幼き逢瀬 (2)
翌日、家庭教師からの宿題をどうにか終わらせたダリルは、それを机の上に置いたままにして、部屋の外へと飛び出した。アシュレイを探しに行こうと思ったのだ。
彼女は王国仕えの魔法士ではなさそうだ。なら、客人なのか。
ダリルは客室が並ぶ区画へと向かい、一部屋、また一部屋と聞き耳を立てた。
「こんにちは、ダリル様」
「アシュレイ!」
少女の声に、ダリルははっと我に返る。
「盗み聞きですか? それは感心しませんね」
アシュレイはかがんで目線を合わせてから、諭すような口調で語りかけた。
「違うよ! ただ、あなたを探していたんだ!」
迷いなく、ダリルは答えた。
「それは嬉しいです。ですが……」
「アシュレイも僕に会えて嬉しい? いっしょだ!」
ダリルはアシュレイの両手を握り、二回、腕を振った。少年王子の無邪気な様に、年上の少女はたじたじになっていた。
「今日は、お勉強は大丈夫なのですか?」
アシュレイは心配な様子のまま、ダリルに尋ねる。
「大丈夫、ちゃんと宿題は終わらせたから。……っていうか、アシュレイの方がお姉さんなんだし、その話し方はやめてほしいな?」
「あなたは、それを無礼とは思わないのですか?」
「苦手なんだよ。様付けされたり、特別扱いされるの」
頼み事をしたダリルを、アシュレイは不思議そうな目で見ていた。一緒に遊んでくれるにしても、彼女が素直にはいとは言わないことが、ダリルをやきもきさせた。
「そうですか……なら、私にも考えがあります」
「何かな?」
「二人でいるときだけ、敬語を使うのをやめるわ。それでいい?」
「もちろん!」
アシュレイの提案に、ダリルはたちまち顔を明るくした。
はじめて出来た友達と、お互い対等に話せることが、こんなに嬉しいなんて。ダリルは、小さな喜びをかみしめていた。
「そうだ、アシュレイ。僕と一緒に本を読まない?」
ダリルは興奮冷めやらぬまま、アシュレイに尋ねた。
「ダリルは、どんな本が好きなの?」
「それは、部屋に行ってのお楽しみ!」
スキップをしながら、ダリルは自室へとアシュレイを案内した。そして、二人が部屋の前に到着すると、アシュレイは一瞬驚いたように見えた。ダリルの部屋は、他の部屋のような白い扉ではなく、赤い扉だったからだ。そして、扉の周囲には、細かな装飾が施されていた。
ダリルは、そんな部屋に慣れた足取りで入ると、真っ先に本棚から、一冊の本を取り出した。
「この本……」
王子と竜。本の題名を見てから、アシュレイはぼうっと本を眺めている。
「アシュレイもこのお話、知っているの?」
「ええ。昔、お母様に読んでもらったの。懐かしいわ」
「へえ。ならさ、アシュレイ。僕に読んで聞かせてくれない?」
「もちろん。あなたのために、朗読してみせましょう」
ダリルは本を片手にソファを指し示す。二人は隣り合わせで座り、ダリルは本のページをめくり始めた。そして、アシュレイは澄んだソプラノの声で、語り始めた。
***
昔々、ある国に、デビットという名前の王子さまが暮らしていました。
デビットの国には、魔物も暮らしています。ですが、魔物は時に街や村を襲い、家や畑を荒らすため、人々から恐れられていました。けれども、デビットは、そんな恐ろしい魔物と心を通わせ、友達になることができました。
ですので、デビットは、街や村に魔物が現れると、真っ先に駆け付けて、魔物が元の住処に戻るよう、手を尽くしていました。そのため、デビット王子は、国中の人々から好かれていました。
ある時、デビットの国に、大きな竜が現れました。
竜は、いくつもの村や町を襲ったため、たくさんの人が死んでしまいました。
さらに、この邪悪な竜と同じくらい強い人間や魔物はいなかったので、邪竜の暴挙に人々がなすすべはありませんでした。
ですから、邪竜を止められないのかと、人々は絶望に暮れていました。
そんな時立ち上がったのは、魔物と心を通わせたデビットでした。
デビットは、国一番の鍛冶師に頼んで、邪竜を倒すための力が込められた長剣を作ってもらい、それから出来上がった剣を携え、邪竜退治に協力してくれる魔物を探す旅に出ました。
デビットは旅のなかで、様々な土地に向かいましたが、探せども探せども、竜と戦えるほど強い魔物はいませんでした。それでも、国を滅ぼすわけにはいかない。その一心で、デビットは長い旅を続けていました。 やがて旅の果てでデビットは、善き竜と出会います。事情を説明すると、竜はデ
