第38話 敗者の末路

 いつの間にか人間でも抱えられそうなくらい小さく体が縮んでいて、密集して生える柔らかい草のクッションにポスリッと音を立てて転がった。


 体に力が入らない。

 毒に冒されているせいもあるだろうが、それ以上に自分の体の中に常に巡っていた魔力のほとんどが消え失せ、ドラゴンの形をしているだけの抜け殻になったような気分だ。


 その横に血に濡れたディルクが降り立ち、勝ち誇るわけでも憐れむわけでもなく、むしろなんの表情も映さない瞳で睥睨する。


「ジークフリード……」

「この、ひ、きょ、もの……」


「卑怯でも卑劣でもなんとでも罵れ。それだけのことをした自覚はある。だが、勝つための手段を選ばなかったことを、俺は何一つ後悔していない。俺には守るべきものがある。たとえお前が同族殺しでなくても、きっと同じことをしただろうな」


 混血たちが仲間だの愛する者だの、他者を重視する傾向があるのは知っている。戦うことも己の強さを誇示するためではなく、守るためだとも。


 だが、そんな大義名分を振りかざそうと、純血のジークフリードの前では誰もが無力だった。

 口先だけ大層な弱者で、弱さゆえに群れるだけしか能がない戯言だとずっと思っていたが、ディルクは違った。


 同じ論理を振りかざそうと、他の混血たちが正々堂々の勝負を望んだのに対し、彼は手段を選ばずに勝ちをもぎ取りに来た。その一切悪びれるのない様に、いっそ清々しい気持ちになる。


「……ころ、せ」


 逆鱗が破壊された以上、もはやドラゴンとして生きていく価値がない。

 このまま生き延びたとしても、過去に屠った混血共の復讐の的になるだけだ。

 そうなればロクな抵抗できずなぶり殺されるだけ。


 そんな惨めな最期を迎えるくらいなら、勝者であるディルクに引導を渡される方がはるかにマシだ。そうするだけの資格は彼にはある。


 だが、ディルクはゆっくりと首を横に振る。


「どんな卑劣な手段を用いて勝ちを掴もうとも、同族殺しにまで堕ちるつもりはない――と格好をつけたいところだが、お前を殺さず捉えて置けと頼まれている。クリス、ブラン、丁重に案内してやってくれ」


「了解ッス」

「はいはい、暴れないでくださいねー」

「な、何を、する!?」


 自分たちのやり取りを遠巻きに見ていた若い混血たちが動き出し、その片割れに子猫のように首根っこを掴まれて連れ攫われた。

 ようやく麻痺から解放され、ジタバタともがくが力の失われた体では拘束を外すことはできない。

 無駄な抵抗を繰り返しているうちに、先日遠目に見たドラゴンの集落が見えてきた。


 まさか、あの連中になぶり殺しにされるのか?


 恥辱に歯噛みするジークフリードを人の姿で出迎えた混血共だが、何故か憐れみの色の濃い不思議な視線を向けてくる。殺気も憎悪もほとんど感じない彼らに面食らう中、その間を縫って一人の女が出てきた。


 魔女だ。だが、ディルクを従えている女ではない。


「ほう、これが純血のドラゴンか。ふふふ、長生きはするものだな」


 分厚い眼鏡をクイッと持ち上げて不敵な笑みを刻む魔女に、これまで感じたことのない悪寒が背筋を駆け抜けた。


「……年寄り臭いことを言うな。まだ三十路過ぎだろうが」

「空気が読めない男だな、ローエン。こういうのは雰囲気だよ、雰囲気」


 半眼で突っ込む男を飄々とかわした魔女は、混血に掴まれたままのジークフリードをぬいぐるみでも持つかのように抱えると、喉の奥で不気味な笑い声を上げる。


「さて、ジークフリードとやら。君は私の使い魔になってもらうよ」

「は!? なんで俺がそんなこと――うぐああああっ!」


 反論する余地もなく、弱り切った体に一方的に魔女の魔力が流れ込んでくる。


 しかし、だからといって精力がみなぎってくるという感じではなく、むしろ自分が何か別のものに書き換えられた上で全身を鎖で絡め取られていくようで、恐怖と不快感のあまりみっともない悲鳴を上げてしまった。


 僥倖だったのは、それがほんのわずか数秒の間だったこと。


 終わってもなお体中に倦怠感が募りぐったりとしているジークフリードを前に、ローエンと呼ばれた混血は狼狽した声を上げる。


「お、おい。大丈夫なのか、あれ?」

「心配ない。一方的な契約だから多少負荷がかかっているだけだ」

「絶対“多少”じゃねぇ……」


 頭を抱え深い嘆息をしたローエンは、誰よりも深い憐憫を金の瞳に宿してジークフリードに向き直る。


「ご愁傷様。ケリーに捕まったのがお前の運の尽きだ。おとなしく実験台になれ。命の保証はする……多分」


 実験台? 自分は使い魔になったのではないのか?

 いやそれよりも、実験台という響きがまるで処刑台と同じに聞こえる。


 その時は幻聴だ錯覚だと思っていたジークフリードだが――ケリーなる魔女がとんだマッドサイエンティストであり、容赦なくドラゴン専用のマナテリアルの実験台として自分をこき使うことになるとは、想像すらしていなかった。


 逃げたくても逆らいたくても、魔女に絶対服従という性質を持つ使い魔になった彼になす術はない。

 おとぎ話の魔女より恐ろしい女、それがケリーだった。


 その代わり、ローエンを筆頭に住人たちはジークフリードに妙に優しかった。集落の仲間を殺されたわけではないという部分もあっただろうが……その大部分はケリーの実験に付き合わされることがなくなったことに対する、大いなる感謝の表れだった。

 

 かくして稀代の同族殺しは狂える魔女の使い魔になり、彼女の命が尽きるまで実験台としての役割をまっとうした。魔女の死後、純血のドラゴンは姿を消して二度と同胞の前には姿を現さなかった。


 その逸話は長らく集落のドラゴンたちに語り継がれ、ジークフリードを憐れんだ者たちにより像が建てられることになるが――それはまた別の話。

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