第39話:黒犬

 ゴリゴリバリバリ。

ハコミの頭蓋から不愉快な音が、ハコミの鼓膜へと直接鳴り響く。黄ばんだ鋭い牙がハコミの頭部へと突き刺さり、頭を噛み砕こうと万力のように締め上げる。そしてこめかみからはヌルリと血と唾液の混じりの液体が滴り落ちる。




「ハコミっ!」




(ぐぅうううう!?)



 ハコミの目の前は真っ暗となり、獣臭と血と腐肉の臭いが鼻につく。"なにか"に噛まれたことを理解してなんとか逃れようと両手で万力のように締まる牙をこじ開けようと力を込めるが、まったく外れることはない。ハコミは手でこじ開けるのを諦めると、大きく息を吸い込み、そして目の前に広がる暗闇へと―――なにかの喉奥へと灼熱の吐息を流し込んだ。




「キャインッ!」



 その瞬間。犬の鳴き声が辺りへと響き渡り、ハコミは牙の拘束から解かれる。牙がハコミの頭部へと離れたその瞬間、後ろに居たクライブがハコミの体を勢いよく引っ張って助け出す。



「痛っつ〜…」



 ハコミはクラクラとする視界で自身を噛んでいた物を見やる。そこには熊ほども大きい漆黒の犬が、前脚で口元を押さえながらのたうち回っていた。その様子を見ながら、ハコミのギザギザの牙の隙間から小さな焔が零れ落ちる。




「これ、さっきヨールさんが言っていた黒犬…? 」




 目の前で口内を灼かれ、悶える黒犬を見ながらクライプはポツリと呟く。クライブの知る犬とは段違いに大きく、そして凶暴であった。目の前の狂犬に対してクライブは動くことが出来なかった。だがクライブの前をハコミもまた獣のようにギザギザの鋭い牙を見せるように大きく口を開きながら、黒犬へと飛びかかる。



「ヴ〜!」



 体勢を立て直した黒犬は唸り声を上げて、真紅の目でハコミを睨みつける。そして四肢で地面を蹴ると黒犬もまたハコミへと襲いかかる。宙でハコミと黒犬は勢いよくぶつかり、体格の小さなハコミはあっという間に地面へと組み伏せられる。




「ヴ〜! ヴ〜!」



 ハコミを地面へと組み伏せた黒犬は、唸り声を上げながらハコミの顔へ鼻先を近づける。そしてハコミの首元へ大きく口を開いて噛みつこうする。




「この駄犬がぁ!」



 ハコミは身を捩り、ぎりぎりのところで黒犬の牙を躱す。そして無防備となった黒犬の喉元へハコミは逆に食らいつく。黒犬の喉元へハコミの鋭い牙が食い込み、そして蒸発していく。喉を食い破られた黒犬は咄嗟にハコミから離れると、数回くるくると回りだしてから地面へと崩れ落ちた。地面へと倒れた黒犬は四肢を細かく震わせながら、タールのように溶けて地面へと流れていく。あとに残ったのはタールのような黒い跡と硫黄の臭いのみであった。



「くっさいなー…でもこれでわかった。確かにこの黒犬は魔女の使い魔だな」



 ハコミは地面から立ち上がり、服についたホコリを払いながら呟く。クライブは黒犬が消えた跡を見ながらハコミへと尋ねる。



「これで黒犬はもう現れない?」



「いや? 魔女が居る限り何度も蘇るよ。俺の知ってる黒犬ブラック・ドック伝承と同じだと思うし。伝承通りなら何度でも現れるよ。 …魔女の姿も見えないし、今日は宿に行こうよ。流石に今日だけで色々ありすぎた」



 そう言い残すと、ハコミは元来た道へと歩を進めるのであった。




 

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