第二話 蛮勇の召喚

 夢世界からの無事帰還後は、平穏で平凡な日常に戻ることができた。関係各所への記憶操作も確かに施されており、所長からは「送り迎えご苦労さん」と言われて遅刻はなかったこととなっていた。

 (夢世界)不思議な場所であった。しかも、幼少の頃から大学卒業まで知らない間に留学経験までしていたのだ。記憶は一切ないが。


(しかし、もう二度とあんな不思議な体験をすることはないのだろうな)


 と、仕事帰り運転中の車の中で感慨にふけていた時間を返してほしいと、我がマイホーム(2DK風呂・トイレあり)の玄関を開けた瞬間に思わされた。


「随分、帰りが遅いのね」


 夜8時狭い居間のコタツに、俺を間違えて捕まえて、捕まった少女が何故か居た。


「どういうことだ」


「こういうこと」


 少女は、懐から銀色の薄い円盤を取り出し、コタツの天板の上に置くと、指先で二回ほどコンコンと軽く叩く。すると、ホログラフのようにニャルラトテップが映り出される。


「うわ、局長閣下アンタの目にはこう映るんだ」


 少女は驚きの声を上げ「これなら、怖くはないからいいけどね」と意味不明のことを言う。意味を問いただそうとする前にホログラフのニャルラトテップが語り出した。


「新道様、今回は重犯罪人チウ・リウム(16歳)の罰金返済監視役をお引き受けくださいましてありがとうございます。本日4時50分付けをもちまして夢世界統合管理局内の必要手続きは完了いたしました。これ以降チウ・リウムの監視は新道様が引き継いでください。」


 ホログラムのニャルラトテップは真面目そうな口調で淡々と説明をする。


「どういうことだ!」


「続きがあるわよ」


 ホログラムが切り替わり、取調室でみた三角錐の生物が浮かび上がる。


「うーん、このイス族、多分、管理局でもお偉方みたい。このあたりが動いているから話が早かったのねえ」


 少女は映像を見てぶつぶつ言っている。そういえば、夢世界でみた、三角錐とは帽子の色や形状が違う。役職によっても変わるのであろう。見た目の区別はほとんどわからない。映像の三角錐はこちらに向かい、説明を始める。


「現世界人 新道 新氏による罰金刑返済監視役同意の記録です。」


「ザー預かった遠縁の子を送り迎えするのに時間が掛かったという設定ですザー」


「ザーまあ、いいけど。ザー」


「この記録より、夢世界人を遠縁の子として預かる記憶操作の設定に同意されています」


「ザーザー後々、こちらから必要な人間をお送りしますのでご協力ください」


「ザーいいけど。ザー」


「この記録より夢世界より渡界したチウ・リウムの監視協力について同意されたことが」


「ねつ造じゃあねえか!」


「そう見えないこともないけど、あんた本人の言質ではあるわねえ、これ。」


 どう考えても屁理屈だ。これが通るのならなんでもありだ! しかも、音声の途中がザーとか、あからさまに編集されているじゃねえか! ニャルラトテップ思いっきり権力つかってるじゃねえか!


「おい、こんな証拠を俺は認めないぞ」


 夢世界に連絡を取らせろと少女に向かって言う前に映像の主が代わりニャルラトテップが映し出され、淡々と語る。


「尚、新道氏が監視役をお断りになった場合、特例処置で罰金刑となったチウ・リウムには元の刑罰を課せることとなります」


 これを聞き、言葉が詰まる。頭に浮かぶ元の刑罰、「極刑=死刑」の文字。少女がとなりで「ねえ、元の刑罰てなんだったの、ねえてっば!」と俺をつつく。知らされてないようだ。知らない方がいいこともある。黙っておこう。


「尚、チウ・リウムの夢世界への行き来に制限を設けませんが、賞金稼ぎ活動は現世界に限定されます。監視役である新道氏からの逃亡を企てた場合は「ティンダロスの猟犬」により、居場所を突き止め、再度の連行を行います。又、その場合は追加罰金が課せられることとなります。以上を持って今回の特例措置に関する説明を終了とします」


 有無を言わさずあっさりとホログラムが消える。いつの間にか俺をつつくのを止めた少女をみると目が点となっている。


「ソーンーナアーバカなあああ」


 と少女が雄叫びを上げた。


「お、おい、いくら何でも声がでかすぎる。もう少しトーンを落とせ、隣室からクレームがきちまう」


 あわわと頭を抱え立ち上がった少女をなだめようとすると、こちらに食って掛かり


「アンタ、先の意味わかっていってんの、賞金稼ぎ活動が現世界限定! 罰金の返済なんて到底無理よ! こっちの世界で高額賞金首なんて見つけるの皆無に等しいの」


「とにかく落ち着け、賞金稼ぎ活動自体を制限されたわけではないし、このまま一生夢世界に戻れない訳でもないのだろう」


 やっぱりわかっていないとため息をつく少女


「無理よ。無理! 現世界に居る夢世界人の犯罪歴は、不法渡界か不法滞在程度の連中ばかりだから、賞金額はせいぜい5~10万がアベレージ! 今回の罰金百億納めきるのには最低でも二〇万人を連行しなきゃならないのよ! 一日一人捕まえても547年以上かかるのよ!」


「ひゃ、百億」


 返済に547年! それは困る。そんなに長く監視役はできん。いや、そういうことではないのか。


「夢世界の住人はこっちの人間に比べると長命なんだろ。監視役の俺が死んだとしても、別に賞金稼ぎ自体を続けていけばそのうち返せるんだから別にいいじゃないか」


 実際のところ、こちらとしてもいいわけないのだが、今は少女を落ち着かせようと口から出た問いかけに、少女は、キッとこちらを睨みつけ


「向こうで何言われたか知らないけど、私たちレン系統の寿命はせいぜい300年よ! 精神交換を続けるイス族や化け物じみた旧支配者連中達と一緒にしないで!」


 三百年も十分に長いと思うが、どうやら死ぬまで罰金刑は続くようだ。いずれにしてもこのままだと(先ほど自分でも言ったが)一生こいつの監視役を続けるはめになると言うことだ。


「うーん。それはかなわんなあ」


「そうよ! これからの一生を好きな物も買えないなんて、まっぴらごめんよ!」


 少女はコタツの天板を両手で叩いて叫ぶ。俺の言葉を違う意味にとったようだが、まあいい。


「いずれにしても、今日の所は時間が遅い、騒ぐのは止してくれ。考えるのは、明日にしよう。腹もすいたしな。明日にでも改めて、向こうへ連絡を取るようにしよう。いくら何でもここまで横暴な事をされたのではかなわんからな。あー、ところでだな」


「チウ・リウム。チウでいいわ」


 こっちの言いたいことを察してくれて助かる。いい加減まともな呼び名がわからないと会話を続けていくのが苦しくなる。


「で、チウさん。今後、飯はどうするんだ」


「アンタが用意するんでしょ? 監視役なんだから」


 この辺の取り決めもよくしておかねばならんな。


「今日の所は貸しにしとくが、食費は用意しろよ」


「はあ? 罰金返済で貧しい私から更に取り立てようとするの、この現地人は」


 一人暮らしの生活費なめるなと言ってやりたいところだが、とりあえずは飯が先だ。もう遅いから、ご飯を炊いてカップ麺だけで済ませちまおう。そう思い、狭い台所に向かい米を計量して炊飯器にぶち込む。


「あら、お米って研ぐものじゃないの」


「なんでそんなことまで知ってるんだ。だけど今は、無洗米てものがあるのよ」


 ずぼらでめんどくさがりの男一人暮らしにはぴったりの米だ。(人によっては米を炊くこと自体しないが)その間にヤカンへ水を入れて、湯を沸かし、カップ麺を取り出しておく。棚の奥にある割り箸を取り出していると


