第五話 冬コミを覆う影ーチウのカチコミ大作戦ー(出禁)
師走の歳の背に伴う業務大進行もどうにかひと段落をして、年末年始休暇となり、実家に帰省する予定もないので、本来なら独りで優雅に引きこもる年初めの準備と買い出しを済ませて、まったりと過ごしたかった年末大晦日の日。
そんな儚い夢は、とうの昔に廃れていたのだ。
前日から準備のため、東京へと繰り出され、生まれて初めてカプセルホテルに泊まり、現在、ゆりかもめの始発に揺られながら死んだ魚のような目で東京ビッグサイトへと向かっている。
薄い本を持っていない訳ではない。リア充やパリピよりかは、オタクよりのインドア派だと自覚はしている。
夏の暑い盛りに、紫外線にさらされて暑い思いをしてまで外に出るよりかはエアコンの効いた室内でゲームでもしている方がマシだ。
冬の凍えるような寒い中、雪が降り積もる路面を気を張りながら運転して、人ごみの中を滑走するよりかは、炬燵の中でゆったりしながら動画でも見ていたい。
アグレッシブでは無いのだ。だから、彼女もできないのかもしれない。
ゆりかもめの車内には徐々にそれっぽい人達が目につき多くなる。現地につけば、普段では見ることがない人ごみが出来始めている。これから更に人が増えるのかと思うと、気が滅入る。
この手の人達は、世間一般的に活動的ではないと思われがちだが、よくよく考えればこれだけの規模の人が集まる企画を運営している段階で、十分すぎるほどにアグレッシブと言わざるを得ない。
彼ら、オタクや腐女子等もある意味、本質的には積極的なのだ。ただ、奈落のように深いところまで好みや趣味を追及してしまうがため、そうではない大多数と意見が合わず、答えがくい違い、変人のように扱われ、白い目で見られているだけなのだ。
そう言う意味では、深き者共の生態と合致する部分は多いのかも知れない。
「ふふん! ざっと見渡しているだけでもいるわ! 大量に!」
「頼むから、暴力沙汰にはしないでくれ……」
判っているのか、いないのか。鼻息の荒いチウの様子を見るとため息しか出てこない。ちなみに、こいつはコスプレイヤーとして参加の予定だ。俺はただの同伴の保護者役。着替えはどうしようかとも思っていたが、チウの異空間を使えば事足りることになり、難しいことを考えるのは放棄した。
スマホの天気予報のサイトを眺める。
『本日の最低気温はこの冬でも最低を記録するかもしれません。雪が降る可能性もあります』
……最悪だ。
「コスプレの会場はどっちだ!」
「知るわけないでしょ!」
会社が企画する日帰り旅行がてらの資材展示会とは比べ物にならないほどの人がいるなか俺とチウは溢れる人混みで、はぐれないようにするのが精一杯だ。
そもそも、日本が世界に誇る最大級のイベントに数えられるコミケへ、ズブの初心者がろくに下調べもせずに乗り込むこと自体が間違いだった。
始発で来ても、すでに列はできており、くそ寒い中ひたすら待たされる。業を煮やしたチウが突撃かますも、当然、運営の方に怒られ、涙目。
コスプレ参加も登録がいると一緒に列に並んでいた優しい方から教えてもらい、チウは、更衣室の列に並んで受付からコスプレ登録証を購入することになる。ただし、費用は俺持ち。
結局、さまよった挙句、コスプレイヤーらしき人達が多くいるエントランスへとたどり着いた。
「お、俺は疲れた。後は適当にやれ」
「なによ。情けないわね。まあ、邪魔されたくないから構わないけど――」
俺が初めてチウと出会った時の格好、民族衣装を軍服にしたような衣装、ようはチウの仕事着をコスプレと称している。
『そりゃそうよ、仕事に来ているもの』
当初の予定が狂い、結局更衣室で着替えてきた(異空間から荷物の出し入れしているところを見られていないことを願う)チウの姿を見て、それ、コスプレじゃないよな? と尋ねたさいの返事だ。
普段から着こなしているから違和感を感じない。そもそも、安っぽい作りの服ではないので傍から見ればそれ相応に見えるのだろう。ナ○シカ風のコスプレと言えば、そうも言えなくもない。
しかし、知る者が見れば、それが夢世界の賞金稼ぎの出で立ちであることは判る。
「い、いたぞ! やっぱり来た! に、逃げろ!」
一眼レフのカメラを首から提げていた、バンダナを巻いて、ジーンズを腹まで上げた小太りの男が、チウに向けて指をさし突然叫ぶ。
頬のエラがはり、頭頂部の髪の毛が薄くなり、吹き出ものの多い魚面。
見るからに深き者どもの血縁者。
「おい、チウ! お前の事、もう、ばれているぞ!」
近くのベンチにでも腰を落ち着かせようと腰をかがめた間抜けな格好のまま、チウへと呼びかける。
「チッ! 奴らの情報網を甘く見ていたわ!」
