第11話

「あの先輩、怒りましたか……?」


 僕が長いこと黙っていたからか、不安そうに白石さんがそんなことを言ってきた。


「あの、先輩も努力してるだろうってことはわかるのにこっちの方がいいなんて私簡単に言っちゃって、気を悪くしたかなと……」


 なにやら勘違いしている様子の白石さん。これは大変よろしくない。


「いやいやいやいや違うんだよ白石さん。むしろ逆、逆!」

「逆……?」

「そう、逆。気を悪くしたなんてことは全然なくて……むしろうれしくて黙っちゃってたんだよ。そんなこと言ってもらえると思ってなかったから。気を使わせてごめん、こっちの僕の方がいいなんて言ってくれて本当にうれしかった。ありがとう」


 僕が心の底からの感謝を伝えると、それが伝わったのか白石さんは安心したように笑った。


「それならよかったです」


 いつものわざとらしい笑顔とは対照的にふわりと微笑む白石さんはとても魅力的で、僕は思わず見惚れてしまった。


「ふふっ、今なら先輩の好感度うなぎのぼりな感じしますし、勉強教えてほしいって言ったらOKされちゃいそうですね?」


 気まずそうな雰囲気はなくなり、すっかりいつもの様子に戻った白石さんがそんなことを言ってくる。彼女は間違いなく冗談で言っているんだろう。

 それはわかっているけれど、彼女にあっさり篭絡されてしまった僕が返す答えは昨日とは逆だ。


「いいよ」

「なーんて冗談ですよ。さすがに私も終わった話を蒸し返したりは…………えっ!?」

「勉強教えるくらいならかまわないよ」


 既に散々ダサいところを見せた後だ。ぼろを出して幻滅されるかもという不安は解消されたわけだし、白石さんの力になれるならと思うくらいには絆されてしまった。

 自分が教えることで彼女の成績を上げられる自信はいまだにないけれど、やれることを尽くそうという覚悟はできた。


「いや、は、え?マジです?」


 自分で言っておきながらいざ了承されると戸惑った様子の白石さん。彼女には基本会話の主導権を握られていたので少しだけ気分がいい。


「……御覧の通り、僕はかっこよくもなければ話が弾む方でもないけどそれでもいいなら。もちろん、断ってくれても全然かまわないから」

「いやさっきも言った通りそこは全然気にしないんですけど……。え、えー……」


 白石さんは散々迷うようなそぶりを見せて、やがて意を決したようにこちらを見た。


「じゃあその、先輩、勉強、見てもらっていいですか……?」

「うん、承りました」


 こうして、僕は一度ふいにした白石さんのお願いを了承することになった。


「じゃあその、これからよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願します」


 その後、今後の方針などを決められれば良かったのだけど、白石さんが用事があるとかで今日のところは解散に。詳しい話はまた、と彼女と連絡先だけ交換して別れる。

 家族以外の異性と連絡先を交換したのは久しぶりのことだったのでほんの少しだけドキドキした。




「おにーちゃーん!ちゃんとグッズと入場特典確保してきてくれた!?」


 その日の夜、部活の試合から帰ってきた瑠璃はシャワーを浴びるなりそんなことを言いながら僕の部屋に突撃してきた。


「ふふっ、どんだけ楽しみだったのさ。ちゃんと確保してきたよ」

「ありがとー、お兄ちゃん!……あれ?」

「どうしたの?もしかして、なんか買い忘れとかあった……?」


 今日の戦利品を確認しながらこちらを怪訝そうな目で見てくる瑠璃。もしや何か買い漏らしでもあったかと不安になったけど、そうではないらしい。


「いや、そうじゃないんだけどさ。お兄ちゃんなんか今日機嫌いいね?」

「え、そうかな」

「うん絶対そう!いつもより表情が絶対柔らかいし声も優しい!」


 僕はあまり意識してなかったけど瑠璃がそう言うならそうなのかもしれない。


「映画そんなに面白かったの?」

「あー、うん、そうだね。正直めちゃくちゃ面白かったよ。特にハヅキとマフユのシーンがね――」


 僕の機嫌が良さそうなのだとしたら映画を見た後の出来事が原因なんだろうけど、それを言うのは気恥ずかしかったので映画が面白かったということにする。実際すごくおもしろかったし完全に嘘というわけでもない。

 すると、瑠璃は両手で耳を塞いで首を振った。


「まってお兄ちゃん!?ネタバレはだめだよネタバレは!私も明日見に行くんだから感想語るなら明日にして!」

「あ、ごめん」

「でもよかったぁ」


瑠璃に悪いことをしてしまったなと思っていると、瑠璃がホッとしたようにそう言った。


「よかったって何がさ」

「お兄ちゃんが楽しそうにしてるのがだよ」

「え、僕そんな風に思われるレベルで楽しそうじゃなかったの……?」

「だってお兄ちゃんここ数年ずっと気を張ってるっていうか無理してる感じだったじゃん」

「それは……そうかもしれない」


 中学生の時は自分を変えるため、高校に入ってからは自分を取り繕うため必死だったのは確かだ。


「中学生のころはともかくさ、高校生になったらもうちょっと余裕ができるかなって思ってたけどお兄ちゃん全然変わらないし。学校から帰ってきた後もお休みの日もいっつも難しい顔して勉強ばっかりしてるんだからそりゃあ妹としては心配にもなるよ」

「……申し訳ない」


 どうやら思っていた以上に妹に心配をかけていたらしい。


「でも今日はちゃんと息抜きできたみたいだから安心したよ!頑張るのも大事だけどたまには肩の力抜かないとだからね」


 もしかしなくても瑠璃は僕を気遣って、僕が映画を見に行くよう仕向けたのだろう。今日あったことは全部そのおかげだと思うと瑠璃には感謝しかない。


「ありがとね、瑠璃。おかげで今日はすごくいい一日になったよ」

「えへへ、どういたしましてっ!」


 僕が素直に礼を言うと、瑠璃は少し照れたように笑った。

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