「そうそう、寝るところだけは心配しないでいいわよ。向こうも、男と女が一つ屋根の下で寝るのはまずいからとかいって、私専用の異次元部屋鍵を用意してくれたから。まあ、なにかしでかそうとしたら、ただじゃ済まないけどね!」


 顔は可愛いがロリ貧乳チビには興味がないと、言ってやりたいが後が怖そうだから黙っていた。得意げに「どのくらい広いか確認しておこっと」と目の前でカードを取り出しチラつかせてから、例の空間を開け、チウは中に入り込みすぐに出てきた。


「どうだ、結構広かったのか」


「……本当に寝る場所くらいしかなかった。」


 顔を青ざめさせこちらに返す。まだ閉まっていない空間へ、頭を突っ込んでみる。中は、白一色だが、天井・床・壁の境界ははっきりとわかる。

 確かに狭い。「座して半畳、寝て一畳」をそのまま表したような空間だ。一畳よりかは多少広い。天井の高さもせいぜい2.2m程度あるくらいか。

 まあ、一応は罪人扱いなのだから、そんなとこだろうとは思ってはいた。ここに居候させるのなら、光熱費の折半も計算に入れねばならんなあと思っていたとき、チウが予想外の発言をした。


「まずいは、わたしの夢世界の所有物こっちに送らせるよう手配してあるのに、これじゃあ、ちっとも収まりきらない……」


 何を言っているのか一瞬理解ができず、思考が止まる。荷物、収まらない? そりゃあ、この部屋では無理があるよな。


「て、おいおい、本当かよ! おまえなんで部屋の広さくらい確認しないの?」


「しょうがないじゃない! 今回の鍵は現世界でのみ使用可能だって、言われてたし、記録ディスクの内容見るまで決して鍵を使うなって言われたから」


「荷物の量は?」


「えぇとね、だ、大体そうね、今いる部屋に収まるくらいじゃない」


 チウは、部屋の大きさをぐるっと、見回したあと、頬に指を当て答える。今の部屋とは、居間代わりに使っている、俺達が立っているこの部屋のことであろう。あとは、寝室に使っている俺の部屋しかない。無理だ。とても、置ききれない。


「よし。断れ、今すぐ荷物を届ける手配を断れ」


「絶対イヤ! これでも最低限必要な着替えや、商売道具、日用品を選んだんだから!」


 選んだ割には四畳半一杯の荷物もあるのかよ。改めて、諦めるように言い直そうとすると、「パキ」と音が鳴り、上を見上げると天井の空間がパックリと開き中からでっかい目玉がのぞく。

 唖然として声が出ない俺と、天井の目玉と目が合う。相手もビックリしているのかか、こちらを凝視している。お互いが固まったように動かないでいると、チウが天井の目玉に向かって声をかける。


「あ、すいません。多分、私の方ですよ、配達屋さん」


 目玉はすぐにチウの方を向き、ホッとしたような安堵の目をすると、中から影のような丸い形状が連なりチウの方に向かって出てくる。


「すいません。現世界宛てで届け物は始めてなもので。まさか、さっそく現世界の人と目が合うとは思いもしませんでした。チウ・リウム様ですか」


「え、ええ。もしかして、手配してあった私の荷物が、もう届いたの?」


「ハイ。お急ぎ便でと言うことでしたから。この度はヨグ=ソートス引っ越し便を利用して頂きありがとうございます。ところで、荷物はどちらに降ろせばよろしいでしょうか?」


 目玉の生物はチウに向かって挨拶を始める。


 「置く場所はない!持って帰ってくれ」と言う前に俺の口は封じられた。近寄ってきたチウの一瞬の早業でアゴを外されたのだ。アガアガとしかいえない俺を台所の方に無理矢理押しやり、


