誓約のジレンマ (2)

 アシュレイは自室でひとりになると、頭を抱えていた。

 ダリルとローザンの間で、板挟みになっているように感じていたからだ。

 魔法士の同期たちとは不仲ではないにしろ、込み入ったことは話せない。ましてや、ダリルとの関係についてあらぬ疑いを持たれたら、彼に好感を持っている女性たちから反感を買うことだろう。

 そうなると、ダリルが話をしてきたという魔法士に一度会っておいたほうがいいのかもしれない。ライラという名前だったか。アシュレイは決心すると、ライラの居所を探し、数日後、彼女の小屋に向けて馬を走らせた。


「……あんたが、ローザンの娘かい」

 ライラはアシュレイの顔を見るなり、確信を持って尋ねた。

「ライラさんのおっしゃる通りです」

「それで、あたしに何か用かい?」

「ダリル様はあなたのもとにお伺いして、私の制約魔法のことについて相談していたそうですが。その件で、少しお話をしてもいいですか?」

「ああ。構わないけれど、手短に済ませてくれるとありがたい」

「まず、私にかけられている呪いについて、お話しますね。発動条件は、恋した相手と口付けをすること。それでダリル様は、私が自由に生きられないことに怒っているのです」

「そう……道理でね……」

 ライラはぶつぶつとつぶやきながら、考え事をしている。二人は何を話していたのか、アシュレイは尋ねてみたくなったものの、口をつぐみ、話の続きをすることにした。

「けれども、それは不自由を抱えつつも私の意志でのこと。ダリル様が躍起になる必要はないと思っていたのですが、もし私の制約が解けたのならと、考えたこともありました」

「つまり、あんたは迷っているのだね?」

「否定はできません」

「あんたは、誰かと恋をしたいと思うかい?」

「できたら、素敵だろうなとも思います」

「なら、辛かったか?」

「辛いと感じたことはありませんでした。ですが、選べない事柄があるというのは、もどかしいものですね」

「なら、答えは決まってるじゃないか」

「はい?」

「選びたくなかったら、迷いなどしないさ。あんたは、幸せになる選択を躊躇わないほうがいいのかもしれないね」

「なるほど……ライラさんは今、幸せですか?」

「もちろん。あたしは魔法の研究がしたかったし、恋愛沙汰やら結婚やらには向いてないと思ったから、こうして人里離れて暮らしてる。時々寂しくなる時もあるけど、そんな時は王都に出て、研究の成果を売り込みに行くのさ」

「たとえば、どんなものを?」

「攻撃魔法や呪いから身を守るためのアクセサリーが多いか。あとは遊びで声を届ける手紙とか、魔力の色に染まる絵具とか、そういった小物を作っているよ。そいつらがお客さんを笑顔にしてくれると、一人じゃないって感じられるんだ」

「すごいですね。是非一度お目にかかりたいものです。お忙しい中、失礼しました!」

「じゃあね、ローザンの娘さん。次はダリル殿下とおいで」


  ***


 アシュレイがライラの小屋から宮殿に戻ると、緑のドレスの、銀髪の女性とすれ違った。

「まあ、アシュレイさん。こんにちは」

 女性はアシュレイと目が合うなり、明るい声色で挨拶をする。

「こんにちは、リリアーナ様」

 彼女こそは、ダリルの兄にして第一王子オスカーの妃・リリアーナだった。

 銀髪の巻髪に、争いとは無縁の柔らかな微笑みは、周囲を惹きつけるものがある。淡い緑の生地にふんだんに刺繍をあしらった、ふんわりと裾が広がるドレスは、彼女のために作られたと言っても過言ではない一品だった。

「丁度よかった。これから一緒にお茶でもいかがかしら? それとも、忙しい?」

「私でよければ、喜んで」

 リリアーナとアシュレイは微笑みを交わし合い、再び廊下を歩き始めた。

 

