第三話 至る所にいる怪物について
「お前の担任から呼び出しを食らった。なにしでかした?」
帰宅してすぐに、炬燵で夢世界製の情報端末を必死で睨んでいる、先日、夢世界の賞金稼ぎから、現世界での女子高生へとジョブチェンジを果たしたチウをジト目で問いただす。
「特段、問題行動はなにもしていないわ。今、賞金首の洗い出しで忙しいから話しかけないでくれる」
夢世界の賞金稼ぎから足を洗ったわけではないようだ。稼げなければ、いつまで経っても借金が返せず、俺のところに居候だからな。
そこはともかく、じゃあ、何故、勤務中の俺の携帯が鳴り、チウの担任だと名乗る女性からトーンの落ちた声で『学校の方へ時間のご都合をつけて来ていただけないでしょうか?』と、こっちが気落ちしそうなほど、か細い声で弱弱しく問われて、断れば死ぬんじゃないのかと思わせる様な沈黙の間を経て、判りましたと返答をして、くそ忙しい師走の合間に、養い主である俺の貴重な時間を割かなければならないのかと、無駄飯くらいの居候罪人へと聞き返した。
「しょうがないじゃない。こっちのお金持っていないし、そもそも、局長閣下の頼みを聞いたのはあんたじゃない。監視人としてのお役目よ、役目。義務。責任」
当事者の自覚がない本人は、本当に邪魔しないでと言わんばかりに、こちらを見もせず、言いたいことだけを言って、情報端末とにらめっこを続けている。
学校への編入手続きを済ませてから、毎日、ずっとこの調子だ。学校から帰って来て、俺が職場から帰宅するまでの間、ずっと炬燵の番人をしている。飯の支度も、風呂の掃除も、占領した荷物の片付けもせずにだ。
俺のことを気にもせず、情報端末の操作を続けるチウの後ろ頭を眺めてから、毎月百万円の副収入のためにもガマンだと心の中で繰り返しながら、仕事帰りの服装を部屋着に着替えて、夕飯の支度を始めることにした。
ジッパータイプの食料保存袋の中で焼肉のタレで漬けた、近所のスーパーで特売される海外産の安い豚バラ肉を焼いたものと、同じように醤油で漬けておいた乱切りのキュウリと、タマネギを鷹の爪であえた甘酢漬け。そして、主食たる白米にもち麦を大量に炊いたもの。
遅い時間に帰宅しても手早く夕飯の支度が済ませられるよう、休日に保存を兼ねた漬け物を仕込んでおいて、平日は炒めるか、切って盛り付けるだけにしている。白米が美味しく食べられれば良いのだ。時折、味噌汁が無性に恋しくなると、作り置きしておかずにもなる豚汁か、インスタントで逃げるようにしている。
翌日の仕事に差し支えが出ない睡眠と、ささやかな自己の安らぎの時間を少しでも長く確保するために、かつ、それなりの食生活を保つため貴重な休日の時間を多少削いででも行っている日課。
だが、いまは、それも食器洗いも含めて、倍の手間が必要だ。
感謝をすることもなく、いただきますも、ごちそうさまという概念すら知りそうもないチウは、ガツガツと食事を済ませて満足すると、また、情報端末とにらめっこになる。
「ハァー、いつまでたっても見つかりはしない犯罪者の情報をずっと探すよりかは、家事の手伝いくらいできませんかね、無駄飯くらいの居候JK」
「若い娘と一緒にいられるだけでも胸がときめくでしょう。こっちの情報だとお金を取ってもいいくらいじゃないの、おじさん」
電子の賢者達から余計な入れ知恵を付けられたチウの言葉に、納得はできるが同意はできない。お前は俺のストライクゾーンではないからなと言ってやりたいが、後が怖いのでじっと堪える。
……自分の腕や脚の関節がゴムみたいに曲がるのは見たくありません。
そして、思い出される担任からの『クラスになかなかなじめないようで……』という言葉。一応、二者面談の約束をしてしまったからには多少なりとも、こいつの学校での態度や対応を知っておく必要がある。
何も知りませんなんて言えば『保護責任者としての自覚がないのでは――」とか勘ぐられて事態をこじらせる一因にもなりかねねない。
「なあ、本当に学校で面倒ごとに巻き込まれていないだろうな。無視とか、間接的な嫌がらせとか」
チウに対して暴力で訴えかけても効果はないだろう。下手をすれば返り討ちだ。しかも、記憶操作付き。時折行き会う、以前は多少、粗暴だった隣の住人の愛想がやたらとよろしいことは記憶に新しい。
