第二章 誓約のジレンマ

誓約のジレンマ (1)

 昼間に村の復興支援を一通り終えたダリルは、アシュレイの病室へと急いで戻った。

 ローザンから伝えられた忠告を確かめるために。彼女がアシュレイに課した制約は、生き方を制限するものだ。それ故、ダリルは納得できなかったし、アシュレイの同意であるものか、確かめたかった。

「アシュレイ。あなたの母君が言ったことは、本当なのか」

 ダリルはアシュレイと向き合うと、恐る恐る、しかし焦りを含めて尋ねた。

「……お母様はあなたに、伝えてしまったのですね」

「ああ」

「仰る通りのことです。魔法士生命に関わるので秘密にしていましたが、あなたには、伝えておいたほうがいいでしょう」

「わかった」

 アシュレイは至って冷静だ。だからこそ、彼女の真意が読みとれなかった。

「私がお母様に魔法を教わる上で、交換条件がありました。それは、決して恋をしないこと。具体的には、好意を持った者と口付けをしないことです。私の右肩にある魔法陣は、その制約の証です」

 アシュレイは、右肩に手を当てた。ちょうど彼女が怪我をした場所に刻印があることに、ダリルは痛みを想像してしまっていた。

「そうだったんだね……もし、その制約を破ってしまったら?」

「私の魔法が封じられてしまいます。そうしますと、あなたにお仕えする事は困難になるでしょう」

「だから、あなたは……」

「そう。だからこそ、あくまで従者としてダリル様にお仕えしたのです」

「制約を解く方法は?」

 ダリルが尋ねると、アシュレイは首を振った。

「お母様がかけた魔法について、私も理解が及ばないのです。修行の合間に、この刻印について調べたりもしましたが、すべて徒労に終わりました」

「そっか。……なら、あなたの母君について聞かせて」

「お母様について聞いて、何をするつもりですか? ……まさか、制約の魔法を解こうと?」

「そのまさかだよ。アシュレイは制約と言うけれど、それは呪いじゃないのかい?」

 恐る恐る尋ねるアシュレイに、ダリルははっきり答える。

「……それはあなたが為すべきことではないはずです。私が代償を理解していれば、それで済むことでしょう」

「僕がそうしたいんだ。君が恋を出来ないのは、思うように生きられないことだろう? それは間違ってる」

「……いいえ。私は、それでいいのです」

「けれど……」

「ただ一つ。どうか、私のお母様には逆らわないでくださいね。言いつけを守らなかったら、恐ろしいことが起きますから」

「……だったら、出来ることをやるまでだ」

 変わらぬ調子でアシュレイは言ったものの、彼女の声は震えていた。ローザンは一体何者なのか。ダリルは、彼女と出会った時のことを思い出し、ぞくりと寒気を感じていた。けれども、アシュレイの呪いを解くという意志を変えるつもりはなかった。


