記録ファイル№2 クトゥルフの現世界での行動及び帰還に関する事項

第六話 大いなる渡界

「結論から言うと真っ黒でした」


 新年を無事とは言えずに迎えた元日。炬燵の上に浮かぶ仮想現実の様な姿のニャルラトテップ局長閣下の苦々しい顔を見て、正月早々うんざりすることになる。


 冬コミから草臥れつつも、帰宅をして緑のソバで年越し準備を整え、トイレで頑張り入道ホトトギスとやけくそ気味に吠え、除夜の鐘を聞きながら、時間の概念がなさそうな局長閣下へ取次ぎを頼むというていで苦情を申し入れ、受付先の円錐型の掃除機のような相手が『何言ってんだこいつ、ありえんだろう』と言った顔をしているなあと思いつつ通信をやめて寝床に入り、結局、初日の出を見ることもなく遅めに朝を迎え、具の少ない雑煮と奮発して買った若干高めのコンビニおせちをつまみつつ、動画サイトで無料映画を眺めていたら局長閣下から緊急通信が入り、いやいやながらも応答して聞いた結果である。


 ちなみにチウは一度、夢世界へ送還した深き者共ののことについての申し入れと賞金の受け取りをしに帰っている。少しでも多く借金の返済に充ててもらいたい。後から入った俺の苦情がどう影響しているかは知らないが。


「クトルフ首領は捜索の結果、領海星域のルルイエの居館にはいませんでした。いつから、不在だったのかも不明です。……信じたくはありませんが」


 おでこに手を当てて下を向き眉根を潜めてため息までついている。あのニャルラトテップが困惑をするのだから、相当、困った事態なのだろう。


「ちなみに、領海聖域とは太平洋のことでしょうか?」

 

 クトルフ神話の設定ではクトルフが眠る場所ルルイエは太平洋の底にあるはずだ。なら、元々、地球である現世界にいたことは変わらないのではないかと俺のささやかな疑問を聞いてみる。


「そうですね。広大な太平洋系銀河星域は首領が治める一帯です。侵略行為に飽きて惑星ルルイエの居館に引きこもって寝ているとばかり思っていたのですが、騙されていました」


 思っていた場所と規模が違い過ぎました。


 だが、色々と設定は合致しているような気がする。もしかするとラブクラフトは子供ながらに気付いていたと言うことだろうか? それにしても何故今の今まで気付かなかったのだろうか。

 そんな思いが顔に出ていたのを察したのか、嫌そうな顔をして聞いていもいないのに局長閣下がボソボソと喋り始める。


「旧支配者の方々に関わるのは面倒くさいのですよ。下手に触発されれば星間戦争でも始めかねませんから。くだらない理由や原因で大惨事を起こしたくはないでしょう」


 だから、静かな分には構わないから放置していましたと小声で答えていた。

 

 だが、今回、事態が明るみに出てしまった。

 旧支配者の一角が現世界に無断で紛れ込んでいる事実が発覚。

 夢世界の管理局はてんやわんやの大騒ぎだそうだ。


「はあ、大変そうですね」

「他人事みたいに言わないで下さい。貴方も巻き込まれるのですから」


 何を言っているのか意味が分からないと思ったのも束の間、騒がしい奴が騒々しく碌でもないことを言い放ちながら、突然帰ってきた。


「さあ! チウ=リウムの一世一代の大捕り物を始めるわよ! 相手は旧支配者のクトルフ首領! 超特大の賞金首」


 チウを見てから、局長閣下の笑顔を見て、頭を抱える。

 それは無理すぎる。




 --工藤 ルイエール 年齢不詳の南米の日系人。芸能プロダクションの社長にして所属タレント。マスメディアには表だって出てはいないが、近年になりミームーブ系で独自のチャンネルを開設して、自身のダンスを披露している。ここ数年は各地の海岸沿いで季節ごとにフェスを開催している。


 ノートPCから映し出されるウェブサイトからはノリノリのラテンミュージックに合わせて、小麦色の肌をした半裸のドレッドヘアーに顎髭をたくわえたヤセマッチョの目を覆い隠すサングラスをかけた男がバックダンサーと共に軽快なステップを刻んでいる。