そのあたりのチウの行動制限について、夢世界側の言質を取っていないことと、俺に対して仕向けられた色々な対応を考えてもないに等しいだろうなと、やんわりと気付いた。だが、今の問題はそこではない。大問題なのだが。
「さあ、興味がないから。人と話すこともないし、なんで、食事をするのにわざわざ集まるのか興味深いところでもあるわね。それに、学ぶべきことも特にないし」
向かいに座った俺へとようやく顔を向けて、学校での様子を呆れた感じで話す。内容を聞く限り、チウ自身が周囲に向けて積極的に動こうとしている様子はないようだ。
できれば、食事はそのまま一人で続けてもらいたい。小遣い制にして、こいつに現金預けると何に使われるか分からないから、朝早めに起きて、面倒でも弁当を詰めている。自分の分もだ。
おかげで、最近、職場の女子事務員から「新藤さん独身なのに、毎朝お弁当詰めてきて、マメですね」と勘違いもされている。弁当の中身を知らないから言える言葉だろう。世の中の手間暇かけているお母様方に申し訳が立たない。
「少しでも、こっちの世界の情報を入手したほうが役にも立つだろう? 俺としては、お前たち夢世界の住人が現世界へどんな形で関わっているのか想像もつかないからな」
「はっきり言って、現世界レベルで教えられていることは夢世界の水準に比べると雲泥の差なの。幼稚なの。社会性や歴史なら、原始的な電子情報の雲の中で得られることも大したことはないし。退屈なのよ」
暗に、現世界への侮辱と夢世界住人の出来の差をチウは示すわけだが、こいつは局長閣下がおっしゃていた現世界の文化や娯楽について興味はないのだろうか? 多少の疑念は残るものの、結局のところチウ自身の態度が改まりはしない限り問題解決の糸口にはつながらないだろうなぁと、炬燵の天板に突っ伏してため息を吐くのであった。
私立
チウは家庭の事情から俺のところで預かることになった姪っ子っというように情報と操作されている。おかしな問題点があって、やむに已まれぬ事情で編入したわけではないから、本来は学園側から目を付けられることはなかったわけだ。
本人の自覚と行動が共わない限り、操作された情報でも無駄になるといういい事例ができた。同じような事態が起きた際に行う隠蔽工作の判断材料として用いてもらおう。俺には関係ないがな。
部活動に所属していない生徒が帰宅を始めているさなか、学校指定の厚手のコートを着込む生徒達とすれ違いながら、正門をくぐり学校の受付へと向かう。
時折、怪訝な様子でちらりと目を向ける生徒もいるが、一般庶民である俺を見てもなにも得ることはないからスルーされるだけだ。
「失礼します。こちらに通っている新藤チウの保護者の者です。担任の
受付の小さいガラス戸越しから中にいる事務員の方へと声を掛けると、少し戸を開けて少々お待ちくださいと返事をされてから暫しの間まつ。
廊下の向こうから小柄の眼鏡をかけた年若そうな女性が慌てる様な足取りでこちらへと向かってきた。
「ああ、本日はお忙しいところ恐れ入ります。初めまして、新藤チウさんの担任を務めています霧生です。こ、こちらへどうぞ。ご案内します」
ぺこぺこと頭を下げられながら、こちらに挨拶をさせる間もなく、面談を行う部屋へと案内をされた場所は、進路指導室。学生の頃、厄介になったのは、本当に進路の相談の時だけという部屋だ。問題起こして厄介になったことはない。帰宅部で家で寝て読書派だったもので。
「改めまして、新藤チウの保護者をしています、叔父の新藤新です。どうぞよろしくお願いします。本日はチウのことで、なにか問題があるとのことでしたが」
通された部屋の中にある古めの折り畳み椅子に腰を掛ける前に、流すような挨拶を済ませつつ、さっさと本題にはいる。せっかく、職場を早引けしたのだ。とっとと終わらせて、家に帰って少しはまったりしたい。問題が大したことではなければの話だが。
「あ、はい。……実は、チウさんとクラスメイトとの関係と言えばいいのか」
歯切れが悪く言いよどむ様子の担任を見て、クラスになかなかなじめない様子が発展して無視かなにかのイジメにまで達し始めたのか。まあ、そんな状況になったところでチウの奴が挫けるはずはないが、別の形で厄介なことになっても困るので口を挟まずに話を聞いておく。
