第3話悪い人ではない①

「大学に進学する気はないのか?」


用紙を取り出すなり、教師は尋ねた。

室内に緊張の糸が張り巡らされる。疲労と睡魔に負けそうになる身体に鞭打ち、居住まいを正した。

時刻は16時を回り、夕刻が近づいてきている。

そろそろバイトのシフトに入らなくてはならないのだが、眼前の男は簡単に逃してくれそうにない。

手渡した用紙……進路調査票を見つめる顔は険しい。不服そうな表情がありありと浮かんでいる。


「以前から伝えています通り、僕は卒業後就職するつもりです」


「……分かっているとは思うが、高卒と大卒じゃあ世間での扱いは違うからな?」


そんなことは百も承知だ。

僕の表情から意をくみ取ったのか、教師はひとつ嘆息をつくと別の書類を取り出した。


「お前は成績も良い。奨学金を貰いながら大学に行くという選択肢だってあるだろう」


「奨学金って、要は借金じゃないですか」


これ以上の借金はご免だ。


「借金じゃない、将来への投資だ。それに、都合の良い奨学金だって探せばあるだろう」


「僕にとって都合の良い奨学金となると返済不要のものになりますが、そんな奨学金は2005年現在、存在しません。それに、大学に行くとなるとバイトに充てられる時間も限られます。奨学金と短時間のバイトでは生活費を賄えるとは到底思えません」


そも、成績も比較的良い部類にあるだけで、飛びぬけているわけではない。

仮に奨学金をもらえたとしても、良くて無利子のものだろう。返済義務はついて回る。


「大学生なんて暇を持て余しているようなものだ。バイトだって今以上に入れられるかもしれないぞ」


「勉強しないのなら大学に行く意味ってあるんでしょうか……?」


真面目に勉強すればバイトできる時間も少なくなるだろう。

うまく両立すれば将来は比較的明るいのかもしれないが、僕は直ぐにでも母の力になりたかった。抱えている借金も返さなくてはならない以上、収入を増やすのは急務といえる。

観念したように、教師は大きく息を吐いた。


「……まあ、そうだわな。じゃあ、せめて良いところに就職できるよう学校側でも取り計らってみよう。希望の職種があったら言ってくれ」


「ありがとうございます。それに関しましては、また後日お伝えします。今日はもう、時間が迫っていますので」


言って、壁時計を見る。急げばまだ間に合うだろう。

男が眉間を揉みながらこちらを見遣る。その手には別の生徒の進路調査票が握られている。


「忙しいな、お前も」


僕は再度礼を伝えて、教室を後にした。

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