第 四 章 変わりだした未来

第十三話 眠る二人

        ~ 2004年8月16日、月曜日 ~

 春香お姉ちゃんのために揃って来てくれた五人のお友達の会話に交ざって何かを話すこともできないで、ただ、聞いていることしか出来なかったんです。

 その中にいた私の今一番近くにいて欲しい、って想っていた人が春香お姉ちゃんを再び苦しめてしまった・・・。

「皆さんは直ぐにここから出てください・・・、それと翠さん念のためご両親に連絡を」

「ソッ、それが今パパもママも出掛けていて連絡取れないんです」

「・・・、そうですか」

 その言葉のあと調川先生は私とその場にいる人達と春香お姉ちゃんを切り離すように目の前の扉を閉めてしまいました。

 貴斗さんは柏木さん、八神さん、詩織さん、香澄さん、それと私に向かって悲しみに染まった冷たい目を向けながら一瞥をしてここから立ち去ろうとしていた。

「たかと・・・、さん・・・・・・」

〈どうしてあんな酷い事を春香お姉ちゃんにしたんですか?いつもの優しい貴斗お兄ちゃんはどこへ行ってしまったのですか?昨日だってあんなに甘えさせてくれたのに・・・〉

 私には理解不能だった。

 なんで今日になって春香お姉ちゃんに現実との差を見せつけるような行ないをしたのか・・・私には全然分からなかった。

 この場に居た皆さんは貴斗さんを追う様に動き出していた。それから、私も最後に歩き出し、彼を追っていた。

 貴斗さんは病院の玄関近くの芝生の所でその歩みを止め、私達の方へ振り返り、遅れてきた私の到着を確認すると口を動かし冷静な声で私達に話しかけていたんです。

 それからは私以外の人が貴斗さんを睨み、怒り、責める様に口を開いていた。

 春香お姉ちゃんが再び、苦しみだしたのに私は彼に対して怒りより悲しみの方が深かったんです。

 今も病室の時と同じ何も言えず、不安な表情で皆さんの会話を聞いているだけでした。

 その場の雰囲気の重さに耐え切れなかった私は誰にも悟られない様にまだ会話が続くその場から逃げ出し、春香お姉ちゃんの所へと戻って来てしまっていた。

 病室の前に到着した時に目の前の扉が開き調川先生とご対面。

「アッ、先生・・・、お姉ちゃんの容態は?」

 その問いに一目してから調川先生は口を動かし言葉を述べる。

「翠さん、気を確りお持ちして聞いてください・・・、春香さんは再び眠りに就きました」

「それってどう言う事ですか?・・・、お姉ちゃんは?春香お姉ちゃんは今度いつ目を覚ましてくれるんですか?」

 調川先生のその言葉に痛烈なショックを覚え、弱々しい声でそう聞き返していたんです。

「今すぐ目を覚ますかもしれません、一生目を覚まさないかもしれません・・・。全ては春香さん本人の精神葛藤、次第です」

「どうして、お姉ちゃんはまたそんな風になってしまったんですか?」

「平たく言ってしまえば・・・、現実と春香さんの中に流れていた時間の中に何か悩み事があって眠ると言う形で彼女自身の殻に閉じ篭もってしまったと言う事です。フッ、でも、しかし、そろそろ、その差を埋めても大丈夫だろうと思っていた矢先、これでしたからねぇ。私もショックです・・・。この写真、一体何方が春香さんに見せたのですか?」

 言葉を言い終えてから、先生は白衣の大きなポケットからフォトスタンドに納められた写真を取り出した。

 それは貴斗さんが春香お姉ちゃんに見せつけた三年前、三戸祭りの時に写した私以外の春香お姉ちゃんと親しい友達が写っている写真。

「貴斗さんです・・・、藤原貴斗さんです」

 差し出された写真を受け取り、本当に小さな声でそう調川先生に呟いていた。

 先生には聞き取れなかったかもしれません。

「そうですか・・・、どうしてそのようなことを思い立ったのか知りませんが藤原君は勇気のある方ですね」

「どうして、そんなこと、言えるんですか?・・・、理解できません。お姉ちゃんを・・・」

「このような状況下に於いて、普通でしたら結果を恐れて藤原君が取ったような行動を躊躇ってしまうのですよ・・・。若し、それを翠さんがしなければならなかったら、貴女には出来ますか?」

