第1話:本能と吐き気
風を切る音が狭い石材でできた通路の中を響く。
「あ、れ?」
箱見のなんとも言えない感情を込めた声が小さく漏れる。先ほどまで勢いよく振り下ろされていた棍棒は、今では箱見の小さな手の中に収まっていた。普段なら、”以前の自分なら”そんな芸当など出来るはずもなかった。
一方でゴブリンは呆けている箱見の手から棍棒を取り戻そうと目一杯の力で引っ張るがぴくりと動かない。不意に箱見が手を離すと、ゴブリンは勢い余って後ろへと転がっていく。そのゴブリンの様子を見るやいなや、他の2匹のゴブリンが棍棒を振り回しながら箱見へと飛びかかってくる。箱見は飛びかかってくるゴブリンに対して身体が意志とは無関係に反応する。
飛びかかってくるゴブリンに向かって箱見は逆に突っ込んでいく。それに反応したゴブリン2匹は咄嗟に棍棒を振り抜くが、風を切る音が2つ。ゴブリンたちの箱見に向けた棍棒は空を切り、皮1枚のところで棍棒を躱した箱見は1匹のゴブリンに向かって飛びかかる。ゴブリンの両腕を掴み、勢いに任せて組み伏せる。そして。
「オ”ッ!?」
組み伏せられたゴブリンは短く叫び声を上げて、大きく開かれた箱見の口内を凝視する。
ギザギザの真っ白な鋭い牙、炎々と燃えさかるように揺らめき紅く広がる喉奥。それがゴブリンが見た最期の光景であった。
「ギッ…」
箱見の大きく開いた口がゴブリンの喉の上を通過すると、まるで元からなかったかのように深く喉元を削られたゴブリンの物言わぬ死骸が出来上がる。その喉元の傷口は焼き切った様に焦げ付き、血の代わりに焦げ付いた傷口からは白煙が上がっていた。
「ギッ!?」
骸となったゴブリンを組み伏せたままの体勢で箱見の真っ赤な目がぐるりと2匹のゴブリン見やる。その異様さに生きている他のゴブリンたちはたじろぐと、箱見に背を向けて走り出した。2匹のゴブリンの姿は闇にきえ、辺りには静寂が戻る。
「…っぷ」
我に返った箱見を襲ったのが"生き物を食い殺した"という嫌悪感。組み伏せていたゴブリンの死骸から飛び退くと、四つん這いで地面へと胃の中身をぶち撒ける。だが不思議なことに地面へとぶち撒けられた胃の中身はただただ無色透明な胃液ばかりであった。
「ぇ…おぇ…」
胃の中が空になり、胃が引きちぎられるような感覚があっても箱見は吐き続けた。そしてうずくまったまま動けなくなり、意識が闇へと落ちていく。
「…あっ」
尻餅をついて青年の目の前でうずくまった箱見が”木箱”へと変容する。青年は警戒しつつゆっくりと木箱へと近づくと、様子を窺う。そして何も反応が返ってこないことを確認すると、手荷物からロープを取りだしてぐるぐる巻きにする。
「これなら、動けないだろ…。あの2人もこれで少しは俺のことを認めてくれるかな。とりあえず
そう言うと青年は箱見---木箱を小脇に抱えるとその場を後にするのであった。
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