「そろそろ、お湯わきそうだから見てないと危ないよ、おじさん」


 俺はまだ25歳だ! と叫びたいがどうにもならない。


「ええと、そうね、ここは居間みたいだから、こっちはと」


 ニコニコと余所行きの様な微笑みをしたまま、チウは俺の寝室のドアに手を掛け、中を覗く。少し間を置いてから向き直り、目玉にニコリと微笑みかけて


「こちらの部屋に置いてもらえますか。とりあえず押し込めてでも」


 どのような手際で置かれたか見ることもできない早さでチウの荷物は俺の寝室を占拠した。外れたアゴを戻す際に、ジロリと睨みながら


「今後、あの部屋は共同の荷物置き場にさせて貰うから」


 冗談ではないと抗議の目線を送る。


「アゴ、元に戻さないけど、いいの」


 そして、脅しである。ガックリと目線を下げ諦めると「理解が早くて助かるわ」と言いながら俺のアゴを元の位置にはめ直す。

 どうやら、暴力的な対処ではチウには一切敵わないことを早々と思い知らされてしまった。しかし、こちらも生活がかかっている


「もし、今後、夢世界側から支援的な物が無いようなら光熱費・食費諸々、折半にはしてもらうぞ。これだけは譲れんからな」


 地方に居を構えているため都市部に比べればかなり賃貸費は割安だ。一人暮らしでギャンブル等に散財をしなければ貯金に回せるほどの暮らしはしてきた。

 しかし、もう一人分を無料で提供できるほど月給を貰ってはいない。万が一の場合は生活の破綻も考えられる。


「甲斐性がないわね」


「二人揃って、部屋追い出されるよりかはましだと思え」


 カップ麺に湯を注ぎながらぶっきらぼうに答えた。

 その後ろで「払えたらの話だけどねえ」とコタツに戻り暖をとっているチウはのんきに返事をする。

 そう、今後コイツは多額の罰金を払う方に全てのカネを注ぎ込まなければならないであろう。

 しかも、「賞金稼ぎ」という職業で稼がなければならないのだ。カップ麺2つをコタツまで持って行きチウの前にも置いてやる。ジーとカップ麺に目線を向けるチウに対して


「まだ、開けるなよ。飯も直に炊ける。ちなみにだ、チウは賞金稼ぎとして年間幾ら位の稼ぎがあるんだ」


 カップ麺から視線を外さないまま


「そうね、夢世界でなら最高1億位の賞金首を捕まえたことがあったわね。それは別としても、この3年位で2~3億程度は稼いだかしら」


 と、さらっと答えた。目が点になる。年間で億単位の稼ぎ。異常ではないのか、いや、それとも賞金稼ぎという商売は意外とボロい商売なのか


「言っとくけど、私は夢世界の賞金稼ぎのランキングベスト10入りしているから。はっきり言って結構な腕前なの。それでも短期間に100億稼ぐとなると中途半端な方法では稼げないの。なのに、現世界限定で賞金稼ぎなんてとっても無理」


 言うだけ言うとハァと、天板にアゴを乗せてむなしげにため息を吐く。どうやらチウは本人の弁を信じるのであれば相当な腕利きではあるようだ。

 それでも、現世界限定にされると稼げる賞金額はグッと下がるよみたいである。ある意味ありがたいことだが、現世界にはたいした賞金首が来ていないのが原因らしい。


「高額賞金首のクラスとなるとどの程度の犯罪者なんだ」


「いわゆる重大事件をやらかしたテロリスト個人又は幹部連中、長期に捕まえられていない逃亡者、未解決事件の犯罪者や、連続殺人鬼の類いね」


 やはり、やばそうな犯罪者には多額の賞金が掛かると言うことか。「他にはないのか」と聞き返すと面倒そうにチウは答える。


「幾ら聞いてもこっちの世界に多額の賞金首がわざわざ逃げ込むことは無いの。交通機関が夢世界に比べ未熟な現世界の交通ルートじゃ、逃走方法も限定されるし、わざわざ変装しても今朝方見せた犯罪履歴ファイルの探知で直ぐにばれることだし」