「そっ、それは・・・」

 先生の言葉の通り、躊躇し言葉を詰めてしまっていた。

 だって若し、私の所為で春香お姉ちゃんが今のような事になったらと思うと怖くて、辛くて、耐えられなくなっちゃう。

「私の言った意味を分かって頂けたようですね。私だってそうです結果の見えにくいことは出来るならしたくありません・・・。それを彼は遣って退けたのです」

 その言葉を聞いた時、たまらなく貴斗さんの事を心配になって、もう誰もいないと思う病院の外へと走って向かった。

「アッ、翠さんどこへ」

 その場所に戻ると・・・、死角になっている場所で殴り傷だらけのその人が倒れていた。

「貴斗さん、貴斗お兄ちゃん、お兄ちゃん、確りしてくださいっ!」

 揺すって声を掛けても貴斗さんは反応を示してくれなかった。

 顔は酷く腫れ上がっている。

〈・・・、どうしてこんな事に?〉

「貴斗さん、待っててください」

 そう言い残して病院の中に戻りバッグからタオルを取り出し水道でそれを濡らす。

 それを持ってまた貴斗さんの所へと戻っていた。

 濡れたタオルを彼の腫れ上がった部分に当てたんです。

〈・・・、そうだ調川先生にみてもらおう〉

 これだけ体の大きい貴斗さんを担いで病院の中までいけそうにないから、そう思うと貴斗さんをそこに寝かせたまま医局に向かってしまった。

 しかし、そこには先生はいなかった。

 しばらく、病棟内をうろつき先生を探していた。

 フッ、と窓の方へ目を向けるといつの間にか雨が降り出していたんです。

 外に置き去りにしてしまった貴斗さんが心配になって、先生を捜す事を止め、彼の所へと戻っていた。

「貴斗・・・、さん?・・・・・・、貴斗さん・・・、一体どこへ行ってしまったんですか?」

 さっきまでいたはずの場所に私が当てて上げたタオルだけが淋しく転がっていた。

 それを拾い上げ貴斗さんの安否を気にしながら病院内へと戻って行く。

 そんな事しないで、探しに行けばよかったのに、私が無理してでも、病院の中に連れ込んでいてば、これから起きる嫌な出来事も避ける事が出来たのに、私にはそれが出来なかった。

 春香お姉ちゃんの病室で椅子に座りながら窓の外を眺めていた。

 私の瞳に映るのは激しい雨。

 突然、驟雨がこの町全体を襲う。

 それを見ていると無性に不安になってくる。

 窓の外から、目を春香お姉ちゃんの方へ戻した。

『スゥ~~~、スゥ~~~』

 小さな寝息が穏やかそうに眠っているお姉ちゃんの口から漏れていた。

 調川先生が言っていた葛藤なんて見る陰もない。

 それでも私が不安なのは変りない。

 春香お姉ちゃんの手を握り、雨が止むまでずっとそうしていた。

 だけど、陽が沈んでもそれが止む気配はなかったんです。

 面会時間を優に過ぎた頃、調川先生がここへやってきた。

「翠さん、面会時間はとうの昔に過ぎてしまっていますよ」

「調川先生・・・どこへ行っていたんですか?スッゴク、探していたんですよぉ」

「それは失礼しました、私も仕事がありましたので・・・。でも、なぜ私を?」

「先生を探していたとき貴斗さんが・・・」

 そう調川先生に告げると少しだけ先生の表情が憂い顔に変わる。

 それを見逃さなかった。

「先生?どうしたんですか?」

「いえ・・・、何でもありません気にしないで下さい。それよりも、早くここからご退室を」

「先生が今作ったお顔の理由を教えてくれなくちゃ・・・、いやです」

「・・・分かりましたからこちらへきてください」

 調川先生の言葉に従い先生が立っている所まで歩き春香お姉ちゃんの病室の扉を閉めた。

 それを見た先生はゆっくりと歩き階段を下りずにその場を通り過ぎる。

「翠さん、貴女は藤原君ととてもお仲がよろしかったですよね」

「ハイ、お兄ちゃんの様に慕っています」

 それ以上の感情を持っているけど調川先生にはそう答えていた。

「ハァ、そうですかそんな貴女に私が知っている事をお教えするのは辛いですが・・・、藤原君はここに眠っています」

 その方を見ると[面会謝絶]と書かれた板がぶら下げられている病室の扉があった。

「シッ、調川先生これはどう言う事なんですか説明してくださいっ!!」

 その板に書かれている文字を見て言葉にじゃ表せないくらい不安と動揺になって荒立った言葉をかけていたんです。

「説明しますから・・・、翠さん、お静かに」

 それから先生にその事情を聞いた。

 私が目を離した隙に居なくなってしまった貴斗さんは激しい雨の中、交通事故に遭ってしまっていた。

 調川先生からそれを聞いた時、私の中には色々な感情が渦巻いた。

 私は許せなかった。

 貴斗さんをこんな目にあわせた車の運転手を。

 貴斗さんの意識が無くなるまで殴った人を。

 貴斗さんをあの場所に置き去りにした人達を・・・。

 そして、何より最悪の事態から貴斗さんを唯一回避させる事だって出来たはずの私自身を一番許せなかった。

 いつの間にか病院の外に出ていた・・・。

 傘も差さずまだ降り止まない雨に打たれながら暫くそこに立ち尽くしていた。

 そして、いつの間にか歩いてお家に向かって行いた。

 この激しい雨は一体誰の悲しみの涙?

