Ⅱ 微笑み
「また来たの?」
林檎の木の下に座るカミサマを認めた途端、少女はあからさまに顔をしかめる。
だが、当の本人は、特に気に留めてもいないらしい。平然と居座る姿は、まるで始めからここは自分の場所だったと言わんばかりだ。
「あ、いたんだ。おはよ」
「いたんだ、って。勝手にいるのは貴方でしょ……」
呆れて、少女は脱力してしまう。
あの日から、カミサマはよく教会へ来るようになった。
毎日のようにやって来ては、こうしてほとんどの時間を林檎の木の下で過ごしている。
何故なのかは全く分からない。本人曰く、ただの気まぐれらしいが、真意はきっと違う。そんな気がする。
「まあまあ、そんな顔しないでよ。すがすがしい朝だよ?」
カミサマが晴れた空へ手を伸ばす。すると、何処からか小鳥が飛んできて、指先に止まった。手を下ろして肩に乗せれば、小鳥は嬉しそうにさえずって、カミサマの頬にすり寄る。
「ふふっ」
カミサマが来た数日間で分かったことは、この人は妙に動物に好かれることくらいだ。
こうして動物と遊んでいると、悪い人ではなさそうだけど。
カミサマは林檎の果実——恐らくは頭上に実っていたものだ——を採って、それを小鳥に与えていた。小鳥は与えられた林檎に小さく跳ねて、シャリシャリと必死についばみ始める。
愛らしい小鳥の様子を見て、カミサマは表情を綻ばせた。
「!」
カミサマの微笑んだところを、初めて見た気がする。
幸せと憂いの混じった、儚げな微笑み。
暗い色の目が、ほんの少しだけ、本当の色に戻ったような、そんな感じ——
「……君も食べる?」
不意にカミサマがこちらを向く。凝視していたのに気づかれてしまったらしい。
「えっ。あっ」
一拍遅れて、少女は慌てて頷きかけた首を横に振る。
「食べない。大体、木守りを採らないでよ」
気まずそうに視線を落とす少女。
カミサマはふぅん、とつまらなそうに声を漏らして、うつむく。
居心地が悪くなった少女は、その場を離れ、教会の仕事に取り掛かった。
しばらくして、カミサマは「そろそろ帰るよ」と腰を上げた。
もう、東の空が黒く染まり始めた頃だった。
カミサマを見送ると、来たる夜に背を向けて、少女も教会の中へ入った。
夕日の差す聖堂では、黒い影がやけに際立つ。
おもむろに、祭壇へまっすぐ続く道を歩いて行った。
コツ、コツ、と足音が反響して、床に落ちた色の破片が、覆い隠されては吐き出されていく。
十回程音が響いたところで、少女はぴたりと足を止めた。
面前に、小さな教会にしては立派な、大きなステンドグラスが広がる。
三枚あるうちの中央、女神を描いたそれに、少女は静かに跪いた。
今日も、明日も、その先もずっと。
少女は永遠に祈りを捧げ続けるのだ。
……いもしない貴女のためだけに。
次の日も、当然のようにカミサマはいた。
林檎の木に座って、今日はリスを頭に乗せている。
縞模様のあるリスで、つぶらな目と綺麗な毛並みが愛らしい。
リスが、持っていた木の実をカミサマの手のひらに落とす。カミサマは木の実を受け取って、「くれるの? ありがとう」と微笑んだ。
少女は、つい掃除の手を止めて、その光景に見入っていた。
ただただ、息を呑んだ。
「ねえ、何時までそこにいるのさ」
リスからもらった木の実を見たまま、カミサマが言う。びくりと肩を震わせて、少女は扉の後ろから顔を出した。
「……気づいてたの」
「まあね」
少女はためらいながら出ていく。近くまで行くと、カミサマの頭の上のリスが、勢いよくこちらを見て、瞬く。そして、少女を避けるように、腕を伝って地面に下りていった。
「あ……っ」
にわかに表情をよどませて、少女は閉口する。
「……」
落ち込む少女をじっと見つめると、カミサマはまだ近くにいたリスを手に乗せて、少女に言う。
「撫でてみる?」
「えっ。でも私、あまり慣れてないし……」
「大丈夫。怖くないよ」
ほら、と手の上のリスを前に出すカミサマ。
少女はカミサマの隣にしゃがんで、恐る恐る、リスに触れる。
「そのまま優しく背中を撫でてあげて」
言われた通り、すーっと背中をなぞると、リスは気持ちよさそうに目を瞑った。
「! 撫でられた!」
「ふふっ。可愛いでしょ」
少女は夢中になってリスを撫でた。初めて触れることのできた動物は、ふわふわの温かい、可愛らしい動物だった。
まるで子供のように無邪気な少女の耳に、カミサマの笑い声が届く。
「? どうかしたの」
「いや、大したことじゃないよ」
君が、やっと笑ってくれたな、って。
ほんのりと、頬を赤く染めて、暗い色の瞳には、きらきらと木漏れ日のような光を宿したカミサマが言う。
なんだ、こんな顔もできるのか。
リスを撫でられたとはしゃいでいた、つい数秒前の自分がなんだか恥ずかしくなって、少女は首をすくめる。
「なんで貴方が喜ぶのよ」
口の内で呟くと、カミサマはいっそう、明るく笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます