第10話
白石さんに連れられるまま入った喫茶店にて、僕は非常に気まずい思いをしていた。
だってそれはそうだろう。
昨日頼みをばっさりと断ったばかりの相手と二人きり。
ついでに言うなら自分のことをかっこいいと言ってくれた相手にクソダサい恰好と挙動不審なふるまいを晒したわけだ。気まずくないわけがない。いろんな感情がぐるぐると渦を巻いて、とにかくいたたまれなかった。
そんな僕の内心を知ってか知らずか白石さんはさっきからずっとニコニコしている。そのくせ何かを喋るわけでもないので僕の気まずさは増すばかりだ。
このまま無言な方がつらいと判断した僕はとりあえずなんでもいいから口を開くことにした。
「その、えっと……今日はどうしてここへ?」
口に出した後でもっとましな話の導入あっただろと後悔した。
違うんだよ……。いつもならもう少しましな対応ができるはずなんだよ……。
でも今は動揺のあまり自分を取り繕うことができず、完全に素の自分が出てしまっている。
しかしそんなどうしようもない僕の質問に、白石さんは気を悪くした様子もなく答えてくれた。
「今日はちょっと参考書でも買おうかなと思いまして」
「へ、へえ……。勉強熱心なんだね」
「ありがとうございますっ。本当は頼りになる先輩に教えてもらいたかったんですけど」
「うぐぅ」
突然言葉で刺されたので思わずうめき声を漏らしてしまう。
「そ、その件に関しましては、誠に申し訳ないと思っておりまして……」
「え?なんで先輩が謝るんですか?無理なお願いごとをしたのは私の方なんですから、むしろ私の方が謝らないとですよ」
そんな殊勝なことを言う白石さんだけど、それだったら表情もそれに合わせてほしいし、そもそも急に刺してこないでほしい。
「そういう先輩は今日はどうしてここに来たんですか?」
こちらを同じ質問をしてくる白石さん。あれ、この話題もしかして藪蛇……?
「あー、僕は、その、映画を見に……」
とりあえず自分が今日ここに来た目的をふわっと告げてみる。でもまあこんなこと言ったら当然――
「へえ、映画ですか。何を見たんです?」
こうなりますよねー。オタクな同志たちには怒られてしまいそうだが、僕は萌えアニメが好きということを暴露するのに恥ずかしさを感じてしまうタイプだ。
妹に頼まれてきたことを言ってもいいけどそれをすると逆に言い訳っぽくなる気がするし、僕もノリノリで楽しんでたからなあ……。
ごめんよ『みーてぃあず!』……。胸を張って君のことが好きだと言えない弱い僕を許してくれ……。
「えっと、『みーてぃあず!』ってアニメなんだけど知ってる……?」
「名前は聞いたことがある気がします。確か、なんか女の子がたくさん出てくるやつですよね」
「あ、はい、そうですそれです」
思わずまた敬語になってしまった。女の子がたくさん出てくるやつという身も蓋もない言い方に僕が感じている気恥ずかしさが増したが、白石さんは特にそれに関してどうこう思った様子はないようだった。
「なんというか先輩がそういうのを見るってのはちょっと意外……いや、そうでもないんですかね……?」
白石さんが言葉を濁したのは、学校での僕と今の僕で印象が違うからだろう。学校での僕はアニメなんかに縁がなさそうに見えるのだろうか。
「というか先輩さっきから気になってること、聞いてもいいですか?」
真剣な様子でそんなことを言う白石さん。彼女が聞きたい内容の予想がつく僕は思わず身構えてしまう。
「は、はい、どうぞ……」
前振りの段階ですでにびくびくしている僕を見て、白石さんは苦笑した。
「そんなびくびくしないでくださいよ。というかその、そういうの含めて聞きたいことなんですけど、先輩、一昨日や昨日と今じゃ全然雰囲気違うじゃないですか。一体、どっちが素の先輩なんです?」
白石さんのそんな質問を聞いて、やっぱりそこ突っ込んでくるよねと僕は半ば諦めた気持ちになっていた。彼女からすれば今日の僕と昨日一昨日の僕はだいぶ違って見えるだろうからそりゃあ気になるだろう。
白石さんはどっちが素なのかなんて尋ね方をしているが、答えはほぼほぼ確信しているに違いない。僕も彼女相手に今更誤魔化せるとは思えなかった。
「どっちが素かっていうと多分今日の僕が素だよ……。昨日一昨日、というか学校にいる時の僕はちょっと背伸びしてるっていうか、見栄張ってる」
半ばやけ気味に自分が普段取り繕っていることを告白した。
「あーやっぱりそうなんですねー」
やっぱりと言っているあたり白石さんはやはりそれを予想していたらしい。あまり驚いた様子はなかった。
そんな彼女を見て、申し訳ないという気持ちが湧いてくる。
「その、ごめんね……」