 その夜、宿屋の一室に入ったダリルは、ひとつため息をついた。

 十年前、アシュレイの背景に気が回らなかったことに、自己嫌悪を抱いていた。

「ダリル、どうしたのか?」

「パット」

 ダリルは客室で待機していたパットの声を耳にする。心配している様子は伝わってきたが、それに応える気力もあまり湧かなかった。

「元気ないと思ってさ」

「何でもないよ。遠征の疲れが出たのかな」

「ならいいけど……嘘だろ」

 ぽつりと、パットは核心を口にした。

「まあね」

「アシュレイさんのことか?」

「……そうです」

「ダリルが過保護になるのも分からなくもないが、あの人は魔法士としての経験を積んでる。きっと大丈夫だ」

「そうなんだけどね……ちょっと、色々あってさ」

「何だよ?」

「それで、アシュレイのために、何か出来ないかって思うんだよ。彼女が本当は何を望んでるのか、知りたいんだ」

「確かに。あの人いつも優しいけど、本心読めない所あるよなあ」

「そうなんだ。だから、尚更ほっとけない」

「まさか、あの人のこと、本気で好き?」

「好きだよ。友達以上なのかは、わからないけど」

「じゃあさ、あの人がどこの誰と知らない男と一緒にいたら、どう思うよ?」

「それは駄目だ!」

 ダリルが言うと、パットはげらげら笑い始めた。

「何がおかしいのさ」

 思わず顔を真っ赤にしながら、ダリルは口を尖らせた。

「分かってるんじゃねえの、って思ってさ」

「からかわないでよ」

「アシュレイさん、美人なのにびっくりするほど浮いた噂を何一つ聞かないからなあ。せいぜい頑張りなよ、王子様」

 笑いながら背中をばしばし叩くパットを脇目に、ダリルは簡素な布団に潜り込んだ。

 恋人にはならなくても、アシュレイが幸せでいればそれでいいと思っていた。けれど、共に戦ったことで、彼女が心配で、出来ることなら一緒にいたいとも思い始めていた。

 だからこそ、アシュレイと歩む未来がどんな形であったとしても、彼女の呪いを解かなければならない―ダリルは心の中で改めて決意した。

 私室のふかふかなベッドには及ばないが、それにもかかわらず、まどろみがダリルを包み込んでいだ。


  ***


 アシュレイの容態が快方に向かってから、ダリルたちは宮殿に戻った。

 父や兄、騎士たちに農村部の魔物討伐を報告してから、残っていた仕事をこなしてゆく。それから休息をとろうとしても、ダリルの頭はアシュレイの呪いを解く計画をこねくり回していた。

 彼女から情報を引き出すことは出来た。ならば次に、呪いを解く術を探さなくてはならない。直接アシュレイの母の元に行きたいけれど、その気持ちをぐっと抑える。彼女の情報も対抗する力もない現状ではあまりにも愚策だ。

 まずは、呪いの魔法に詳しく、信頼の置ける魔法士を探すことが第一だったが、王子が直接呪いを解ける魔法士の情報を集めるわけにもいかない。そのため、宮殿の諜報員に情報収集を依頼することにした。

 それから数日後、諜報員の報告があり、一人の魔法士の存在が浮かんだ。

「なんでも、森の奥に、たった一人で魔法の研究をしている、変わり者の魔法士が住んでいるそうです。彼女なら、もしかしたら手がかりを持っているかもしれません」

「ありがとう、助かったよ」


  ***


 ダリルは魔法士と手紙のやりとりをしたのち、休みをもらってひとり、馬を走らせる。アシュレイとパットには、「何処に行くのか」と尋ねられたものの、「少し、散歩に」と答え、彼らにも明言はしなかった。城を出る時、アシュレイは心配そうな顔をしていたが、振り返ることはできなかった。

 王都を抜けて一時間弱、森の中を駆けてたどり着いたのは、小さいながらも、しっかりとした作りの小屋だった。

 小屋の扉の前で、ダリルはノッカーを二回叩く。ややあって、ぎいという音とともに、木の扉が開いた。

「あんたがダリル王子かい」

 姿を現したのは、すらりとした長身にぱっちりした目の、三十代ほどの女性だった。特別に美人ではないが、短めの褐色の髪と輝く碧の瞳が明るい印象であった。

「お目にかかれて光栄です、ライラさん」

「そうかい。さ、中へお入り」

 女性―魔法士ライラは、ダリルを手招きする。彼女の家を入ってすぐの所には、来客用の応接間があった。

「大したもてなしもできなくてすまないね。ちょっと待ってな」

 ダリルを応接間に通してすぐにライラは、台所へと向かってしまった。そこでダリルは椅子に座り、部屋の外観を眺めてみることにした。

 木の色で満ちた家だ。近くの棚には薬や何らかの植物などが入った瓶が置かれており、壁にはハーブが吊るされている。

 部屋の観察をするのも良いけれど、ダリルはじっと座っていることに落ち着かなくなった。けれど宮殿ではいつものこと、辛抱だ。そう自分に言い聞かせ、退屈しのぎを考ええてみたところ。

「待たせたね」

 ライラは二組のカップを手に、応接間へ戻ってきた。

 渡されたカップに入っていたものは、乾燥させた果物を加えたお茶だった。

「じゃあ、話を聞かせてもらうとするよ。王子様、何か悩みでもあるのかい?」

「僕の従者の、呪いを解きたいのです」

 カップを手にしつつも、ダリルはライラの目をまっすぐに見て、はっきりと口にした。

「へえ。その呪いとは」

「彼女の魔力を奪う類のものです」

「呪いをかけたのは?」

「ローザン・アークライトという魔法士です」

 ローザンの名を出すと、ライラの顔色が変わった。

「また、厄介な魔法士の名が出てきたものだね」

「彼女は、ローザンの娘です」

「へえ……またとんでもない。彼女は、魔法の腕こそ立つし、優れた魔法士ではあるが、いかんせん干渉したがりだ。その娘さんも気の毒なこった」

「僕もそう思います……」

「つまり、あんたはローザンの娘の呪いを取っ払いたいのだね?」

「その通りです」

「こいつぁ厄介な仕事だ。報酬も高くつくよ」

「では、ライラさんは何を望むのですか?」

「まず、前金としては、彼女の意志だ」

「アシュレイの意志」

 ダリルは、ローザンの言葉を反芻する。簡単なようでいて、簡単ではないことだった。

「そもそもアシュレイとかいう子がここに来なければ対策を立てようがないし、彼女の呪いを解きたいのはあんたのエゴでしかなかろう。だから、そいつだけじゃなくて、彼女の同意あってのことを、あたしに証明してほしい」

