうにかお近づきになれないかなあと考えたから、です……』


(あっ)


 手紙で僕を呼び出したあの日、放課後の踊り場で白石さんは言っていた。勉強はあくまで建前で、僕と親しくなるのが目的なのだと。

 この日以降の出来事の印象が強すぎて記憶から薄れていたけれど、本来なら僕の人生においてもう二度とないだろうってくらい印象的な出来事だったはずだ。


(白石さんにとっては僕と過ごすこの時間に意味があるってこと……?)


 思い出した記憶と思い上がった思考に顔が熱くなる。

 待て、待て、落ち着け。冴島蒼真15歳彼女いない歴=年齢よ。冷静になれ。

 このセリフはあくまで学校での、虚勢を張っている僕に対して向けられたものだろう。その後、さんざん情けないところを見せているんだし、今はもうこの動機は無効なはず。少なくとも、僕が女子だったら百年の恋も冷めるレベルの情けなさだったはずだ。

 

(いやでも、白石さんは素の僕のことをいいって言ってくれて、だからこそ今こうして勉強を見ているわけで)


 僕のことを情けなくてダサくて残念な先輩だと思いなおしたなら、勉強を見るという話は提案しなければよかったし、断ってもよかったはずだ。

 それなのに今この時間が成立しているってことは、僕と親しくなりたいという理由はまだ有効なのだろうか。


(いやいやいやいや、自惚れるなよ僕!白石さんは素の情けない僕のことを受け入れてくれたけど、それと好意を持つかは別の話だろ。勉強を見るという提案も冗談で言ったのに予想外に僕が乗っかってきたせいで断りづらかったという可能性もあるし……あー、もう!わからん!)


 僕ごときに女の子の心情なんてわかるはずもなかった。直接聞ければいいんだけど、「白石さん僕とお近づきになりたいって前言ってたけど今もそうなの?」なんてとてもじゃないが聞けやしない。羞恥心で死ぬ。


(……うん、白石さんがどんなつもりだろうと僕が白石さんに感謝しているのは変わりないし。全力で恩を返せばいいか)


 どういう意図があるにしろ、彼女に頼まれたのは勉強を教えることだ。それなら僕は本気でそれに取り組めばいい。

 あまり考えすぎると白石さんを意識しすぎてしまいそうだったのでそう結論付けて思考を中断する。

 しかし完全に切り替えることはできていなかったらしく、白石さんの方に視線を向けていたら不思議そうに首を傾げられてしまった。


「先輩、さっきから私のことじっと見てる気がするんですけど、どうしましたか?私の可愛さに見惚れちゃいました?」

「白石さんはぶれないね……。白石さん勉強できるんだなーって思ってみてただけだよ」


 嘘ではないが本当でもない理由を答える。


「それ、暗に私のこと馬鹿っぽいって言ってます?」


 ものすごい曲解をされた。白石さんが不満そうな顔をしている。


「違う違う!勉強できなさそうなのに意外とできるねって意味じゃなくてさ。普通、というか平均よりできててすごいねって意味で言ったんだよ」

 

 慌てて弁明すると納得してもらえたのかムスッとした表情は緩んだ――と思いきやすぐに納得いってないような顔になった。


「学年1位の先輩に言われてもあんまり嬉しくないですね……。あと、平均よりできるかと言われると私、平均かちょい下くらいなんですけど」

「え、ほんとに……?」

「ほんとですって……。西鶴中って一学年の生徒数180人くらいですけど、私の成績大体90位前後ですし」


 白石さんのこの出来で中間層なの……?改めてこの学校のレベルの高さを感じてしまう。


「僕の出身中学校なら余裕で学年一桁入れると思うんだけどね……」

「それマジです?」

「マジだよ。少なくとも今みてる国語は絶対いけるね」

「私が一桁とか想像できないんですけど……。先輩どんな中学校から来たんですか……」

霧山きりやま中学校っていうんだけど知ってる?」

「知らないです」

「だよねー」


 まあ規模的にも小さいし、何か特色や強みがあるわけでもないのが僕の母校だ。知っている方が珍しいだろう。

 

