Ⅰ   出逢い

少女が初めて教会に来たのは、春のことだった。

ここで、住み込みで働いていた前の管理人が病気で亡くなったらしい。それで、その後継者として少女に白羽の矢が立った、というわけだ。

乗り慣れない馬車に揺られながら、なんだか変な話だと、ぼんやりと思った。

「管理人と言っても、基本的には教会の維持をしてもらうだけです。今では、普段は使われていませんし、そんなに大変ではないでしょう」

向かいに座る院長の話が、耳を通って抜けていく。淡々とした語り口に、少女は自分の悟ったことが本当なのだと確信を深めた。

「着きましたよ」

御者の言葉を合図に、席を立つ。

辿り着いたのは、町外れにある小さな教会だった。

周囲は森で、人の気配はない。庭には背の高い林檎の木が数本、植えられている。

「今日からここが貴方の居場所です。好きに使いなさい」

後から馬車を降りて、院長が言う。

少女は、どうしてか動けないでいた。

窮屈で寂れた場所なのに、少女の瞳には、妙に輝いて見えた。


教会で過ごすうちに時は過ぎて、気づけば今年も収穫祭が目前となっていた。

収穫祭は冬を迎えるために行う、大切な行事だ。修道院主催で町中の作物を分けあって、大きな宴を開く。

そのために今日も、孤児院の子供たちが庭の林檎を収穫しに来た。和気あいあいと、子供たちの手によって林檎が籠の中に入れられていく。

幼い子供たちの仲の良さには、微笑ましくも、胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

やがて子供たちは、鮮やかな果実を抱えて、嬉しそうに去っていく。

無邪気な笑顔の子供たちに、ぎこちなく手を振り返すと、体から力が抜けるのを感じた。

誰もいない教会。少女はふっ、と息をついて、木を見上げる。

毒々しい程色づいた、赤い林檎。林檎の木守り。

少女の一番欲しかったものが、欲しくてたまらないものがそこにあった。

鳥や妖精のために取っておくくらいなら、全て食べてしまえばいいのに。残しておいたって、どうせ朽ちるだけだろう。

いっそ、木に登って採ってしまおうか。

思った刹那、はっと我に返る。

そんなことをしたらどうなる? 誰かに見つかったらただじゃ済まない。

木守りは自然のためのもの。神への捧げ物。人間が勝手に食べることは許されない。

それができるのは、神を信じぬ愚か者。

無神論者がどんな目に遭うかなんて、痛い程分かっている。修道院で散々味わってきた。

あんな思いはしたくない。もう、二度と。

少女は足早にその場から離れる。——否、離れようとした。

「そんなに食べたいなら、君も食べればいいじゃない」

突然、誰かの声が降ってくる。

驚いて振り返ると、木の上に座って、林檎をかじる誰かがいた。

物憂げな雰囲気を纏った人物だ。中性的な顔立ちで、見た目だけでは年齢も性別もよく分からない。外套に身を包み、胸の上で緩く束ねた髪の間からは、羊のような曲がった角が覗いている。

こちらに向けられた目は、澄んでいるのに、何処か暗い色をしていた。

「貴方、誰?」

「僕は、そうだな……カミサマ、かな」

「神様? 悪魔の間違いじゃないの?」

「ふふっ。どうだろうね」

で、食べるの? と、カミサマは白い手を伸ばして、少女に林檎を差し出す。

少女の中で、パチパチと何かが爆ぜ、じっと見ていると、それは輪郭を曖昧にしたまま遠ざかっていく。

気づけば、差し出された林檎へと、指先が触れようとしていた。

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