第7話悪い人ではない⑤

「とんだ災難でしたね、先輩……」


「厄日だよ……」


客もまばらになりつつある時間帯。僕はカウンター業務から解放され、後輩と共に清掃業務に勤しんでいる。

あの女学生の所為で、多忙を極めているのにも関わらずスマイルを注文する輩が後を絶たなかった。挙句の果てには写真撮影の要求までしてくるときた。

有料だと告げても、素直に払おうする始末だ。本来無料なものに金銭が発生すれば困るのはバイトの僕だ。チップ文化のない日本では問題にしかならない。

結果として、僕はただただ笑う大衆の操り人形と化したわけだ。


「全部あのギャルの所為だ……。安い買い物しかしないくせに長居、ついでに汚していきやがって……」


ああいう手合いが飲み物1杯で何時間と粘るのだ。そう相場が決まっている。

偏見に満ちた言動をぶつぶつと呟きながら、清掃を終える。


「まあでも、先輩、今日はこれで上がりですよ」


「あー、そう考えると力が抜けてくるな……」


「先輩ずっと顔色悪かったですし、帰ってゆっくり休んで……」


後輩の声がどこか遠く聞こえる。ゴミを掃くモップが何故か滲んだような色合いを浮かべてきて……。


不意に、膝が折れる。それがまるで呼び水だったかのように、全身を虚脱感が覆い、視界が定まらなくなる。


「あ、あれ……?」


「ちょ、せ、先輩!?」


経験したことのない不調が次々と襲い掛かってくる。客の会話や何かを叫ぶ後輩の声が、どこか別世界の出来事のように遠く感じる。それとは打って変わって、心臓の鼓動がやけにうるさく響いていた。

全身を冷や汗が伝う。いや、汗といっていいのかすら判断がつかない。何故、後輩が必死の形相で口を開いているのか、何故、人々が集まってくるのか、何故、視界の位置が低いのか……。分からない、何も分からない。

言葉が延々と空回り続け、思考の焦点すらぼやけてくる。

視界と意識がゆっくりと黒色に蝕まれていく。

幽体離脱していくような、世界から放逐されるような不思議な感覚。

そんな奇妙な意識の中で、僕は何故か昔のことを思い出していた。

遠く遠く、過去へと思いを馳せていく。

まだ、無力だった自分へ。

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