第12話悪魔のような天使①
御者台に座る奴隷商の鼻歌が聞こえる。失意に打ちのめされている僕とは真反対に、気分は上々のようだった。
「いや~、しっかし、俺はついてるぜ。まさか、マレビトの奴隷が手に入るなんてなぁ!
漂流組合の庇護下になけりゃ何も怖くなんてねえ。ただの良い獲物だぁな」
濁声じみた哄笑が晴天に吸い込まれていく。
僕は歯軋りし、馬車内を見回した。
手枷に、首輪を嵌められた人たちが生気のない顔つきでうずくまっている。若い女子供は少なく、壮齢の男が多い。労働力としての面で期待される奴隷なのだろう。このあたりは墳墓でも見た。だが、他とは変わった妙な奴隷もいる。
僕は、入口近くに佇み、殺気にも似た陰鬱な気を放っている連中を見遣る。
粗雑な作りの革鎧に、刃こぼれした剣に欠けた盾。まるで剣闘士のような出で立ちをした奴隷が幾人か散見される。中には片腕のない隻腕の者もいる。
これらの人は、所謂戦奴というやつだ。
墳墓で僕が荷台に載せられた後で、ひと悶着があったことを思い出す。どうも、この奴隷商は探索者と呼ばれる人間たちに自身の戦奴を助っ人として貸し与えていたらしい。リース契約というのが近いだろうか。恐らく、僕の見た骨の怪物と戦わせるのだろう。
だが、貸し与えた戦奴がひとり死んでしまったようで、その後処理と弁償金で揉めていた。そのやり取りを聞いていた戦奴の瞳に感情はなかった。それが、彼らの行く末なのだと理解しているかのように。
恐怖した。自分もまた、同じような結末を辿るのではないかと疑わずにはいられなかった。戦奴ではなくとも、悪人に使いつぶされる未来を予期してしまった。
総勢20近い数の奴隷が押し込められた車内を、改めて見渡す。彼らの目に生気がない理由は、自身の行く末を僕以上に理解しているからなのだろう。
――馬車が、止まる。
馬の蹄が鳴らす音が止み、それと同時に奴隷商が誰かと話し込む声が聞こえた。
少しして、荷台の裏から知らない男の顔が覗く。値踏みするような視線が空を彷徨う。
その視線が、僕に止まった。
短い悲鳴を押し殺すことはできなかった。
「なんだお前、高級奴隷なんて珍しいじゃねぇか」
「マレビトだよ。白鎧迷宮で仕入れたんだ。おめーじゃ買えねーから他のにしとけ」
既知の間柄なのか、言葉は軽い。
視線が僕から外れ、齢20~30の男に据えられる。戦奴を覗けば、比較的良い体格をしている男だ。
「あれ、貰おうか」
「毎度」
硬貨の詰まった小袋を受け取り、奴隷商が卑しい笑みを浮かべる。
代名詞で呼ばれた奴隷は、奴隷商の手に引かれ男に受け渡された。その足取りは重い。
「きりきり歩け!」
男が奴隷の背を蹴飛ばす。たたらを踏んだ奴隷が、地に臥し砂埃が舞う。奴隷の顔色は尋常ではないほど青白い。
奴隷商は売り払った奴隷なぞ興味ないとでも言うように視線を切らし、御者台へと戻った。
馬が、走り出す。
僕にはそれが、死へのカウントダウンに聞こえてならなかった。
頭の中が不安と恐怖で満たされる。今の一連の流れのせいで、奴隷という現状が否応なく現実味を帯びて、嫌な想像がしこりのように頭から離れない。知らぬ地で、母を残し、ひとり孤独に死に絶える――。認めたくない情景がゆっくりと鎌首をもたげて僕の胸中から覗いてくる。
呼吸が浅い。冷や汗が滝のように額を伝う。全身が、まるで冬空に投げ出されたかのように寒々しく、震えが止まらなくなる。
いや、落ち着け、こんな時こそ頭を軽くしろ。何でもいい。冗談でも、減らず口でも叩いて不安を脳内から追い出すんだ。
落ち着け、落ち着け、落ち着けと再三にわたって自身に言い聞かすが、体の震えは止まらない。
汗……ともすれば、涙が頬を伝って木板にシミをつくる。心臓の拍動が五月蠅い。脳漿をかき混ぜたように脳裏を無数の言葉が駆け巡る。脳髄を揺らす痛みと共に、視野が急速的に狭くなって――。
「お兄さん、奴隷になるのは初めて?」
不意をうつように、声がした。
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