 その雨と一緒に私の頬からも雨粒が零れていた。

 あの時も、あの時、春香お姉ちゃんが事故にあってこの病院に私が初めて来た時も春香お姉ちゃんの手術中に凄く、激しい雨が降っていた事をふと思い出す。

 その時の貴斗さんが作っていた表情、柏木さんがお姉ちゃんのために必死に泣いていた顔を思い起こしてしまった。

 今なら、柏木さんのあの時の気持ちが痛いくらに理解できてしまう。

 でも、でも、そんな事嬉しいことじゃない。

 一生そんな事知りたくなかったのに、今の私はそれを知ってしまった。

 面会謝絶と言う事は貴斗さん、春香お姉ちゃんの時よりも、事態が深刻だと言う事を簡単に理解できてしまう。

 嫌な事を考えたくないけど、もし、もしも、このまま貴斗さんが口に出したくなんかない。

 でも、本当に居なくなってしまったのなら、私・・・、みんなの事を許さないかもしれない、私がみんなに何をするか分からない・・・、それが怖かった。


        ~ 2004年8月24日、火曜日 ~


 涼しい顔をして寝ている春香お姉ちゃんのお見舞いのあと無駄だ、って分かっていたけど貴斗さんの居る病室に足を運んでいた。

「また貴女ですか?・・・、いくら来てくださってもご家族の方以外ここの患者さんに会わせる事は出来ませんよ。お引取り下さい」

 椅子に座っていた看護婦は穏やかな顔をむけそう言ってきた。

「家族以外の人が入っていくのを見ました。どうして、その人が良くて私は駄目なんですか?」

 それは詩織さんの事だった。

 先輩だけはどうしてなのかここへ入る事を許されているみたいだったんですよね。

「貴女には悪いですけど事情はお教えできません」

「そう・・・、ですか・・・・・・」

 顔に陰を落としそう言ってから貴斗さんの病室を立ち去った。


        ~ 2004年8月25日、水曜日 ~


 精神的にチョトばかり疲れてしまって病棟一階のベンチに座って私はうな垂れていた。

 そして、そんな私に誰かが声をかけてくる。

「お嬢さん・・・、どうなさったのですか酷い顔していますよ」

 その声に聞き覚えがあった私は顔を上げその人を確認する。

「あっ、あなたは・・・???」

 顔にも見覚えがあった。だから、その人の名前を言葉にしようとした時、その老人の方が先に声を出していた。

「私はここで医者をやって居る唱野甲斐と申します」

「お名前間違っています・・・。私の知っている名前は三多久留須さん・・・。そして、反町駈さん、っても名乗っていましたよね」

「ホッホッホ、今回は覚えてくれていたようですね・・・・・・・・・・、記憶を消したつもりですが。今回も大切な方のことでお悩みですね」

「どうして、そんなことお爺さんに分かるんですか」

 私の言ったことなど聞き流し、おじいさんは言葉を続けていたんです。

「大丈夫、翠ちゃんがその人達の事を強く思い願えば・・・、きっと貴女のその優しさが貴女の周りにいる人達の思いが現実になりますよ」

「久留須さん?反町さん?それとも甲斐さん?・・・、お爺さんは一体誰なんですか?答えてくださいですぅ」

「じじいは・・・、そう、季節外れのサンタじゃよ・・・・・・」

「サンタさんですか?・・・、私は・・・・・・、私の心はそんなこと、信じられるほど純粋じゃありません」

「ホッホッホ、信じるか、信じないかは結構。でも、じじいはこうして翠ちゃんの目の前にいる。おっと、いけない、いけないもう・・・を連れて逝く時間、それじゃ、翠ちゃん」

 そう言って自称サンタさんは私の目の前で消えてしまった。

 信じられない、お話だけど、信じたかった。

 だって、本当にこれで、春香お姉ちゃんと、貴斗さんが助かるなら、信じないわけないでしょう?

