第11話 こずえになった梢(3)

 こずえがこずえの家にきて初めての夜。


 夫婦喧嘩ふうふげんかをしていたこずえの両親は、和解し、抱きしめあって涙を流している。


 「こずえ、ありがとう。こずえのお陰で、僕達は仲直りできたよ。」


 そうなって本当に良かったと、梢は心から思っていた。


 しかしそれと同時に、心に空いた小さな穴は、どんどん大きく成長していく。


 その穴の成長を止めるには、あと二日ばかり我慢しなければならなかった。


 梢は、逃げるようにして、こずえの部屋へ駆け込んだ。


 次の日の朝七時、こずえの母が、寝ている梢を起こしにきた。


 「もう朝よ。どう? 学校行ける?」


 事故による怪我の痛みは全くなく、体を動かすことはできるのだが、不規則な生活を続けてきたせいで、眠気がぴったりと張り付いて、なかなか取れない。


 それでも梢は、こずえやこずえの両親に迷惑はかけまいと、起き上がり学校へ行く準備を始めた。


 中学生時代を思い出しながら、まず洗面所せんめんじょで、顔を洗ったり歯をみがいたりした。


 梢は最近では、どこへ行くのにも化粧けしょうは欠かさずしていたが、今日は我慢した。校則で化粧は禁止されている、とこずえに教えてもらった。


 その後は、再びこずえの部屋に戻り、こずえが通っている高校の制服に身を包んだ。


 中学二年目にはもう学校に通っていなかったので、実に、約三年ぶりのことだった。


 「イカしてるじゃん──よく似合っている──。アタシ」


 スタンドミラーに写っているのは、制服を着たこずえなのに、それが自分のように思えて、ふと声に出してしまった。


 登校しようと、スクールバッグを肩にかけ、家を出ようとした時だった。


 「ちょっと、朝食、食べ忘れてるで。」と、こずえの母に呼び止められた。


 梢は、もう何年も朝食をっていなかったので、朝にも食事の時間があるということが、記憶からすっかり抜け落ちてしまっていた。


 「あ! 忘れとった。食べる食べる。」


 梢はそう答えて、リビングに戻った。


 朝食は、イチゴジャムを塗った食パン一枚、とシンプルなものだったが、それだけで十分満足できた。


 そして、いざ高校へ。


 その高校に着くなり、こずえに教えてもらっていた教室に入った。


 中学生時代は、梢が教室に入ると、それまでやかましく騒いでいたクラスメイトたちが、一瞬にして口を閉じる。そして、その静まり返った教室では、悪口が飛び交ったり、消しゴムや丸めた紙などが一方向に投げつけられたりしていた。


 今の梢なら、そんなことをした奴はボコボコにしていただろう。だが、当時はえることしかできなかった。


 だがここは、梢の中学時代に通っていたクラスとは、比べ物にならないくらい平和だ。 


 「おはよう! 事故にうたんやって? 怪我大丈夫やった?」


 「おはよう。もう大丈夫。あんまり痛ないし。」


 名前は分からないが、女子が声をかけてきてくれた。


 それがとても嬉しくて、梢は、高校生活とはなんて素晴らしいんだ、と思った。


 しかし、この後は地獄だった。


 まず、こずえが別人と入れ替わっていると感ずかれないように、こずえを演じなければいけなかった。こずえの友人らしき女子たちと喋る時も、不良言葉──不良がよくつかう下品な言葉──は使えない。椅子に座っている時も、普段のように、脚を組んだり、脚を広げたりできなかった。


 そして授業だ。小中学校通してそうだったが、高校の勉強はそれに輪をかけて、ちんぷんかんぷんだった。


 このようなこともあり、素晴らしかったのは高校に来てすぐまでで、それ以降はこずえの言っていた通り、中学と変わらず、最後まで退屈だった。


 期待をはるかに下回った高校生活に、梢は、ガックリと肩を落とした。


 (高校なんか行かんでよかった。やっぱり、レディースになって正解やったわ。毎日楽しいし、言いたいこともいえるしで。・・・・・・早よみんなに逢いたいな。)


 梢は、次の日仮病を使って、学校を休んだ。そして夜八時、こずえに会うために、家をこっそり抜け出し、入院していた病院前へ向かった。


 


 


 


 


 


 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る