「いえ、いじめとか、無視とかではないのですよ。逆に、チウさんが誰とも話そうとしないとか、お昼に誘われても相手にしないとか、も、問題児から呼び出されたと聞いて向かった先から呼んだ相手が首を傾げて出てくるとか、お昼のお弁当が特大タッパに白米に梅干、お漬物数切れなのはいかがなものでしょうかとか、言いませんので……」
言っとるがな。流石に女子高生に持たせる弁当としては色気がなさ過ぎたか。俺の弁当だって量はともかく似たようなものにしている。缶詰のかば焼きを入れたりしているけどね。こちらの懐事情を考えれば、奴の食費を上げるわけにはいかんのだ。
それにどちらかというと聞き捨てならないのは呼び出した問題児とやらが首を傾げて出てきたところだ。絶対に、暴力的な方法を取ろうとした輩にたいして記憶操作を施したに違いない。相手が肉体的な損傷を帯びたようではないから、まだ許せるが、あまり聞き流しては良い案件ではない。後で、局長に報告をしよう。
「お昼のお弁当については、チウも納得の上でして。あの娘は、結構な大食なものでして。家ではきちんと食べさせていますよ」
(安い肉やしょっからい鮭の切り身をだがな)
「はあ、まあ、しかし、せめてもう少し他の生徒と交流をしてもらえないでしょうか。部活動に所属をするわけでもなく、直ぐにご帰宅されるようですし。なにか、趣味でもあるのでしょうか? それとも家庭のご事情でアルバイトをさせているとか」
まあ、アルバイトというより本来は本業の賞金稼ぎの情報収集をしていますとは言えな。どちらにしても、個人的な情報だから、この担任にすべてを教える道理はないだろう。信じるわけがないし。家庭の事情に深く踏み込むのですかとでも聞き返そうか。――なんか、泣き出しそうな顔しているから止しておこう。
「担任の先生の危惧についてもよくわかります。チウの奴も急な編入、転校でまだ、地元にも馴染めていません。私からも、言い聞かせておきますので、今しばらく様子を見てもらってもよいでしょうか」
この手の話は結論が付きにくい。いい解決方法もあるわけではないだろう。性格を今日の明日で治してこいとは流石に言えんだろう。だから、とりあえず様子見で場を濁してしまい、話を終わらせる方向へ向かわせよう。
「まあ、そうですね。チウさんが来て、まだ間もないですし。もし、初めての担任を受け持ったクラスで、イジメが発生したなんてことになると、私としては、どう対処してよいものか分からないところもあったので……」
弱弱しい声で心情を吐露する担任だが、それをどうにかするのも学校の仕事の一環でしょうにと思いつつも、じゃあ、本日はこの辺で良いでしょうかと切り上げて席を立つと相手も慌てて席を立ち、お見送りしますと部屋の戸を開ける。
開けた先には見知った顔がいて、見知らぬ女子高生が笑顔で隣を歩いている。廊下を歩いていた見知った顔は仏頂面で開けた戸の先に目を向けて、俺の顔を見て数瞬後には訝し気な顔をする。
「学校に何しに来たのよ」
「お前のせいで呼び出されたと言っておいただろう」
帰り際に、二者面談の議題であった問題の相手と、呼び出されてもおざなり対応で帰宅を始めていた保護者が相対した瞬間に剣呑とした雰囲気を醸し出したので後ろで見ていた担任が「やっぱり、家庭に問題が――」とか呟き始めたので、迂闊な対応をしてはいかんと心を即座に改めてチウに向き直る。
「チウ、隣の子はお友達か」
「違うは。今日、お弁当忘れてひもじい思いをしていたところ、購買でパンを奢ってくれた恩人よ。誰かさんが世間一般でいうお小遣いもくれないから――」
「そ、そうか! 初めまして、チウの叔父になる新藤新です。渡し忘れていた食事代を立て替えてくれたとか! 申し訳ない、幾らぐらいかかりましたか」
藪蛇だった。まさか、弁当を持っていくのを忘れているとは。多少は現金渡しておかないと、何かの時に流石にまずいか。一応、学生の身分とはいえ、多少の付き合いが今後発生しないとも限らない。『お金ない。お小遣い貰えない』と言われて、周囲から変な噂が立つのは嫌だ。
「いえいえ、気にしないでください。チウちゃんが思ったよりもよく食べる子だなあと知りましたし、おかげで話すことができました。少しだけ、お財布がかるくなったかなぁなんて思いもしません」
「……これで足りるかな」
