第八話 映像にあらわれたもの
日曜日。休日。俺は目の前の食材をさばいていく。
この時期は安くて美味しい根菜の類をピーラーで皮をむき、適当な大きさで切り分ける。こんにゃくは一口程度の大きさにちぎり下茹でをする。前の晩から仕込んでおいた干しシイタケも刻んでおく。長ネギはハスに切りそろえておく。
圧力鍋の安全弁が下がっているのを再確認して、中にバサバサと野菜を投入し、鍋の中ですでに柔らかくなった豚のモツと適当に混じり合わせて、塩とトリガラスープと牛だしの素で味付けをする。最後にニンニク片を適当に入れておく。
塩だしモツ煮。この辺りでは味噌や醤油で仕立てるのが一般的だが、塩とだしの素で味付けで食べるのが俺の流行りで流儀になりつつある。塩分多めで、飯のおかずに最適なのだ。野菜も美味しく食べられるし。
ひと段落して周りを見る。真っ白い空間に大なり小なりの俺の仕事用の荷物や私物がダンボール箱に収まり、乱雑に置かれているがまだまだ空間には十分なゆとりがある。寝具も一式持ち込み済みだ。
スマホを操作しアプリを起動してからモツ煮を仕込んだ大きめの鍋を両手でもち、白い空間から一歩足を踏み出せば――俺の借りているアパートの台所へと出てこれて、鍋をコンロに置き弱火に当ててから、又、舞い戻る。
局長閣下に頂いた俺専用の異空間。すっごい便利で快適。
先日の苦情の一件のさい、ついでとばかりにニャルラトテップ局長閣下へチウの私物で部屋が狭くなったことについても半ば苦情のごとく申し出てみた。
「チウに与えた異空間とかいうの、もっと広くしてやれないのですか」
「一応、彼女は罪を犯して償う立場でそちらに送られた立場ですから。あまり、ぜいたくな環境を与えるわけにはいきませんから」
さいですか。確かに我が家はぜいたくとはいえる環境ではございませんので。嫌味の一言でも言ってやろうかとも思ったが、調子に乗ると後でなにをされるかわかったものではないのでグっと我慢する。
「じゃあ、俺に適当な倉庫程度の異空間をくださいよ」
無理であろうことを図々しく提案してみる。どうせ、夢世界の技術を現世界の人に譲渡するわけにはとか、言い出して渋ることが目に見えている。
「あ、それでよろしければ無限収納や都市規模の大きさというわけにはいきませんがどの位の広さがよろしいですか。直ぐに用意させますよ」
局長閣下はにこやかに微笑みあっさりと許諾される。え、マジ。
「じゃ、じゃあ、そ、そうだなあ……。六十坪程度の広さで高さが八メートル程度であれば十分ですかね」
そんなもので良いですか。後で拡張もできますから、手狭になったら伝えてくださいと、言い終わると直ぐに異世界産のスマホからチロリンと音が鳴り、新しいアプリがインストールされましたと通知がされている。
『異空間収納庫移動アプリ』
そのままズバリの名前だな。ネーミングのセンスはないのかもしれない。
「一応、現世界の他の方に知られないようにはして下さい。それらの件で諍いがあった場合、干渉しかねますので」
「重々承知しております」
世間一般に知られれば、どこへ拉致られるかわかったものじゃあない。絶対に人前では使わん。秘匿事項だ。
そして、ここで俺はもう一つ欲が出た。調子に乗らないようにと自制した割には調子に乗ってしまったのだろう。だが、多少の確証はあったからかもしれない。
「それと、ですね。もし、よろしければ、多分、俺自身もまた、どうせ、そちらに呼ばれる事態があるでしょう? その際にできれば観光とかもさせてもらいたいし、そんなときに手持ちがないと楽しめませんから――現実世界の嗜好品とか、サブカルチャーの作品とかを売買させてもらえないかなぁ……」