 わざわざ逃げにくい世界に来ることはないという訳か。そうこうしているうちに炊飯器から米が炊けたメロディが流れる。用意しておいた茶碗にメシを盛りコタツまで運ぶ。


「そういえば、米食えるのか」


「……いまさら聞かないでよ。まあ、きっと大丈夫よ。それより、こっち、カップ麺開けていいの?」


 おっとと思い時計に目をやると3分を少し過ぎたくらいだ。


「ああ、ちょうどいい。しょぼいが、飯にするか。」


「なにがしょぼいの?贅沢いわないでよ」


 確かにこれからのことを考えると贅沢なことは言えなくなるかもしれんが、こいつに言われたくはない。チウは目の前で器用に割り箸をわり、カップ麺をすすっていく。


「お前、箸使えるのか」


「夢世界でも現世界の料理食べたことあるから。麺類も一通り食べたことあるんだから。こっちのお米? これは始めて見るけど」


 と自慢げにチウは語り、米の方に箸を指す。ニャルラトテップも語ってはいたが結構「夢世界」には現世界の様々な物が流れ込んでいるようだ。


「米自体にそれほど味はない。いわゆる主食というやつだ。メンと一緒に食えばいい」


 炭水化物の重ね食いはまあ、あまり良くないと思いつつ、目の前で食べてみせる。まねをするようにチウも一口、二口と食を進めいつのまにかガツガツと勢いよく食べ始め、直ぐに茶碗を空にする。


「なによ! 味がないなんて十分においしいじゃない! まだあるの、もっとよこしなさい!」


 と、無遠慮に茶碗を突き出す。結構な食いっぷりだが、炊飯器を指さし


「自分でよそえ居候。それと3杯目はないからな」


「ほんと、けち臭いわねあんた。彼女できないわよ」


 胸に深々と刺さる、情け容赦ない、非常に余計なひと言を言い放ちつつ、いそいそと炊飯器の方に向かい、てんこ盛りの茶碗を持ち帰りガツガツと、カップ麺をオカズに飯をかき込む姿は、遠慮もなにもあったものではない。

 それに、年頃の女の子が飯をがっつく姿はたとえ、顔が可愛くとも非常に萎えるものだ。汁まできれい飲み干すと「ごちそうさま」といい、すぐにごろりと寝転んでしまった。


「……片付けぐらい自分でしろ」


「おなかいっぱいで動けませーん」


 手をひらひらと振り「あとお願い」と言うだけで動こうとはしない、夢世界の可愛い顔をした残念な少女チウ・リウムに対して


(ああ、とんだ奴に居座られることになったなあ)


 と悲しい感想を、持たざるを得なかった。




 翌朝、目が覚めてから、通勤に出るまでの間、チウが姿を見せることはなかった。


(昨夜のことはやはり夢だったのではないか)


 と勤務中も時折ちらついたその考えが甘かったことは、玄関を開けた瞬間に思い知らされた。

 居間兼俺の寝室に設えてあるコタツに20インチ型程度の見たこともないようなデザイン、あえていうなら縄文土器をモチーフに縁取りしたようなデザインの、ディスプレイ越しに設置されたマイクに向かって、遠慮なしに怒鳴り散らすチウが居た。


「あ、やっと帰ってきた」


 こちらに気づくと、ふて腐れた顔をこちらに向ける。


「チウさん、いつからそうやって怒鳴りちらしているのかえ」


「夢世界と通信を始めてからずっとよ。そうね、2時間前位からかしら」


 この娘には世間体とか、社会常識とかいう概念は無いのだろうか。極刑とか罰金刑とかより、再教育を兼ねてブタ箱に入れた方が良いのではないかと疑問に思っていると


「ああ、怒鳴り声の件なら安心しなさい。通信始めてからすぐに「やかましい!」とかいってきた連中が来たけど、簡単な記憶操作で忘れてもらったから。ついでにこの部屋から漏れる音は聞こえないようにもしておいたし。現世界人は脳内構造と精神構造が単純で助かるわ」


