わがままを赦して

増田朋美

わがままを赦して

夏休みが終わって学校が始まる季節になった。その季節になると、決まって学校に行きたくないという生徒が出てくるのであるが。それが、極端に出てしまうと、こうなってしまう生徒も居るのである。

ある日、杉ちゃんと、ジョチさんが、ラーメン店であるイシュメイルラーメンで、ラーメンを食べていると。いきなりがらがらっと音がして、店の入口の戸が開いた。誰かと思ったら、

「あれえ、植松先生ではないですか?」

と、杉ちゃんが言う通り、高校教師の植松直紀なのであった。確かにそのとおりなのだが、なんだか急に体中が疲れ切ってしまったような、今にも泣きそうな顔をしている。

「どうしたんですか。そんな顔して。学校の先生が、そんな顔をしていたら、生徒さんたちも、困ってしまうのではないですか?」

と、ジョチさんがいうほど、植松は落ち込んでいた。

「はああまた、変な生徒が出たのかなあ?」

と、杉ちゃんがいうと、

「とりあえず、椅子に座ってもらって、ラーメンを食べてもらおうかな?」

と、ぱくちゃんが、植松を杉ちゃんたちの隣のテーブルに座らせた。そして、何を食べたいか、言ってください、と言って、水をわたした。それでも植松は、まだ血の気が抜けたような顔をしている。

「植松先生。また生徒が、変な事件を起こしたんですか?まあ、先生の学校は、問題が多い生徒さんばかりでしょうから、もう多かれ少なかれ事件が起きても仕方ありません。そこは、我慢するというか、耐えることも必要なのでは?」

ジョチさんがそう言うと、

「我慢なんかできませんよ!もう、何人、この学校では、自殺未遂が出るんだって、お医者さんに叱られちゃったんですよ!」

と、植松は座ったまま号泣した。

「はあ、また自殺未遂が出たのか。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうなんですよ、長い夏休みが終わって、さあ学校が始まったとおもったら、いきなり、これですよ。それでは、どうしたらいいのかわからないんですよ。」

また涙をこぼしてなく植松に、杉ちゃんもジョチさんも、困った顔をした。

「ということは、学校に行きたくなくて、自殺を図った生徒が出たと言うことですね。まあ、最近よくあることくらいにしておいたほうがいいかもしれませんよ。そのくらいにしておかないと、学校の先生という商売は持ちませんよ。」

と、ジョチさんがそういうと、

「そうなんです。一命はとりとめて、後遺症の心配もないと言うことですが、何でも、家にあった、農薬をがぶ飲みして、お母さんが発見しなければ、今頃どうなっていたか、わからないんですよ。」

と、植松は、また男泣きに泣いた。

「そうですか。確かに、確実に死ねる方法を選んでしまうという問題もありますが、そういう事は、よくあることくらいに考えて置いてください。そんなことで、いちいちいちいち先生が号泣していたら、生徒たちを誰が守るんですか?」

「はい、すみません。」

と、植松はそう言うが、

「少しだけ泣かせて置いてあげたら?」

と、ぱくちゃんが、小さい声でそういうことを言った。そうですねとジョチさんが言うと、植松は、店が吹っ飛びそうな大声を上げて号泣した。杉ちゃんとジョチさんは、そんな植松の顔を見て、はあとため息を付いた。

「まあ助かったからそれで良かった。それよりも、これからどうやってその生徒を立ち直らせるかが鍵だというのに気がつくのは、もうちょっと先のことだろうね。」

と、杉ちゃんがそっと呟く。

「で、その生徒の名前は?」

ぱくちゃんがきくと、

「はい、山路勝君という男子生徒です!」

植松はなきながら答える。

「やっぱり男子生徒だな。女子生徒は、親が手伝ったりすることが多いから、割と秘密を打ち明けるのは、あまり抵抗はないが、男子生徒は、そうは行かないからね。」

と、杉ちゃんはつぶやく。

「そうですか。じゃあ、その山路くんという生徒は、なぜ、自殺を図ったのでしょうね。それは学校に問題が有ることを示しているんだと思いますよ。まあ、支援学校ということで、問題の有る生徒さんたちがいっぱいいるんでしょうけどね。きっとよほど学校に行きたくないという理由があったんでしょう。」

「なにか、クラスでいじめでもあったんでしょうか?」

ジョチさんと杉ちゃんが、相次いでそう言うと、

「だって、俺達は、さんざん言ってきましたよ!相手を思いやるとか、自分と少し違っていても赦してあげるとか。そういうことをちゃんとするって!それなのに、なんでそういう言葉は届かないんでしょうね!」