〈私・・・、夢でも見ているの?〉

 そして、気が付けば眠り続けている春香お姉ちゃんの病室で目を覚ましたんです。

「???・・・。なんだ、ヤッパリ夢だったんだ・・・・・・。ハハッ、でも、なんだか凄くハッキリと覚えている夢・・・・・・・・・、不思議な気分」


        ~ 2004年8月26日、木曜日 ~


 目を覚ましてくれない春香お姉ちゃんの病室で意味なく雑誌を広げ、それを膝元に置きながらまだ陽が沈まない外を眺めていた。

 そうそう、パパとママに今の春香お姉ちゃんの容態とその原因になったことが調川先生から伝わっていた。

 でも、二人とも春香お姉ちゃんの事を悲しんでいたけど、貴斗さんの事を怨んでいる様子はなかった。

 逆に貴斗さんの取った行動に感謝する様な事を口にしていた。

 我ながら、家の両親の頭の中は理解できません。

 それは夏の長い日も夕暮れに近づいた時のことだった。

「タッ、貴斗君」

 何の予告もなく、いつ目覚めるかも分からなかったはずの春香お姉ちゃんが、お姉ちゃん以上に今の私が心配している人の名前を呼びながら起き上がった。しかも、涙を流しながら。

「オッ、お姉ちゃん、起きたのね・・・。ドウしたの、涙なんて流して?お姉ちゃん、私が誰か分かる??」

 気が動転していた余り逆に冷静になっていた私はお姉ちゃんにそう口にしていた。

「翠、藤原君が、貴斗君がぁ、ウック、ヒック」

「エッ、お姉ちゃんイマなんて、貴斗さんがどうしたって言うの?」

「ウッ、ウぅッ、貴斗君、今どこ?」

「貴斗・・・・・・、さんはァ・・・・・・」

 お姉ちゃんは泣きじゃくりながらそう聞いてくる。

 でも、それを知らせるには再び、目覚めたばかりの春香お姉ちゃんには酷だと思って言葉に出せなかった。

「教えて、はやくぅ!」

「イッ、今、同じこの病院のベッドで・・・、寝ています」

 傍に居た私の両腕を掴み必死な顔と声で訴えてくる。

 そんなお姉ちゃんを見るのが辛かったから躊躇いながら、お姉ちゃんから目を逸らしながら、それを聞かせていた。

 それから、お姉ちゃんに強く懇願され、調川先生と一緒に貴斗さんの所へと向かう事になったんです。そして、なぜか、今日は貴斗さんの病室に入る事を私も許された。どうして?

「藤原貴斗、2004年8月26日19時27分、脳機能停止により、お亡くなりになられました。こちらも心苦しいのですが言葉を述べさせてもらいます・・・。お悔やみ申し上げます」

〈アハハハハッ、私がお馬鹿さんだからってそんな冗談、言わないで下さい・・・〉

「貴斗、貴斗、どうして?ウッ、ウウゥ!ねぇ、返事してよっ、ねぇってばぁ・・・、嫌よぉ、こんなの。いやぁーーーっ!御願いよっ、返事をしてぇ。私を・・・・・・、私を置いて逝かないでぇ、私を独りにしないでよぉーーーーーーーーーーっ!!!」

「詩織先輩・・・・・・?酷いです。詩織先輩、泣かすなんてぇ、酷いです貴斗サン・・・。何か言ってください、何とか言ってくださいよぉ」

〈何とか言って下さいよ・・・、酷いです・・・。詩織さんを泣かせる以上に、私にこんな残酷で悲しい気持ちにさせるなんて・・・、酷いです・・・。惨いですっ!〉

 そんな気持ちになっていても、駄目だって分かっていても私は夢?

 で会った自称サンタさんの言葉を思い出し目の前の事実が嘘である様に願った。

 詩織さんの貴斗さんを強く愛する心が貴斗さんを再び呼び寄せたのか?

 私の精一杯の願いをサンタさんが叶えてくれたのか?

 それとも、この場にいる人達の嘆きを哀れんで天が再び、貴斗さんに生きる道を与えてくれたのか?

 はたまた他に別の何かがあってそうなったのか分からないけど奇跡が起きたんです。

 貴斗さんの止まってしまった身体機能が再び動き出したんですよっ。

 それを見て判っていた詩織さんが調川先生に伝えていた。

 それから、それを確認していた調川先生が言葉に出して、貴斗さんの復活を教えてくれました。

 全ての無事を聞いて安堵した私は春香お姉ちゃんを病室に戻し、寝かしつけてからウキウキ気分でお家へと帰って行ったんです。

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