 実際であれば憤怒し、頭を抱えるような行動と発言だが、近隣から悪印象をもたれるよりかはマシかと諦める。


「で、夢世界となにを通信しているんだ」


「あきれた、もう忘れたの。昨夜の見解について問い詰めてるのよ。あんたも当事者なんだから、早くこっち来て参加しなさいよ」


 おお、そうだ言いたいことは幾らでもあるのだったと思いだし。靴を脱ぎ捨て直ぐに縄文式デザインのディスプレイの前に座る。


「この、マイクに向かって喋れば、向こうに伝わるのか」


 そうよと、チウはうなずく。よし、では


「おい、罰金刑に該当するような他の刑罰に変更はできないのか! 例えば、200年以上の懲役刑とか、いっそ、終身刑とか!」


 言うや否や、ものすごい勢いでチウにどつかれ、意識が飛びそうになった。格闘技や喧嘩をしたことがない俺にとって、ヒトにどつかれて意識が切れかかるのは、初めての経験である。鬼も逃げ出すような憤怒の形相で


「なああにを、言っているのアンタは! ふざけたこと言ってると承知しないわよ!」


 と、胸グラを掴んでガクンガクンと揺らして怒鳴るチウに対して、「スイマセン、スイマセン」とへたれの如く謝るしかなかった。人間いくら差し迫ったからと言って、むやみに本音を口に出してはいけないと、心底思い知らされた瞬間であった。


 ディスプレイの画面には、昨日からよくみる三角錐の生物が、クトゥルフ神話で言う「イスの偉大なる種族」であることを知る。(考えてみるとまんま、ラブクラフトの表現した通りの形状であった)

 昨日、ホログラフで現れたイス族だとチウが説明してくれた。俺としては、どこでどう区別をしてよいのか、分からないのだがあえて聞くことはせず、画面越しのイス族に対して


「今更、ここに至る迄の、理不尽な過程について、納得はしていないが千歩譲ってひとまず脇に置くとしましょう。

 しかし、無駄飯食らいの一文無し居候を無理矢理抱え込まされて、ハイ、そうですかと言えるほど、我が家の家計は甘くは無いんすよ。そこんとこ、どうしてくれるのかはっきりと答えて下さいよ! でないと、出るとこ出ますよ!」


 無駄飯食らいの下りで、チウにスパンと頭を叩かれるが気にしてはいられない。こいつら夢世界の住人達は、どうせ、無理やりにチウの監視役を押しつけるであろう。本人の承諾もなしに異世界留学を実行してしまうような連中なのだから。

 しかし、今現在の生活を脅かすような現状まで見過ごすわけにはいかないのだ。出るとこ出ると言っても、ツテも、アテも、というより損な脅しが通じるかも分からない相手だが、引くわけにはいかない。納得できる答えがでるまで、引かないぞと言う前に


「その件に関しましては、管理局長より通達がございまして、監視手当と観察者の生活費を含めまして月々100万程、新道様の口座に振り込ませていただきます。もちろん振り込み先の名義人は現世界では分からないように操作を」


「あ、はい、もういいです。わかりました。納得しました」


 続けようとしたイス族の言を失礼ながらも遮り、画面の前の席をチウに譲る。「少しはこっちに廻しなさいよ」とか意味不明のことをチウは言っているが聞こえない。


 月々100万円。流石、ニャルラトテップ局長。やはり、権力の大きさが違う。


 これは、もしかすると仕事続ける必要がなくなるのかも。まずは、引越し先を見つけないと、とか様々な甘い考えが浮かんでくる。

 チウはまだイス族に向かって「部屋を広くできないのか」とか「せめて、現世界限定の賞金稼ぎについては解除できないのか」とか交渉をしているようだが、こちらはどうにも良い返答は出てきそうにない。結局、管理局の返答としては


「賞金稼ぎ活動は現世界限定。部屋の広さに関しては今後の活躍次第で考慮する。夢世界への行き来と通信については通常通り行っても良い。但し、拠点はあくまで新道氏の監視が届く場所に限定する。新道氏と管理局の許可なくして外泊も認めない」