と、植松はテーブルを叩いた。

「まあまあ、先生は一生懸命指導をしているつもりだろうけどね、でも、生徒さんには、それが嘘っぽく見えちゃう生徒も少なくないだろうよ。それは、しょうがないことだ。だから、それを矯正していくのが教育ってもんだ。まあ、丸い形で終わるということは、ないかもしれないけれど。でも、それは、仕方ないことだからね。全部の生徒に、それが通じるかって言うと、そうじゃない生徒も居るんだよ。」

と、杉ちゃんがいうと、植松は、それではだめだと言った。

「それではダメだじゃないんだよ。それは、しょうがないことでも有るんだよ。学校の先生なんてそんなもんだよ。そういう虚しい気持ちを味わうのが、学校の先生って言うもんだ。」

杉ちゃんが植松を励ますが、植松は泣くばかりだった。

「本当にお前さんは泣き虫先生だな。あのラグビーボールの泣き虫先生だって、お前さんみたいなそんな情けない教師じゃなかったと思うけどね。あーあ、こんな頼りない先生、相手にできないってバカにされても仕方ないな。」

「ホントですね。」

杉ちゃんの言葉に、ジョチさんも言った。

「これでは、教育者として情けないです。」

そう言われた植松はなにか鉄槌を打たれたらしい。急いで涙を拭いて、

「わかりました!そう言われないように、俺はなんとかしてみせますよ。山路君がどうしてそんなことをしたのか。真相を明らかにしてみせます!」

「はいはい。どうせ口ばっかりうまくて、なんにも行動を起こさないで、学校のメンツばかり気にしているやつが学校の先生と言うもんだったが、それも変わるんだろうかな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「いや、俺は絶対そのとおりにはなりません!俺はちゃんと学校の先生として、ちゃんとやります!」

と、植松は選手宣誓する高校野球の選手みたいに、でかい声で言った。杉ちゃんとジョチさんは、ほんとにできるのかなあという顔で、植松を見つめていた。それと同時に、ぱくちゃんが、

「ご注文はなんですか?」

と聞いてきて、植松はその勢いで、醤油ラーメンと言った。

「全く、若いやつは、勢いだけはあって、行動は何もないんだけどな。全く、困ったもんだぜ。」

と、杉ちゃんが、少し呆れた顔で、植松を見ていた。

その翌日。植松は学校に出勤した。そしていつもどおり出席簿を持って教室に入った。生徒たちは、昨日山路くんが自殺未遂を起こしてしまったところから、少しばかり動揺しているような生徒も居る。その中で、一人いつもと変わらないでいる生徒がいた。鮫島徳子だ。

いつもの通り数学の授業をする植松だったが、鮫島は相変わらず植松の授業を聞いてくれている。この学校には、必要のない科目であれば、授業を聞かないで受験勉強をしている生徒も多くいるので、授業を聞いてくれる生徒のほうが、珍しいくらいなのだ。そういう中で、鮫島徳子のような生徒は、貴重な存在でもあった。彼女は他の先生に対してもそういう態度を取るから、結構先生方から慕われている生徒でもある。しかし、学校の授業をきくということは、大学へ進学する意思はないということでもあった。まあ、進学率は、支援学校と名乗っているところだから、さほど問題にもならないのだが。それでも、進学率は、学校の先生にとっては大事なことでもある。

「それでは、次の授業は、教科書の40ページから始めます。予習をよくやってくるように。」

と、植松は生徒に指示を出したが、鮫島はちゃんと予習してくるページの角を折っておくなど印をつけたりしているのである。

「次の授業に向けてちゃんと、予習してくるんだぞ。よろしく。」

と言っても無駄なことが多いのだが、植松はちゃんとそういったのであった。それは仕方ないことでも有るのだが、やっぱり授業は聞いてほしいなと思うこともある。

「植松先生、ちょっとわからないところがあるので、教えてくれませんか。」

と、先程の鮫島徳子が、植松のところにやってきた。

「あの、ここの方程式の解き方なんですけど?」

そうやって、真面目に質問してくれる徳子は、見たところ普通の生徒であることは疑いないのだが。植松は彼女に、問題を解くヒントを与えたが、それだってちゃんと聞いているのである。

「ありがとうございました。先生、次回の授業もよろしくおねがいします。」

鮫島徳子は、一礼して、植松の前から去っていくのだった。それと同時に、校長先生がやってきて、職員室に来るようにというのだった。なんでしょうと言って植松が職員室に戻って行くと、

