第37話:魔女伝承

 ―――アグナの心臓から紅い宝石を持ち出したのは、アンナと呼ばれる小さな捨て子だった。昔は王国も栄えておらず、ここら一帯は点々と農村があるのみで、少しでも不作が起きれば日々の飢えを凌ぐのも難しい有様だった。それに加えて少ない蓄えも税として持っていかれるばかりで、必然的に口減らしが起きた。



 昨日は父を、今日は母を、明日は我が子を。

誰が悪いわけでもない。それが当たり前、そうしなければ己が飢え死ぬ。血を分けた相手にすら、そんな扱いなのだ。ましてや身内が居ない捨て子など、いの一番捨てられる。そして生きて戻ってこられたら困る。だからこそ、昔から凶暴な怪物が棲まう"遺跡迷宮アグナの心臓"は絶好の捨て場所だった。



『ほら、行けっ! 2度と帰ってくるな!』



 そんな言葉が連れてきた人間から放たれたのだろう。捨てられた人間はアグナの心臓の奥へ奥へと進んでいき、あるものはゴブリンに襲われ、あるものは迷宮の罠にかかり、あるものは力尽きてそのまま死んでいく。


 同じようにある日、アンナはアグナの心臓へと捨てられた。そして他の人間と同じく、アグナの心臓の奥へ奥へと進んでいった。アンナが他の人間と違っていた点は、アグナの心臓のどこからか手のひらほどの紅い宝石を抱いて生きて帰ったという点だ。アグナの心臓でなにがあったのか? どうやって武器も持たずに日の光が差さないアグナの心臓から帰れたのか? 誰にもわからなかった。



 アンナは元居た村には戻らなかった。

深い森を流浪し、アンナのことを知る人間の居ない農村へとたどり着いた。そこも飢餓に苦しんでいた、だが違う点はアンナを迫害せずに受け入れた。小さい子を見捨てるのは良心が許さなかったのか、あるいは分けられる程度には蓄えがあったのか。だが、その選択は村にとっては正解だった。アンナには不思議な力が宿っていたのだから。



 "息を吹きかければ作物は実をつけ、触れれば死にかけの病人すら踊れるほど元気になった"。

その村人たちはアンナを崇め讃え、そして繁栄していった。当然、その話がそこで終わるわけもない。その話を聞いて、他の村からもあれよあれよと集まってきた。そしてアンナはその集まった人間たちに対しても優しく接した。村人と外からきた人間を分け隔てなく癒してやり、アンナの元に来れない人間には薬を煎じてやったりなどした。そして何年も時を経てもアンナを中心に人々は集まり続けた。



 だが、事件が起きた。アンナが元々居た村人がアンナを王国へと告発したのだ。告発した理由は色々と言われているが、『アンナが元居た村人だけは拒否した』とか『アンナの取り巻きがアンナを気遣って近寄らせなかった』と言われている。


 『怪しげな女が村人をたぶらかし、王への叛逆を囁いています。しかもあの女は魔訶不思議な術を使うのです。是非とも王国の治安のため、あの女を討伐してください』



 ボロの布切れを着た小汚い農民は王の前で額を床へと何度も打ちつけ、擦り付けて嘆願したのだろう。時の国王アウグスティンはその告発を受けてその"魔訶不思議な術を使う女、魔女アンナ"の討伐を軍に命じた。王命により、数万の兵士がアンナを討伐しに村へと向かっていった。



 殺戮。

兵士が狙ったのはアンナだけではない。アンナの元に集った人々もまた、討伐の対象とされた。肉で山が築かれ、血で河が出来、今でも地面が赤いのはその殺戮の名残と言われている。



『アンナ様、お逃げください』



 アンナは従者に促せられ、村を後にした。もっとも、付近の村は全て殺戮の波に飲まれていたせいで逃げ場はなかった。誰かに言われたのか、それともアンナ自身が考えたのか。逃げ出して走り抜いて、辿り着いたのは"アグナの心臓"だった。



『私はみんなの幸せを願っていただけなのにっ!』



 追い詰められたアンナはとうとう兵士たちによって射たれた。そしてアンナが討たれたことにより、王国に平和が戻った、かのように思えた。



 だが。そこから異変が生じ始めた。

まずは国王アウグスティンが謎の病に倒れ、この世を去った。そしてアンナ討伐に向かった兵士たちも奇病が襲った。"体に黒い斑点"が浮かび、血反吐を吐いて次々と死んでいった。



 いや、それだけに留まらなかった。アンナを告発した村は井戸の水は腐り、獣は近寄らず、川は枯れ果てた。そこにいた村人たちには"脚だけが萎えて腐り落ちる"病が流行った。食料も取りに行けず、水もない。そして遂には死んだ仲間を、それすらなくなったら生きてる仲間を食い、命を繋いだという。だが、結局そんなことがいつまでも保つはずもない。その村には生きてる人間が居なくなり、今でも呪われた地として誰も近寄らない。



 これで魔女アンナの怒りは収まったのか?

そんなわけがなかった。アンナは王国自体を恨んでいたらしい。『つばの広い三角帽子に真っ黒なローブ、胸には紅い宝石を身につけた、伸びた髪の隙間からは燃えるような真っ赤な目の女』、アンナが生きていた頃によくしていた格好と同じ格好をした女が時が流れても現れるようになった。これが疫病や奇怪なことが起きる直前に良く見られた。ある村は兵士たちと同じく体に黒い斑点の疫病で沈み、ある村には大の大人よりも大きい漆黒の犬が現れて人間を食らったという。そして当時の人々は魔女に恐怖し、近くに現れたと聞いただけで土地を捨てて逃げ出して行く。魔女は人々の記憶の中で恐怖そのものとして記憶されていった。




『どうしたものか』



 殺戮を命じた王のひ孫に当たるアウグスティン三世は考える。そして呪い師を呼ぶと助けを乞いた。呪い師は王に対して答えを導く。



『魔女を消しなさい。記憶から、記録から、言い伝えから。そうすれば魔女は力を失っていきます』



 王は呪い師の言葉を信じ、国民には魔女について話すこと、特に何も知らない子供達に伝えることを禁じた。次に魔女を記した記録を廃棄していった。そして時間が流れ、ついに魔女はこの世から姿を消し、記憶からも記録からも抹消されたのだった。そして魔女のことはごく一部の人間のみが知るところとなるのだった。




―――ですが。10日ばかり前です。この街にその魔女が現れました。伝承の通り、漆黒の犬を従えて」


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