 と、いうことで正式に結論に至った。通信が切れ、チウはがっくりとしている。しようがないさ。重犯罪者なのだから、多少の束縛は受入れなきゃ。と慰めようと肩に手を置き、振り向いたチウの落ち込み顔に対して思わず


「ざまあみろ」


 と、またもや本音がでてしまい、見えない速さの左フックだと思われる強烈な拳をあごにくらい、今度は本当に意識を失った。





「サ、サブイ」


 初冬とはいえ布団も掛けずに、殴り倒されたまま居間兼寝室に放置されたため、深夜に目が覚めた。

 チウの姿は見当たらない。念のため、元寝室(現在、物置)の中も確認をしてみたが姿はない。別次元の寝室で寝ているのだろう。間違いなく、ふて寝であろう。いっそ悔しさのあまり寝れなければいいのに。

 つらつらとそんな事を思っていると、居間の通信ディスプレイの電源が入り、画面が明るくなる。そこには、薄暗い部屋をバックに、ニャルラトテップの姿が映し出された。


「夜分、遅くに申し訳ありません」


「一体、全体、どういうことだか、説明してもらいましょうか」


 生活費云々という金銭面にいたっての納得はできたが、どのような理由なのかという説明は受けていない。

 というより、半ば説明は無い物と諦めていいた。あのイス族の役人が説明したとしても、信じることはできない。

 しかし、トップであれば別だ。下手な嘘をいえば、言い逃れはできない。(もみ消すことは可能であろうが、それをすればこちらの信頼を著しく損なうであろう)


「先日も説明した通り、現在、現世界と夢世界との異世界交流計画は、中止の憂き目になっています」


「いや、いっそ永遠に交流を止めてもらいたいのですが」


 真面目な顔で返答をすると、困った顔をするニャルラトテップ。


「まあ、それは、それとして」


 聞かなかったことにして、続けるニャルラトテップ。さすがに、なかなか図太い。


「今回の当方のミスにより、現世界人を夢世界に連れてきてしまうと言う事態が発生してしまいました。

 しかし、連れてこられたのが貴方、夢世界への交流経験のある、新道様であったのは一つの天恵でした。これを機に、再度、現世界との交流の必要性を見直すきっかけにできればと、今回の計画を思い至ったのです」


「はっきり言いましょう。迷惑です」


 そもそも、決断から計画実施までが早すぎる。そして、今回も計画に参画される側の意思承諾が一切取られていない。とても、お役所仕事とは思えない。


「通常であれば、ここまで早急に計画を進めることはなかったでしょう。しかし、我々としては、現世界の文化の流入が止まるという問題があります」


「いやいやいや、まてまてまて。そんな事は大した問題ではないでしょう。あなた方の知性や精神性の高さを考えれば、こちらの文化をそれほど必要とすることは無いでしょう」


 何をそんなにムキになるような事なんだ。冗談か、それとも、馬鹿にしているだけなのか。しかし、ニャルラトテップの答えはこちらの予想を外していた。


「残念ながら、冗談とは言える事態ではないのです。我々、夢世界の住人はその知性、精神性の高さ故に新たな文化の創造ということをしなくなったということは、先日も説明したと思います」


 そういえば、そんなような事を確か言っていたような気がする。


「そのためか、夢世界の様々な種において衰退の傾向が見られ始めていました。しかし、現世界の、エンターティメント、サブカルチャー、グルメ様々な文化は、我々、夢世界の住人に活気を取り戻し、種として再度の活性化を促し始めたのです。

 信じてもらえないかもしれません。だけど、我々にとって、きっかけとなった少年ラブクラフトが描いた冒険絵物語、きっとあなたがた現世界の人々から見たら稚拙で幼稚な出来といえる作品でさえ、長い間、文化の創造をしていなかった我々にとっては大きなカルチャーショックでさえあったのですから」


