第三話 狂いだした歯車
あれから一週間も経たない内に宏之はまた学校に顔を見せなくなった。
貴斗のヤツは学校に来ている。だが、授業はエスケープか居眠りのどちらか。
問題児二人を抱えて大変だぜ、今のこのクラスは。
御剣先生も何度か宏之の家に訪問しているのだが効果なしだ、って言っていたな。
隼瀬のやつも最近何か変だ。
実業団行きを取りやめたって噂がちらほらと辺りを徘徊していた。
~ 2001年11月30日、金曜日 ~
隼瀬、話があるから放課後、教室で待っていてくれと頼まれた。
誰も居ない教室の他人の机の上に座りながら彼女の来るのを待っていた。
「慎治、遅れてごめん、外の掃除、手間どっちゃって」
掃除場所から戻ってきた隼瀬は悪びれもなくそう言って教室に入ってきた。
「ゼミに間に合えばいいから気にスンナ。それよりはなしって何だ?」
隼瀬にそう言うと彼女の顔は急に曇り始めてしまった。
少しばかり沈黙が訪れてしまうがやがて彼女の方からの口を開く。
「アタシが言う事を黙って聞いて、それと私のしようとする事を黙認してほしい」
何時もの元気は何処に行ったのかほとんど張りの無い声で彼女は頼みごとをしてきた。
「話しを聞く前に総てを請け入れられる程、俺も寛容じゃないぜ。それについては隼瀬の話を聞いてからだ」
「・・・分かったわ、それじゃ話すわね」
隼瀬のその話とやらを聞かせ始めた。
途中何度も話しに割って入りたかったが彼女の言葉を汲んで最後まで聞いてやる事にした。
「・・・、これで話しは終わり」
最後まで言い切ると右手にコブシを作り彼女の胸の上に押しあてながら下を向いてしまった。
俺は言葉を選ぶために暫く沈黙していた。
隼瀬に何って答えるべきか?彼女の考えを請け入れるべきか否か。
現在、涼崎さんの事故の所為、いや違う宏之があんな状態に成っちまった所為で何から何まで狂いだそうとしている。そして、今日、隼瀬の口から衝撃的な事実を俺は突き付けられた。
彼女は事故のあった当時、涼崎さんと宏之のデートの日、宏之に街中で会っていた。
偶然、会ったならさして驚くべき事ではない。
二人が会ったこと自身は偶然だった。だが、隼瀬、見かけただけなら別に声を掛けなくてもいいのにその日、宏之と涼崎がデートだって事を知っていた彼女は故意的に宏之に接触し、故意的に時間を狂わせたのだと言う。
偶然的ではなく必然的にだ。
隼瀬自身、事故の原因の一端を担っていたと言う事だな。
更に彼女は俺に言う。
『悪戯なりにもアタシのしてしまった事は赦される事では無いわ・・・、だから、アタシは宏之のそばに居てあげたいの、彼の心の支えになりたいの・・・、自分の総てを捨てても』とな。
隼瀬も、貴斗も、宏之もオマエら莫迦だ。
根はいいやつ等で優しいのは分かる。
誰かのために、何かしてやりたい、と言う精神はいいことだと思うよ。だが、お前達のしている事はただの自己犠牲。
愚か者のする事だぞ、気付けよ!
どれだけ周りに迷惑を掛けていると思っているんだ?
心の中で強く叫ぶ、何故、口に出して言えないのかは・・・、言葉にしても多分、やつ等は認めないからだ。
彼女に何を言ってやれば良いのか、しばし考え、俺が伝えた言葉は、それは明確な答えを告げることだった。
決断の速さは誰にも負けない。だから、俺は確固たる論理的な思考から来た答を言ってやった。はっきりと、
「残念、認められねぇよ!いや、絶対認めない!」
「どうして!」
彼女は訴えるような仕草をして俺に突っ掛かってくる。
「隼瀬がやろうとしている事、それはただの自己犠牲だ、貴斗と何にもかわりゃしないよ。オマエ、何で貴斗のヤツが宏之と言い争う際・・・、いつも同じ事を口にしていたか知っているのか?その理由を知っていたのかっ」
「そっ、それは・・・」
隼瀬の口ぶりはその事について知らなそうだった。だから彼女に貴斗の事を教えてやった。
「本当なのそれ?」
案の定、隼瀬は知らなかったようだ。だから、驚いた顔を彼女は見せてきたのである。
「嘘偽りないね、ヤツ本人から聞いた事だからな」
「ソッ、そう・・・」
「隼瀬、考え直してくれたか?」
幼馴染みの貴斗の事を聞かせたら彼女の心境も少しは変わるのではないのかと思ってそう言葉にした。しかし、彼女は俺の意思を否定する。
その期待を裏切るように隼瀬は言葉を交わしてきた。
「それでもアタシの気持ちは変わらないわ」
「分かった・・・だったら話せ、宏之と貴斗に全部話せ。二人がお前の考えを受け入れるなら俺もそれを認めよう。宏之の方は判らないが、今の貴斗だったら十中八九、受け入れてはくれないと思うけどな」
「言えない、言いたくない。言える筈がないでしょ!」
「だったら俺が代わりに言ってやるよ」
冷静な言葉で隼瀬のそれに言い返しやった。
「・・・殺すかもしれない」
彼女の口が少なからず動いていた。
何か言っている様だが聴き取れなかった。
急に隼瀬は俺の胸倉を掴む。
だけどその手は力なく、やけに震えている。
彼女の眼光はとても鋭利だった。
まるで蛇に睨まれた蛙ってやつか?