ビットに応じてくれました。デビットの人柄が、善き竜に伝わったのでしょう。竜はデビットを背に乗せると、邪竜の元へと向かいました。
それから、竜同士の戦いが始まりました。実力は互角。そこでデビットは、全身が固い鱗で覆われた邪竜に剣が通る場所を探ることにしました。ですが、剣を振るっても、なかなか邪竜には届きません。
さらに、邪竜は、飛びながら火で、翼で、爪で、尻尾で。あらゆる方法でデビットと善き竜を追い詰めていきました。
もうだめだ――デビットが息も絶え絶えになったところ、彼を乗せた竜は、邪竜の元へと突進するではありませんか。勇気ある竜の行動に、応えなければ。そう思ったデビットは、邪竜に最も近付いた瞬間、剣を振りかざしました。
そして、デビットが振るった剣は、見事に邪竜の鱗の隙間から、心臓を貫いていました。
弱点を突かれた邪竜は、一気に地面へと墜ちてゆき、二度と街や村を襲うことはありませんでした。
その後、邪竜を倒したデビット王子と善き竜は、末永く幸せに暮らしたそうです。
***
「はい、おしまい」
ダリルは最後まで読むと、ぱたりと本を閉じた。
この物語はソルシアの建国以前から語り継がれていたものであり、竜はかつて滅んだとされる伝承上の魔物に過ぎないため、本当に起こったか定かでない、おとぎ話に過ぎない。けれど、今は見ることもできない大きな竜が現れる所、王子が竜と力を合わせる所が好きで、ダリルが何度も読み返す本だった。
「ねえ、アシュレイ。竜は本当にいると思う?」
興奮冷めやらぬまま、ダリルは尋ねる。
「ええ。お母様と山に修行に行って、魔物の骨や化石を探す時があってね。『これは竜かもしれない』って、お母様が言った化石もあったわ。だからね、本当にいたのかもしれないよ」
「すごい! 僕も山を探検して、化石を見つけられたらいいのになあ……」
ダリルはアシュレイの話に目を輝かせながらも、どこか遠くを見ていた。公務や行事を除けば自由に外に出ることはできなかったため、山に行くなど、夢のまた夢だった。
「私のお母様は、厳しいわよ?」
「厳しくても、面白かったら平気だよ!」
「そう、男の子は冒険に憧れるわよね。けれど、もし竜がいたなら、ソルシアはどうなってしまうのかしら?」
「その時は、兄上がソルシアの剣を使って倒してくれるさ」
ソルシアの剣。それは、ソルシア初代国王ルイスの冒険と建国の苦難の傍らにあったと伝えられる、魔法の込められた剣である。彼はこの剣に魔法を込めて、王都に襲来した巨大な魔物を倒したと言い伝えられているため、竜をも倒せるのではないか、とダリルは考えていた。けれども、ソルシアの剣は国王か次期国王しか触れることができないとされているため、それを使いこなせる人物は父の現国王ギャレットか兄王子オスカーの二択であった。この二名のうち父は荒事を好まないため、適任は兄であろう。
「そうかしら? あなたもどこか、デビット王子に似てると思ったけれど?」
「僕は兄上より剣も魔法もできないし、怒られてばっかだし……」
「いいえ。ダリルには、ダリルのいい所があると思うわ」
「本当に?」
「ええ。あなたの明るさ、人懐っこさは、誰かを幸せにするものよ」
「そうなのかな……」
アシュレイが褒めても、ダリルは俯くばかりだった。
「ダリルはきっと、国民を幸せにするために剣や魔法を使うことができると思うの。ただ強さを追い求めるよりは、ずっといいと思うわ」
アシュレイは、ダリルの頭をそっと撫でる。
ダリルは頭を抑えながら、アシュレイの目を見た。彼女のアメジストの瞳は、優しい光をたたえていた。
「アシュレイが言うなら、そうなのかも。ありがとう」
「どういたしまして。けれど私、もう行かなきゃ……」
アシュレイは時計を見て、名残惜しそうな顔をする。
「えっ、もう遊べないの!?」
「ええ。これから、お母様の手伝いに行かないと」
「そっか……」
「明日はもう少し遊べるはずだから、悲しまないで」
「本当に本当?」
「はい。また明日」
「また明日」
二人は惜しみながら別れたが、また翌日にアシュレイと会えると思うと、ダリルは不思議と寂しさを感じなかった。彼女の心の暖かさが、部屋に残っているような気がしていた。
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