「あの、植松先生、あの鮫島徳子のことなんですが。」

校長先生は、困った顔でいった。

「なんでも山路勝のお母さんが昨日見えましてね。彼の話によると、鮫島徳子が、山路の家庭の経済事情を言いふらすと脅かして、山路から、5000円の口止め料をとったというのです。」

「鮫島がそんなことしたんですか?」

と植松がいうと、

「ええ、事実、山路のお母さんが、そう言っているのですし、山路が自殺を図っているくらいですから、間違いはないでしょう。」

と、校長先生は言った。

「しかし、しかしですよ、授業ではあんな真面目に話は聞きますし、勉強のことで質問に来たり、大学進学の意思はないと言っても、真面目な生徒ですよ。彼女は。」

と、植松が言うと、

「そうなんですが、こういう事実があった以上、鮫島を追求してみなければなりませんね。表では優等生を演じていますが、彼女はこれまでにも似たような事件を起こしていますよね。植松先生。ご存知だと思いますけど。」

と、校長先生は言った。それと同時に、職員室のドアがガチャンと開いて、

「先生方、明日から、この学校でお世話になります、森田信頼と申します。よろしくおねがいします。」

と、一人の中年の男性が、職員室に入ってきた。

「ああ、保護者の方ですか。転校生の方ですかね?」

と植松がいうように、この学校では転校生は多く居る。全日制の学校に馴染めなくて、通信制のこちらの学校に転校してくる、という、ケースは珍しくない。

「保護者の方がわざわざこちらまで来てくれるとは、子供さんも喜んでいることでしょうな。」

と植松がまたいうと、

「違います。先生、何を勘違いされているんですか?僕は、明日から、生徒として、この学校でお世話になりますという意味で、ご挨拶にこさせてもらったんですが。」

と、彼は言った。確かに、この学校では、そういう生徒さんもたまにいる。学校を一度中退し、何年か苦労をして、また学びなおしたくなって、通信制の高校にやってくるという生徒だ。そうなると、40代とか、50代の生徒も少なくない。中には教師である自分よりも、年上の生徒だって珍しいことではないのだ。

「は、は、はい。よろしくおねがいします。」

という植松に、女性教師が、

「植松先生、はあじゃないでしょう。明日から、お世話になるんですから、ちゃんと挨拶してあげてください。」

と、言ったので、植松は更にびっくりしてしまう。支援学校だから、50代の高校生という事も十分あるので覚悟してくれと校長先生に言われたことが有るが、まさか現実になってしまったということは、はじめてのことだった。

「よろしくおねがいします。森田信頼です。わたしは、15歳の時、働かなければならなかったため、勉強することができませんでした。それから50年経って、やっと勉強することができてとても嬉しいです。それでは、どうぞよろしくおねがいします。」

50年というのがまた大きな数字だが、植松は、ぽかんとして何もいえなかったのであった。

「じゃあ、森田さん、いまから校長先生と面談がありますので、こちらにいらしてください。」

と女性教師に促されて、森田は、ハイと言って、校長先生と一緒に校長室へ行った。なんだか、植松よりも、人生についてちゃんと知っているような、そんな人物でも有る。

「はあ、すごい生徒がやってきましたね。こんな生徒が、うちの学校に来るとは。私達教師も、のんべんだらりと授業をしているだけでは、成り立ちませんね。」

「通信制の教師なんて、何をレベルの低い学校に通っているんだと、妬まれた事もあるけれど。」

「私達は、一番重大な部分を担っているような気がしますね。皆、事情がある生徒さんばかりですものね。」

女性の教師たちは、そう噂し合った。確かに、普通の学校の先生と、この学校の先生は、全く違うなということが言えた。そうならなければ、この学校でやっていくことはできないと思う。全日制の高校とは全然違うところでもある。

「また新しい展開が始まりそうだなあ。」

年配の老教師が、小さな声でいった。

その翌日から、彼、森田信頼は、学校にやってきた。この学校には制服はないので、生徒が思い思いの服装で来てくれて大丈夫ということになっていたが、彼は、学ランによく似たマオカラージャケットを身に着けて、ちゃんと机と椅子に座った。そして、他の先生の授業も、植松の授業もちゃんと聞いている。鮫島徳子もそうしているが、森田は、鮫島以上に真剣に授業を聞いていた。