 ここまで言われると、嘘くさい感じもしてくるが、ニャルラトテップの顔は真剣そのものであったから、さすがに再度毒を吐く気にはなれなかった。


「まあ、夢世界の人々にとってこちらの文化がどれだけ大切なものかはという点については信じるとしましょう。だけどですね、なんで、わざわざ、俺を誤認捕縛した賞金稼ぎと一緒に生活をさせるような計画にしたのですか?」


「……これはテストケースなのです。夢世界の住人と、現世界の住人が果たし共に生活ができるのか。この事案が成功すれば、夢世界と現世界の交流計画は一気に進むことができるでしょう。新道さん。ご迷惑なのは承知の上で今回の件、改めてお受けして頂けないでしょうか」


 はっきり言いたい。だが、断ると。


 しかし、ニャルラトテップの目は真剣だ。というより少し怖い。断れない。いや、断ればもしかすると千なる異形に姿を変えるかもしれない。それは、俺にどのような宇宙的恐怖を呼び起こし、SUN値をすり減らすのか分かったものではない。


「こちらの生活が破たんするような事態は避けられるであろうことは、先ほど管理局の方の説明で伺ってはいます。あとは、生命の危険が無いという事について保証はできますか」


 俺は、ニャルラトテップに問う。にっこりと笑うニャルラトテップ。


「チウは、夢世界の管理局認定賞金稼ぎとしては、若手ながらもトップレベルです。何事においてもあなたの身を守るくらいのことはたやすいでしょう」


 そのチウ本人に殴打され、昏倒していたのだが。しかし、チウは性格に難があるとしても、腕の方は確かなようだ。


「現世界においては、それほど凶悪な夢世界の住人は以内と思われます。そのため、賞金額のアベレージも低い物であることも確かです。そのあたりは、我々管理局側からも様々な情報を与えるようにします。

 それに、現世界においては、もありますからそれらを解決できれば特別手当を支給するように考慮しています。あ、この点はチウには言わないでおいて下さい。そうしないと、彼女が、我々を当てにして積極的に賞金稼ぎ活動をしなくなる恐れがありますから」


 罰金の返済が少しでも早く済むようにしてもらえるのであれば、こちらとしては助かる。さすがに一生、チウと一緒というわけにもいくまい。というより、返済より先にこちらが死んでしまうだろう。


「もう、何を言ってもここまで来てしまったのだからどうにもならんのでしょう。どうせ、断っても無理矢理にでも推し進めるのがそちらのやりかたでしょうから」


「新道さんの優しさには感謝が付きません。こちらとしては、最大限の補助は行います。もし、私へ直接ご相談があるのであれば、先日渡した名刺を空間に差し込んで下さい。私に直接つながります。

 それと、又、夢世界に来た際、管理局管轄の施設で私の名刺を見せれば、大抵は入場がフリーパスになります。間違えても無くしたり、チウに盗まれたりしないで下さいね」


 画面の向こうで、ぺこりと、ニャルラトテップは頭を下げる。


 それにしても、先日貰った名刺がそんなに重要な物だったとは。名刺入れに入れっぱなしだ。金庫にでも保管しようか。そうすると、いざというとき時使えないのでは困るし、チウに知られた場合、こじ開けられる心配もあるから、肌身離さず大事に持ち歩くしかないだろう。それにしても、だいぶ長いこと話している。時計を見ると一時間近くは過ぎている。


「ところで、深夜とはいえチウの奴に感づかれていないのですか」


「大丈夫です。彼女が次元空間室に入ったのを確認して、念のため次元の間の時間は凍結してありますから、決して気づくことはありません。ところで、チウが現世界で生活していくうえで、一つ提案があるのですが」


「面倒くさいことは、本当に断りますよ。アレの性質には手をかなり焼きそうですから」


「あら、彼女そんなに性格悪いのですか? 私と対談した時は、素直そうな感じでしたけど」


 あんたの前では、誰だってネコを被るだろうさ。しかし、ニャルラトテップが続けた言葉は、信じがたい提案であった。


「チウは、実年齢でも16歳。できれば、そちらの高校に通わせたいのです。手続きはこちらで済ませておきますから」

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