 目元が隠されているので何とも言えないが、若く見えても実際には五十代なのだと言う。曲と共にダンスが終わりを告げるとともに一つの告知がなされる。


『茨城県海岸で春フェス開催! 有名人も多数参加予定! 飛び入り参加も歓迎!』


 大規模なフェスにも関わらず、オープン性を売りにしているとのことだ。弱小のプロダクションかと思いきや、表向きはそれなりに優良な企業らしい。


『俺的には、アットホームな感じが好きなわけ。来るもの拒まずみたいな? だから、社員はみんな家族なわけ』


 実際に、彼が経営している会社の社員のほとんどは深き者共で固められていたそうだ。眷属じゃん。少数だが現世界人も紛れているとのことだが、カモフラージュなのかもしれない。


「深き者共って、根暗なオタク系ばかりじゃなかったのか」


「派閥にもよるそうよ。明るいオタクもいるって、留置所の深海の奴が言っていたわ。父親が何度かスカウトを受けたらしいけど、雰囲気が合わないからって断っていたそうよ」


 何故に深海父が? とは思ったものの、今、話題にすることではないだろうと聞き流した。クトルフの元にはそれなりに社交的な一派が集まっているらしい。魚面にはなっているらしいが、性格が顔にでるという一例なのか、見た目で忌避されることもなく現地に溶け込んでいるそうだ。


「アキバや冬コミにもいたそうよ。ディープな趣味を抱える性質は同じだから、派閥は違えど同好の仲間もいたとか」

 

 チウの件についての情報をディープワンネットワークに流したのは、こちらの派閥の影響が大きいとのことだ。


 それにしても流石は夢世界側だ。相手が現世界にいるとはいえ、旧支配者にも関わらず瞬く間に情報を収集してしまった。事態を説明しつつも、具の無い雑煮をすするチウを横目に見て、俺の出る幕は無いのではないかと期待をしたい。


「で、居場所も正体も掴めたからには夢世界側からも大々的に支援のうえクトルフを連れ戻す算段が出来ているのでしょう?」


 俺の言葉に局長閣下は両肘を付いたまま目線を落とす。


「夢世界側で現世界にいる旧支配者級の方を捕縛する法も術もありません」


 うなだれた様子の局長閣下の言葉に首を傾げる。


「でも、無断での現世界の渡界は違法でしょう?」


「法で縛れる相手ならです。法を操る人を捕まえるには大規模な術が必要です。そんなものを現世界の地球で展開して行使すれば天変地異が起こりかねません」


 そんなことになれば夢世界側でも事態が公に知れ渡り大問題となる。クトルフと敵対する旧支配者側が難癖でもつければ星間戦争のきっかけになりかねないとのことだ。--だから、ごく少数で隠密に事態を治めたい。


「チウと共に、クトルフ首領を夢世界に一度帰って来ていただけるよう説得をして下さい。報酬は弾みますから」


 だから、無理だって。




 一介の会社員が社会的に地位のある人物を突然尋ねて説得する状況を作り出す。残念ながら、一般人の俺がそんな手法を知る由もない。


「今迄みたいに乗込んで力づくで捕まえて来いよ。お得意の捕縛術で」


「無理ね。一瞬で消されるわ。物理的にも事象的にも」


 この世にいた存在自体を消される恐れがあると無い胸を張って自信満々にチウは語る。そんな輩を敵に回して相手取りたくはない。


「どちらにしても、こちらの存在は先方にはばれているだろうし」


「どういことだ?」


 夢世界側が情報に干渉した段階で、クトルフ側が事態を掴んでいるのが事実だそうだ。あえて、向こうから騒ぎ立てることはしない。どうせ、なにもしてくることはないと高をくくっているのだろう。なら、なおさら八方ふさがりではないのかと思う。


「流石に首領も現世界の方に直接、力を行使することはないと思います。そこで、新藤さんからどうにかして接触を試みられればと」


「だから、そんなコネもなにもないから無理だって」


 炬燵でミカンの皮を剥き丸ごと食みつつ嫌な顔をする俺に向けて、特大ポテチ(のり塩)の袋を抱えるチウは「直ぐに諦めるな!」と怒り、チウの抱えるポテチの袋を羨ましそうに眺めていた局長閣下も困った様子を見せる。


 ノートPCの画面には先程から春フェス告知ようの動画がリプレイされている。

 ステレオに乗せて流れる軽快なリズム、ノリノリのステップを踏むドレッドの男。

 

 パリピ的なクトルフを眺めていると段々と苛立ちを覚える。

 何が悲しくてこんな奴のために、こちらが苦しまなきゃならんのか。

 そして映し出される春フェスの告知文。


「春フェスに飛び入り参加して目立てば直接会うことができるかもな」


「「それで」」


 俺の馬鹿。

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