第21話  ”甘い”ひと時

「ディルク、小物が届いたから一緒に運んでくれる?」


 地面に置かれたいくつかの木箱を指して、オフィーリアが声をかけてきた。

 他人行儀だった敬語が取れて砕けた口調で話してくれるようになったし、些細なことでもディルクを頼ってくれるようになった。出会った頃よりもずっと距離が近づいているのは、素直に嬉しい。


「ああ、分かった。これは……食器か」

 以前暮らしていた小屋にあったのはほとんど木製だったが、いい機会だからと陶器や銀の食器を購入したのだ。

 来客用のティーセット以外、すべてペアで揃えてある。

 もちろん、オフィーリアとディルクで使うものだ。


 ドラゴンに食事は必要ないが、一緒に食事を摂るとオフィーリアが喜ぶし、なんだか夫婦っぽいと勝手に思っているので、できるだけ毎日一緒に食卓を囲むことにしている。


 そういえばペアの食器を買った時、店員から「彼氏さんとお揃いにしたいなんて、ラブラブなんですね!」と笑顔で対応されたオフィーリアが、顔を真っ赤にしていたのを思い出す。


 子供の姿では格好がつかないし、積極的に口説いたりアピールしたりはしてなかったが、使い魔としてではなく異性として意識されているのが分かって、嬉しくもあり恥ずかしくもあり……いや、回想に浸っている場合ではない。仕事をしないと。


 作業する男たちの合間を縫って木箱を中に運び込み、梱包を解きながらすでに搬入されている食器棚に仕舞っていく。時々手を止めながら、オフィーリアに視線を向けてくる男たちを牽制しつつ、出来上がっていく新居を見回す。

 

 アイボリー色の壁紙。明るい色味の木製家具。こげ茶のフローリング。

 キッチンとリビングだけで元の管理小屋くらいの広さがあり、それとは別に三部屋あって、さらに工房があるのだから、いかに今まで狭い生活空間だったのかと思い知らされる。


 だが、広くなったことで残念なこともある。

 オフィーリアと同じ空間で眠れなくなってしまったことだ。


 省スペースと理性の暴走抑止のため、ぬいぐるみサイズのドラゴン姿で就寝していたディルクだが、彼女が寝静まったことを見計らって起き出し、こっそり寝顔を堪能するのが毎晩の楽しみだったというのに。


 今まで通り人化しないことを条件に一緒の部屋で寝てもいいかと、さりげなくお伺いしてみたのだが、赤い顔をプルプル横に振られてガッカリした。


 誓って言うが、変なことは一切していない。

 頭を撫でたり布団をかけ直したり、健全な範囲でしか触れてない。それ以上の邪なことは……妄想にとどめている。ただ、あどけない彼女の寝顔を見ていると、自分の汚れた妄想に自己嫌悪が押し寄せてくるので、ほどほどにしているが。


 当分一人で寂しく寝るのかと思うと、つい遠い目になってしまうが、これほど意識されているならという期待感も強い。


 だが、お互いの気持ちだけで恋人や夫婦になれるわけではない。

 人の姿を取ることができるとはいえ、種族の違いもさることながら、ドラゴンと人間とでは寿命が違いすぎる。オフィーリアは『今さえよければ』というタイプではないから、きっと気にしていることだろう。


 根本的な命の長さは変えられないが、自分の歳格好を変えて彼女と釣り合う見た目に変えることもできるので、ディルクとしては問題ないつもりだが、それを彼女が受け入れてくれるかどうかまでは分からない。


 愛があればどんな障害も乗り越えられる、なんていうのは絵空事だ。

 などと考えながら内心皮肉げに笑っていると、オフィーリアが顔を上げた。


「ねぇ、ディルク。皆さんの作業ももうすぐ終わりそうだし、お帰りになられたら一旦休憩してお茶にしましょうか。昨日、お母さんからフルーツケーキをもらったの」


 オフィーリアはここ最近、ベアトリクスを「お母さん」と呼ぶことが増えた。

 意識してそうしている節もあるが、彼女が前向きに母親と向き合おうとしていることの現れだろうし、長年の確執も少しずつ過去の出来事になりつつあるのだろう。


 それは一安心だが、別の懸念が湧き上がる。


「いや待て、それはベアトリクスが作ったのか……?」

「あ、もらったケーキの製作者はロイドよ。お母さんが作ったのもあったけど……あれは……あはは」


 何を思い出したのか、ゴニョゴニョと言葉を濁し、曖昧に笑うオフィーリア。


 ベアトリクスは壊滅的なまでに家事ができない。

 ロイドにすべて任せきりで、自分では何もしたことがないそうだ。

 使い魔に家事などの雑務をさせる魔女は多いが、さすがにまったくできないというタイプは少ない。


 それでは母親らしくないと思ったのか、最近は隠居の暇に飽かせていろいろ頑張っているものの、ほとんど空回りに終わっている。


 その奮闘ぶりも、娘のわだかまりを溶かすのに一役買ったのかもしれないが……彼女の作った料理が薬より不味いのはディルクも身をもって体験しているので、これ以上手料理で母子愛を深めようとするのは控えるよう、本気で進言すべきかもしれない。


「……まあ、ロイドが作ったのなら安心だな。ところでオフィーリア、君が優しいのは知ってるが、試食が嫌ならちゃんと断るんだぞ。腹を壊したらどうするんだ」

「だ、大丈夫よ。本当におなかを壊しそうなのは、前もってロイドがす……べ、別のところに取ってあるから」


 今『捨てる』って言いかけたな、とディルクは思ったが、母を慮ってマイルドに言い換えたオフィーリアの気持ちを汲んで、突っ込むことはしなかった。


 その後、無事に搬入作業は終わり、オフィーリアを狙う男どもが撤収して清々したところで真新しいテーブルにつき、新品の食器を使っておやつの時間となった。


 爽やかな口当たりのハーブティーと、ドライフルーツがたっぷり練り込まれた甘いフルーツケーキで疲れを癒しつつ、二人きりの時間を堪能する。


 至福の時だ。


 男女のアレコレがなくたって、愛しい人とこうして過ごせるだけで心が満たされる。そこに甘い物があるなら最高だ。そうケーキと一緒に幸せを噛みしめていると、


「ディルク、食べカスがついてるわよ」

「え、どこ――むっ」


 おもむろに椅子から腰を浮かせたオフィーリアが、テーブルを挟んで手を伸ばし、ナプキンで口元を拭った。


「い、言ってくれれば自分で取るから」

「前もそうしたけど、全然取れなかったもの」


 そう言えばそうだった。顔中をゴシゴシと擦るディルクを見ながら、彼女は忍び笑いをしていた。


 子供扱いされるのも癪だが、カッコ悪いところも見せるよりはマシだろうか。

 いや、その前に食べカスを付けずに食べる方が大事か。でも、彼女に世話を焼かれるのも嬉しいし……どうするのが正解なのだろう。

 

 贅沢な悩みを抱きつつ残りのケーキを平らげ、新居の片付けを再開した。

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