第13話悪魔のような天使②

柔らかな、それでいて鈴の音のように響く、優しい声音だった。

顔を上げると、銀髪の少女が小さく笑っていた。場に似つかわしくない軽やかな笑みに、思わず言葉を失う。


歳の頃は14くらいだろうか。背は平均より少し低く、痩せこけてはいるものの、幼くも整った顔つきをしている。順当に育てば美人になるであろうことは想像に難くない。

目鼻立ちもさることながら、目を引いたのは清廉な滝のように垂れる長髪だった。薄汚れてはいるが、輝きを保った銀髪は、粗雑な襤褸とのコントラストも相俟って美しい。その美しさは、僕の胸の内を行く恐怖を一瞬の間押しとどめるほどだった。

同時に、それ以外の何かが僕の心を鷲掴んだ。恋心でも執着でもない、形容しがたい何かが彼女から目を離すことを許してくれない。


彼女は傍らの10歳ほどに見える少年の頭を優しく撫でながら、微笑する。

姉弟なのだろうか。顔つきが非常に似ている。男性的、というよりは中性的に整った顔つきだ。

当の少年は、どこか猜疑的な視線を僕に向けていた。


「大丈夫よ、お兄さんのような高い奴隷は貴族くらいしか買えないもの。きっと、私たちより良い暮らしができるわ」


明朗に告げる。


「それって、どういう……?」


僕を指して高級奴隷と言っていたのは聞こえたが、それがどのような意味を持つのかは推測のしようがない。

奴隷という括りにある以上、労働力として使い捨てられるのは変わりないのではないか。

そんな僕の考えを見透かすように、少女は微笑んでいた。


「首輪が金色なのが高級奴隷の証。そして、そういった奴隷は働かせるためじゃなくて、娯楽目的で買われるの」


口を挟む間もなく、言葉が続く。


「高級奴隷を買えるのは貴族のようなお金持ちだけ。でも、貴族の中でも偉い人たちは奴隷を買ってはいけないの。だから、お兄さんを買うような人は騎士爵様や男爵様になって……そういう人たちは平民から出世した一代限りの貴族様だから、きっと奴隷にも優しくしてくださるわ」


拙くも、優しい口調で説明がなされる。

恐らく、この狂った土地の常識なのだろう。ここが世界の裏や果てなのか。或いは未開の地や別世界なのかは分からないが、今後のことを考えるならもっと情報が必要だ。

少女のおかげで冷えた頭が理知的な結論を下す。恐怖は未だ健在だが、眼前の少女と比べれば、僕の境遇など遥かにマシなのだ。


僕はまだ救われる道が残されているのに対して、少女にはそれがない。それにも関わらず、僕の身を案じて笑ってくれる。まるで聖女や聖母のような慈愛に満ちた精神性。不安よりも申し訳なさや罪悪感が勝る。ならばせめて、不安を御することで彼女の行為に報いたい。

今一度疑問を洗い出し、礼と共に口にする。


「ありがとう、少し落ち着いたよ。ついでといってはなんだけど、幾つか分からないことがあるから教えてくれないかな」


「わたしでよければ、いくらでも」


「ありがとう。まず、今いる場所……土地の名前や特徴を教えてくれるとありがたい」


何はともあれ、現在地を把握しないことには始まらない。日本語が通じることから親日国ではないかと推測されるが、探索者を自称する妙な恰好をする連中がいたり、未だに奴隷制度が適用されていることを考えると地球の裏側や未開地だと言われても得心がいく。まともな国でないことだけは確かだ。


「私も詳しいことは知らないのだけど、ここはマルクスタ領の筈よ。あと、私たちがいるってことは、奴隷が認められている街でもあるわ」


マルクスタ領。領ということは、国とは別に個人が管理している土地なのか。それが、マルクスタなる家系であると。


「マルクスタ、というのは貴族?」


「多分……。私たちはこの領出身じゃないから、詳しくは分からないけど」


ある程度断言できるということは、貴族が土地を管理するのは一般常識に相当すると考えてもいいな。国が土地を切り分けて従臣に与えているのだとしたら、それは戦国、或いは中世的な時代価値観だ。


馬車の外を一瞥する。街行く人は簡易な服を纏い、露天商が大声を上げ客引きをしている。路面は舗装されておらず、携帯を見ながら歩く通行人も、車に乗る人もいない。普段見慣れた光景からはあまりにも逸脱しすぎている。

……道理で文明が遅れているわけだ。


しかし、携帯すらないとなると相当な後進国だ。その一方で、骨の怪物がいたり、その死骸が一瞬で消えるといった謎技術がある。あまりにもつり合いがとれていない。ひょっとして僕は別世界にでも来ているのか……?

そんなことを考えても仕方がないか。

益体のない思考を散らし、別の疑問を投げかける。


「マレビト、という言葉に聞き覚えは?」


「ごめんなさい、分からないわ」


奴隷商は僕のことを指してマレビトと言っていた。その言い方は、さも特別な存在であるかのようなもので、僕が高級奴隷たる所以でもある……とあたりをつけている。その確証が得られなかったのは残念だが、そも、幼い少女に全ての疑問の解を求めるのは酷な話だ。


「そうか……。高級奴隷、というのは他の奴隷とはどのように違うのかな」


希少価値があるから高級なのだということは分かる。問題は、希少と判断されるバロメーターだ。貴族が遊興目的で買うなら、優れた美貌の持ち主だったり、一芸に秀でていたりするのだろうか。生憎と、僕にそんなものはない。

少女が瞼を閉じて、考え込む。本人は真面目なのだろうが、その動作はどこか愛くるしい。


「んーと、踊りがお上手だったり、綺麗だったり、戦うことが得意な人は高い値段がつくって聞いたわ」


少し、曖昧な情報が返ってくる。その内容は、僕の想定していたものと合致していた。

僕の希少価値については想像の域を出ないことに変わりはない。

マレビトについて思惟していると、それが不満と取られたのか少女が申し訳なさそうに目を伏せた。


「……ごめんなさい。私、田舎の出だからあまり街には詳しくないの。前のご主人様もそういうことは教えてくれなかったし」


前の、ということは何らかの事情があって……売られたのか。

なるほど、だから 奴隷になるのは初めて? と声を掛けてきたわけか。

見たところ、姉弟共に容姿は整っているわけだし、僕なんかより彼女らの方が高級奴隷に相応しい。それが、並みの奴隷として扱われているということは、それなりの事情があるのだろう。

まあ、詮索はしない。知らない方が良いこともある。


「いや、大丈夫だよ。十分助かった」


努めて笑顔で告げる。推測できるだけの材料は揃わなかったが、何も情報がないよりかはマシだ。

不安はまだある。だが、冷静さは失われていない。


「お役に立てたのなら良かったわ」


少女の献身のためにも、僕は心を折るわけにはいかない。

何が何でも、母さんのもとに帰ってみせる。

決意を新たに、拳を握り締める。


――馬車が、止まった。


御者台から奴隷商が飛び降りる。


「よし、お前ら。ひとりずつ降りろ」


皆生気のない顔つきで下車していく。誰一人として反抗するものはいない。

僕にもお鉢が回ってきた。奴隷商の下卑た視線と微かな震えに耐えながら降りる。

身体の震えは止まらない。

だが、先程より幾分かはマシだった。

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