いや違う、百獣の王に睨まれた小動物と言った方が正しいな。・・・、実はライオンって雄より雌のほうが強かったりする。・・・・・・、くだらない薀蓄を言ってしまった。
「慎治、アンタを殺すわよ!その事、言ったら、アナタを殺すわよ」
隼瀬のその言葉は彼女の俺を見る瞳を見れば本気である事が容易に理解できる。
彼女の震える手を優しく外し、一歩後退する。・・・殴られたくなかったからな。
彼女の瞳はさっきと変化していない。
「慎治、アナタを殺すわよ」
先程の声とは違い口元を震わせながら、隼瀬の瞳の中には今にも溢れ出しそうなくらいの涙が溜まっていた。
「・・・、隼瀬」
彼女も相当苦しんでいるのだろ。しかし、俺は言葉をとめない。
「隼瀬、お前が自分自身でアイツに言えないのなら、やめて置け。宏之は止めろ!お互いが傷つくだけだ。隼瀬が辛い気持ちになるのは必然だ。目に見えている!」
似たような心の弱さを持つ異性同士が付き合えばお互いを庇いあうようになる。
端から見たら、二人支えあって仲良く見えるだろう。だけど、何か大きな縺れが起きた時、お互いを庇うが故に共倒れしてしまう。
お互い潰れちまうんだ。
特に心の中に何か後ろめたい事がある場合はな。
「分かっているわよ、その位!」
この先傷付く事になってしまうかもしれない隼瀬の事を案じて、心を鬼にして俺は言ってやる。
「いやっ、分かってない!お前の考えは全然、甘過ぎんだよ。やっぱ、俺が全部話す、二人に」
そう言いくくると俺の目に閃光が走った。
『バシんッ!』
隼瀬は平手打ちを食らわして来た、頬に大粒の涙を這たえながら。
「貴斗にその事を話さないで!最近やっとしおりンと落ち着きを取り戻してきたのに。そんな事を聴いたら彼またオカシクなっちゃう。二人の関係を壊さないでよっ」
昔好きだったヤツの事を案じてか、それとも幼馴染みの藤宮さんを案じてか?それとも二人を。
隼瀬はそう言葉にして来た。
彼女はそれだけを言い残しこの場を去って行ってしまった。
まあ、確かに隼瀬が言った事をアイツに言えば藤宮さんとの関係はまずくなるかもしれない。
何せ、涼崎さんの事故の片棒を担いでいるのが彼女の幼馴染だからな。
アイツが藤宮さんに向ける目が変わっちまってもおかしくないのかもな。
はぁ・・・、俺だけがこの空間に取り残される。
誰もいない放課後の学校の教室。月明かりが窓から射し込んでくる。
俺の中で閉まっていた気持ちが少しだけまた疼き蠢いちまった。
「チッ、もうこんな時間かよ、ゼミ余裕で遅刻!サボろうかなぁ?・・・、母さんに大目玉、食わされるから、やめ、やめ、行くぞ、俺」
以前、ちょっとばかり悪い事をしたとき本当にダチョウの卵、大目玉焼きを食わされた。
それを強制的に食わされてから約一ヶ月の間、卵の悪夢を見続けた。
・・・・・・・、蠢いていた気持ちと馬鹿な思い出を無理矢理押し込め、誰もいない闇の教室から出て善教ゼミへ行く。
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