幼き逢瀬 (3)
それからも二人は、隙間時間を見つけては会って、お互いの生活の話をしたり、宮殿の庭を散歩したりして過ごした。
毎日は駆け抜けるように過ぎ去り、やがてアシュレイが宮殿を去る前日が訪れた。
「ねえ、アシュレイ。街に出たいんだ。一緒に行ってくれる?」
帽子をかぶり、普段よりも簡素な服に身を包んだダリルは、かねてからの願いを口にした。生まれてこのかた、城の外を好きなように探検できる機会はなかったし、これでアシュレイと遊べるのも最後かもしれなかったからだ。
「それはいけないわ、ダリル」
けれども、アシュレイは、厳しい口調で制止した。
「アシュレイだったら一緒に行ってくれると思ってたのに!」
そんな彼女に、ダリルは怒りをぶつけるほかできなかった。
「あなたは一国の王子です。騒ぎになるでしょう?」
アシュレイは、ダリルの駄々に動じず、淡々と諭す。
「もういい、アシュレイなんて知らない!」
それでもダリルはくるりと背を向けて、思いっきり走り出した。アシュレイがとっさに手を伸ばしたことにも気付かずに。
そして非常用の抜け道を通り抜けて、彼は宮殿の外へと繰り出すのだった。
***
従者もつけず、はじめてひとりで歩く王都。誰にも気兼ねなく、散歩できることが楽しいとダリルは感じながら、大通りの賑やかな雰囲気を味わっていた。
おもちゃ屋さんに、お菓子を売っている屋台。普段は絶対に行けない場所だ。
「あら、綺麗なお兄ちゃんね。これ、食べてみる?」
ダリルがぼうっと屋台を眺めていると、店番をしていた若い女性は、飾られているものを切り分けたらしい、一口大のお菓子を彼に差し出した。
「うん。ありがとう、お姉さん!」
ダリルは大きく頷き、顔をほころばせた。それから、口を大きく開けて、差し出されたお菓子を頬張った。宮殿でこんなことをすれば、行儀が悪いと従者たちに叱られることは間違いない。けれども、店員の女性は、にこにこしながらダリルを見守っていた。
お菓子を噛むたびに、粉砂糖と生地の甘みが、口いっぱいに広がった。今まで食べたお菓子よりも、素朴で親しみやすい味だとダリルは感じていた。
「どう? 美味しい?」
「うん、とっても美味しい! もっと食べたいくらいだよ」
「なら、銅貨三枚いただくけど、おひとついかが?」
「銅貨? ……って、何のこと?」
「お金のことよ。これが銅貨。このお金、持ってない?」
「うん」
「そっか。ならまた、お小遣いをもらっていらっしゃい」
「うん、そうするよ! ごちそうさま!」
屋台の女性にぺこりと頭を下げると、ダリルはまた探検の続きを始めた。
心が趣くままに、ずんずんと王都を歩く。表通りは一通り眺めたので、横道に入って、路地へと向かった。
開けた道に比べたら少し薄暗いけれど、怖くない、怖くない。そう自身に言い聞かせて、ダリルは路地の奥へと一歩踏み出した。
「どうしよう、迷子になったかも……」
しばらく街の路地を歩いていたダリルだったが、探検に夢中になりすぎて、どこを歩いたかは忘れてしまった。
宮殿は見えないだろうか―ダリルが周囲をぐるりと見渡したところ。
犬を大きくしたような魔物と、目が合ってしまった。
魔物はダリルに気が付くと、咆哮をあげて飛びかかってきた。
恐怖に満ちて、体が動かない。助けを呼ばなくては。声を上げようとしたその瞬間。
「ダリル!」
一番聞きたかった、澄んだソプラノの声がした。
間一髪、黒髪の少女は短剣を右手に、魔物と少年との間に立ちふさがる。波打った長い黒髪は、風になびいて揺れていた。
「ごめんなさい。あなたが心配で、こっそり後をつけていたの」
「アシュレイ……!」
目を輝かせるダリルに、アシュレイは一度だけ微笑むと、犬型の魔物に対峙した。
彼女は短剣を構えると、風を切って流れるように、魔物を牽制する。
背後に隠れていたダリルは、年上の少女の隙のない短剣さばきに、ただただ見入っていた。
アシュレイは攻撃する隙を伺っているようだが、その瞬間はなかなか訪れそうにない。
自分が魔法を使っても、足手まといになるだけだろうか―ダリルが迷っていた瞬間。
「これで終わりです!」
アシュレイは人差し指を空中に舞わせ、一瞬で魔法陣を描くと、そこから電撃が一閃。
もろに攻撃を受けた魔物は気を失ったらしく、倒れこんでいた。
「少し、眠っていてくださいね。さあ、帰りましょう」
アシュレイが手を差し出し、ダリルがその手を握ろうとした、その時。
「よう、お嬢ちゃんにお坊ちゃん。いいナリしてるじゃねえか」
新たに現れたのは、柄の悪い男たちだった。どうやら、アシュレイが魔物を倒した隙を伺っていたようだ。
「魔物なんかより、俺らと一緒に遊ばね?」
男たちは、じろじろとダリルとアシュレイを見つめていた。その視線が悪意のこもったものであると、幼いダリルもはっきりと感じていた。
