第三章 山の守護者

山の守護者 (1)

 ダリルとアシュレイがライラとの取引を成立させてから二週間後。二人は、休みをもらい、ガディフ山最寄りの宿場町に向かっていた。

 馬車はがたごとと音をたて、走ってゆく。

 ダリルの隣に座るアシュレイは、涼しげな表情をしているが、とりまく環境に変化がないか、逐一観察しているようだ。そこまでは普段と変わらないものの、彼女は、山歩きがしやすい服装に身を包んでいた。普段と違う格好の彼女もまた可愛いと思いながら、ダリルはぼんやりとアシュレイの横顔を眺めていた。

 しばらくの間、馬車は揺れつつも、異常な感覚はなかったが、ある時、ぴたりと動きを止めた。

 馬車の中からでは、外の様子は見えない。何かあったのかとダリルは思ったが、

「到着いたしました」

 と、御者の声がしたため、ほっと胸を撫でおろした。

 ダリルは先に馬車から降りて、アシュレイへと手を差し出す。

「大丈夫です。それに、私が先に降りるべきでしょう」

 彼女は強がったものの、差し出された手を拒むことなく馬車から降り立った。

「ありがとう、行ってくるよ」

 ダリルは御者に声をかけ、馬車に牽かれた馬の首筋を撫でる。

「道中、お気をつけて」

 御者は二人を見送る。緊張感を胸に、ダリルとアシュレイはガディフ山に至る道へと足を踏み出した。

 守護者の魔物が棲むと言われている山。空気こそ澄んでいるものの、登山口に一歩足を踏み入れると、張り詰めた空気もまた感じられた。

「魔力が強いです。どうか心してください」

 アシュレイは警告した。

 幼いころの少年ダリルとは違う。魔物を追い払うだけの力も持っている。

 けれど、一歩間違えたら守護者の怒りを買うかもしれない。それを念頭に置き、歩みを進めた。


 二人は、周囲に警戒しながら山道を行く。木々の密度が高い所を見ると、兎の魔物が、二本足で立っていた。

 兎は、ダリルに気がつくと、彼に惹きつけられたかのように、すったかと軽い足取りで近寄ってきた。

「君、どうしたの? 僕に何か用かい?」

 ダリルはしゃがみ込み、兎の魔物を撫でる。ふわふわの毛皮が、心地よかった。

 兎は最初こそ大人しく撫でられていたが、しばらくすると、ダリルの手をすり抜けて、どこかへと走り去ってしまった。

「ダリル様、よくやりましたね。……ですが、このように上手くいくとは限りません。引き続き、警戒して進みましょう」

 アシュレイの言葉により、ダリルは警戒を緩めず、周囲の植物を眺めながら歩いていた。その道中で彼が見つけたのは、赤いつるに、ぶどうやブルーベリーのような実をつけた植物だった。

「アシュレイ。この実って食べられるのかな?」

 好奇心から、ダリルは紫の実を手に取る。

「これは毒です! 食べられませんよ!?」

 ダリルの様子を見たアシュレイは、顔を青ざめさせた。

「そうなんだ。ありがとう、アシュレイ」

「そうなんだ、じゃないです。食べられる果実を探しましょう」

 アシュレイに諭され、ダリルは植物から手を離した。その勢いで、実が揺れる。ダリルは山の植物について、あまり知らなかったのだと気付かされていた。

「これはいかがでしょう?」

 山道を少し進んだところでアシュレイが指し示したのは、山ぶどうの生る木々だった。

「美味しそうだね。一緒に食べよう」

 ダリルは一房だけ山ぶどうを毟る。それから木陰に座って、アシュレイとともに、一粒ずつ味わって食べた。

「畑のぶどうより、山らしい味がするね」

「この木々たちは、たくましく育ってきたのでしょうね……そうです、ダリル様」

 アシュレイは山ぶどうの実を口にしながら、ダリルへと顔を向ける。

「何だい?」

 真剣なアシュレイのまなざしに、ダリルは首をかしげた。

「魔物も隠れているようですし、少し、話をしませんか?」

「もちろん、構わないよ」

「お母様のこと、私の過去のことです」

「うん。聞かせてほしい」

 そういえば、アシュレイの過去もまた詳しく知らなかったのだと、ダリルははっとした。

それから彼女は深呼吸して、語り始めた。

「私、物心ついたときには孤児院にいたので、本当の両親は知らないのです」

「ローザンさんは、あなたの本当の母君ではないんだね?」

「はい。ある時、孤児院のいじめっこたちが挑発した魔物に追いかけられて、泣きながら魔法陣を描いていた私を拾ったのが、お母様でした。魔物を追い払って、私に手を差し伸べてくれたお母様はかっこよくて。だからこそ、私は魔法士になりたいと思いました。そして、よく分かってないまま、お母様が示した代償も受け入れました」