指を刺して叫んだ男に瞬時に近づくと、腕を取り、あっという間に片結びにしてしまう。
その様相を見て、周囲がざわつく。当然だ。常識的にはありえない光景。本来なら骨が突き出て、スプラッタな風景になるわけが、ゴムのように曲がりくねった腕からは滑稽ささえ感じるしだいだ。
「え、なに、特殊効果?」
「ワ○ピースのゴムゴムのコスプレ?!」
すごい、どうなっているのと周囲からは疑問と驚嘆の声が上がり始め、チウの周りに人が集まり始める。
その様子を見て、逆に人だかりから遠ざかろうとする連中もいる。遠目から見ても男ばかり。痩せても、枯れても、肥えても、ハゲ散らかしても、誰もかれもがエラが張った魚面ばかり。
「おいおい、どんだけいるんだこの場に……」
わざわざチウが来ることを予測していてもなお、コミケの魅力に逆らえなかったのか。この辺りの一角だけでも、それなりの人数が潜んでいたわけだ。
雑踏の中には一体どれだけ紛れているのか? そう考えると疑問に思う。
「ちょっと、どきなさい! 私のお金が逃げるのよ!」
わちゃわちゃとした人だかりと問いかけを無視して、人の輪の中心となっていたチウは無理矢理抜け出していく。
小柄なチウはスルスルと器用に人の波をかき分け、騒ぎの中からついには抜け出し、更には人の隙間を素早く縫いながら逃げていった深き者どもを追跡し始める。
「お、おい、待ってて。 クソ、なんであんなに早く動けるんだ、アイツ!」
現世界の一般人である俺は、右に良ければ肩にぶつかり、左に躱せばつまずきそうになる。こんな、人混みのなか、まともに歩くことさえままならないのに。
このままだと、深き者どもどころかチウの姿すら見失いかねない。最悪、迷子センターにでもお伺いをたてようか? しかし、実際のところはそんな必要はなかった。
本来は人でごった返すはずの一角。一つの人だかりを囲むように人が集まっている。囲む人たちは歓声を上げ、囲まれている方からは悲鳴が上がっている。
「数だ! 数で抑えれば―― イアー!」
「ク、クソ! ちょっと可愛いからって調子にのるフタグン」
おかしな断末魔を上げては、手足を結ばれては押し出されてくる冴えない男達が増えていく。
どうやら、深き者どもは罠を張っていたようだ。チウの情報を聞き、狩られて売られるならば、刺し違えてでもとでも思ったのかどうかは知らないが、小柄な女一人ならどうとでもなると踏んだのだろう。
深き者どもの情報網と仲間意識を持って、この日この場に検討を付けて、数を集めて夢世界からの賞金稼ぎを逆に捕えてやろうと計画を立ててはみたものの――
相手の強さを計り間違えたようだ。
「ハイハイ! こちとらアンタ達が廃れさせたダゴン流捕縛術の免許皆伝なのよ! しかも、マスターダゴンの直弟子!」
四方八方から取り押さえに来る深き者どもの間を潜り抜けて、輪の中心からまたしても抜け出したチウは、挑発するように手の甲を相手に向けて自分の方へと招く仕草をする。頭に血が昇ったのか深き者どもが奇声を上げてチウに再び立ち向かう。
普通、まともに複数の人が襲ってくれば、よほど実力に差がない限り取り押さえられてしまうだろう。
だが、結果としてチウと深き者どもとの間には、狂おしいほど高く険しい山脈に匹敵する実力の差が立ちはだかったようだ。
伸ばされる複数の手を軟体動物のように潜り抜けるチウ。あの体さばきで人混みの中をすり抜けて行ったのだろう。
自ら免許皆伝と賜った、ダゴン流捕縛術はさえ、躱した腕を片手で取ればすぐさま目にもつかずに縛り上げてしまう。身をかがめて足を掬い取り、やはり縛り上げる。次々と腕を足を縛れて、深き者どもが転がされていく。
「ヒィ、無理だ! やっぱり無理だったんだ! プロのハンターに立ち向かって敵うわけがない!」
惨状を目の当たりにして一人が叫び、輪の外から逃げ出すと、我も我もと瞬く間に木の葉を散らすように逃げていく。そして、騒ぎが落ち着き、捕縛された深き者どもの悲哀の声が残る中にドヤ顔のチウが残っていた。
「見てみなさい! 結構な成果になったわ」
そう叫ぶチウの姿から目をそらして、俺はざわめきの残る人混みの中へ、他人の振りをし、観衆の中へとそっと紛れて姿を消す。
「あー、貴方、この催しの責任者の方?」
腕章を付けた幾人かの人達がチウへと引き攣った笑みを浮かべて近寄り話しかける。チウは胡乱な目を向けている。俺は他人のふりを続ける。
「なによ。あんた達」
「無許可で、大規模な催し物をされては迷惑なんですよ! 怪我人でもでれば、マスコミの格好のネタにされるでしょ! さっさと撤収しなさい!」
