第7話

 手紙の差出人が高校ではなく中学校の生徒だったことに面食らっていると、向こうが口を開いた。


「不躾な呼び出しに応じてくれてありがとうございます、冴島先輩」


 その発言からしてやはり彼女が手紙の差出人らしい。


「えっと、白石さん……だったよね。手紙をくれたのは白石さんってことでいいのかな?」

「そうですよー、先輩の下駄箱にラブレター風の手紙を仕込んだのは私、白石しらいし紅葉くれはちゃんです!期待しちゃいました?」


 昨日の勉強会では気づかなかったが、自分の名前をちゃんづけしたり、ほぼ接点のない相手に冗談めかしたことをいってくるあたり絶対変わった子だ……。どういうリアクションを返せばいいのかわからないのでとりあえず笑っておくことにする。


「ちょっと先輩、人が精いっぱいお茶目してるっていうのにすっっっごい引き攣った苦笑い!それ結構傷つくんですけど!?」


 僕のリアクションは落第だったらしく白石さんが荒ぶってしまった。このままだとずっと彼女のペースに乗せられそうなのでさっさと本題に切り込むことにしよう。


「それで、なんの用件で呼び出したのかな?」

「つれないですねー先輩。美少女と放課後二人きりっていうシチュエーションなんだからもっとドキドキしてくれていいんですよ?」

「それならもうちょっとそういう雰囲気を演出してほしいかなあ……」


 自分のことを美少女と言い切りやがったよこの子。あと挙動不審にならないよう必死に意識してるだけで、普通にドキドキはしてる。人と話すことが苦手なのと相手の得体が知れないってのがドキドキの大部分を占めてるけど。


「それはじゃあ今後の課題とします。今日先輩を呼び出したのはですね、実はお願いがあるからなんですよ」

「お願い?」


 僕と彼女はお願いをしたりきいたりするほど親しくはないし、そもそも僕に叶えられる願いなんて基本的にないのだけども。



「そうです、お願いです。冴島先輩、私に勉強を教えてくれませんか?」


「う゛ぇ?」


 あまりに突拍子のないその内容に変な声が出てしまった。


「聞こえませんでしたか?私に勉強を教えてほしいんです」

「いや、ちゃんと聞こえてはいるんだけどね」


 聞こえてはいるけど、なんでと思ってしまっただけだ。だってどう考えてもおかしいだろう。


「……なんで?」

「そりゃあ成績を上げたいからですけど?」


 何を当たり前なことをという顔をする白石さん。違うそういうことじゃない。


「どうしてそれを僕に頼むのかな?」

「それはもちろん、昨日の勉強会での教え方がすっごくわかりやすかったからですよ」


 まあ僕と彼女の接点はそこしかないし、そういう答えになるのだろうか。にしてもだ。


「それだけで普通ほぼ初対面の先輩に教えてもらおうってなるかなあ……」


 それも異性のだ。僕だったら絶対気後れするし、そもそも頼もうとも思わない。


「そこはほら、そんな無茶をお願いしたくなるほど先輩の教え方がうまかったんですよ」

「えぇ……」


 自分なりにベストは尽くしたつもりだが、そこまで評価されるものでは絶対ないと思う。

 白石さんはさっきから人好きしそうな笑みを浮かべているが、そのせいで感情が全く伺えない。さすがに彼女が言ってることが本当だとは思わないが、真意がわかるわけでもない。