「だいぶ失礼な言い方になりますけど先輩、私が一桁入れるようなレベルのとこからよくうちの高校に入ろうって思いましたね」

「模試とかで成績的には狙えるってわかってたし、僕の場合どうしてもレベルの高い高校に行きたかったからね」

「へぇ、なんでですか?」

「あー、それはね……」


 話の展開の仕方が悪かった。

 あまり触れられたくない部分に踏み込まれて返答に一瞬詰まってしまう。高校デビューしたかったからです!って言うのもなあ……。

 本当のところを話したとして、どんな空気になるかが怖かったので適当な理由をでっちあげることにした。


「将来のことを考えると進学したいなって思っててさ。進学を目指すならレベルが高い高校であるほど選択肢が増えるでしょ?」

「……ふーん、そうなんですか」


 あまりに薄っぺらくて感情もこもってないだろう僕の言葉。

 そもそも関心がなかったのか、僕が誤魔化したことを悟られたのかは定かではないが、白石さんは興味なさげに相槌を打つとそれ以降の追及はしてこなかった。

 僕としては助かったけど、会話としては間違いなく落第だ。もっと精進しようと思った。



 そんなこんなで勉強会一日目が終わり、家に帰るとすでに明かりがついていた。

 

「お兄ちゃん、お帰り!部活帰りの私よりも遅いなんて珍しいね?」


 驚いたように出迎えてくれる瑠璃。しまった、家に連絡を入れるのを忘れていた。

 最終下校時刻ぎりぎりまで白石さんの勉強を見ていたので、僕の今日の下校時間は部活をやっている学生と大差なかった。通学距離の問題で妹の方が早く帰りついていたようだ。


「ただいま、瑠璃。ちょっと放課後やることができてさ。これから一か月くらいは毎日これくらいの時間になりそうなんだよね」

「ええっ!?即帰宅至上主義のお兄ちゃんが放課後に用事……!?」


 僕の発言に本気で驚いている瑠璃。

 普段の僕の様子を考えれば仕方がないかと思いつつも、今になってこの状況はまずいのでは……?と思い始めた。

 今までは僕が瑠璃より圧倒的に早く帰宅していたので、瑠璃が帰ってくる頃には夕飯なり風呂なりの準備が済んでいた。

 そのためこれまでなら瑠璃は帰ってくるなりご飯なり風呂なりをすぐに済ませることができていたのだけど、僕の帰りが瑠璃より遅いとなるとそうはいかなくなる。それどころか瑠璃がその辺の家事をこなしてしまうだろう。

 

 部活をやっていて、しかも今年受験生な瑠璃の時間を削ってしまうのはとても申し訳ないことのように思える。

 とはいえ、今更白石さんとの約束を反故にするわけにもいかないし、勉強をちゃんとみるとなると時間が欲しいのも事実だ。


「あー、瑠璃、ごめんね」

「え、なんでお兄ちゃん謝ってるの?」


 瑠璃はキョトンとした表情で小首をかしげている。


「いや、今までは夕飯とかの準備ができてたのに、ちょっとできなくなりそうだから」

「いやいやそれで謝るのはおかしいよお兄ちゃん。むしろ謝らなくちゃいけないのはお兄ちゃんに甘えきりだった私のほうだよ」


 真顔で僕の発言を訂正してくる瑠璃。


「いやでも瑠璃はまだ部活もやってるし、受験生だし。余計なことに手間を取らせたくなかったんだけどなあ」

「お兄ちゃんだって受験生の時普通に家事とかしてたでしょ」

「僕の場合は息抜きも兼ねてたから……」

「今まではお兄ちゃんの方が帰りが早かったからつい頼っちゃってたけどさ。お兄ちゃんに放課後やることがあるっていうなら私だって頑張るよ。今までの恩を返せるチャンス!というか即帰宅して勉強ばかりしてた兄の青春を心配してた妹からすると、ここは張り切りどころだよね!」


 大げさなことを言う瑠璃だけど、その内容は間違いなく僕のことを想ってのものだ。いい妹を持ったなと感動していると、瑠璃がニコニコしながら尋ねてきた。


「それでお兄ちゃん、放課後やることってなんなの?」


 あー、そりゃまあ気になるよね。


「うーん、一言で言うなら……勉強?」

「結局!?」


 可愛い後輩の女の子と一対一で、という部分を省いた僕の答えに対する瑠璃のリアクションはおもしろかった。


 その後、帰ってきた両親にも事情を説明したところ瑠璃と同じようなことを言ってくれた。僕は家族に恵まれたと思う。

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