一章『ラブコメの下準備だから』1-1



「――い、お――」


 遠い意識の向こうから、声が聞こえ……ない。きっと気のせいだ。

 俺はまだ寝ていたい。だから、聞こえない。


「――い、起き――」

【……んん】


 まあ待て。まだ覚醒するな、俺の意識。

 この微睡が気持ちいいだろ? だから、無理に起きようとするんじゃない。

 もうちょっとだけ寝て居ようじゃないか。


「おい、起きろコラ!」

「ぶおふぉッ!?!?!?」


 腹に謎の衝撃を受け、否応なしに意識が覚醒させられる。

 だが、不思議と痛みは無い。衝撃に殺意は感じたのだが……?

 それはそうと、目の前には見知らぬ天井。どうやら俺はベッドに寝ていたようだ。

 ……どこだ、ここ?


「おー、起きたか。さすが私。天才だな」


 俺は身体を起こし、声のする方を見やる。

 いったい、何だってんだ……!?


「え、えっと……?」

「おい、犬丸。私のことは分かるか?」


 目の前の女性が俺に問う。

 分かるか、と問われれば、誰だか見覚えはある人物だった。


 ボサボサのクソ長い髪、眠たげな瞳、ちっこい背丈、年齢不詳な童顔。ダウナーっぽい性格で、口が悪い。そして、ぶかぶかの大きめな白衣を身に纏っている。

 あと、この悪態というか、悪い意味での独特の雰囲気。やっぱり、覚えがある。

 名前…… 名前は……


「根暗?」

音黒ねくろだ、クソボケが」


 惜しい! でも、ほぼ正解じゃん!

 と、段々と思考が働いてくるのを感じた。


 この人は俺の通う大学の教授で、生物学の音黒せんせーだ。テストが簡単で楽単だから、そういう意味で学生たちから非常に好かれている。俺も好き。

 でも、何で音黒せんせーがここに? というか、そもそもここはどこ?


「まだ、混乱してるか? 直前の記憶はあるか?」

「記憶。……記憶?」


 言葉を噛み締めて、意味を探る。

 俺が起きる前の記憶。……そうだ! 思い出してきたぞ! 確かに、俺は……!


「俺とぶつかった美少女転入生はどこに!?」

「まだ混乱中か。もしくは脳にクソでも詰まってるのか、だな」

「俺は正気ですよ! 女子高生が転入してきて、俺の隣に座ったところまでは、はっきりと記憶にあるんですから!」

「女子高生が大学に転入してくるわけねぇーだろーが、駄犬丸。よーし、私に任せとけ。こいつでぶん殴って、頭を直してやるからな」


 と、音黒せんせーはどこから持ってきたのか、謎の釘バッドを振りかぶるのだった。

 つーか、おい。それは洒落にならんやつだ。マジで死んじゃうやつだから。

 なんて言おうとしたのだが、その前に根暗はそれを容赦なく振り下ろしてきやがった。


「ぎゃおんっ!?」


 変な声が出た。たぶん、脳みそも一緒に出てると思う。知らんけど。

 しかし、不思議なことに痛みは感じない。あれだけの衝撃だったのに。

 ……衝撃?


 お、何だか思い出してきたぞ? 女子高生とぶつかったのはマジだけど、チャリで爆走してやがったから、結果的に俺は……

 と、血の気が引いていくのを感じる。はは、痛みは感じないのにな。何なら、痛みは感じてほしかったよ。俺が正気を保つ為にも。


「ふん。ちょっとは良い顔になってきたじゃねぇか」


 音黒せんせーが不敵に笑う。その手には、血の張り付いた釘バッド。

 おいおい、冗談だろ? 冗談だよな!?

 俺はそっと殴られた額に手を添えてみることに。ぬるりとした感覚。

 しかし、


「! もしかして、治ってる、のか……?」


 真っ赤な鮮血は手に付いていた。しかし、傷口の感覚がない。痛覚が、という意味ではなく、本当に怪我など初めからなかったように、傷口そのものが無くなってしまったかのようだった。


「犬丸、お前は運がいい。死んでも生き返るくらいだから、相当についてるぜ、お前」


 音黒が嗤った。人とは思えないような悪い笑みで。


「う、うわぁああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 な、なんかやべぇ!

