第2話:ホーンド街への拉致

(……ん、あ?)


 箱見はぐるぐるにロープでがんじがらめにされ、床に転がされた状態で目を覚ます。辺りを見渡すと、そこは小さなロッジのような一室であった。木で出来た粗末な一室であったが窓からは暖かな日差しが差し込んでいた。そして室内には暖炉があり、服掛けがあり、ベッドがあり、そして背の丈もある姿もあった。そこに映ったのは紺のローブから垂れるウェーブが掛かった黒髪に褐色の肌、整った顔に燃えるような紅い眼が姿見を通して己を見つめていた。



(なんだ、これ。なんだよ…)



 理解がまったく追いつかない。必死に身を捩ってロープを解こうとするがまったく解ける様子はない。

混乱する頭を必死になって現状について考える。棚に潰されたこと、自分が木箱になっていたこと、そしてゴブリンの喉を”食い千切った”ことを。だが、直後はあんなにも感じていた嫌悪感は今では感じられなかった。


「…ん?」



 ふと微かに聞こえる人の声、それに耳を傾けるとこちらにどうやら近づいてきているらしい。



「…で、こんなのみたことが」



「…か? それなら…」



「え~? ……」



 話の内容は分からなかったが、その声色から男女が複数人いることが分かった。だんだんとその声ははっきり聞こえ、そしてぴたりと箱見のいる部屋の前で動きを止める。



「だから、見てくれたら俺の言ってることが分かるって! 本当だから!」



 そう大きな声を上げながら部屋に入ってきた3人組、その中でも先頭に立って扉を開けていたのは昨日情けない声を上げていたあの頼りなさげな表情を浮かべていたあの青年だった。そしてその青年の後ろには怪訝そうな表情を浮かべた中年の男性と若い女性がおり、青年の脇から室内を覗き込む。次の瞬間、中年の男性と女性は驚きの表情を浮かべる。



「っ、おい! なんだこの子は!」



「ちょっと、あなた。大丈夫!?」



「え、いや。今は人間になってるけど、この村に連れてきたときに木箱になってて…! ほら、早く木箱に戻れよ!」



「…え、え。あ、あ。た、たすけてー」


箱見は何が何だか理解出来なかったが、とにかく助けを求めたら良さそうだと察する。

如何にも弱々しそうな声を上げて、中年男性と女性を上目遣いで見つめる。


「…クライブ、早くその子の縄を解け! いや、どけ!」


 中年男性はクライブと呼んだ頼りなさげな表情の青年を押しのけると、箱見の縄を解き始める。

そして中年男性はクライブを睨み付けると、苛つきを表すように大きな足音を立ててクライブに近づいて胸ぐらを掴む。



「なぁ、おい、クライブ! お前、ダンジョンに行ってお宝をッ! 探してくるッ! って約束したよなッ!? がッ! お前のッ! お宝だってかッ!?」



「いや…ビンペ叔父さん…本当に、いや、僕は嘘なんて」



「…はぁ。俺はな、俺の姉夫婦、つまりお前の両親から死ぬ間際に”クライブを立派に育ててやってくれ”って頼まれたんだ。なのに、こんな…」



重たい空気が辺り一杯に広がる。そしてしばしの沈黙が流れるが、クライブは目の端に涙を溜めて部屋から大きな足音を立てて飛び出していく。その背をビンペは悲しそうな目で見送った。



「クライブ! ちょっと、待ちなさい!」



「ソフィー、放っとけ!」



 クライブを追ってソフィーと呼ばれた若い女性も部屋の外へと駆けていく。

室内に残されたのは箱見とビンベのみであった。



「あ、あの。助けて頂いてありがとう、ございます…」



 箱見はしおらしくお礼をビンペへと告げる。

ビンペは箱見をまじまじと見つめると、大きくため息を吐く。


「君、クライブが変なことに巻き込んでしまったみたいで、本当に済まなかった。えぇと」



「あ、箱見ハコミって言います」



「ああ、ハコミちゃんね。それで、君はそんな小さいのに1人で旅をしていたのかい? …まさかクライブあいつ、君をご両親の所から攫ってきたとかはないよね?」



(…流石にあいつを小さい子供を攫ってきた変態扱いしたら可哀想すぎるから、話を合わせるか)



 箱見もとい、ハコミは少し悩んでから口を開く。



「あ、いえ。ずっと1人旅をしていて。 …あの、ここは一体どこなんです?」



「え? ここがどこかも知らずにこの周辺を旅していたのかい!?」



 ビンベは驚きの余り大きな声を上げると、手招きをしてハコミを窓へと誘導する。

ハコミはビンベの指さす方向に目を向けると、レンガ造りの家々に遠く塔が立って居ることに気がつく。漆黒の禍々しささえ感じるような、棘だらけの塔。



「あそこに見えるのがかの有名な”アグナの八大ダンジョンの1つ、アグナの角”。そしてここはそのダンジョンのお陰で潤ってる”ホーンド街”さ」



 窓を背伸びして見ていたハコミの目の前を馬車が通り過ぎていく。ハコミは驚いて尻餅をつくが、すぐさま元の位置へと戻って外を眺める。



「うわぁ…!」



 窓から見える風景はまるでハコミが集めていた伝承に出てくるような中世ヨーロッパに近い町並みそのものであった。レンガ造りの家々、石畳でできた道路、その上を走る馬車、挿絵で見たような洋服を着た人々。ハコミにとって驚きと興奮を与えたのがそれらのものが自然と町並みを形作っていたことであった。



「あ、あの! すみません! この街に本をたくさん読める場所ってありますか?」



「ん? ああ、この近くの、ほら、あの屋根が赤い建物が…あっ、ちょっと!?」



(伝承みたいな世界にある”伝承”とか”民話”ってどんなものがあるんだっ!?)


 ハコミは一気に駆け出すと図書館を目指して走り出す。

ハコミは『気がついたら生まれ変わってるように自身が木箱や小さな女の子に変ったこと』や『自身が居た元の世界とはまったく違うこの世界についてあれこれ考える』ことよりも、自身のもはや半生を、否。一生を捧げた民話と伝承の収集と研究へと駆り立てられるのだった。

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