「そうか……」

「それからは、強くなりたいと思ったので、毎日毎日、お母様のもとで修業を続けました。お母様は厳しかったので、辛いのは孤児院時代と一緒でしたけれど、私の力になるのならと、歯を食いしばっていました。一通り、お母様の教えが身についたのは、私が十四を過ぎた頃です。その頃、お母様について宮殿に向かい、私はあなたと出会いました」

「ごめん、アシュレイがそんな事情を抱えているなんて知らなくて、振り回してしまって」

「いいのです。あなたと過ごした時間は、とても幸せなものでしたから。続けますね」

「うん」

「私が宮殿を去った後、お母様は、私がダリル様と出会ってしまったことに怒っていました。それでも、王国魔法士を目指すことに関しては、応援してくれました。ですので、十六の時に王国魔法士の試験を受けて、合格して、宮殿での暮らしを始めたわけです。その時、私、衝撃を受けました。騎士や従者たちが、皆自由に生きていることに」

「そうかな?」

「確かに、国や王族に仕える存在ですから、そこを堅苦しい、窮屈だと思っている人もいるでしょう。けれど、彼らは友と語らい、恋をして、ささやかな日常を大切にしている。そんな所を、自由だと感じたのです」

「僕も学生のとき、同期に似たようなこと思ってたよ。なんだか、似てるね」

「そうですか? 私は、あなたみたいに自由を求めて飛び出すことの出来ない、ただの臆病者ですよ?」

「いいや。魔法の修行を重ねて、僕に仕えるだけの実力をつけることは、誰にだって出来るわけじゃない。だからこそ、兄上や父上があなたを認めてくれて、本当に嬉しかった」

「私も、あなたが約束を覚えていてくれて、嬉しかったです。ダリル様、お話を聞いていただき、ありがとうございました」

「なら、そろそろ行こうか。立てる、アシュレイ?」

 ダリルは立ち上がり、手を差し伸べようとしたが、

「子供ではないのですし、大丈夫ですよ」

 と、ダリルの手をすり抜けるかのように、アシュレイは器用に立ち上がった。

「何だよ、強がらないでよ」

「ふふ。私を誰だと思っているのですか?」

「僕の専属魔法士。けど、それとこれとは別じゃないかな」

 ダリルがふてくされていても、アシュレイは悪戯に微笑むばかりだった。


 二人がまた登山を再開してややあった頃、かさかさと、木の葉が揺れる音が聞こえた。

 風ひとつない晴天。何が起こっているのか―音がする方向に二人が目を向けると、そこには、山から降りてきた、木の姿をした魔物が三体。

 魔物はダリルとアシュレイ、それぞれに向かって突進してきた。二人は各々ステップで襲撃をかわすと、ダリルは剣を、アシュレイは短剣を手にした。

「彼らが目的の魔物のようだね。行こう、アシュレイ」

「はい。実力行使というわけですね」

 一歩間違えたら崖から真っ逆さまの場所での戦闘。ダリルは緊張感を持っていた。

「ダリル様、私は魔法陣を構築します。その間、援護をお願いします!」

 アシュレイは叫ぶと、すぐさま魔法陣の構築の作業に取り掛かった。

 彼女の集中を途切れさせるわけにはいかない。攻撃する魔物の枝がアシュレイに当たらないように、ダリルはそこを狙って、剣を振るい続けた。

 時に枝と剣がぶつかり、時に外して、隙をつかれて枝で腕を叩かれる。新人騎士に毛が生えた程度の剣の実力のダリルにとってみれば、一人で三体を相手取るのは苦しいものがあった。

「もう大丈夫ですよ!」

 アシュレイは、完成した魔法陣を魔物に向けて掲げた。

 すると、地面から岩が現れ、魔物たちを取り囲んだ。岩は魔物の根に容易く進入し、彼らを掴んで離さない。

「それでは!」

 アシュレイがもう一つ、ぐるりと魔法陣を描くと、最初の魔法陣と重なり、色を変えた。すると岩は、魔物を取り囲んだところで固くなった。魔物が岩から抜け出そうと根を引っ張ろうとしても、岩はびくともしなかった。

「君たち、ごめんよ。命は取らないから、枝を少しもらってもいいかな?」

 岩に捕らわれている魔物たちに対して、ダリルは話しかけた。

 魔物は仕方なさそうに、自身の枝を差し出した。

 ダリルとアシュレイは魔物たちから少しずつ、長い枝を切り取っていく。

 ライラに渡された袋が満ちると、二人は魔物たちから離れた。

「ありがとうございます、魔物さんたち。助かりました。私たちが帰る頃には魔法が解けますので、元の住処に戻ってくださいね」

「気持ちが伝わったようでよかったよ」

「魔物の気持ちを鎮めるダリル様もすごいです」

 気持ち早足で、二人は魔物たちから離れる。次の目的である宝石を手に入れるという決意が、二人を駆り立てた。

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