 何が何だか意味分かんねぇけど、とにかく何かしらが何かやべぇ!?

 とにかく、ここから逃げよう! そして逃げよう!


 俺はベッドから飛び降りて、その部屋を走り回った。見るからに、そこは研究室。

 でも、大学の研究室というよりは、マッドサイエンティストの遊び場という表現の方が近しいかもしれない。

 部屋は妙に薄暗く、照明も限られたものしか点いていない。

 あと窓が無かった。いや、生物の研究室なら、バイオハザード対策として締め切られているのは当然なのだが。


「おい、駄犬。あんまり騒ぐな。……チッ、錯乱してやがるな……」


 後ろから声が聞こえるが、そんなん無視だ。今はそれどこじゃない。

 俺は部屋を出るべく、扉を開け放ち――


「…………っ!」

『……?』


 扉を開けると、そこには怪物が居た。

 身長二メートルを越える人型をした巨大な化け物。顔色が悪く、とても人間とは思えない巨人。そいつと目が合っていた。

 もうね、あまりの恐怖と驚きで声が出ないよね。


「おい、黙ってこっちに座れ。いいな?」


 と、後ろから声がする。


「……は、はい」


 俺はそっと扉を閉め、こくこくと首を縦に振ってベッドに座り直した。

 さっきの怪物は見なかったことにしよう。うんうん。


「今のは私の……あれだ、ペットだ。あんま気にすんな。それに、これはそういう物語じゃないからな」


 わーお。素敵なペットですね。もう二度と見たくないです。あと、物語云々っていうのはメタ的な話かな? まあ、聞かなかったことにしよっと。


「おかげさまで正気に戻りやがりました。で、俺はいったいどうなったんですか?」

「お前は今朝、例の女子高生に轢かれて死んだ。んで、たまたま遅刻した私が、そこに通りかかり、お前をゾンビとして蘇らせた」


 音黒せんせーは淡々と質問に答える。


「なん、だと…… いや待ってください。そもそも女子高生のチャリに轢かれた後、車にも轢かれたんですけど――」

「ちっ、覚えてやがったか」

「その車の運転手が音黒せんせーだったと?」

「あ゛あ゛? こうして生き返らせたんだから、文句はねぇだろ?」

「いや、ありますって!?」

「うるせーな。だったら、私も被害者だ。全部、あの女子高生が悪い。私は巻き込まれただけだ」


 な、なんてやつだ……、開き直りやがったぞ……

 法的には車を運転していた先生が悪いのに。まあ、災難だったとは思うけど。


「あ、そういえば、その女子高生はどうなったんですか?」

「死んだよ。てめぇと一緒だ」


 と言い、音黒せんせーがくいくいと指を刺す。

 あっちを見ろと? ふむ。言われるがままに、その方向を見やる。

 すると、また別のベッドに横たわる女の子の姿があった。

 白い布がかけられ、その女の子の顔を見ることは出来なかったのだが。しかし、スタイルだけは確認できるぞ。まあまあ胸はデカい。よし、ラブコメ検定準二級は合格だ。


「あ。もしかして、彼女も……」

「そうだ。あいつもゾンビにしてやった。まだ目覚めるのは先みたいだけどな。ったく、今日だけで研究費の出費がえげつねぇよ。はぁ……」


 と、悪態をつきながら、俺を睨むのだった。んなこと言われてもな。


【んんー……】


 …………おう? 今、何か聞こえたような……?

 気のせい、か?


「今、何か言いましたか?」

「あ? 知らねぇよ。寝ぼけてんのかアホゾンビ」


 こいつ、やっぱ口悪いな。だれがアホでゾンビだ。まあ、ゾンビなんだろうけど。

 そこはもう認めるしかないよね。理解は追い付かないけど、怪我治ってるし、記憶を辿っても話に矛盾なんて無いし。矛盾が無いと言うには、事がファンタジー寄りだが。

 そういえば、俺って今どういう風に見えてるんだろうな? やっぱゾンビなのかな?



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