 いったい彼女は何を思ってこんなことを言っているのか……そんなことを考えてしまったが、はたと思い直す。彼女の真意なんて別にどうでもいいじゃないかと。

 彼女が本当に僕に勉強を教えてほしいと思っていたとしても、それ以外に意図があったとしても、僕の答えは決まっている。


「それで、どうですか先輩?私に勉強、教えてくれます?」


 それはもちろん――


「お断りします」

「えぇ!?なんでですかー!」


 いや、なんでって言われても、ねぇ……。


「僕は白石さんの成績に責任もてないしね。僕が教えることで成績を上げられる自信は正直ないよ」


 「だって怪しいし」という一番の本音はさすがに胸のうちにとどめておいた。やり遂げられる自信がない案件は引き受けない方がいいというのも一応は本音だ。


「そんな大仰に考えなくてもいいんですけど……。私みたいに可愛い子に勉強教えられるとか役得だと思わないんですか?」


 やだ、さっきからこの子すごく自信過剰。いや、自信を持つだけの容姿はしているのだろうけどそれを自分で言い切れるのはなかなかできることじゃないと思う。

 あと可愛い子相手に勉強を教えるってのは緊張とぼろ出す可能性を考慮すると差し引きでマイナス査定です。


「役得かもしれないけど、それに報いる自信がないってことだよ」

「むー……」


 相手をなるべく立てる感じで断ったつもりだったけど、白石さんは不満そうに唇を尖らせた。あざとい。


「成績上げたいならちゃんとした塾とかに通った方がいいと思うよ。プロがお金に見合った責任を果たそうとしてくれるんだから」

「私は冴島先輩に教えてもらいたいんです……」


 拗ねたようにそんなことを言う白石さん。

 どうして白石さんは僕にこだわるのだろう。百歩譲って僕の教え方が本当に白石さんにとってわかりやすいものだったとしても、一度断られてなお食い下がるほどだろうか。

 先程彼女の真意などどうでもいいと切って捨てたばかりだが、少し気になってきた。


「えっと、どうしてそこまで僕にこだわるのかな?僕の教え方がわかりやすかったって言ってくれるのは光栄なんだけど、もっとわかりやすい人がごまんといるはずだし、別に僕に固執する必要はないと思うんだ」

「それは……」


 白石さんは言い淀んで顔を伏せる。時間としては大したことないが、会話の空白としては長いだろう間を置いて、彼女は再度顔を上げた。


「えー、その……ですね、昨日冴島先輩に勉強を教えてもらって……すごくかっこいい人だなと、思いまして……。それでどうにかお近づきになれないかなあと考えたから、です……」


 さっきまでとは一転してしおらしい様子でそう告げた白石さんの顔は少し赤くなっていて、ついでに目がすごく泳いでいた。


「え、う、あ……?」


 まさかの理由に動揺し、母音しか発せなくなった僕に白石さんはさらに畳みかけてくる。


「だから、先輩じゃないとダメなんです!納得していただけましたか!?ラブレターっていうの、案外冗談じゃなかったんですよ……?」


 顔をさらに赤くして吹っ切れたかのようにそう言った白石さんを前に、ようやく停止していた思考が戻ってきた。

 つまり、白石さんは昨日会った僕に憧れを抱き僕との接点を持つために勉強を教えてほしいという建前を用意した、ということだろうか。

 いやいやいやいや嘘でしょ?それを認識した瞬間、色んな感情が一気に湧いてくる。


「先輩、顔赤くなってますね……照れて、くれてます?」

「そりゃあ、そんなこと、言われたら……」


 女の子にそんなことを言われたのは初めてなんだ。気恥ずかしくもなる。


「照れてるってことは私が言ったこと、嫌だったってわけじゃないんですよね……?」

「嫌なんてことは……ない、です」


 こんな可愛い子にかっこいいだとかお近づきになりたいなんて言われたら嫌どころかむしろうれしいに決まってる。


「じゃあ、その、下心込みで申し訳ないんですけど、改めて。冴島先輩、私に勉強、教えてくれませんか……?」


 上目遣いにそう言ってくる白石さんはすごく可愛らしくて、僕の人生でこんなことはもう二度とないだろうなと思った。

 それでも、僕の答えは決まっている。


「やっぱり僕にはできません、ごめんなさい!」


 こんな千載一遇の機会を捨てるなんてもったいないと思っている。照れたのもうれしかったのも嘘じゃない。

 でもそんな感情よりもはるかに、自分のことを評価してくれる彼女に幻滅されるかもしれないという恐怖の方が強かった。

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