「え、なんで急に謝られたんですか私」
本当にわからないといった様子の白石さん。まあ確かにいきなり謝られても意味不明か。
「いや、僕の素ってこんなだからさ、がっかりさせたかなって……」
昨日白石さんは僕のことをかっこいいと言ってくれた。しかし素の僕がこんなダサくて情けないやつだと知って幻滅したんじゃないだろうか。
「…………?……あっ。あ、あー!!なるほど!」
しばらくキョトンとしていたと思ったらいきなり大きな声を上げた白石さん。すると今度は彼女の方が申し訳なさそうな顔になって、早口でまくし立ててきた。
「それに関してはむしろ私が謝らないといけないといいますか、そんなことを先輩に気にさせてしまって本当に申し訳ないといいますか、とにかくすみませんでした!あ、あと先輩にがっかりしたとかそういうことはないです」
「え、え?あ、はい、それはどうも……」
なぜか白石さんに謝られたので混乱してわけのわからない返事をしてしまったけど、とりあえずひどく幻滅されたというわけではないらしいので少し安心した。
しかしこの会話を最後にまたお互い無言になってしまった。さらにさっきまでニコニコニヤニヤしてた白石さんも今は気まずそうな顔をしているため、いたたまれなさがさっきよりも増している。
どうしたものかと思っていると、ふとある疑問が浮かんだのでそれを聞いてみることにした。
「……あの、白石さん。ちょっと聞いてもいいかな?」
「はい?なんですか?」
「その、白石さんはさ。なんで僕が僕だってわかったの?いやほら、今の僕って白石さんの言う通り白石さんと学校で会ったときとは結構雰囲気違ってると思うんだけど、よく気づけたなって思ってさ。もしかして、意外とわかりやすかったりする……?」
正直、クラスメイトなんかにもし会ったとしてもばれないだろうと思っていたから僕は最低限の身だしなみでここに来たわけで。その認識が間違っていたとなると結構困ることになる。
「あー、それはですね、声でわかりましたね」
「声……?」
「ですです。正確には声でもしかしてって思って、名前を呼んでみたら反応したところで確信した感じです」
「なるほど……」
まさかの声で気づいたという白石さん。知り合って数日の僕の声を覚えていたことに驚かざるを得ない。
「……もしかして、僕の声って変だったりする?」
「いや、声自体が変ってわけじゃないんですけど……なんて言うんですかね、学校での先輩の話になるんですけど、見た目と結構ギャップがあったから印象に残ってたというか」
「ギャップ?」
「気を悪くしないで聞いてほしいんですけど、勉強会で先輩を最初見た時怖そうというか冷たそうな人だなって思ったんです。でも、実際に喋ってる時の先輩の声って優し気でしゃべり方も柔らかかったので意外だなって思って……それで印象に残ってました。昨日先輩とお話してたので記憶に明瞭に残ってたのも大きいと思います」
「おお……」
冷たそうな人という印象を抱かれていたことや声が優し気なんて言われたことに驚いて謎の相槌を打ってしまった僕に、何でもないことのように白石さんは言った。
「でも、今日の先輩を見た後だと先輩の声はすごくしっくりくるなって思いましたよ。こっちの方が親しみやすくていいですね」
「えっ」
息が止まるかと思った。
白石さんの発言に社交辞令が多分に含まれているのは分かってる。そう言ってくれる人はきっと彼女以外にもいるんだろうってことも頭では理解してる。
だとしても、だとしてもだ。精一杯背伸びをして取り繕った僕と素の僕をどっちも見た上で、素の僕の方がいいなんて言ってくれた人は家族以外で初めてだった。
たまたま白石さんがその初めてだっただけだろとか、そもそもお前素の自分を見せたことがある相手が少ないだろとか、そんなツッコミはいくらでも思い浮かぶ。でも、そんなの全部吹き飛んでしまうくらい白石さんの言葉が嬉しかったんだ。
白石さんにそんなつもりはなかろうと、偶然が重なった結果だろうと、僕は白石さんの一言で救われたような気持ちになってしまった。
あまりにチョロい自分に呆れてしまうけど、こちとら数年ぼっちを拗らせている上に、人目に怯えて必死に見栄を張って生活しているのだ。
そんな僕がありのままの自分を許容するようなことを言われたら、コロっと落ちてしまうのも致し方なし。……致し方ないと思いたい。
白石さんに恋をしたとかそういうわけではない。それとこれとはまた別の話だ。
ただこの瞬間、僕の中で白石さんが恩人というカテゴリに入ってしまったのは確かだった。
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