局長閣下の背後の圧力が俺の言葉を聞いているうちに強くなっていくのが感じられ、誤った提案をしたかもしれないと思い語尾がすぼまっていく。
「そうですね。それもそうです。ええ、そうです。今後、何かの際にはお呼びたてする可能性はありますから、確かに、地球人の新藤さんが現実世界の品々を持ち込まれることに対してはやぶさかないのかもしれません。ええ、ええ。よろしい。夢世界における売買を承諾します」
よしよし判った良きにはからえと言わんばかりに肯定をされて、拍子抜けしてしまう。いや、思った通りなのかもしれない。局長閣下がチウの抱えていたノリ塩ポテチを見る目は尋常ではなかった。
そもそも、夢世界は現実世界の多種多様な文化に目を付けていると語っていた。多分、夢世界の住人達は現実世界の様々なものを欲しているのだろう。技術的なものよりかは文化的なものや、嗜好品を主にして。
「ありがとうございます! 次に呼ばれた時にはポテチを箱ごとお土産でもっていきますよ」
「各メーカー全種類をなるべく多く。できれば、ゴディバのチョコレートも箱でお願いします。あと、フジミのケーキ各種をホールで。それと――」
あれ、量が増えた。
鼻歌交じりに料理をつづけながら、あの時のことを思いつつほくそ笑む。異空間に様々な品を揃えて、向こうで高値で売ればいい。
この異空間内では物が腐る心配をしなくてもいいそうだ。自然に滅菌して、空間内は存在する物に対して必要な温度調整がされている。食べ物を保管していても問題はなく、人が生活することも可能だ。現在、こちらで寝ている俺が言うのだから間違いはない。インフラ設備が整えばここで生活をしたいくらいだ。
ともかく上手くすれば、異世界小説のような一攫千金の可能性が出てきたわけだ。
そんなことを考えつつ、手を休めずに一週間分の食事を作り続ける。日持ちがするように煮物や簡単な漬物が多くなる。なにしろ、あの後から俺の部屋には大飯ぐらいが集うようになったからだ。
探究部の面々。音流と所、そしてチウ。所はともかく、音流とチウがいるだけでエンゲル係数が跳ね上がる。この二人には高くてうまいものはいらない。安くて、そこそこの味であれば文句は出ない。ただ、とにかく量が必要だ。
何が言いたいかと言えば、俺がいない間に部活をしつつ、冷蔵庫を漁り、戸棚の菓子を見つけ出し、貪り食われる事態が続いているからだ! やめろといっても、チウの数少ない友人かつ、余所様の子供を下手に叱るわけにもいかないため、しかたなくこうして奴らの食い扶持を大量に作る羽目になったわけだ。
『美味しかったです!』とかメモ書きが残って、うれしかったわけじゃあないんだからね!
「で、進展はあったのかしら」
「なんのことだ」
昨日のうちに買い出しをしておいた食材の下ごしらえから調理を終えつつ、余った食材でついでに作った、麺をカリカリにした焼きそばを瞬く間に食い尽くしたチウがジト目でこちらを見て訪ねてくる。
「
「春フェスに参加する人材を見つけて来いよ! 俺にあてがあるわけないに決まっているだろう! ダンスのできる人間なんて知り合いにいねえよ! 周りが十代の学生だらけのお前の方が見つけやすいの!」
とは言ってはみたものの、チウの学校における素行を鑑みるにマトモに話をできる人は音流と所以外にはいないであろう。
ようは、俺が適当に言った『春フェス参加計画』は勢いに乗る間もなく、瞬く間に頓挫したのだ。
チウでも参加できるだろうと思っていたが、武術みたいなものを嗜んでいる癖にリズム感は皆無で、タコ踊りしかできなかった。
「さすがはダゴン流の免許皆伝!
