第11話 母からの呼び出し

 翌朝は、昨日の雨が嘘のようにすっきりと晴れ渡っていた。

 イモを茹でながらディルクの怪我の具合を確かめると、鱗はまだ完全に生えてはいないが、傷自体はかさぶたもほとんどなくなり、ほぼ完治しているように見えた。


「よかったですね。もう包帯も薬もいらないですよ」

「そうか。治ったのはいいが、もう君に手当してもらえないのは残念だ」

「わざと怪我したら怒りますからね」

「し、しないって」


 ブンブン首を振るディルクに忍び笑いを漏らし、茹で上がったイモをザルに上げたところで、窓を突く音が聞こえた。見やると、そこにはロイドらしき黒猫がいた。


 窓を開けてやると、黒猫はドラゴンを警戒しつつも室内に飛び降り、スルリと少年の姿になる。


「おはようございます。こんな朝早くにどうしたんです?」


 オフィーリアの問いに、ロイドが落ち着きなくチラチラとドラゴンを伺いつつ答えた。


「……主がドラゴンの引き渡しを要求している。すぐに拘束具をはめて、俺に引き渡せ」

「え……?」

「使い魔の聴力なめんな。お前らがイチャついてる会話、外からでも丸聞こえなんだよ。バカップルかよ」

「い……!?」


 渋面のロイドに揶揄されて、オフィーリアは赤面する。


 イチャつくとかバカップルとかまったく自覚はなかったが、聞きようによってはそう取られてもおかしくない会話をしていたらしい。


「とにかく、そのことを報告したら、本格的に情が移らねぇうちに使い魔にするってさ。だから拘束具を――」

「拘束具って、これのことか?」


 今まで黙って話を聞いていたディルクは、部屋の隅に置いてあった拘束具を手に取り、切れ味抜群の爪でスパッと切り裂いてしまった。

 真っ二つにした端から、スパスパ切り刻み、みじん切りになって床にこぼれた拘束具はなんとも哀れだった。


 どんな猛獣でも拘束できる、というのが売りのマナテリアル器具があっけなく破壊され、昨日その性能を見たオフィーリアでも驚いたが、それを知らないロイドは肝をつぶして縮み上がり、恐怖のあまり黒猫の姿に戻ってしまった。


「のわああああ! ちょ、トラでもオオカミでも噛み千切れない拘束具だぞ!? なんつー物騒な爪持ってんだよ!?」

「爪自体がどうこうというより、爪に魔力を集中させて切れ味を上げているだけだ」

「さらっと解説すんなよ! 怖ぇぇ!」


 そういう仕組みだったのかと納得するオフィーリアとは裏腹に、ロイドは全身の毛を逆撫でてシャーシャーと威嚇の声を上げる。猫の本能が暴走している。

 ディルクはそれを歯牙にかける様子もなく、呆れたような困惑したような顔で見つめた。


「ま、まあまあ……それじゃあ、私がディルクさんを連れて行きますよ」


 両者の間に割って入り、取りなすようにオフィーリアは言う。

 ディルクがロイドに何かするとは思えないが、この調子ではロイドが勝手に暴走して自滅しかねない。

 それに、少しでもディルクと長くいたいという身勝手な願望もある。


 そんな気持ちを察したわけではないだろうが、ロイドは一秒でもドラゴンと一緒にいたくないのか「じゃ、頼んだ!」と言い残し、窓を飛び越えて一目散に逃げていった。


「せわしない猫だな」

「あはは……じゃあ、ごはんを食べたら私たちも行きましょうか。母も姉も忙しい人たちですので、待たせてはいけませんから」

「そうだな。君と結婚できるよう交渉するのに、時間がかかるかもしれないからな」


 プロポーズを承諾した覚えはないのだが、ディルクはすでにその気のようだ。

 でも、決して悪い気はしない。どうせ落ちこぼれと結婚しようなんて酔狂な男はいないんだし、一緒に過ごした時間はとても幸せだったから、恋愛感情があろうとなかろうと結婚するのはいい選択肢のように思える。


 たとえそれが叶わぬ夢だとしても、夢を見るくらい許されていいはずだ。


 朝食を終えてディルクと共に小屋を出ると、彼はおもむろにたたんでいた翼を広げ、二、三回軽く動かしたのち、大きく羽ばたいて宙に浮かんだ。


「わっ、もう飛べるんですか?」

「長距離は無理だが、少しくらいなら。歩くより早いし、君と同じ目線で外を見てみたいんだ」


 恥ずかしいセリフをさらっと言ってのけるドラゴンから顔を背け、赤くなった頬をごまかすように足早に歩き出した。


 道すがら、魔女たちの好奇と恐怖の視線が突き刺さったが、ひそひそと揶揄が聞こえても、ディルクがひと睨みしたらたちまち消えたので、ちょっぴり気分がよかった。

 ……虎の威を借る狐ならぬ、ドラゴンの威を借る落ちこぼれの自覚はある。


「君は一生懸命里のためになるの仕事をしてるのに、どうしてあんな風に悪口を言われないといけないんだ? まったく腹立たしい奴らだ。何様のつもりだ?」

「仕方ないですよ。落ちこぼれですから」

「だからって、こんなに美して優しくて働き者のオフィーリアを悪く言うなんて、俺は許せないぞ」


 プンスカ怒るディルクを宥めつつ、少しだけ遠回りをして里の中を案内しながら実家への道を歩き、屋敷の門の前でウロウロしているロイドに出迎えられた。


 まだ怯えているのか挙動不審な彼に案内され、ディルクと共に家の裏手に向かった。

 バーディー家の裏はかつて自前の薬草畑があったが、オフィーリアが世話する薬草園にその役割を譲り、現在は空き地になっている。


 使い魔の契約を行う場所に制約はないが、ディルクに魔力が行き渡れば本来の大きさを取り戻すかもしれず、広い空間でやるにこしたことはない。上空にいたから正確な大きさは把握していないが、少なく見積もっても普通の家くらいの大きさはあるに違いない。


 屋敷に沿って細い道を通り、開けた場所に出ると、母と姉がそこで待っていた。

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