財布から千円札を二枚ほど取り出して渡そうとするが、微笑ましい目線で「足りていません」と訴えかけるのでもう一枚追加すると「あ、多いですよ」と言われるが、余った分は取っておいてと笑って促す。給料日前の三千円。痛い出費だ。
「ありがとうございます! 私、チウちゃんと同じクラスの
立て替えた食費を受け取ると、とてもいい笑顔で改めて名前を教えてくれた。平均的な体格と顔立ちだが、短く切り詰めた髪型と、はじけるような笑顔が活発そうな雰囲気を印象付ける娘さんだ。
「そ、そう! 新藤さん、音流さんとお友達になったの。よかった。本当に、よかった。それで、二人とも帰らずにどうかしたの?」
チウは先ほど俺の「友達か」の問いかけに「違う」と答えていたが、このご学友と担任の耳からはすっぽりと抜けて落ちたようだ。
あえてつっこむ必要はないだろう。そして、授業も終わり、いつもならとっくに帰宅するはずのチウを連れて廊下を歩くということは、校内のどこかに向かっている途中なのだろうか。
「これから私の所属する部活動をチウちゃんに見学してもらいます! じゃあ、先を急ぎますので失礼します」
元気に答える音流さんに連れられて、愛想のない顔のまま担任に向けて会釈をするチウの頭を見送り、面談後よりかは若干明るい雰囲気を出した霧生先生に向け、軽く一礼をしてさっさとこの場から立ち去ろうとしよう。
「あら、でも、霧生さんどこかの部に所属していたかしら?」
後ろで一人つぶやく担任の疑問を「知らんがな」と聞き流しつつ、俺は学校をあとにした。
「……で、結局、最後は追われるようにして学校から出されたわけ」
わけがわからん。帰宅したチウに部活動の感想を一応、念のため聞いてみたが結末としてはこう締めくくられた。
顔立ちは地味だが、活発で明るそうな女子高生の音流呂兎が案内をした先は、部室棟の空いていた部屋で、中には一人の男子生徒が佇んでいたそうだ。
音流が入ってきたことに察して振り向いた顔には微笑みがあり、チウをみて満面の笑顔に変わったという。
「音流副部長! ま、まさか、その子は待望の――」
「そうよ!
あふれ出る感情を抑えることができないまま、両拳を胸の間で握りしめ椅子から立ち上がり、声にならない喜びを表していたそうだ。
「私は、入部するとは一言も言ってはいないけどね」
じゃあ、何故ついていったと聞けば「一食の恩義」ときっぱりと答えた。
「で、ちなみに彼らの所属している部活動はなんだったんだ」
「探究部って言っていたわ」
探究部? 何かを追い求めてでもいるのかと疑問に思うと
「驚いたことにね、クトゥルフ神話を題材にした、てーぶるとーくあーるぴーじー? とかいうのをやるための集いらしいわ」
あかん。想像に現実が追いついてはいかん。よりにもよって、チウという駒を引き当てるのか。どんだけ悪運がつよいんだ。チウが入れば幻想と怪奇が、現実と実態に引き戻されてしまうところだ。まあ、信じる奴もいないだろうが。
「で、そのあと、他に誰が来た」
「だから、結局そのあとすぐに、二人の声を聞きつけた見回りの教師に見つかって『無断で部室を使うな』って追い出されただけよ。部員を集めて、きちんと申請しろとか説教されてたわよ」
なんとなく、したたかそうに見えたが、実はおバカな子だったのだろうか。いずれにしても二人でTRPGはないだろう。できないことはないが、長く続ければ飽きそうだ。
「ちなみに、二人の関係は?」
「腐れ縁の幼馴染って言ってたわよ。勘違いしないようにと念を押してたけど、どういう意味なのかしら?」
恋仲ではないが、馴染みの友達とでも言いたいのだろうか。リア充め。勘ぐったところで事実は知れたことではない。まあ、チウの学友となってくれることを祈るしかないな。
「まあ、ようやくできた学校の友人だ。大事にしろ。現世界では人付き合いも一つの重要スキルだからな。こちらに居つくなら、ある程度は身に着けてくれ」
「そう、ね。まあ、実のところ入部してもいいかなとも思ってはいるの」
チウが続けた言葉に、おや? っと思う。現世界についてあまり興味がなさそうだったことを思うと大きな心変わりだろう。しかし、チウの顔を見てすぐに裏があるのかと察した。
「教室から追い出された際にね、奥の別室から出てきた不細工な男子学生。あれ、間違いなく『深きもの』の一族だったわ」
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