と言ってやったら取っ組み合いになって負けそうになったのは嫌な思い出だ。
部屋に来ている音流と所にそれとなくダンスには興味があるのかとか聞いてはみたが、二人とも芸能関係には疎いようで、流行りの楽曲もあまり知らないという珍しい十代の男女だと知るに終わる。
可能性から言えば運動神経がよく、運動部系からお誘いが多いという音流へ暗に期待もしてみたが「ルールが覚えられないからダメなんですよー」と言われて、常にやっているTRPGがまともに進行した試しがない理由がよくわかる発言をしていた。
ちなみに俺に期待するのは大きな間違いだ。チウに負けず劣らずのタコ踊りしかできん。
焼きそばを食いつくし、炬燵の天板に突っ伏すチウの頭頂部を眺めつつ万策つきたかと、旧支配者を相手にする必要がなくなったことに内心安堵する俺の心をかき乱そうとするかのようにスマホに着信音がなる。
他県の見たことのない番号。また、不動産の勧誘電話だろうか。即切だな。
そう思いつつ応答のボタンをスワイプすると、画面から仮想現実のような姿の映像が映し出される。
ニャルラトテップ局長閣下ではない、知らないが見たことのある姿――
「もしもーし。 映ってるかな? ヘロー、俺っち工藤ルイエール。そちら、新藤くんでオケ?」
軽い口調のドレッドヘアの顔を覆うサングラスをかけた男が前に身を乗り出す様子で手を振っている。突然のことで、声が出ずに口を動かすだけで精いっぱいの俺とチウ。そんな様子が相手にも見えているのか相手は大口を開けて指をさして笑っている。
「プゥフー! スッゲエ間抜け面してるぜ二人とも! ビビった? ビビったろ! 何しろ突然、何とかして捕まえたい相手から連絡がくるなんて思いもしないだろ! プゥーフフフ、あんたらがお捜しの工藤ルイエール、マジもんの本人よ」
唖然とする俺とチウをよそ目に工藤ルイエールことクトゥルフは、一人で笑い、勝手に自己紹介を始めている。そもそも、向こうは俺の名をしり、こちらの事を承知しているようだ。当然か。ディープワンネットワークのトップにいる奴なのだから、自然と情報は集まるのだろう。
「まあ、現実世界でも夢世界でも、本来は俺っちに入らない情報はほとんどないわけで。あんたが夢世界と協力関係にある、稀有な現世界の地球人であることも当然ながら知っている。でもさ、実際のところ――」
工藤は口元に薄笑みを浮かべながら下を向き、目元を覆い隠すサングラスに手を掛け外すと、顔をゆっくりと上げこっちを小馬鹿にしたように鼻で笑いながら
「あんた、一体何者?」
黄金色に光る虹彩の中に横に長い真っ黒な瞳孔を持つ大きい目を邪悪な笑みとともに向けてこちらを窺う。
「……ただの一般人のつもりですが」
つい先日まではと俺も言いたいところである。知らぬ間に巻き込まれて夢世界の協力者となる以前の俺に戻りたいような気もする。後ろで何か物音がしたが気にしている場合ではない。さすがは旧支配者と呼ばれる存在。映像からでも圧がすごい。
「……へぇ、そう。ただの一般人ねえ。俺っちを相手にしている段階で、違うと思うけど。ふぅん。そう。まあいいや。そういうなら。偉大な俺様と面と向かって話せる機会はそうそうないでしょう。なにか聞きたいことある?」
神経を逆なでさせるような高音と低温がまじりあったかのような気色の悪い笑い声を発しつつ工藤は俺に向かって問いかけてくる。
「な、なんでこんなことをしている」
「んー、暇つぶし? 寝るのも飽きてきたし。なんかさあ、夢世界で現世界のことが話題になっているって知ってさ。どんなものかと思って来てみたわけ。まあ、低次元の人の世界だからすぐに色々と掌握できたし、なんてことはないなあとか思ってはいるけど、まあ、まだ、支配するには未熟な状態だから本気を出すまでもないかなとか思ったわけで。ついでに、少しだけ興味を持った芸能事をやってみれば直ぐに受けて、俺的にもウケルみたいな。所詮は猿の猿芸だから――」
俺の聞きたかったことは「なぜ俺達にコンタクトを取ったのか」だったが、工藤はこちらに来た経緯を説明している。内容を聞く限り、こいつも受付の三角錐と同じで現世界人を見下している感が否めない。
イラっとする。
「――まあ、それで、なんか俺っちのことを夢世界に連れ戻そうと画策している奴らがいるって聞いたけど、何のことはない夢世界の底辺と現世界の凡人って知ったから、どうせ俺様とは話もできないカースト底辺の哀れな者に、偉大な俺っちから話をしてやろうと思い至ったってわけ」
完全にコケにされている。そして、関わりたくないタイプの相手に延々と馬鹿にされるというのは精神衛生上非常に宜しくなかったわけで
「へいへい、さいですか。悪うござんした。最底辺の人間では、貴方様のタコ踊りを拝見させてもらいましたが、なんにも響くものがありやせんでしたので。さーせん」
思わず視聴した動画の本音を言わせていただいた。
工藤の目ががすっと薄くなる。
「あっ? なんだって?」
いい歳をして、DQNみたいな感じを醸し出して威嚇する工藤に向け、俺はついつい余計な言葉を売ってしまう。
「てめえのタコ踊りごとき、ひっくり返すようなダンスをお目にかけさせてやるっていったんだよ! 大洗で無い首洗ってまってろ! このタコ!」
そう言って、通信をぶっちぎる。そして暫くたってからこう思う。
やっちまったな!
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