「わかりました」

「そいで、一つ教えて欲しい。どうして、彼女の呪いを解きたいのかい?」

「……呪いは、彼女の生き方を縛るものだからです」

 迷いなく、ダリルは応える。ローザンは一度瞬きをすると、ぽんぽんと、ダリルの頭を撫でた。

「あんたは、良い王子だね」

「はあ……」

 予想外の反応に、ダリルは戸惑っていた。

「政(まつりごと)には向いてないだろうが、あんたの優しさを欲してる人もいるだろう。だから、あんたみたいな人が王族にいてよかったとあたしは思うよ」

「とんでもありません」

 幼い頃、アシュレイと出会う前も、しょっちゅう部屋を抜け出しては教師たちに怒られていたし、王子らしくないと多くの従者に言われていた。だから、ライラの言葉は、ダリルの心の深くに染み込んでいた。

 この人を信じたい。ダリルはそう直感していた。

 けれども、それを確信するために、聞かなくてはならないこともある。わずかな沈黙ののち、ダリルは口を開いた。

「……ところで、ライラさん。あなたが欲するものは何ですか?」

「あたしが彼女の呪いに対処した暁には、金貨五枚と、それとあんたらの魔力をほんのちょびっと頂こうか。魔物を惹きつける王子に、ローザンの弟子。さぞ研究し甲斐がありそうだ」

「魔力は分けられるものなのですか?」

「ああ。あたしの手にかかれば、パンをちぎるようなものさ。ただし、悪用できるほど奪いはしないよ」

「……少し、考えさせてください」

「構わないさ。あたしを信じるか否かは、あんたらが決めることだ」

「ありがとうございました」


  ***


 宮殿に戻ったダリルは、アシュレイを呼び出し、ライラとの取引について、話をした。

「どうして、黙って一人で魔法士のもとへ行ったのですか?」

「あなたの呪いを解きに行くためだよ」

「それはわかっていますけれど……ただ、それがダリル様の負担にならないかと思うのです」

 アシュレイは立腹している様子だ。黙って出て行ったことに対して怒っているのは当然だろうと推測していたが、行先についての苦言は、ダリルの心にちくちくと刺さっていた。

「僕がやりたくてやってることだ。それに、あなたが僕を守ろうとすることも、同じだよ」

 ダリルはアシュレイに、強い語調で反論する。

「私はあなたの専属魔法士ですから、当然でしょう?」

 アシュレイも、普段より言葉に棘があるようだった。

「だけど、僕だって守られてばかりではいたくない。特別な力がなくとも、あなたのために出来ることはしたいんだ」

「それは光栄です。……ですが、あなたには、私だけじゃなくて、パットさんも、国民の皆様も、守る義務があるのですからね?」

「もちろん、わかっているさ。けれど、もう少し話をしてもいいかな?」

「何でしょうか」

「あなたの呪いを解くためには、あなたの意志が必要だ。だから、アシュレイ。僕とまた、魔法士のもとへと行ってくれる?」

「……簡単には頷けません。少し、質問をしてもいいですか?」

「構わないよ」

「あなたが会った魔法士とは、どんな方なのですか?」

「王都近くの森に住む、ライラという魔法士だ。僕をもてなしてくれた、いい人だったよ。ただ……」

「ただ?」

「どうやら、あなたの母君を嫌ってる様子だ。それに、呪いを解くための交換条件は、僕とあなたの魔力のごく一部。なんでも、研究のためだとか」

「……ならば、協力は得られそうですね」

「ああ。少し話しただけだけど、信頼のおける人物だと思ったよ」

「そうですか。けれど、私にも迷いがあるのです。……少し、お時間をいただいても?」

「もちろん。ゆっくり考えてほしい」

 アシュレイが去ってから、ダリルはどっと疲れが出ていると感じていた。

 熱くなり過ぎたかもしれないが、パットに指摘された通り、彼女に苛立つのもまた恋をしているためなのか。恋という感情にピンとこなかったダリルは、ただただ戸惑っていた。

 時々自身に熱い視線を向けていた従者の少女たちは、こんな気持ちでいたのだろうかと考えてみていた。その好意は有難いと感じていても、彼女たちのことはよく知らないし、誰か一人を選ぶことができなかったから、申し訳なく思っていたことがあったような。

 けれど、今なら言える。アシュレイが、一番大切な女性であると。

 だからこそ、彼女の答えを待つことが、なんとも歯がゆかった。

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