 リリアーナの私室に到着すると、彼女は、メイドにハーブティをお願いした。

 メイドの少女は、慣れた手つきでお茶を注いでゆく。ポットやティーカップは、白の陶器に可愛らしい花の柄が描かれていた。

「ありがとう、メアリー」

 メアリーと呼ばれたメイドは礼をし、リリアーナの部屋から去る。

 アシュレイは、リリアーナの目の前で背筋を伸ばし、体をこわばらせていた。

「そんなに緊張しなくてもいいのよ。温かいうちに、召し上がって」

 リリアーナが促すため、それではと、アシュレイは温かなカップに口を付けた。

「美味しい……」

 良い香りと、ほんのりとした蜂蜜の甘みが、アシュレイを芯から温めた。

「それは嬉しいわ。アシュレイさん、最近怪我をしたって噂を聞いたから、心が安らぐようなお茶をお願いしたの」

「一介の従者のために、わざわざありがとうございます……」

「いいのよ。私、一度貴女とゆっくりお話してみたいと思っていたから」

「それは光栄です」

 アシュレイは、慎重に言葉を選ぶ。目の前で微笑むリリアーナはまるで天上の存在だと思っていた人物である故、まだ緊張は解れなかった。

「ダリルさん、貴女が専属魔法士になってからとても嬉しそうだわ」

「そうなのですか?」

「ええ。あの人はいつも楽しそうだったけれど、今はなおさら」

「そうだったのですね……僅かでも、彼のお力になれていればいいのですが」

「貴女の噂を聞く限り、問題ないと思うわ。ところで、アシュレイさんは、ダリルさんのことをどう思っているの?」

「それは……」

「ゆっくりでいいのよ」

 リリアーナに諭されて、もう一口、アシュレイはお茶に手を付ける。

身体が温まった状態で、考えを整理した。

「……仕えるべき、大切な主です。そして、彼の笑顔を守りたいのです」

 お茶の温かさを感じながら、アシュレイは言葉を紡ぐ。

「アシュレイさんこそ、素敵な笑顔。ダリルさんも幸せ者ね」

 リリアーナもにこにこと微笑みながら、ゆっくり頷いた。

「どうしてダリル様が出てくるのですか」

 アシュレイは尋ねる。

「貴女たち、お互いに好き合ってるんじゃないかと思ったからよ。まあ、私の憶測だけれどね」

 リリアーナの言葉に、アシュレイは一気に顔が熱くなっていた。

「えっと、ダリル様とは身分も釣り合わないですし、私はずっと年上ですし……」

「恋は、心がけ。年齢も、身分も関係ないのよ?」

 顔を赤らめながらまごまごするアシュレイに、リリアーナは無邪気な笑みを浮かべた。

「心がけ……」

「ええ。私とオスカーさんは年も身分も近いし、結ばれたのは縁談によってよ。けれど、彼を愛そうと思ったのはわたしの意志だもの」

「では、オスカー様のどんな所が好きなのですか?」

「不器用ななかの、さりげない優しさ、かしらね……」

 ほんのり頬を染め、ティーカップのお茶を眺めながら、リリアーナは言った。

「それは素敵です。オスカー様も、さぞ幸せなことでしょう」

 リリアーナの言葉に、アシュレイも心が温かくなると感じていた。

「それなら良いのだけどね。あの人、私の言ったこと、きっと否定するもの」

「そうは言っても、オスカー様も喜んでいると思いますよ」

「ならいいけれど。一緒にお茶を出来てよかったわ、アシュレイさん」

「こちらこそ、リリアーナ様」


 ライラとリリアーナ。異なる背景を持った女性たちと話をして、アシュレイの心は軽くなっていた。二人とも、自身の境遇を前向きに捉えていることが、素敵であると彼女は感じていた。

 ソルシアの娘は二十前後で結婚をする者が多いため、アシュレイの年齢であれば、行き遅れと称されたり、何故結婚しないのかと問われたこともあったし、ローザンに弟子入りしなかったならば、望まない結婚をしていたかもしれない。

 それでも、ライラは魔法の研究に打ち込む道を選んでいるし、リリアーナも夫となったオスカーを愛そうとする意志を持っていた。

 ならば、自身の想いに正直に生きる覚悟を決める時なのかもしれない。アシュレイは、固く決意をした。

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