チウの剣呑な受け答えが逆鱗に触れたのか、運営関係者から盛大な怒りを買ってしまった。まあ、当然のことなのだ。捕縛した連中の特殊効果も(あくまで演出と勘違いをされた)早く元に戻せと、容赦なくギャンギャンと周囲から吠えられ、一般の現世界住人には手を出せないため、嫌だ嫌だと反抗を続けはしたが、結局、押し切られて涙目ながらに捕縛術をほどいていくチウの姿を横目に見て、ああ、無駄足だったなあと感慨深げにため息をついた。
そして、現在、国際展示場エリアからは叩きだされて、真冬の曇天の寒空の下、近くの防災公園でチウと二人で凍えながら、コスプレイヤー達の動向を監視している。
「……いるのかよ」
「……ええ、いるわ。こっちに気付いているけど、手を出すようには見えないわ」
レイヤーの撮影者の中には、それなりの数の深き者が紛れているが、先程の騒動の件が早くも知れ渡っているせいかチウへ直接手を出すことは控えているようだ。チウ一人に手も足も出せなかった現実は否めないのだろう。
「あー、さぶ。悪い用足しだ」
「なによ、また?!」
仕方がないのだ。寒く芯から冷える身体が欲する、温かいお茶を飲み、飲んだ分だけ体内の水分調整を施すからトイレが近くなる。決して、年齢や健康不良から来る頻尿の気ではない。はずだ。
現世界人とは体の構造が違うのか、寒がりはするものの、チウがその様な素振りを見せることはない。何か別の対策でもあるのだろうかとも勘ぐるが、一応、見た目は女子なので聞くにも聞けない。
ぶつぶつと文句を言うチウを後にして臨時のトイレへと向かう。どうせ、列が作られているから早めに行くに越したことはない。漏れたら大変なのだ。
「あなた、あの子のなんなのさ?」
用を足して場から離れて間もなく、明らかに深き者と思われる一団に囲まれて、抵抗もできずに人気の少ない場所へと連れていかれて、なんだか懐かしいフレーズで問い質される。
どうも、チウと一緒にいたことから、何か勘違いをされたようだ。全員がピリピリとした様子で「港のヨーコ」とかボケても許してもらえそうな雰囲気ではない。
「あー、一応、保護観察者とでもいいますか――」
「なら、何とかしてよ!? 一方的に襲われた方としてはたまらないでしょ」
いやいや、アンタ達、不法滞在者みたいな扱いでしょうに。こちらが事情を知らず、数に任せて強気になっているのかは知らないが、口々に俺に向かって文句を投げかけてくる。
だから、正直に告げてやった。
「いやいや、アンタ達、深き者共の末裔でしょ? 夢世界の住人で不法渡界者」
「えっ……」
騒がしかった場は一瞬で静まる。何で知ってるのという感じが駄々漏れだ。
「ちなみに俺は事情を知る、現世界の住人。そしてアンタ達の後ろから近づいてくるのが、不幸の原因」
俺にとっても、アンタ達にとってもな。
俺の言葉の意味を一瞬で理解し振り向く者、逃げようとする者、反応は様々だが、襲い来る不幸の源は容赦をすることはない。
「現世界人への不当な接触行為の現行犯ね! さあ、今度こそキリキリと全員お縄につきなさい」
喜々として、片っ端から深き者共を捕縛していくチウ。そして、混乱に紛れてその場から離れる俺。幾ら人気が少ない場所でも、こいつの起こす騒ぎを聞きつけて、又、運営の方々が駆け寄って来るだろう。そうすれば、何が起こるかは深く考えてなくとも判ることだ。
「出禁で」
「ですよね。すいませんでした」
駆け付けた運営の方へ泣きつく深き者共から保護観察者として指を向けられ、ふてくされるチウと共に平身低頭で謝る俺に向け、怒りを抑えた感じの口調できっぱりと告げられた。好きで来ているわけではないから特に問題はないが、迷惑をかけたことに変わりはない。
多分、今後、このイベントに紛れ込んでも直ぐに追い出されるだろう。そして、さっさと帰れと現時点で叩きだされている。お祭り騒ぎでも、迷惑行為はしてはいけない教訓となってしまった。
チウとしては、先程よりかはましだったからか、素直に従い、帰路へと向かっている。同じ轍を踏まないように、運営が駆け付ける前に捕縛した端から深き者どもを夢世界へと移送していった。が、その隙に逃げた者を追いかけ回したがゆえに大騒ぎとなり、結局のところ会場から追い出されるはめになったわけだ。
だが、決して、チウ自身は良い雰囲気ではない。獲物を逃したからではない。追い出されるさいに、共に出禁を喰らいショックを受けた深き者が投げかけた一言について考えているのだろう。
『俺達みたいな小物にちょっかい出すより、クトゥルフの奴をなんとかしろよ!』
思わず出てきた大物の情報。俺でも知っていた旧支配者の一画。H.P.ラブクラフトの代名詞となった小説の題材。
どうやらクトゥルフ本人がが現世界に紛れ込んでいるようだ。
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