第3話

 黒崎さんとの会話という特殊イベントがあったせいか、いつもよりきもち疲れた状態で迎えた帰りのHRホームルーム

 教科連絡などの諸連絡を聞きながら、僕は早く帰らせてくれと心の中で念じまくっていた。そんな思いが通じたのか、黒板横の椅子に座っていた担任の清水きよみず先生が教壇に立つ。

 清水先生は連絡事項があるとき以外は、特に話をすることもなく生徒を帰してくれる非常に良心的な先生だ。先生、どうかさくっと終礼お願いします。


「ほかに連絡があるやつはいるかー?……よし、いないみたいだな。そんじゃあ今日はこれで終わりだ。皆気を付けて帰れってくれ」


 よっしゃ終わった!こんなところにいられるか、僕は家に帰らせてもら――


「あ、そうだ。冴島は悪いんだがこの後化学準備室に来てくれ」


 席を立とうとした僕の方を見ながら、清水先生が言った。……どうやら僕はまだ帰れないらしい。



「いったいなんだっていうんだよぉ……」


 やっと帰れると思ったのにそれが叶わなかったため、僕は不満たらたらな気持ちで化学準備室を目指していた。化学準備室は四階にあるので、二階にある一年生の教室からはだいぶ遠い。


「呼び出されるようなことは何もしてないはずなんだけどなあ」


 階段を上りながら、自分がなぜ呼び出されたのかを考える。僕は周りが言うような超ハイスペック男子ではないものの、素行には特に問題がないと思っている。危ないことに手を出したおぼえなんてないし、周囲の評価がクソ高いことを除いて問題だって抱えてないはずだ。

 「冴島君、なんか表彰でもされるのかな?」なんて話してたクラスメイトもいたけれど、そんなはずもない。こちとら部活にも所属してないし表彰される実績なんて一つたりともないのだ。

 というか先生に呼び出された理由の第一候補が表彰って僕のイメージどうなってるん……。


 そんなことを考えていると目的の化学準備室についていた。先生からの呼び出しということで少し緊張しているが、正直同級生と会話する方が緊張する。小さく深呼吸をした後、ノックをして声をかけた。


「一年六組の冴島です。清水先生に用があってきました」

「おう、入っていいぞー」


 力の抜けた感じの清水先生の声。深刻な用件ではないのかもしれない。


「失礼します」


 入室許可をもらったので中に入る。我が担任が根城としている化学準備室はたくさんのモノがあまり整頓されずにおいてあり、混沌とした雰囲気だった。


「わざわざ呼び出して悪かったな」


 申し訳なさそうにする先生を見ていると、呼び出しに不満を覚えていた僕も妙な罪悪感を感じてしまう。さっさと本題に入ってもらうことにした。


「いえ、特に用事もありませんでしたし問題ありません。それで、ご用件はなんだったでしょうか……?」

「それなんだけどな。冴島、お前西鶴中の三年生に勉強教えに行ってみないか?」

「え?」


 思いもしなかった内容に呆けた声が出てしまう。


「えっと、そのいきなり言われても何が何やらで」

「だよなあ。まあそれを説明するために呼び出したんだが。実はだな――」


 先生曰く、西鶴高校では定期的に、西鶴中学校の生徒たちに勉強を教えに行くという時間を設けているらしい。なんでも、せっかくの中高一貫校なんだしもっと中学校と高校の交流を増やしてはどうかと数年前から始まった取り組みなんだとか。

 そして、教えに行く生徒は成績上位者から選ばれるとのこと。それならまあ自分に白羽の矢が立ったのも納得ができる。


 なぜかこの取り組みの担当を押しつけられたんだとぼやきはじめた先生に、話を聞いて気になったことを質問する。


「それって黒板前に立って授業するとかそんな感じですか?」


 それなら絶対無理だし御免被りたいのだけど。


「いや、そういうわけじゃない。さすがに素人の生徒に授業はハードルが高すぎるからな。中学生にも高校生にもあらかじめ共通の課題を解いておいてもらって、中学生複数人でつくった班に高校生1人つけて答え合わせと解説をしてもらう感じになる」

「なるほど……。あれ?でもそれだったらほかにも教えに行く生徒がいるはずですよね?なんで僕だけ呼ばれたんでしょうか……?」

「今回選ばれた生徒の中で唯一冴島が外部からの進学者だからだな。内部進学者の生徒たちは教えられる側として経験してるから説明はあまり必要ないだろ?でも冴島は初めてのことだしちゃんと説明しといた方がいいかと思ってな」

「そういうことでしたか……。お心遣いありがとうございます。というか外部進学者は僕だけなんですね……」


 教えに行く生徒は成績で上から選んでるらしいので、内部進学者が成績上位のほとんどを占めていることになる。順位表の名前からうすうすわかってたことだけど、少し驚いた。

 でもまあ仕方がないことなのかもしれない。進学校に進む前提で中高6年間を見据えたカリキュラムに沿って教育を受け、補講なども充実している西鶴中出身の生徒の方が地力が高くなるのは当然といえば当然のことなのだろう。


「あんまりこういうこと言うのはよくないんだが、例年どうしても内部進学者の方が成績がよくなる傾向にあってなあ。だから冴島がテストで一位を取ったときは先生驚いたし、それをキープし続けてるんだから大したもんだと思ってるんだぞ」

「あー、ありがとうございます……」


 自分の頑張りが認められたのはうれしかったが、それによって起きている弊害を考えると素直に喜べなかった。


「っと、話が少し逸れたな。まあそういうわけでだ。冴島さえよければ勉強会に参加してほしいんだが、どうだ?」


 どうだ、と言われると正直微妙なところだ。勉強を教えた経験なんて妹に対してしかないし、よく知りもしない中学生相手に勉強を教えられる自信がない。

 とはいえ、何を話せばいいかははっきりしてる分フリートークなんかよりは全然ましだし、なにより先生に直接頼まれたことを断るのは非常にばつが悪い。

 仕方がない感じで断れたらそれがベストなんだけど、どうにかならないだろうか。


「えっと、西鶴中出身でもない僕がいったら中学生の皆さんは困るんじゃないですかね。ほら、OBが来るものだと思ってるでしょうし」


 一縷の望みをかけてそんなことを言ってみる。


「それは大丈夫だと思うぞ。当たり前だが西鶴中の卒業生だって後輩全員とかかわりがあるわけじゃないしな」


 希望なんてなかった。こうなると僕の返答は一つしかない。


「あはは……それもそうですね。じゃあ、はい、やらせていただきます……」

「おお!そうか、やってくれるか!ありがとな冴島!」


 心の底から嬉しそうに笑う清水先生とは対照的に、僕の顔には乾いた笑みが張り付いていたと思う。

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