彼らに、アシュレイは一瞬怯えたように見えた。それでも、強い視線で男たちを睨んだのち、
「見てはいけません」
と、ダリルの目を塞ぐ。
それから伝わってきたのは、強烈な眩しさ。どうやらアシュレイは、強力な光魔法を展開したらしい。
「魔女だ!」
「やってくれたじゃねえか!」
「おい、痛えよ!」
目がくらみ、アシュレイたちに蹴りを入れようとした男は、同胞を蹴飛ばしていたようだ。
「今よ」
アシュレイは、ダリルの手を引いて、駆け出した。
それから、二人の間に言葉はなかった。
遠くの宮殿を目指して、ただ走り続ける。
男たちを振り切った後、時折、アシュレイはダリルの様子を気にかけて、走る速度を落としていた。
それでもダリルは息も絶え絶えだったが、アシュレイについていこうと、必死だった。
走り続けて、宮殿が目の前に見えた所―。
「ダリル様! 探しましたよ!」
騎士の声を聞きつけて、アシュレイとダリルは足を止めた。
「……貴方は? 貴方が、ダリル様を外に出したのか」
アシュレイの姿を見たもう一人の騎士は、顔色を変える。
「……」
アシュレイは、苦虫を噛みつぶしたような表情で、口を閉ざしていた。
「外に出ようとした僕が悪い! あの人は何も悪いことしていない! むしろ、彼女は僕を助けてくれた!」
ダリルはとっさにアシュレイの前に立ちふさがり、無我夢中で叫ぶ。
「いや、しかし……」
第二王子の懇願にもかかわらず、騎士たちは聞く耳を持たない様子だった。
「……私が悪いのです、ダリル様、騎士様」
張り詰めた空気の中、アシュレイは胸に手を当てて深呼吸をしてから、口を開いた。
「アシュレイ……」
ダリルは不安げに、友人の名前を呼ぶ。
「身分と本業をわきまえずダリル様と関わり、彼を危険に晒したことは、私の責任でもあります」
「ならば、今後彼に関わることは控えることだ」
「どうしてアシュレイと友達になってはいけないの?」
アシュレイと騎士のやりとりが我慢ならなくて、ダリルは口を挟む。
「貴方は一国の王子で、ゆくゆくは兄の補佐をする立場です。そして彼女は、平民の娘に過ぎません。友人選びには慎重になられますよう、お願いします」
騎士の言葉は、耳にたこが出来るほど聞いた話だ。身分なんて、ばかばかしいと思っていたダリルにとってしてみれば、納得できないものであった。
そんなわけで、不機嫌なままのダリルを見かねたのか、アシュレイは彼に向かい合うと、突然跪いた。
「……今生、あなたの友になれないのならば。いつか王国魔法士となり、あなたにお仕えいたします」
アシュレイはダリルを見上げて視線を合わせると、はっきりと誓いの言葉を紡ぐ。
「約束してくれる?」
「はい」
感極まって、ダリルが縋るように尋ねると、優しく目を細めて、アシュレイは答えた。
「なら、僕が大人になったら、真っ先にあなたを専属魔法士に任命しよう」
ダリルもまた、アシュレイの肩に手を伸ばし、宣誓した。新米騎士の叙任式の真似事で、本来は剣を肩に置くのであるが、想いが伝わっているといいと願いながら。
「ありがたき幸せ」
跪いたまま、アシュレイはダリルに向けて一礼してから、立ち上がった。
「娘よ。ダリル様の慈悲に預かりたいのならば、精々頑張ることだ」
「承知しています」
騎士はたかが子供の戯言、といった調子でアシュレイに言葉を投げたものの、彼女が動揺した様子はなかった。
「ダリル様。では、行きましょう」
「またね、アシュレイ」
ダリルは踵を返し、渋々騎士たちに従ったものの、ちらりと後ろを向いて、アシュレイへと手を振り続けていた。
騎士たちに連れられるダリルを、アシュレイはいつまでも見送っていた。
それからダリルは一週間の自室謹慎、アシュレイにはみだりにダリルと会ってはいけないとの警告が通達された。
再び一人になったダリルは、空虚な気分のまま、日々を過ごしていた。勉強も、作法の教えも、剣や魔法の鍛錬も、何もかも身に入らず、教師たちには怒られ続けていた。幸せな夢から覚めて、現実に引き戻された気分だった。
それでも、二人には思い出と約束があった。
アシュレイは、ダリルを一国の王子でなく、一人の少年として見てくれた優しいお姉さんだった。そして、魔法で危機を幾度となく救ってくれた、憧れの人でもあった。
そんな彼女との思い出を胸に、ダリルは勉強と公務とに追われる、せわしなくも退屈な日々を過ごそうと決意した。
一方のアシュレイもまた、共に調査を行っていた母にダリルと会っていたという事実が知らされ、厳重に注意を受けていた。しかしながら、ダリルの懇願により、彼女が王国魔法士を志願する権利は消えなかった。そのため新たな目標に向け、母のもとで修行を継続することとした。
小さな逢瀬を重ねた少年と少女が再び隣に立つのは、未来の物語である。
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