ところが、森田が、学校から帰ろうとした矢先、彼の通学用の革靴が、燃やされていた。森田が、靴を燃やされていたことに気がついたのと同時に、植松がそこを通りかかった。

「一体どうしたんですか?」

と、植松がきくと、

「いやあね、靴が燃やさせれてしまいましてね。全く、何があったかわかりませんが、ひどいことするやつが居るものですなあ。」

森田は、こんな事はなれているという顔つきでそういったのであるが、

「一体誰がこんなことをしたんでしょうね!こんなひどいことしたのは誰なんでしょうか!」

と、植松は驚いた顔でいった。

「ええ、そうですね。でも、仕方ないじゃないですか。転校生は誰だって注目の的になりますよ。多少こういうことをされても仕方ないんじゃないですか。」

と、森田は裸足のままで学校を出ていってしまった。植松はそれを、ぼんやりとした目で見るしかなかった。

その次の日。森田は別の靴を履いて学校にやってきた。それは、スーツには合わない靴であるが、それでも仕方ないと言った。そして、ちゃんと上履きに履き替えて、しっかりと授業を受けた。植松も授業をやったのだが、森田は授業で居眠りをすることもないし、受験勉強をすることもない。授業をしていた植松は、鮫島徳子が、いつもと変わらないけれど、なにか嫌そうな顔をしているのに気がついた。もしかしたら、鮫島が森田の靴を燃やしたのではないか、そんな気持ちが植松の頭をよぎる。信じたくないことだけど、、、。

でもおかしい。鮫島の家庭はちゃんと父も母もいて、しっかり彼女のことを支えてやっている。家庭訪問したことは有るけれど、問題のある家庭とは思えない。この学校に来ている生徒の中には、まるで親のほうが教育を受けなければならないのではないかと荒れている家庭も珍しくないが、徳子の家庭は、そういう事はなかった。ご両親も健在で、幸せな家庭なのに。それなのに、この間校長先生が言ったようなことをしたり、先程の森田の靴を燃やすなど、なぜ、悪事ばかりを繰り返すのだろう?

そう考えているうちに、授業を終了するチャイムが鳴った。

「今日の授業はここまでにします。では、明日は、50ページからやりますので、予習をしっかりしてきて下さい。」

植松は生徒たちに指示を出した。生徒は、返事をする子もいればしない子も居るが、

いずれにしても数学の教科書をかばんの中にしまった。

今日も森田は、かばんを持って、学生とは思えないような姿で、学校を出ていく。それとなく森田が学校を出ていくのを観察していた植松は、その後で鮫島が、森田の上履きの中に、針を入れたのを見てしまった。

「鮫島、ちょっとまって!」

と、彼は急いで言う。植松の言葉に、鮫島徳子は、ハッとしたような顔をしたが、直ぐに真顔に戻ってしまった。

「いま、森田の上履きに何をしようとしていたんだ?」

「ええ、だって、あの人がにくいんですもの。」

と、鮫島徳子はさらりという。周りに生徒がいないのが救いだと植松は思った。

「あたしは、なんでこんなに苦痛な勉強をしているのに、あの人は、楽しそうに勉強しているんですもの。」

「じゃあなんで、いつも授業を真面目に聞いてくれているのに。」

と植松が言うと、

「だって、そうしなきゃ学校はやっていけないじゃないの。演技してれば、自然にいい評価がついてくるのが、学校というものではないんですか?」

と、鮫島徳子は言うのだった。それを聞いて、植松は裏切られたというか、本当に悔しいというか、なんだかほんとうに、虚しく悲しい気持ちになった。本当は、鮫島の目の前で泣いてしまってもおかしくなかったと思う。でも、これでは行けないんだと、もう一度自分を振り立たせるようにして、

「そうか。そう思っているのなら、教えておきたいことが有る。勉強は、やらされているものじゃないんだ。それができなくて、どれだけ苦労したか、あの、森田信頼君に聞いてみてご覧。」

と、鮫島徳子に言った。

「大人ってみんなそういうわ。でも、わたしは、知ってるのよ。みんな、人前でカッコつけるために、子供をいい学校にいかせるの。それで、わたしは、皆の前でいつも赤っ恥を描いてるわ。勉強しなかった苦労なんて、わたしは、知りたくもない。わたしは、どうせ、家の大人を、喜ばせるだけの存在に過ぎないんだし、それに、そうすることでしか大人を喜ばせられない。悲しいわよね。」

と、彼女は、そう答えたのであった。これを、思ってしまうと、本当に正常な判断へ戻していくには、難しいものであるけれど、でも、それを矯正させなければならない。

「それでは、先生のことを、まず、信じてもらえないだろうか?」

とりあえずそういった。それだけでも、徳子には、大きな矯正になるかもしれなかった。



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わがままを赦して 増田朋美 @masubuchi4996

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